子供という名の未来を失った世界

「トゥモロー・ワールド CHILDREN OF MEN」

- アルフォンソ・キュアロン -

<リアリズムに徹した終末SF>
 終末SFの傑作は数多くありますが、この作品もその中の一本になりそうです。とはいえ、SF的な大仕掛けのアイデアがあるわけでもなく、迫力満点の宇宙船バトルが展開するわけでもなく、魅力的な宇宙人キャラクターが登場するわけでもありません。
 人類が生殖能力を失ってしまった終末観漂う近未来を舞台に、世界にただ一人の赤ちゃんと母親の逃避行を描いた地味な物語です。過去には、「赤ちゃんよ永遠に」(1972年)という人口増加を食い止めるために赤ちゃんを産めなくなった世界を描いた映画がありました。しかし、今や先進国にとっては「赤ちゃんのいない世界」の方がリアリティーがあり恐怖なのかもしれません。
 未来をになる子供たちが消えた不気味な終末世界をいかにリアルに描き出すか、そこがこの作品の重要なポイントだったといえます。そして、この映画はその創造に見事に成功したといえます。その世界観が地味ながらこの映画の大きな魅力になりました。

<長回しによるリアリズム>
 「ゼロ・グラヴィティ」(2013年)により、世界的な巨匠の仲間入りをすることになる監督のアルフォンソ・キュアロンのリアリズム手法は、この作品でも見事に実行されていますが、それはセットや衣装など以上に彼が得意とする「長回し撮影」に表れていると思います。
 「ゼロ・グラヴィティ」では、オープニングの人工衛星と隕石との衝突シーンを13分に及ぶ長い長いワンカットで描き観客を驚かせましたが、この映画でも、その長回し撮影は大きな役割を果たしています。冒頭の爆破テロシーンから始まって、主人公の乗る車が襲撃されるシーン、キティの出産シーン、そして、最も長い最後の戦闘シーン。特に最後の6分を越える戦闘シーンでは、階段を次々に駆け上がりながら銃撃戦を潜り抜ける繰り返しが切れ目なく続き、観客の目は画面にくぎ付けにさせられます。実際には、CGによって完璧につなげられただけでカットはいくつもあるようですが、まったくその切れ目はわかりません。映画にとって、CGが果たす役割の中でも、このカットの自然なつなぎ技術は、今後もっと利用されるべきもののように思えます。
 カメラマンのエマニュエル・ルベツキは、メキシコ人のカメラマンでメキシコ映画「赤い薔薇ソースの伝説」(1992年)で世界的に知られるようになった後、「リアリティ・バイツ」(1994年)、「ジョー・ブラックをよろしく」(1998年)、「スリーピー・ホロウ」(1999年)、「アトランティスのこころ」(2001年)、「ARI アリ」(2001年)、「レモニ―・スニケットの世にも不幸せな物語」(2004年)などの撮影を担当。
 2005年には「ニューワールド」で巨匠テレンス・マリックとコンビを組み、その後も、同監督の「ツリー・オブ・ライフ」(2011年)、「トゥ・ザ・ワンダー」(2012年)に参加しています。

<ブリティッシュ・ロックに愛をこめて>
 ブリティッシュ・ロックそしてジョン・レノンへの愛に満ちた映画です。
 観終わってから、思わずジョン・レノンのアルバム「マインド・ゲームス」を聴き直しました。(僕が1974年アメリカで買ってきたアルバムのひとつで忘れられない作品のひとつです)そのアルバムにはエンドロールの曲であり、映画の中でも使われているジョンの「ブリング・オン・ザ・ルーシー」が収録されています。
 ちなみに、映画で使用されているのは、このアルバム・バージョンではなく後に発表された別テイクですが、確かにエンドロールに使うなら、そっちの方が向いていたのでしょう。(エンド向きのアコースティックで静かなバージョンなので)でも、曲のアナーキーさはアルバム・バージョンの方が絶対感じがでていて「ロック」です。是非、そちらもお聞きください!
 思えば、この映画で自分の命を犠牲にして主人公を救うジャスパー役のマイケル・ケインは、ジョン・レノンが生きていたらこんな感じになっていたのでは?と思わせます。彼が銃で撃たれるシーンはまるでダコタハウス前のあの暗殺劇の再現のようにも思えます。きっとジョンを意識した役だと思います。

