「コインロッカー・ベイビーズ」

- 村上龍 Ryu Murakami -

<村上龍との出会い>
 僕が村上龍の本を最初に読んだのは、もちろん彼のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」(1976年)でした。当時の僕は東京の大学に入学し、過去の名作文学、特に直木賞、芥川賞受賞作を読み漁っていた頃のことでした。そんな正統派の文学青年だった僕にとって、時代の寵児だった異端派作家村上龍のデビュー作は正直理解不能に近い作品でした。北海道から出てきたばかりの僕と著者の年齢差は8。そして、その8年の間には、日本や世界を大きく揺るがした1960年代末の混沌とした時代がありました。その意味では、僕と著者はまったく異なる時代に生きたといえるでしょう。(それでも僕はテレビや先生から間接的にその時代の影響を受けたのですが・・・)そんな著者が自らが生きた時代を鮮烈に切り取った作品は、まだまだ子供だった僕にとって感情移入できるものではありませんでした。
 しかし、1980年代に発表された本作「コインロッカー・ベイビーズ」は、ちょっと違いました。近未来SFというよりも、寓話や神話に近いこの作品は、性や暴力描写があまりに強烈過ぎたこともあり感情移入は難しかったにも関らず、読み出すと止まらない物語としての圧倒的な魅力に満ちていました。自分探しの青春小説であり、世界の終末を描いた近未来SFであり、異常な暴力とセックスを描いたバイオレンス小説であり、音楽小説、海洋アドベンチャー小説、脱獄アクション小説な様々な顔をもつこの小説は、ある意味、村上龍の集大成であり、強力なエンターテイメント小説に仕上がっていました。
 同時代の小説家、村上春樹が多彩ではあっても「小説」というジャンルにこだわり続けているのに対し、村上龍は表現手段を「小説」に限っているわけではありません。経済評論家だったり、対談番組の司会者だったり、海外旅行エッセイ作家だったり、多彩な面をもつ作家、村上龍にとってこの作品は、青春文学作家として、その到達点となった小説といえるでしょう。彼のヒット作となった「十三歳のハローワーク」と「青春」=「破壊」であると宣言しているこの作品とは、彼の作品群の中でもその対極に位置しており、彼の活動は常にその間の範囲で行なわれてきたといえるでしょう。世界を破壊するこの作品から、彼は世界を再構築しようと新たな活動をスタートさせたともいえると思います。彼の活動範囲である文学、経済、アート、音楽、旅、宗教、科学、民俗学、暴力とセックス、映画、写真、すべてにおける彼の作品について語ることは不可能ですが、この小説を通して、彼の小説の本質に迫ることは可能だと思います。

<生い立ち>
 村上龍は本名を村上龍之助といい、1952年2月19日長崎県の佐世保に生まれています。父親は美術の教師でしたから芸術の血筋ではあったのかもしれません。しかし、彼は高校で当初ラグビー部に所属する体育系の人間でした。しかし、部活の厳しい練習に嫌気がさした彼はすぐに退部、その後友人たちとロックバンド「シーラカンス」を結成し、ビートルズやローリング・ストーンズのカバーを演奏。佐世保の街では、ちょっとした人気バンドになったといいます。彼らが活躍した1967年頃といえば、日本ではグループサウンズのブーム真っ只中、まだ本格的なロックバンドの時代にはなっていなかっただけに、彼らのような存在は時代の先を行っていたといえます。米軍基地のある佐世保の街は、ある意味若者文化の発信地でもありました。
 しかし、1967年の世界で活躍していたのは、ビートルズやストーンズだけではありませんでした。彼ら以上に英雄として若者に人気があったのは、たぶんチェ・ゲバラやキング牧師でした。1968年にフランスで起きた「パリ五月革命」は、芸術家や学生たちを中心とする社会革命運動として世界中の若者たちに衝撃を与えました。同じ年、佐世保の港には米軍の空母エンタープライズが入港。佐世保の街は入港を阻止しようとする学生や反安保の活動家たちの熱気に満ちていました。
 村上青年は、ある日彼が愛するローリングストーンズのヴォーカリスト、ミック・ジャガーがその「パリ五月革命」のデモに参加していたことを知り、すぐにバンドを解散。今度は新聞部に入部します。そこで彼は記事だけでなく若者たちに向けたメッセージをエッセイとして載せてゆきました。当然、その活動は文章を発表するだけでは収まらなくなり、全国各地で起きていた学生運動に呼応する形で本格的な反体制運動へと発展してゆくことになりました。
 高校3年の夏、彼は高校の屋上をバリケード封鎖した首謀者の一人として無期謹慎処分となります。結局、彼は退学にはならず無事卒業しますが、それは学校内にもそうした時代の空気に同調する流れがあったからかもしれません。(現在なら間違いなく退学になっていたはず)当時、時代の空気は、「革命」が起きることを予測していたのです。しかし、彼はその後二度と学生運動には関ろうとしませんでした。
 1970年に卒業した彼は、再びロック・バンドを結成、8ミリ映画を制作し、劇団を旗揚げし、市の文化会館を借りてロック・フェスティバルを開催するなど、多彩な活動を展開します。当然、こうした彼の活動は佐世保の街には収まりきらなくなり、彼は1972年20歳になっていよいよ東京へと旅立ち、武蔵野美術大学に入学します。

