ドミニカの歴史を変えた暗殺事件


「チボの狂宴 La Fiesta Del Chivo」

- マリオ・バルガス=リョサ Mario Vargas Liosa -

<トゥルヒーリョ暗殺事件>
 時は、1961年5月。30年に渡りドミニカを支配し続けた独裁者トゥルヒーリョ暗殺事件とそこから始まった混乱の時期を忠実に基づいて、小説化した虚実が入り混じった本書です。2010年にノーベル文学賞を受賞したマリオ・バルガス=リョサの代表作であり、20世紀に世界各地で起きた第三世界の混沌を細部まで再現した歴史小説としても高い評価を受けています。
 ただし、500ページを越える分厚さにも関わらず僕は3日ぐらいで一気に読んでしまいました。

 独裁者トゥルヒーリョ暗殺事件とその犯人たちの逃亡について書かれた部分は、スリル満点のサスペンス小説。
 暗殺事件後のクーデターの失敗と大統領バラゲールの政権掌握の部分は、よくできた政治小説。
 ドミニカを捨てた元大臣の娘ウラニスと父親が再会する部分は、感動の家族小説。
 独裁者トゥルヒーリョの日常を描いた部分は、カリスマ政治家の苦悩と転落を描いた人間小説。
 暗殺犯に対する拷問シーンの部分は、読むのもつらいスプラッタ小説。
 この小説の全体像は、カリブに浮かぶ小国ドミニカを舞台に展開する歴史小説。

 思えば、こうした骨太な歴史小説は最近では非常に珍しいといえます。まるでロシア文学の「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」のようなスケールの大きな文学作品です。さらにこの小説の面白いところは、単純に物語として面白いのではなく、それをより深く表現するために独自の立体的な表現方法を用いていることです。

<立体的な小説構造>
 この小説の大きな特徴は、あくまでもトゥルヒーリョ暗殺事件に的をしぼり、その前後の出来事を様々な視点から語らせることによって、単なる歴史的事実の記述とは違う奥深い描写に成功していることです。
 トゥルヒーリョによって政府から追い出された腹心だったカブラル議員の娘から見た客観的視点(これだけは現在からの視点)
 トゥルヒーリョ暗殺計画の実行犯となった7人それぞれの人生と逃亡劇を振り返るそれぞれの視点
 トゥルヒーリョの華やかな生活の裏側、老い行く肉体と親族の裏切り部下たちへの不信を見るトゥルヒーリョ自身の視点
 トゥルヒーリョに変わって大統領に就任したバラゲールからの視点
 トゥルヒーリョ暗殺計画の中心にいながら、クーデターのチャンスを逃したロマン将軍から見た視点

 この小説は、こうして複眼的な視点から見ることで、この事件と関わった人間たちを立体的に描き出すことに成功しています。中には、同じ場面を異なる視点からダブって語っているところもあり、それが物語をより重層的にしています。主人公のトゥルヒーリョも、単なる非人間的なカリスマ独裁者として描かれているわけではなく、人間的な弱さをもつ人物として描かれています。
 こうした立体的な構造もつ文章は、「事件」と「人間」だけを描いているのではなく、当時の「社会体制」についても描き出すことに成功しています。6割近くの国民が独裁者トゥルヒーリョが関わる企業や政策による恩恵を受ける社会。それはある種、社会主義国に近い社会構造だったともいえますが、その中心にいた人物なしでは成り立たない社会でもあったわけです。多くの国民が独裁者に依存し、彼を英雄と信じていた社会。それは、ある種「ユートピア」のような社会だったのかもしれません。配下の人々には恩恵を与え、反対勢力には弾圧を加えることで、その社会は成り立っていました。わずか30年でそんな社会構造を作り上げた指導者の力は確かに凄いと思います。
 誤算だったのは、恩恵を与えるももの、その多くが無駄になったことでした。残念ながら、部下も親族も湯水のようにそれを使う浪費癖を身につけ、国の経済を破綻させることになったのです。しかし、こうした現象は、ドミニカだけのことではなく、20世紀後半、第三世界のほとんどでこの状況が生まれていました。ドミニカはその縮図だったわけです。
 それぞれの登場人物も個性的、人間的に描かれていてあきません。この作品がノンフィクションでありながら映画化されているのもわかります。(映画化タイトルは「The Feast of the Goat」(2005) ルイス・ジョサ監督 イザベラ・ロッセリーニ主演(日本未公開))

<ロマン将軍の失敗>
 個性的であくの強い登場人物が多い中、僕がもっとも気になったのは、暗殺計画に深く関わり、事件後にクーデターを起こすはずだったロマン将軍の悲劇です。歴史上、英雄となる人物の記録は残されますが、彼のようにいざというタイミングで怖気づいてしまいチャンスを逃してしまった人物は忘れられてしまうものです。たった一人の失敗によって、ドミニカの変革は失敗することろでした。ただし、それでもなお歴史の大きな流れは変わらず、彼に変わるもうひとりの英雄?バラゲールの登場が変革の流れを推し進めることになりました。もしかすると「時代の流れ」が英雄を求めていたのかもしれません。
 それでもなお、僕はクーデターの実行を前にして思考停止状態におちいってしまったロマン将軍の人間性に親近感をおぼえてしまいます。そう考えると、登場人物すべての中で最も人間臭い人物がこの大切な位置にいたことが、暗殺事件がその後ドミニカを混乱させることになる最大の原因になったのかもしれません。
 まさに悲劇です。

<あらすじ>
 1961年5月、ドミニカで30年以上の長さに渡り政権を維持してきた独裁者トゥルヒーリョが暗殺されます。7人の実行犯以外にも政権内部に多数の協力者がいて、事件後すぐにクーデターが実行され軍事政権が誕生する計画になっていました。ところが、軍内部の協力者がなぜかクーデターの実行に動かなかったため、トゥルヒーリョ支持派による巻き返しが始まってしまい、暗殺の実行犯たちが次々に逮捕され、トゥルヒーリョの息子らが帰国したことでドミニカ国内は混沌とした状況に陥ってしまいます。
 ここで、トゥルヒーリョによって大統領に指名され「お飾りの大統領」と呼ばれていたバラゲールは、それまでのお飾りから一転、自らの意思で動き始めます。もし内戦が起きれば、アメリカ海軍が治安維持のために上陸しドミニカは占領されることになる。そうならないためには、トゥルヒーリョ一族はドミニカを離れるしかない。バラゲールはそう説明して、トゥルヒーリョの妻や息子たちに巨額の資産を渡して国外退去させます。
 バラゲール支持派は、一族の後ろ盾を失うことで、急速に勢いを失うことになりました。これによりバラゲールは民主化に動くと同時に自らの権力体制を確立してゆきます。
 なぜクーデターは実行されなかったのか?
 なぜ30年続いた強力な独裁政権が崩壊することになったのか?
 暗殺に関わった人々のその後は?

「チボの狂宴 La Fiesta Del Chivo」 2000年
(著)マリオ・バルガス=リョサ Mario Vargas Liosa
(訳)八重樫克彦、八重樫由貴子
作品社

バルガス=リョサの小説「楽園への道」もご覧ください。

20世紀文学大全集へ   トップページへ