- コールマン・ホーキンス Coleman Hawkins -

<ジャズ・サックスの父>
 「ジャズ・サックスの父」と誰もが認める存在、コールマン・ホーキンス Coleman Hawkins は、1904年11月21日ミズーリ州のセントジョゼフに生まれています。中産階級の比較的恵まれた家庭で育った彼は、初めは親の奨めでクラシックの楽器チェロを学んでいました。しかし、その後彼は同じ音域の楽器でもあるテナー・サックスに転向します。そして彼は本格的にジャズ・ミュージシャンとして活動するため街を出ようと決意します。当初、母親は彼の願いに反対しますが、最後には彼の情熱に負け、街を出ることを許可します。こうして、彼はマミー・スミス・ジャズ・ハウンドというバンドのメンバーとしてニューヨークに向かいました。
 ミズーリ州の田舎から大都会ニューヨークに出たばかりの彼は、周りのミュージシャンたちから「Greasy(脂ぎった奴)」と呼ばれ馬鹿にされていたといいます。しかし、数ヶ月もすると彼は街になじみ、お洒落な都会人の仲間入りをしていて、その後はジャズ界を代表する洒落者と言われるようになります。(野球をする時でさえ、彼はタキシードを着ていたという伝説もあるくらいです)

<フレッチャー・ヘンダーソン楽団にて>
 彼の本格的な活躍は、ニューヨークに出て当時の人気楽団フレッチャー・ヘンダーソン楽団に入ってからのことになります。しかし、彼が自らの演奏法を大きく変えることになったのは、1924年にトランペット奏者としてルイ・アームストロングが入ってからでした。ニューオーリンズで鍛えた「ジャズ・トランペットの創始者」とも言われるルイ・アームストロングの演奏法は、サックス奏者たちにも大きな影響を与え、それが「テナーサックスが歌う」という新たな領域を生み出すことにつながりました。歌手としてエンターテナーとして知られるルイ・アームストロングですが、トランペッターとしての彼の影響がジャズ界を大きく変えたことは意外に知られていません。
 当時、テナー・サックスという楽器の役割は、低音のリズムを刻む楽器であってメロディーを吹く楽器ではありませんでした。彼はその楽器を、「歌える楽器」に変身させ、ジャズにおける主役的な存在へと高めることに成功したサックス奏者として「ジャズ・サックスの父」と呼ばれることになります。

<伝説のジャズ・バトル>
 フレッチャー・ヘンダーソン楽団とともにアメリカ各地を旅していた彼は、禁酒法時代に悪徳政治家トム・ペンダーガストの辣腕政治により歓楽の街として黄金時代を迎えていたカンザスシティを訪れ、そこで歴史的なジャズ・バトルを演じています。同じサックス奏者レスター・ヤングとのジャム・セッションでのサックス対決です。
 後にこのバトルは、映画界の巨匠ロバート・アルトマンによって再現され一本の映画となります。タイトルは「ロバート・アルトマンのジャズ」(1996年)。ロン・カーターやサイラス・チェスナット、ジョシュア・レッドなど現代のミュージシャンが俳優、ミュージシャンとして出演している隠れた傑作です。この映画のために再現されたカンザスシティのクラブ・リノでコールマン・ホーキンスとレスター・ヤングによって行われた伝説のジャズ・バトルが見事に蘇っています。ジャズ・ファンの方、必見です!
 若手の成長株レスター・ヤングの噂を聞いた彼は、彼が出演しているクラブ・リノでのアフター・アワーズのジャム・セッションに参加し、彼に勝負を挑みました。お互いにサックスによるアドリブ演奏を繰り返しますが、共にアイデアは尽きることがなく、勝負がつかないままバトルは昼まで続き、ついにレスター・ヤングが勝利を収めました。彼にとっては、生涯初の敗北でした。しかし、こうしたジャム・セッションによって、ジャズは新しいスタイルを生み出し、次なる時代のスタイル「ビ・バップ」が誕生することになります。その点では、コールマン・ホーキンスというミュージシャンは、「ジャズ・サックスの父」であると同時に、スウィング・ジャズからビ・バップへの橋渡しとなったアーティストとも言えます。