<ロック系の使用されている曲>
「ハッシュ」(ディープ・パープル)、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」(ジュニア・パーカー:オリジナルはザ・ビートルズ)、「クリムゾン・キングの宮殿」(キング・クリムゾン:この曲の後、バックの窓の外にはあの有名な巨大なブタの風船が浮いています)、「ゼア・イズ・アン・オーシャン」(ドノバン)、「ルビー・チューズデイ」(フランコ・バッティアート:オリジナルはローリング・ストーンズ)、「アーベイト・マーチ・フレイ」ザ・リバティーンズ)、「ブリング・オン・ルーシー」(ジョン・レノン:アルバム「マインド・ゲームス」収録曲の別バージョン)

クラシック音楽からも印象深い曲が使用されています。
「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(クシシュトフ・ペンデレツキ)、「交響曲第10番」(ドミトリー・ショスタコービッチ)、「亡き子をしのぶ歌」(グスタフ・マーラー)

<聖なる存在への愛>(2015年7月追記)
 この映画のエンドロールの最後に「地には平和を」と書かれていて、映画全体のテーマ「聖なる存在である赤ちゃんへの愛」を感じさせます。
 赤ちゃん(その名はディラン!)が生まれた場面は、イエス・キリストが馬小屋で生まれた聖書の箇所を思わせ、戦闘中だった兵士たちが赤ちゃんの通過の際、祈りを捧げたり、跪いたりする場面もまさに聖なる存在への愛に溢れています。ラストに海へとボートで出発する場面、暗い洞窟から海への道のりがまるで「産道」を通り抜ける新生児の誕生の瞬間のようです。
 映画全体が、人類の死と再生を象徴する構造になっていることに感心しました。

<あらすじ>
 2027年、世界各地で妊婦が病に冒されて赤ちゃんが死亡し、ついには世界中から赤ちゃんが消えてしまいました。未来を託せる子供たちを失った社会は大混乱に陥り、世界中の多くの国が無政府状態になる中、イギリスは鎖国政策を徹底することでかろうじて、国家体制を保っていました。
 かつて反体制運動の活動家だったロンドンに住むセオは、ある日反政府活動を続けるために地下に潜った恋人ジュリアンから連絡を受けます。彼女は、人類にとって重要なある女性キティをロンドンから脱出させある場所まで移動させ、イギリスから出国させるのを手伝ってほしいと依頼します。彼女はトゥモロー・ワールドと呼ばれる謎の世界に行こうとしていたのです。
 セオは彼女を手伝うために移動許可書を入手し、一緒に車でロンドンを出ます。しかし、その途中、暴徒からの襲撃を受けて、ジュリアンが死んでしまいます。なんとかキティをジュリアンたち反政府組織の基地に連れて行きますが、そこで反政府グループがキティとそのお腹の中の赤ちゃんを自分たちが確保しようとしていることを知ります。このままではキティのお腹の赤ちゃんはテログループのシンボルになってしまうと知ったセオは、彼女を連れてそこから脱出します。
 ついにセオはキティと共にトゥモロー・ワールド行きの船が立ち寄るはずの港に着きますが、そこではテログループと政府軍との激しい戦闘が始まろうとしていました。セオはキティと共に船出することができるのでしょうか?

「トゥモロー・ワールド CHILDREN OF MEN」 2006年
(監)(脚)(編)アルフォンソ・キュアロン Alfonso Cuaron
(製)マーク・エイブラハム、ヒラリー・ショー、トニー・スミス、エリック・ニューマン、イエン・スミス
(製総)トーマス・A・ブリス、アーミアン・バーンスタイン
(脚)ティモシー・J・セクストン Timothy J. Sexton
(原)「人類の子供たち」(P・D・ジェイムズ)
(撮)エマニュエル・ルベツキ Emmanuel Lubezki
(音)ジョン・タブナー John Tavener
(編)アレックス・ロドリゲス Alex Rodriguez
(出)クライヴ・オーウェン(セオ)、ジュリアン・ムーア(ジュリアン)、マイケル・ケイン(ジャスパー)、キウェテル・イジョフォー(ルーク)、クレア=ホープ・アシティー(キティ)、パム・フェリイス(ミリアム)

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