ついに天国へ

- チャック・ベリー Chuck Berry -

<黄金のギター・リフ>
 「ギター・リフに著作権があれば、チャック・ベリーは大変な大金持ちになっていただろう」
確かに、そうかもしれません。「ジョニー・B・グッド」、「ロール・オーバー・ベートーベン」、「メイベリーン」など、彼が生み出したギター・リフの数々を無断使用したことのないロック・ミュージシャンは、たぶんこの世にいないはずです。それは、ヒップ・ホップが始めたサンプリングによる過去のヒット曲の再利用など問題にならないほど、数多くの曲で利用されています。
 ローリング・ストーンズのサウンドの要、キース・リチャーズのギターがチャック・ベリーのコピーであることは、彼がチャックのために作った恩返し映画「ヘイル・ヘイル・ロックン・ロール」を見るまでもなく明らかです。それに、ビーチ・ボーイズの大ヒット曲「サーフィン・USA」がチャック・ベリーの「スウィート・リトル・シックスティーン」を焼き直したものであることもまた有名です。
 エルヴィス・プレスリーが、ヴォーカリストとして、さらに白人の側からのクロス・オーヴァー・アーティストとしてロックン・ロールの発展に多大な貢献をしたことは、以前にも増して再評価されつつあります。それに対してチャック・ベリーは、ギタリストとして、黒人の側からのクロス・オーヴァー・アーティストとして、ロックン・ロールだけでなく70年代ロックに大きな影響を与えたエルヴィスの存在に匹敵するアーティストと言えるはずです。しかし、残念なことに彼はその栄光を自らの過ちによって、取り逃がしてしまい、その貢献に見合った尊敬を受けることができませんでした。
 それでも、彼がその後再び栄光を取り戻すことができたのは、彼のギター・リフを盗んでいった白人ロッカーたちのおかげだったのですから、世の中とは皮肉なものです。

<聖なる館から罪の館へ>
 チャック・ベリーが生まれたのは、不況のまっただ中1926年10月18日、カリフォルニア州のサンホセがその故郷です。しかし、6人の子供をもつ父親のヘンリー・ベリーは仕事を求めてセントルイスへ移住します。
 ほとんどの黒人アーティストたちと同様、チャックもまた6歳の頃から教会の聖歌隊に入り歌い始めていますが、残念ながら彼は讃美歌を歌う「聖なる館」よりも、「罪の館」刑務所の中の人生を選んでしまいます。悪い仲間たちとともに犯罪に手を染めるようになった彼は17歳の時、車の窃盗犯として逮捕され、その後3年間を感化院で過ごします。

<ミュージシャンの道へ>
 出所後、彼はミュージシャンの道を歩み始めます。(彼は美容と理容の資格も持っており、ヘアー・アーティストとして生きて行くことも可能だったようです)
 当時のセントルイスはジャズだけでなくR&Bの中心地でもあり、彼にとっての憧れのヒーローはいくらでもいました。
 ビリー・エクスタインナット・キング・コールなどのヴォーカリスト、T・ヴォーン・ウォーカーやマディー・ウォーターズのようなブルース・ギタリスト、そしてジャズの新しい地平を切り開きつつあったギタリストのチャーリー・クリスチャンなどは、その後の彼に大きな影響を与えました。彼は「コスモポリタン」というクラブで、ささやかながらプロのミュージシャンとしての活動を始め、自らのバンドをもつようになって行きます。しかし、音楽だけでは食べて行けず、GMの工場で働くことでなんとか妻と子を養っていたといいます。

<チェスの一員に>
 しかし、ある日クラブにやってきたブルース界の大物マディー・ウォーターズが彼の演奏を気に入り、自分が所属するレーベル「チェス」の社長、レナード・チェスに紹介してくれるという幸運がめぐってきます。そして、1955年彼はシカゴのチェス・スタジオでシングルを録音します。それが、カントリーのトラディショナルなナンバー「アイダ・レッド」を焼き直した「メイベリーン」でした。この曲は、当時の人気DJアラン・フリードの後押しもあり一気に全国的なヒット(全米5位)となります。

<アイドル・スターの仲間入り>
 続くシングル「ロール・オーバー・ベートーベン」(1956年)が出る頃には、すでに彼はR&R界のアイドル・スターの仲間入りをしていました。そうなると同時期のヒーロー、エルヴィス同様彼にも映画出演の話しがやってきます。
 こうして、ロックン・ロール映画「ロック・ロック・ロック」(1956年)、「ミスター・ロックン・ロール」(1957年)、「ゴー・ジョニー・ゴー」(1966年)が生まれることになりました。(ジャズ映画の傑作「真夏の夜のジャズ」にも出演しています)
 "School Day"(1957年全米3位)、"Rock 'n Roll Music"(1957年全米8位、後にビートルズがカバー)、 "Sweet Little Sixteen"(1958年全米2位)、"Johnny B Good"(1958年全米8位)、"Carol"(1958年18位)彼は次々とロックン・ロールの名曲を生み出して行きます。その活躍は、まさにアメリカン・ドリームそのものでした。しかし、その人気が凄かった分、その後訪れた逆境が厳しいものになったのは、やはりアメリカらしいと言えるでしょう。