<「限りなく透明に近いブルー」>
 東京の都心から離れた福生の街に住み始めた彼は、その街で初めての小説を書き始めます。米軍の横田基地がある福生でのLSD、セックス、暴力、音楽、兵士たちとの交流が生み出す生活を描いたその作品のタイトルは当初「クリトリスにバターを」となっていました。その後、その作品は何度も書き直され、出版のためにタイトルも「限りなく透明に近いブルー」と改められます。こうして、世に出た青春群像小説はかつて石原慎太郎が一大ブームを巻き起こした「太陽の季節」の1970年代版として高く評価され、1976年度の「群像新人文学賞」を受賞。さらに同年の芥川賞(第75回)も受賞し、一大ブームを巻き起こしました。

<多彩な活躍>
  しかし、24歳という若さでの受賞により一躍時代の寵児となった彼は、文壇との距離をおきながら様々なジャンルでの活躍を開始します。「限りなく透明に近いブルー」の出版後、すぐに彼は世間の大騒ぎから逃れるかのようにニューヨークへと旅立ち、その後はケニア、タンザニアなどアフリカ諸国を旅して回りながら執筆も続け、翌年1977年には長編の第二作目となる作品「海の向こうで戦争が始まる」を発表。同じ頃、彼はNHKのラジオ番組「若いこだま」のパーソナリティーも担当したり、「地獄の黙示録」を撮影中のフランシス・フォード・コッポラを訪ねたり、同時代の人気作家、中上健二との対談集を発表したり、「かもめのジョナサン」で有名なリチャード・バックの小説「イリュージョン」の翻訳をしたり、自らの撮影した写真を写真誌「太陽」に発表したり、そうかと思えばフィジー島へスキューバ・ダイビング旅行に出かけたりしています。驚くべきことに、以上はすべて彼が1977年一年間に行なったことです。デビュー当初から彼は小説家の枠からはみ出した存在だったことがよくわかります。
 1978年、さらに彼の活動は広がりをみせます。1月から2月にかけて、リオのカーニバルを見るためにブラジルを訪れていた彼は、帰国後すぐに「限りなく透明に近いブルー」の映画化に向けて動き始めます。8月には自らメガホンをとって撮影を始めた彼は、11月には映画を完成させ、年末にはグアム島、トラック島へダイビングに出かけています。当時の彼のダイビングへの熱中ぶりは、本作「コインロッカー・ベイビーズ」におけるクライマックスにおける水中シーンに生かされることになります。

<スキューバ・ダイビング>
 僕が初めてスキューバ・ダイビングに挑戦したのは1984年の事。当時ですら、まだスキューバ・ダイビングはブームにはなっていませんでした。(当時はまだ黒一色ではないウエット・スーツが出回り出した頃でした)原田知世主演のバブリーなマリン・スポーツ映画「彼女が水着にきがえたら」が1986年公開ですから、そのあたりからがブームのピークが来たといえそうです。僕は1980年代に本格的にスキューバにはまり、一時はインストラクターになろうかと思いながら、月に二回は伊豆の海洋公園か伊豆大島あたりに潜りにいっていたものです。そんな時代、僕が最も感動したダイビングのポイントは、この本にも登場する小笠原諸島、中でも父島からさらに船で2〜3時間の距離にある無人の島々、ケータ列島です。深海から突き出した巨大な岩の先端がわずかにのぞくだけの島々は、まるで他の惑星に来てしまったかのような場所でした。その下に広がる海もまた、他のサンゴ礁に囲まれた海などとはまったく異なり、激しい太平洋の潮の流れがぶつかり合う驚異の世界でした。岩につかまって流れに逆らっていても水中メガネがズレてくるほど流れは強烈で、海中から浮上しようとする僕らを水中へと引っ張り込むような流れがある場所もありました。それだけにそこに住む生物は、マグロやサメ、鯨、海がめなどの大物が多く、最高のポイントとして今でも忘れることができません。
 地球の他の場所ではけっして味わうことができない異世界体験。それが村上龍の青春時代の体験と出会うことで、彼にとってそれまでにはなかった文学性とエンターテイメント性、両方を併せ持つ、時代を象徴する作品が生まれました。

