2003年

- アルンダティ・ロイ Arundhati Roy -

<公式推薦図書第一号>
 このサイトでは、多種多様なジャンルの作品やアーティストをとりあげていますが、「これが最高傑作です」とか「これを聴きなさい!」とか押しつけがましいことは、できるだけ書かないようにしています。しかし、5年目に入った当サイトでは、ここに来て初めて公式推薦図書を選ばせていただくことにしました。「ロック世代のポピュラー音楽史」公式推薦図書第一号、「帝国を壊すために」をご紹介させていただきます。(当サイトの掲示板をご覧になっている方なら、もうお馴染みかもしれませんが、・・・)
 考えてみると、なんともロック的な響きのタイトルです。実際、内容的にもロック魂にあふれており、当サイトの推薦図書に相応しい作品です。これがインド在住の女性作家、それも小説家の作品だというのですから驚きです。さらに彼女は1961年生まれということで僕と一歳違い、まさに同世代の作家です。同じアジアの同じ世代から、こんな素晴らしい作家が現れたことを誇りに思います。
「単一の物語などというものはありえない。あるのは、複数の見方である。よってわたしも物語るとき、ひとつのイデオロギーが絶対で他のものはだめだと信じているイデオローグとしてではなく、自分の見方をほかのひとと共有したいと願う語り部として語ろう。・・・」
アルンダティ・ロイ著「帝国を壊すために」より

<帝国とは何か?>
 この作品で描き出されている壊すべき帝国とはいったい何なのでしょう?それは今や世界を我が物顔で仕切始めた強大な軍事国家アメリカのこと?
 どうやら、話はそう単純ではないようです。それは表向きの顔として道化のように愚かな大統領ブッシュを飾り、強大な軍隊によって守られながら世界中にその支配の手を伸ばす国境なき巨大企業たちが作り上げた「21世紀対応型新民主主義システム」、その構造全体をさすのです。それは、アメリカという国家のわくを遙かに越えた巨大な存在なのです。
「市場の隠れた手は、隠れた拳なしではけっして機能しない。マクドナルドはマクドネル・ダグラスなしでは繁栄できないのだ。・・・シリコン・ヴァレーの技術が生かされるように、世界を安全な場所にしておくための隠れた拳が、アメリカ合衆国陸軍、空軍、海軍、海兵隊と呼ばれているのである」
トーマス・フリードマン著「レクサスとオリーブの木」より

<21世紀対応型新民主主義>
 今や民主主義は、21世紀対応型に改良されてしまったようです。それは「自由」という「錦の御旗」の名の元に支配者が弱者を自由に操ることのできる新システムとなったのです。(マスコミや司法、議会、国連、それらすべてを操ることで)
「・・・彼らは、民主主義を支えるもろもろの機構のなかに、少しずつ侵入するテクニックを学んできたのだ。「独立した」司法組織、「自由な」報道機関、議会、などといったものの内部に入り込み、それらを自分たちの都合のいいように作りかえること。大企業が押し進めるグローバリゼーションというプロジェクトは、ついに暗号を解くことに成功したのだ。・・・」
アルンダティ・ロイ著「帝国を壊すために」より

<作者を生んだ国、インド>
 この本の作者がアラブ諸国でもなく、西欧諸国でもなく、実質的にアメリカに支配されている日本でもなく、かといってアメリカのように世界制覇をめざしつつある巨大国家中国でもない、インドの作家であることは、実に象徴的なことです。
 非暴力不服従を唱えた偉大な人物、マハトマ・ガンジーの故国、インド
 キリスト教でもなく、イスラム教でもなく、仏教でもないヒンズー教が最大勢力となっている国、インド
 コーラや映画、そして原爆まであらゆるものを自国産でまかなうことにこだわる国、インド。
 けっして自由な国ではなく世界一貧富の差があり、差別の構図も世界一強固と言われる国、インド
 生き抜くことで精一杯で平和運動をしている暇などない貧しき国、インド
 旅行者ですら「生きる」ということに、素直になれる不思議な国、インド
 僕自身、かつてインドを旅しているなかで得ることのできた大切な教訓はこうでした。
「食って、寝て、出して、これさえ気持ちよくできれば人生、十分に楽しいものだ」
 インドという国は、他のどの国よりも「帝国のシステム」を客観的に見ることのできる位置にあるのかもしれません。だからこそ、彼女は地球のいたるところから聞こえてくる恨みと怒りの声を聞き取ることができるのでしょう。
「地面に耳をつけてみてほしい、地球のこちら側のこの地に。そうすればあなたにも聞こえるはずです、鈍い憎悪の鼓動が、死を招く太鼓の音が、吹きこぼれる怒りの叫びが。・・・」
アルンダティ・ロイ著「帝国を壊すために」より

