人形浄瑠璃黄金時代を築いた「ちかえもん」


NHK水曜時代劇「ちかえもん」

- 近松門左衛門、竹本義太夫 -
<「ちかえもん」LOVE!>
 NHKの木曜時代劇「ちかえもん」、僕は時代劇はめったに観ないのですが、タイトルにひかれて観て、見事にはまりました。
 人形浄瑠璃の黄金時代を築いたあの近松門左衛門が10年もの空白期間の後、傑作「曽根崎心中」によって復活するまでの苦悩の時期を、その「曽根崎心中」のストーリーを下敷きに再現したファンタジー・コメディー・ミュージカル風時代劇。
 笑いあり、涙あり、恋あり、歌あり、スリルあり、謎ありのエンターテイメント・ドラマがあまりに気に入ってしまったので、ドラマの主人公「ちかえもん」と人形浄瑠璃について調べてみました。
 近松門左衛門とはいかなる人物だったのか?
 「人形浄瑠璃」と「歌舞伎」の違いは、人形を使う使わないの違いだけなのか?
 「義太夫」とは、音楽?語り?ミュージカル?何なのか?
 「ちかえもん」にはまった方ならきっと興味深いはずです。

<近松門左衛門>
 「ちかえもん」こと近松門左衛門が生まれたのは江戸時代初期の1653年。現在の福井県にあたる越前の武士、杉森信義の次男として誕生しています。武家とはいえ、次男だったためか、彼は家を出て京都で公家屋敷で働きます。そこで浄瑠璃関係の人々と知り合うことになり、文才を買われたのか、浄瑠璃作者としてデビューします。
 当時、人形浄瑠璃はすでに人気のエンターテイメントとして存在しており、その一座で活躍していた竹本義太夫は1684年に独立し竹本座を起こします。
 近松は独立したばかりの竹本から依頼を受け、1685年に「出世景清」を書き上げます。(「ちかえもん」で、お初の秘密を明かす際、重要な役割を果たした作品です)すると、この作品は竹本座を一躍人気一座とする大ヒット作となっただけでなく、後に近世浄瑠璃最初の傑作と呼ばれることになります。これをきっかけに彼は1686年、自ら「近松門左衛門」と名乗るようになります。こうして誕生した「ちかえもん」は、竹本義太夫とその後も長く盟友として共同で作品を作り続けることになります。この時、彼はすでに33歳で、その後、40歳で結婚し、一男一女をもうけているようです。(「ちかえもん2」があれば、この二人を登場させてはどうでしょう?)
 1693年、彼は歌舞伎役者、坂田藤十郎のための狂言を書き、それから10年近く人形浄瑠璃の世界から離れることになります。なぜ、そうなったのか?その理由ははっきりしていないようですが、彼が書かなかったことで人形浄瑠璃に低迷期が訪れていたのかもしれません。この謎の時期が「ちかえもん」では描かれているわけです。
 1703年、彼は実際に起きた心中事件を題材に「曽根崎心中」を発表します。すると、その作品は大衆の涙を誘い大ヒット。「心中もの」が一大ブームを巻き起こしたのと同時に人形浄瑠璃もまた黄金期を迎えることになりました。

<幻の作品「忠臣蔵」>
 「ちかえもん」には、実際には近松が書いてはいないであろう「忠臣蔵」も登場します。実際に「忠臣蔵」が作品として発表されるのは、近松の死後1748年のことです。そのタイトルは「仮名手本忠臣蔵」で、その共作者の一人である竹田出雲は竹本義太夫の後を継いだ人物です。
 とはいえ「忠臣蔵」の元になった吉良上野介邸への47士の討ち入りがあったのは1702年のことなので、近松が浄瑠璃のネタとして「忠臣蔵」を書いていた可能性がないわけではありません。ただし、こうしたある意味政治的なテロ事件を大衆に広く知られることは江戸幕府にとって不都合でした。当然、事件が起きたばかりの時期にそれを大衆娯楽のネタに使うことは到底不可能だったでしょう。なにせ、事件から50年近い時がたった1748年の「仮名手本忠臣蔵」でさえ、作者たちはそれが赤穂浪士の討ち入りとは異なる「フィクション」であると思わせるよう工夫を凝らしているのです。

 「実際の忠臣蔵」である赤穂浪士の討ち入り事件を惹き起こしたのは、今の兵庫県西部の瀬戸内海側の播州赤穂の城主、浅野内匠頭です。これを『仮名手本忠臣蔵』の作者は、『太平記』に登場する実在の塩冶判官に置き換えました(物語ももちろんかなり変えられています)・・・
 赤穂と言えば、今でも「塩」です。江戸時代でも有名なのは「塩」です。徳川幕府は実際の武家の事件をドラマに仕立てるのを禁止していました。だから、江戸時代のドラマ作者はその実在性をごまかすためにいろいろ加工して、「これは『太平記』の中のドラマですよ」と言ったのですが、でもそれをした『仮名手本忠臣蔵』の作者は、浅野内匠頭ぬ該当する人物に「塩」の一字を持つ人物を充てはめて、「塩の赤穂」を匂わせることを忘れませんでした。