<「コインロッカー・ベイビーズ」>
 1979年に入り、彼はタヒチにもダイビングに出かけていますが、この頃、彼は本作の執筆に着手し始めていました。夏には、そのための取材旅行として小笠原に行っています。
 1980年、彼は映画「限りなく透明に近いブルー」が評価されず、興行的にも惨敗してしまったにも関らず、2作品目となる作品の準備に入ります。ちなみに、その第二作目はある意味歴史的駄作ともいえた作品「だいじょうぶマイフレンド」です。なんとあの名作「イージーライダー」の主役ピーター・フォンダを出演させたにも関らず、この映画は観客の度肝を抜く???作品となりました。ただし、作品の出来、不出来は別として、彼と池田満寿夫、それに角川映画を立ち上げた角川春樹は、当時、ドンズマリに追い込まれていた映画界を大きく変えたという意味では大きな貢献をしたともいえます。それまで、助監督の仕事を長く勤めて初めて可能になった映画監督という仕事を他のジャンルの才能にも参加可能にしたという点では彼の実績は大きかったといえます。
 様々な話題を提供しつつ、その間には長男の誕生というプライベートな転機も迎えていた彼は、同年いよいよ本作「コインロッカー・ベイビーズ」を発表します。こうして、彼の活躍を学生時代にまでさかのぼって見てみると、彼にとって「小説」というジャンルは、唯一のメッセージ発信方法ではなかったことがわかります。
 東アジア、アフリカ、アメリカ、ブラジル、そして水中への旅、映画製作、写真撮影、音楽活動、政治活動、ラジオDJ、子育て、様々な対談や取材活動など、名声と資金によって可能になった様々な体験。それらによって自らが体感した、1980年という時代のもつ「混沌さ」をパワー全開で描き出した彼の総決算的作品ともいえるのが、この小説だったといえそうです。
 その後1984年、彼は自らの青春時代を回顧した作品「69」を発表。すでにこの時点で彼は青春時代を過去のものにしていたといえそうです。

<血と暴力の物語>
 エンターテイメント性にあふれた近未来SF冒険アクション小説ではあっても、この小説の映画化はありませんでした。後の彼の作品「半島を出よ」同様、この小説の暴力描写、セックス描写は過激すぎるせいもあるでしょう。この世界観を映像化することは今ならCGによって可能かもしれません。しかし、僕は見る気にはなれそうもありません。生理的に見たいとは思えません。小説ならまだしも、村上龍の世界は実写ではきつ過ぎます。21世紀の今、無菌状態に慣らされた人々は村上龍の「血と暴力」の世界を受け入れることができなくなりつつあります。それに比べ、村上春樹の作品はそんな現実を寓話的な世界観によって覆い隠すように物語を展開しているため、女性ファンを中心に大きな人気を獲得しているのです。そこが村上龍作品と村上春樹作品の決定的な違いでもあります。
 もしかすると、村上春樹は「ハシ」で村上龍は「キク」なのかもしれません。これは強引な例えかもしれませんが、確かなこともあります。二人はどちらも未だにそれぞれのやり方で世界の破壊と再生を目論んでいるということです。

<あらすじ>
  コインロッカーに捨てられた子供たち、その中でかろうじて生き残った二人の赤ちゃん。キクとハシは施設で育てられた後、双子の兄弟として九州の離島に住む夫婦のもとで暮らすことになりました。
 感受性が強く優しいハシは、頭よりも身体を先に動かすキクの影に隠れる大人しい少年でした。しかし、ある時を境に彼は世界中のあらゆる音を聞こうとテレビなど様々な音源に耳を傾けるようになり、その他のことへの感心を失ってしまいます。なぜ、彼がそこまで音にこだわるようになったのか?彼ら二人は、物心つく以前、暴力性を制御できない問題児でした。そこである精神科の研究者が心臓の鼓動をもとににしたリズム音によって治療を行い、それを抑えることに成功。そのおかげで彼らは社会に適応できるよいになりました。しかし、ハシはかつて聞いたその音のことを思い出し、それが自分の母親と結びついていると考え、母親を探しに東京へと旅立って行きます。その後、東京でハシは様々な体験をした後、歌手としてデビュー。その独特の歌唱法によりカリスマ的な人気を獲得してゆきます。
 陸上の棒高跳びで活躍していたキクは、家出したハシを追って東京へ母親とともに出発。母親の死後、彼はひとりぼっちになりますが、モデルとして活躍する不思議な少女アネモネと知り合い、二人で世界を破壊するため、謎の物質「ダチュラ」を探す約束をします。しかし、歌手としての話題つくりのために仕組まれた実の母親との対面からハシを救い出そうと、キクが銃を持って会場に乱入。この時、その女性がキクの母親だったことが明らかになり、混乱の中、キクは自分の母親を殺してしまいます。
 しかし、刑務所に入ったキクは、ダチュラを探すため小笠原近海の海へと向かう計画を立てていました。ダチュラとは何か?キクは本当に終末をもたらすのか?

「コインロッカー・ベイビーズ」 1980年
(著)村上龍 Ryu Murakami
講談社文庫

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