イタリアが誇る映画の都「チネチッタ」


- チネチッタ Cinecitta -
<映画の都>
 イタリアを代表する映画撮影所「チネチッタ」は、イタリアの首都ローマの市門からトゥスコラーナ街道を10km行くと、イタリア最大の映画スタジオ「チネチッタ」があります。「チネチッタ Cinecitta」とは「映画・都市」という意味です。
 映画の歴史が古いイタリアですが、その歴史はそれほど古くはありません。それも映画人が作ったのでもありませんでした。その設立は、「ファシズム」の元祖ベニト・ムッソリーニによるプロパガンダが目的だったのです。政治家になる前から芸術やスポーツを愛していたムッソリーニは、ナチス・ドイツの先を行き早くから映画に注目していました。映画こそ、「プロパガンダ」にとって最大の武器になり得ると考えたようです。そこで彼はイタリアに世界最高の映画スタジオを作ることを思い立ち、国営のスタジオとして建設計画を進めました。
 こうして1936年1月29日、ムッソリーニ自らが礎石をすえて起工式が行われます。設計者はジーノ・ぺレスティで、翌年1937年4月27日にはオープニング・セレモニーが行われて撮影が行われます。チネチッタには映画のスタジオが16、屋外プールが3、室内プールが1と国立の映画研究所として映画実験センターも作られました。さらにそこでは映画監督のルイジ・キヤリーニが当時最先端だったソ連映画の理論と作品の研究が行われていました。ソ連映画の質の高さとプロパガンダの技術を参考にしようと考えていたのです。ただし、「ファシズム」と「共産主義」は対立する関係にありました。それでもムッソリーニは、エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」を高く評価していたようです。

<敗戦とスタジオの閉鎖>
 1943年にファシスト政権が崩壊し、ムッソリーニが逮捕されるとチネチッタもまた閉鎖に追い込まれ、1200人の従業員は解雇。結局、それまでの7年間に製作された映画は、279本で、そのうち120本が喜劇映画、142本がオペラ映画や歴史映画で、戦争映画のような国威発揚のための映画はわずか17本しか製作されませんでした。
 これはムッソリーニの趣味の表れでもあり、イタリア人の国民性からそうなったのかもしれません。映画人によるファシズムへのささやかな抵抗だったのかもしれません。どうやらファシズムの宣伝のために作られたはずのチネチッタは、その目的のためにはあまり役立たなかったようです。それどころか、チネチッタは反ファシズムの映画と考えることもできるネオリアリズモの映画とそれらの作品を生み出す左派系の映画人を数多く育てているのです。ロベルト・ロッセリーニルキノ・ヴィスコンティミケランジェロ・アントニオーニらイタリア映画を代表する監督たちは、チネチッタで育ったといえます。

<再スタート>
 1943年から1944年6月まで、チネチッタはドイツ軍によって占拠されていたため、連合軍の砲撃を受け一部破壊され、さらにローマ解放後もしばらくは難民キャンプとして使用されていました。それでも1944年の11月にはラットゥアーダ監督作品「脇腹の矢」が撮影され、戦後初の映画となります。
 本格的にスタジオが再スタートを切ったのは1947年で、アレッサンドロ・ブラゼッティ監督の「ファビオラ」(1948年)やフランスの巨匠マルセル・レルビエ監督の超大作「ポンペイ最後の日」(1949年)などの傑作が撮影され、世界へと送り出されました。
 当初、戦後の混乱の中、スタジオの外で撮影するネオリアリズモの作品群がイタリア映画を代表することになりましたが、しだいにチネチッタはネオリアリズモから登場したイタリアの巨匠たちだけでなくハリウッドの映画監督たちにも使われるようになります。(連合軍による戦後政策として敗戦国で映画を撮ることが優遇されていたこともありました)
 イタリアだからこそ撮影可能な歴史大作は、この時期に数多く誕生しています。「クオ・ヴァディス」(1952年)、「ベンハー」(1959年)、「クレオパトラ」(1963年)などはその代表的作品です。

<チネチッタが生んだ映画>
 ルキノ・ヴィスコンティの「ベリッシマ」(1951年)、ジャン=リュック・ゴダールの「軽蔑」(1963年)などは、チネチッタを舞台にした映画ですが、それ以外にも多くの名作がチネチッタで作られてきました。
 ウィリアム・ワイラーの「ローマの休日」(1953年)は、ローマの街を舞台にイタリアの魅力を世界に発信することになりました。
 「道」(1954年)、「甘い生活」(1960年)、「81/2」(1963年)、「フェリーニのアマルコルド」(1973年)、「サテリコン」(1969年)・・・フェデリコ・フェリーニの名作の多くはチネチッタで撮影されています。
 その他にもルキノ・ヴィスコンティの代表作「山猫」(1963年)、リリアーナ・カヴァーニ監督の代表作「愛の嵐」(1973年)、ジャン=リュック・ゴダールの「パッション」(2004年)、イタリア系でイタリア映画を深く愛するアメリカの巨匠マーティン・スコセッシの大作「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)、日本映画でも「テルマエ・ロマエ」(2012年)・・・映画の歴史が続く限り、チネチッタで映画は撮り続けられることになりそうです。

<参考>
「ローマ - イメージの中の『永遠の都』」
 1997年
(著)長尾重武
ちくま書房

現代映画史と代表作へ   トップページヘ