 なるほど、こんな昔から「赤穂といえば塩」だったんですね。

<近松と人形浄瑠璃の黄金時代>
 今以上に実際の事件を作品に取り入れることは、非常に困難なことだったのです。それでも、やはり同じように実際に起きた事件を基にした「曽根崎心中」が書けたのは、事件が政治とは無関係な商家を舞台にした「大衆雑誌向け」のゴシップ・ネタだったからでしょう。この作品の大ヒットは「心中もの」の一大ブームを巻き起こし、近松自身もこの後、次々にヒット作を書き、歴史に名を残す存在となります。
「冥途の飛脚」(1711年)
「国姓爺合戦」(1715年)
「心中天網島」(1720年)
「女殺油地獄」(1721年)
 彼は1724年11月22日にこの世を去るまで、作品を書き続け、その活躍により人形浄瑠璃の黄金時代が続くことになりました。それに対し、ライバル的存在だった歌舞伎は、この後、近松の作品などを積極的に取り入れて行くことで人形浄瑠璃の人気を奪ってゆくことになります。

 「義経千本桜」や「仮名手本忠臣蔵」は「有名な歌舞伎狂言」だと思われるようになって、人形浄瑠璃のドラマを吸収した歌舞伎は、人形浄瑠璃以上の人気を得て勝ってしまったのです。人形の顔よりも、生きた役者の顔の方がヴァリエーションに富んでいますから、同じものを演じたら、人形より役者の方に人気が集まってしまうのは仕方がないことかもしれません。
 だから、歌舞伎は「人間ドラマ」で、人形浄瑠璃は、「音楽に貫かれた運命ドラマ」です。歌舞伎に人気を奪われて、これを取り戻そうとした時代のドラマ作家である近松半二は、人形浄瑠璃のドラマを、歌舞伎のような「人間対人間のドラマ」に近づけようとしたのです。
 彼の書いたドラマは、「運命」というよりも、「複雑に仕掛けられたドラマの海」を泳ぎ抜くような人間達の物語で、しかもその義太夫節の節付けは、十分に豊かで美しかったので、歌舞伎以上の成功を収めたのです。


 確かに「人間ドラマ」として感情表現を求めるなら、「人形」よりも「人間」を使う方が有効なのは確かです。でも、それなら人形浄瑠璃に生き残る道はなかったはずです。今でも、人形浄瑠璃が「文楽」という名前でしっかりと残っているのみもやはり理由があるのでしょう。

<そもそも人形浄瑠璃って何?>
 「人形浄瑠璃」とは、人形劇と浄瑠璃が組み合わさったものですが、ではそもそも「浄瑠璃」って何なのでしょう?

 「浄瑠璃」というのは物語の主人公の名前で、彼女とまだ「源義経」になる前の牛若丸の恋物語を語るのが「浄瑠璃御前物語」とか「浄瑠璃物語」と言われるもので、これが大ヒットしたおかげで、この物語を語ることを「浄瑠璃」と言い、以後は違う物語を語っても「浄瑠璃語り」と言われるようになってしまいました。

 では「人形浄瑠璃」と「歌舞伎」は、どこが違うのでしょうか?
 演じるのが「人形」か「人間」かの違いだけなのでしょうか?
 そこでポイントになるのが、役者と並ぶ重要な存在である「音楽」です。そこで、両方のエンターテイメントにおける「音楽」の違いについて調べてみます。先ずは、そこで使用されている楽器「三味線」についてです。

 江戸時代の日本音楽の中心にあるのは三味線ですが、この三味線は大きく二つに分けられます。一つは、歌舞伎の中心にあった長唄三味線で、もう一つは人形浄瑠璃を成り立たせた太棹の義太夫三味線です。・・・
 たとえて言えば、長唄三味線がギターで、義太夫三味線はベースです。義太夫三味線の方が古い音で、だからこそその低い音は語りの合間にリズムを取る打楽器的な働きもしたのでしょう。花やかな音に改良された長唄三味線の音は「劇場の音」ですが、義太夫三味線の音はそれ以前に「民衆の音」で、低い重量感のある音の中に人間生活のさまざまなニュアンスは籠められているようで、その振幅のある音が、人間の中に眠っている種々の感情を掘り起こすように響きます。