<アイドルから犯罪者へ>
 
1959年12月彼は、「ザ・ホワイト・スレイブ・トラフィック・アクト」略称「マン法」によって逮捕されました。(この法律は、「売春など不道徳な目的のために女性を連れだし州境を越えることを禁じる」というもの)
 彼は、14歳のネイティブ・アメリカンの少女をテキサス州から連れだし、その後のコンサート・ツアーで全米中を連れ回し、売春行為を強要したという罪で、懲役5年の刑を言い渡されたのです。この評決の際、明らかに黒人に対する人種差別意識が働いたとして、その後刑は3年に減りましたが、結局彼はそのキャリアにおいて最も重要な時期を刑務所で過ごすことになってしまったのです。

<マン法>
 このマン法は、まさにチャック・ベリーのようなアーティストたちをねらい打ちするための法律でした。そのうえ、黒人でありながらアイドルの座を獲得した者に対するやっかみがあったのも事実でしょう。もちろん、彼の場合それはあきらかに犯罪行為であり、少女を騙した悪い奴であることは間違いありません。
 しかし、今や時代は変わり、資金さえあれば優秀な弁護士を雇うことで、どんなに有罪に近い犯罪者でも無罪を勝ち取ることができる時代になっているようです。まして黒人のヒーローの場合は、暴動が起こる可能性が高いということで、かえって有罪にしにくいとさえ言われています。時代は変わりました。もちろん、人種差別がなくなったわけではないのですが。

<復活、再び刑務所へ>
 1964年、彼は社会復帰し、すぐに音楽活動を再開します。しかし、その間に、ロックン・ロールの時代は終わり、ロックの時代に変わっており、かつての彼の輝きが戻ることはありませんでした。1972年になぜか"My Ding-A-Ling"がナンバー1になったものの、その後彼の名がヒット・チャートに登場することはありませんでした。
 それどころか、1979年彼は脱税の罪で再び3ヶ月の間刑務所暮らしをすることになります。ついていないのか、単に懲りない奴なのか?

<再度の復活>
 しかし、そんな彼に手をさしのべる者が現れました。デビュー以来、チャック・ベリーをアイドルとしてギター・リフを刻み続けてきた男、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズでした。彼はチャック・ベリーの60歳の誕生日を祝うためバースデイ・コンサートを企画します。そのうえ、そのライブを映像に収めし、映画「ヘイル・ヘイル・ロックン・ロール」として公開までしてしまったのです。このライブ・アルバムは世界中で大ヒットし、再びチャック・ベリーと彼お得意の「ダック・ウォーク」は一大ブームとなりました。

<若者文化としてのロックを生んだ貢献者>
 チャック・ベリーが生んだのは「ダック・ウォーク」だけではありません。彼はロック文化のために重要な役割を果たしています。彼はロックに若者文化を持ち込み、それを生き生きとした「青春物語」に仕上げて見せた最初の人物だったのです。
 「放課後」、「女の子」、「ダンス・パーティー」、「車」、「セックス」など、白人黒人を問わず普通の若者たちならみんなが興味をもっている事柄を取り上げ、それを曲の中に織り込んでみせたのです。エルヴィスは、白人たちにロックン・ロールを広めた貢献者でしたが、チャック・ベリーは世界中の若者たちにロックン・ロールを広めた貢献者だったと言えるでしょう。彼のおかげで、世界中の男の子たちは、エレキギターを片手に女の子を口説こうとするようになったわけです。

<宇宙を旅する人類文化の代表>
 そして、もうひとつ彼の功績を高く評価してくれた人たちがいました。アメリカ航空宇宙局NASAの人たちです。
 1989年、彼はボイジャー2号によるネプチューン計画に協力してほしいという連絡を受け、「ジョニー・B・グッド」のデジタル録音を行いました。そして、そのディスクは宇宙船に乗せられて、我が太陽系の外、遙か外宇宙へと旅立っていったのです。彼は、バッハとともに人類を代表する音楽大使となったわけです。ベートーベンを超えると歌った男は、ついにバッハと肩を並べる存在になったのです。なんと名誉なことでしょう!
 と言っても、彼なら「そんな名誉より、ギター・リフの印税をよこせ!」と言いたいところでしょうが、・・・。

<追悼>
2017年3月18日、チャック・ベリーは享年90歳でこの世を去りました。ご冥福をお祈りします。


<締めのお言葉>
「金なんていくらあっても、天国までは持っていけやしないよ」

フランク・キャプラ監督、映画「我が家の楽園」より

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