<帝国との闘い>
 彼女がわかりやすく説明してくれる「帝国のシステム」は実に強力です。しかし、なんと彼女は、この世界最強のシステムと闘う有効な方法を提示してくれています。それどころか、彼女はこの闘いが必ずや勝利に終わるであろうと予言してさえいるのです。
 この点で、彼女の文章は単なるノンフィクション・エッセイの枠を越えていると言えるでしょう。事実を明らかにし、それをわかりやすく説明、記述するのがノンフィクションであり報道ならば、この作品はその一歩先をいっています。
 それは彼女がルポライターではなく小説家であることからきているのかもしれません。そして、彼女自らがこの闘いに参加することを宣言しているからかもしれません。もしかすると、彼女の予言は、彼女が作り上げた限りなくリアルな物語の結末にすぎないかもしれません。しかし、優れた物語は語るべくして語られ、語られることで現実を変えるほどの力を持ちうるのです。ただ、その物語を多くの人々が語り継ぐこと、それだけで良いのです。
「作家は、自分たちがこの世の現実から物語を選り分けると思っている。そう思わせているのは、しかし虚栄心なのでは、とわたしは最近考えるようになった。逆なのではないか、と。つまり物語のほうが、世界から作家を選り分けるのだ。ほっておいても物語はわたしたちに自ら開示する・・・」
アルンダティ・ロイ著「帝国を壊すために」より

<裸の王様、アメリカ帝国の姿>
 彼女は、この作品集において見事に帝国を丸裸にしています。そして、丸裸にすることこそが、彼らを敗北へと導くもっとも重要な行為であるとも言っています。丸裸にさえすれば、そこから先は自ずと見えてくるのだと・・・。
「・・・ブッシュが成し遂げたこと、それはなんと、作家や活動家、学者たちが何十年もやろうとしてきたことではないだろうか。彼は隠されていた秘密の導管を暴露してくれたのだ。ブッシュが公衆の前にさらしたもの、それは、アメリカ帝国という、この世の終末を招き寄せる機械装置の中核部、ボルトやナットのありか、なのだから。・・・」

<ファシズムとの闘い>
 もうひとつ、忘れてはならないことがあります。帝国のシステムを作り上げた思想の根本にあるファシズムが今や世界中どこの国でもその勢いを増しつつあるという現実です。テロ事件が増えれば増えるほど、それを押さえ込むためと称して、ファシズムが静かにその力を増しているのです。ファシズムとの闘いは、もしかすると国によっては帝国との闘い以上に長く厳しいものとなるかもしれません。もちろん、日本も同様なのは言うまでもないでしょう。
「ファシズムとは、国家権力のあらゆる手段がゆっくりと、しかし、確実に浸透することでもある。それは市民の自由を少しずつ侵し、目立たないうちに不公正を日常化してゆく。ファシズムとの戦いとは、人々の心を取り戻す戦いのこと。・・・政府公共機関を鷲のような目で監視し、責任を追及すること。耳を地につけ、ほんとうの弱者のささやきを聞くこと。・・・それはあなたが読んでいる新聞のコラムや、見ているゴールデンアワーのテレビ番組が芝居じみた熱情と大げさな見かけに乗っ取られるのを許さないこと。ほかのすべての出来事から、わたしたちの注意を逸らそうとしてしまおうとするメディアをけっして放置しないこと、なのだ」
アルンダティ・ロイ著「帝国を壊すために」より

<ロック魂を持つ作品>
 形ばかりのエンターテイメント・パンク・バンド
 権力に寄り添って平気な顔をしている贋ロック・バンド
 薬物と化粧に頼り、ロックをファッションにしてしまったバンドたち
 ロックの誕生から半世紀
 「ロックは死んだ」と言われてから30年
 音楽界ですらロック魂は過去の遺物となりつつあります。それに比べて彼女の文章のなんとロック魂にあふれていることか。
「自由とはわたしたちが、政府からもぎ取ってきたもの。そして、いったん手渡してしまったあとで、ふたたび取り返そうとすることを、革命と呼ぶのだ。この闘いは、大陸も国の境も越える。・・・」

<最後に>
 読んでいなかった方は、きっと読んでみたくなったのでは?もちろん、他にも素晴らしい文章がたくさんあるのですが、あとはご自分で買ってお読み下さい!
 赤い表紙の岩波新書で値段は740円、実にお買い得なプライスです。ただし、外資系の通販専門サイトではなく、お近くの本屋さんでお買い求め下さい。それもまたささやかな「帝国との闘い」なのですから。

<締めのお言葉>
「戦争というものは、宇宙を支配する法則にひどく逆らった社会に下される審判である・・・だから戦争を不合理な災厄と考えてはいけない。戦争は、誤った考え方、誤った生き方が行き詰まったときに起きるものである」
ドロシー・L・セイヤーズ

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