 当然、楽器が異なるということは、表現する音楽がそもそも違うということです。
 歌舞伎において踊りが表現するのは「所作事」といいます。それは人間の「所作」すなわち「人間の行為」です。それに対し、浄瑠璃が表現するのは「景事」すなわち「情景」のことです。
 ザックリ言うと、歌舞伎は「一流の俳優による本格的な人間ドラマ」、浄瑠璃は「優れたミュージシャンによる音楽イメージ映像」といった感じでしょう。
 そのため、人形浄瑠璃の場合は、情景をより効果的に演出するため、背景となる義太夫節は「より音楽的」なものが求められることになります。

 義太夫節は、極端にメロディアスな「節(フシ)」と、メロディ抜きの「詞(ことば)」を両端にして、その間を様々な音の表現で埋めてある「音楽」だから、「ああ音楽だ」と思えるところと「これが音楽か?」と思えるところの両方が混在するのですが、「節事」というのは、その「いかにも音楽的」と思われる要素に満ち満ちているもので、景事である「道行」が「音」的にはそういうものだから、「節事」と言います。
 「段物だけでは重くなりすぎるから、息抜きに節事も入れて、ここでパーッと花やかにやりましょう」ということで、節事は「お楽しみのおまけ」でもあったのです。

(「道行」とは、まさにこの「節事」です)
 
<旅を楽しませる「道行」>
 ここで「道行」という言葉が出てきました。「道行」とは、歌舞伎などによく登場する「旅」の場面を舞台化したもの。映画でも「ロードムービー」という言葉があるように、日本のエンターテイメントにも「旅もの」的なジャンルが人気のシリーズとして昔から存在しました。そもそも日本人は旅が大好きな国民で、江戸時代に平和な時期が続くようになると大衆は実際の旅だけでなく旅についての文学や浄瑠璃を楽しむようになります。
 松尾芭蕉の「奥の細道」(1702年)、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(1802年)、葛飾北斎の「富嶽三十六景」(1823年)から現代の渥美清の「男はつらいよ」やアニメ「ポケットモンスター」、ゲームの「ドラゴンクエスト」まで、日本の「旅もの」の人気は今でも続いています。
 歌舞伎や浄瑠璃における「道行」は、演目の中の一部のパートで、その後に続くドラマ全体の導入部的な役割を果たしますが、それは「ドラマ」というよりも「情景」の紹介といえます。「道行」は大衆に旅を体感させるために、様々な方法を用います。(思えば、日本人のテレビにおける旅番組好きも異常なほどです)
 そんな旅好きの日本人が生み出した特殊な言葉として、例えば「歌枕」があります。「歌枕」を使うことで日本人は簡単に脳内旅行に旅立てるのです。

 「歌枕」というのは、「和歌に詠まれたことによって有名になった場所」で、この地名を詠み込んだだけで和歌が出来上がってしまうという、便利な地名です。だから、有名ではあっても、それを見たことがある人がその後には一人もいないということにもなります。・・・
 「歌枕」というものを持った日本人は、頭の中だけで旅が出来てしまいます。


 そんな「歌枕」を用いた「道行」というパートは、ドラマ全体のイメージを作る重要な役割をもち、観客を旅の世界へと引き込むものでなければならないだけに、よりインパクトが強くわかりやすい「音楽的」なものが求められることになりました。

 「道行」はまず「音楽」だというのは、普通の語り物とは「編成」が違うからです。
 義太夫節を語るのは、普通「太夫一人と三味線弾き一人」のコンビで、これを「一挺一枚」と言います。「一挺」の方が三味線で、「一枚」の方が太夫です。時々「掛け合い」ということがあって、一挺の三味線に対して複数の太夫が登場人物を一人ずつ担当して語るということがあります。
 「仮名手本忠臣蔵」の七段目などでこういう演出が採用され、「それぞれの登場人物が違う声で語られる」ということになります。


 これって、ある意味「旅ものミュージカル」と言えるかもしれません。こうなると、いよいよその音楽を生み出す三味線という楽器のもつ役割は大きなものになります。

 音の一個に意味がある。たとえば、爺さんが娘に「ちょっと困ったことがあってさ」って言うときに、「これ娘、聞け」とやると、「これ娘」で三味線がツンと入るわけですが、その入り方が重要。「ツン」と一個だけだったらそうたいしたことじゃない。でも「おまえの夫は死んでいる」みたいな話になったら、「ツン」じゃなくて「ツツン」となる。二個目の音の余韻で「なんかあるぞ」と感じさせる。そうやって物語を増幅させていく。だから、そこのところをお客さんに感じてもらわないと物語が進行していかない。
 太夫は登場人物の台詞で心理を語るけど、三味線が語るのはその場の心理、情景。地の文なんですよ。


 三味線の音にそこまでの意味があったなんて!