<ヨーロッパでの武者修行>
 1930年、アメリカを大恐慌が襲います。多くのミュージシャンたちがそのために仕事を失います。1934年、彼はアメリカよりも熱心なジャズ・ファンが多いヨーロッパへと渡ります。そこで彼は当時世界的に有名になっていたジャズ・ギター奏者のジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリらと共演。その後帰国した彼は、いよいよバンド・リーダーとなり、彼の元でビ・バップのスターとなるセロニアス・モンクやマックス・ローチらを育ててゆきます。
 この頃、録音したリーダー・アルバム「Body & Soul」のタイトル曲は、ジャズ・テナーの代表的な名曲として永遠に残ることになりました。しかし、彼自身は自らのルーツともいえるスウィング・ジャズから完全に脱することはできず、1940年代に入ってからはしばしスランプに陥りました。それでも1950年代になってモダン・ジャズの時代が訪れると、再び彼の音楽は脚光を浴びることになり、彼の人気は復活、1960年代に入ると彼にとって最後の黄金時代が訪れます。しかし、それも長くは続きませんでした。
 1969年5月19日、彼は肺炎を悪化させこの世を去ってしまうのです。しかし、65歳まで生き、ギリギリまで現役で活躍し続けた彼は、「ジャズ・サックスの父」として多くのジャズ・ファンから尊敬され続けたのですから、幸福なジャズ・ミュージシャンとして人生を全うできたといえそうです。

<お奨めのアルバム>
「Body & Soul」 1939年+α(RCA)
 テナー・サックスの新しいスタイルを確立した彼がヨーロッパから帰国して録音した名曲「Body & Soul」に加えて、1940年代から50年代までの曲を集めた特別編集アルバム。入門編的な作品としてお奨めの一枚。

「クラシック・テナーズ Vol.1」 C・ホーキンス&L・ヤング 1943年(フライング・ダッチマン)
 ホーキンス永遠のライバル、レスター・ヤングとホーキンス絶頂期の共演作。伝説的名演といわれる「The Man I Love」など名曲ぞろいの作品集。バックのメンバーは、ピアノがエディ・ヘイウッド、ベースがオスター・ペティフォード、ドラムスがシェリー・マン、ギターがフレディー・グリーンなど。

「ハリウッド・スタンピード Hollywood Stampede」 1945年(Capitol)
 トランペッターのハワード・マギーとのコンビによる作品でバラードの名曲「アイム・スルー・ウィズ・ラブ」など、黄金期の名演奏が聴ける代表作。「エイプリル・イン・パリス」や「スターダスト」など、誰もが知るスタンダードも多くポップな作品集でもある。他のメンバーは、トロンボーンがヴィック・ディッキンソン、ピアノがサー・チャールズ・トンプソン、ギターがアレン・ルース、ベースがオスカー・ペティフォードとジョン・シモンズ、ドラムスがデンゼル・ベスト。

「The High and Mighty Hawk」 1958年(Fersted)
 ホーキンス生涯の最高傑作とも言われる名盤。「バード・オブ・プレイ・ブルース Bird of Prey Blues」はブルース・ナンバーの名曲。「My One and Only Love」、「You've Changed」の二曲はバラードの名曲。バンドのメンバーは、トランペットがバック・クレイトン、ピアノは大物ミュージシャンのハンク・ジョーンズ、ベースはレイ・ブラウン、そしてドラムスがミッキー・シーンでした。

「The Hawk Swings」 1960年(クラウン)
 ホーキンスが60年代に入ってもなお元気だったことを証明する作品。質の高い曲が並ぶ好アルバム。「Shadows」「After Midnight」は特にお奨めです。
 メンバーは、コルネットがサッド・ジョーンズ、ピアノ、ヴィブラフォンがエディー・コスタ、ベースがジョージ・デュビビエ、そしてドラムスがオジー・ジョンソン。

「Alive !」 1962年(ヴァーヴ)
 最後の傑作とも言われる後期の代表作。かつての弟子マックス・ローチがドラムスで参加。バラード・ナンバーの「It's the Talk of the Town」など名演が並ぶ作品集です。

<参考資料>
「ジャズ・サックス」
(監)原田和典
シンコーミュージック
DVD「ライブ・イン・ベルギー1962」「ライブ・イン・イングランド1964」ライナー・ノーツ

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