<三味線という楽器>
 「義太夫」の基本ともいえる三味線という楽器の登場は、日本のエンターテイメントの歴史を大きく変えました。

 華やかで派手な音を出す三味線の登場で、日本の音楽は中世から近世へと進みます。それで言えば、琵琶は中世の音です。「平家物語」を語る平家琵琶は、まさしく中世の音を伝えるものですが、琵琶が三味線に勝てなかったもう一つの理由は、琵琶が踊りの伴奏音楽になれなかったことです。

 能のバックに使用される楽器は、大小二挺の鼓と太鼓、そして笛です。(ここでは笛もリズム楽器として使用されます)「踊るための楽器」と「語るための楽器」の二つを兼ね備えたことが、三味線が日本音楽の王者になった理由です。


 ただし、三味線が踊りのための音楽として有効だったとはいえ、その使われ方は西洋音楽におけるベースギターやリズムギターの役割りとは違います。その違いこそ、日本の踊りと西洋のダンスを大きく分ける根本的なものです。

 「動きの伴奏」と思われかねない日本の伝統芸能のリズム楽器の音は、「演者の動きのきっかけ」を作り出すもので、舞や踊りの演者は、極端なことを言えば、「楽器の作り出す音の余韻を感じ取って、その後に訪れる沈黙の中で動き出す」というものなのです。だから、「派手な音は聞こえているのに、舞台上の演者の動きは悠長で、見ている観客の体が音に反応して動き出したりはしない」というようなことにもなるのです。

 ここまで理解できてくると、「踊り」だけでなく「義太夫」のような三味線による「弾き語り音楽」が西洋のフォークミュージックが、なぜまったく違うものに聞こえるのかについてもわかってきます。

 琵琶を抱えて「平家物語」を語るというのは、「ギターを弾きながら『平家物語』というバラードを歌う」というのとは違うものです。
 それはたとえば、「祇園精舎の鐘の声ェ諸行無常の響きありィ(ビィーン)沙羅双樹の花の色ゥ盛者必衰の理をあらわす(ビィーン)」というようなものです。「旋律」であるようなものは、楽器の方にはありません。それは、語る方の声にあります。
 語り物の芸能のルーツはお経にあると言われます。それをメロディだとは思いませんが、そう言われてみれば、確かにお経にはある種の節回しがあります。つまり、日本の語りの芸は、語る声自体に節回しがあって、伴奏楽器はそこに合いの手を入れるように、ところどころでリズムを刻むものでよかったのです。
 初めにあるのは、語る人間の声です。そこに合いの手のように楽器の音が入ります。だから当然、その楽器の音はシンプルなものであってかまわないから、閉じた扉を叩いて拍子を取るだけでもかまわないのです。まだそこには、情景描写を可能にするような楽器はなくて、三味線が登場することによって、「語り物」と言われるものが高度な表現な表現を可能にするようになったのです。


 こうした「義太夫節」の優れた「語り」と「三味線演奏」を「ちかえもん」の盟友である竹本義太夫は完成の域に高めました。
 そして、そこに名もなき人形作家たちの美意識と匠の技、大阪商人たちの活躍が生んだ地域の経済力、江戸時代の長い平和が生んだ大衆文化・・・これらの条件がそろったところに近松門左衛門の優れた原作が最後のピースとして加わり、人形浄瑠璃の黄金時代が訪れることになったのでした。

NHK水曜時代劇「ちかえもん」 2016年1月14日~3月3日
(脚)藤本有紀(連続テレビ小説「ちりとてちん」、テレビドラマ「夫婦善哉」(2013年)など)
(プロデューサー)木村明広
(演出)梶原登城、川野秀昭
(義太夫)三味線担当指導 竹澤團七
(人形)桐竹勘十郎
(音)宮川彬良
(出)
松尾スズキ(近松門左衛門 替え歌も最高でしたが、ナレーションが味があって良かった!)
青木崇高(万吉 不幸糖売りのこの男がドラマにおけるトリックスターとして大活躍。「ちりとてちん」の主役で、あれ以来のいい役でした!)
優香(お袖 相変わらずかわいいです。大人の色気も期待できそうな新たな役どころでした)
小池徹平(平野屋徳兵衛 「あまちゃん」の「ストーブさん」以来久々の当たり役かも)
早見あかり(お初 いよいよ美しい女優さんになってきました)
山崎銀之丞(黒田家久平次 歌舞伎の味わいをドラマに持ち込んでくれました)
北村有起哉(竹本義太夫 歌舞伎出身の俳優さんかと思ったら、あの名優、北村和夫さんの息子でした!)
岸部一徳(平野屋忠右衛門 貫禄の演技です)
富司純子(こちらも貫禄と美しさを未だに見せてくれる名女優)

<参考>
「義太夫を聴こう」
 2015年
(著)橋本治
河出書房新社

<追記>2016年6月
このドラマで知り合った青木崇高と優香さんが結婚!
いやあ目出度いです。
お幸せに!

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