「カッコーの巣の上で One Flew Over The Cuckoo's Nest」

- ミロシュ・フォアマン Milos Forman、ケン・キージー Ken Kesey -

<1970年代を代表する傑作>
 1975年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞と主要5部門を完全制覇したこの作品は、1970年代を代表する傑作といえるでしょう。俳優たちの名演技と予想外の衝撃的なラストは、今見ても大きな感動をもたらすはずです。
 ただし、この映画が公開された年、僕の一押しは、この映画とアカデミー賞を競ったシドニー・ルメット監督の「狼たちの午後」でした。そのため、「狼たちの午後」に勝利したこの映画に僕はちょっと妬みを感じていました。
 そんな個人的な評価は別にして、この映画は1960年代を代表する反体制文学の映像化であり、ニューシネマが生んだアンチ・ヒーロー俳優、ジャック・ニコルソンの最高傑作ともいえるでしょう。
 今再び、この映画を小説との違いや時代性などを考えつつ見てみようと思います。

<原作者、ケン・キージー>
 この映画の原作となった小説の作者ケン・キージー Ken Kesey は、1960年代サイケデリック・ムーブメントの英雄のひとりで、1935年9月17日にコロラド州ラ・ハンタで生まれています。ヒッピーのコミューンとして有名な「メリー・プランクスターズ」の主宰者でもある彼は、ジャック・ケルアックによるビート文学の代表作「路上」の中心人物ニール・キャサディーとともにアシッド・バスと呼ばれたサイケなバスに乗ってアメリカ中を旅しながら、サイケデリック文化とともにマリファナやLSDを若者たちに広めました。この時の同行者の中には、サイケデリック・ロックを代表するバンド、グレイトフル・デッドもいました。彼の存在は、1950年代のビート文化と1960年代のヒッピー文化をつなぐ役割を果たしたと言われます。そして、この映画の原作となった同名の小説は、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、ジョセフ・ヘラーの「キャッチ22」と並び、60年代反体制運動の3大バイブルと言われます。
 彼がこの小説を書くヒントとなったのは、スタンフォード大学の大学院生だった時期、カリフォルニアにある復員軍人病院で行われていたLSDの実験に参加した体験だったと言われています。
(LSDとは?)
 1938年にアルバート・ホフマンが発見した合成幻覚剤。1950年代、この薬物に目をつけたCIAが自白剤としての利用を目的に実験を行います。そこから、様々な実験が行われるようになり、ティモシー・リアリーによって、ポジティブに意識を拡大する目的で実験が行われるようにもなります。ハーバード大学の研究者、ティモシー・リアリーはこの後、「アシッドの伝道師」とも呼ばれることになりました。
 この小説が発表されたのは1962年。サイケデリックな時代の波に乗り、300万部を売る大ヒットとなり、翌年には舞台化もされています。

<映画化への紆余曲折>
 1963年の舞台化で主役のマクマーフィーを演じたカーク・ダグラスは、その映画化権を購入。しかし、映画化は実現せず、その権利を息子のマイケルにゆづりました。そして、その父の意思を継いだマイケルは、1970年代に入ると映画化の企画を当時ファンタジー・レコードの会長だったソウル・ゼインツに持ち込み協力を求めます。
 ソウル・ゼインツは、反体制文化のリーダー的存在で、彼のレーベルにはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)や伝説的スタンドアップ・コメディアン、レニー・ブルースなどが所属していました。なお、ゼインツはこの作品の成功の後、本格的に映画のプロデューサーに転向。この作品でアカデミー賞を獲得しただけでなく、さらに「アマデウス」、「イングリッシュ・ペイシェント」でも作品賞を獲得することになります。(その他の作品としては、アニメ版「指輪物語」、「モスキート・コースト」、「存在の耐えられない軽さ」などがあります)
 こうして、異業種からの参入により資金を確保したことで、この作品の映画化が一気に進むことになり、監督にはチョコからの亡命監督ミロシュ・フォアマンが選ばれることになりました。

<ミロシュ・フォアマン>
 この映画の監督ミロシュ・フォアマン Milos Forman は、1932年2月18日チェコのカスラブに生まれています。両親は第二次世界大戦中、ドイツの収容所で死亡しています。高校時代から彼は演劇に熱中し始め、劇団では演出を担当しています。その後しばらく演劇活動をした後、彼はプラハの国立映画学校に入学。そこで4年間、演出や脚本を学びました。
 1955年から彼は国立テレビで働くようになり、助監督、脚本家を勤めるようになります。そして、1963年、16ミリの短編ドキュメンタリー映画「審査」で監督デビュー。同年、初の長編映画「スペードのエース」を監督します。しかし、若手の映画監督として活躍が期待された彼に突然、危機が訪れます。
 1968年、民主化が進んでいたチェコにソ連の軍隊が侵攻を開始。多くの民主活動家とともに彼はチェコを脱出、自由を求めてアメリカへと移住しました。彼はそのアメリカで映画監督として再スタートを切ることになります。渡米後、コメディー映画「パパ/ずれてるゥ!」で彼は一躍脚光を浴びます。さらにミュンヘン・オリンピックの記録映画「時よとまれ、君は美しい」に、ジョン・シュレシンジャーやアーサー・ペンら世界的巨匠たちとともに監督として参加。
 僕個人としては、彼の映画の中では、あまり知られていない「ラグ・タイム」もお奨めしたいと思います。スコット・ジョップリンで有名なラグ・タイムをバックに1920年代のアメリカを描いたスケールの大きな歴史大作で、隠れた名作だと思います。
 彼はこの作品についてこう語っています。
「この作品で私が描きたかったのは、体制告発でも精神病院の恐怖でもない。人間と、その存在の素晴らしさである」

<舞台となった病院>
 反体制の英雄ケン・キージーの小説では、この物語の舞台となる精神病院は、「コンバイン」という秘密の権力機構が反体制派の危険人物たちを閉じ込め、去勢するための施設として描かれています。実際、LSDの利用についてCIAが同じような目的で研究していたという事実があります。さらにいうと、その後、CIAは白人、黒人の若者たちの活動を崩すためにLSDを市場にばら撒いたという陰謀説もあります。(もちろん真偽のほどは定かではありません)
 主人公のマクマーフィーは、そんな権力機構に反抗する存在として描かれています。それはある意味、わかりやすいマンガ的な構図の物語だとも言えます。

「・・・この小説はフロイト理論を漫画化したものだと言ってもよい。その主題はこうだ。男らしさを勝ちとった男、つまり、女どもを牛耳り、ベッドでは女たちを幸福な娼婦に変えられる男こそ自由な男なのだ - 大声で笑う力をもったカウボーイこそが真の男なのだ。レスリー・フィードラーは、この小説を『かつては森の中で夢見られ、いま再びマリワナとLSDによって夢見られている夢』と評している」
ポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集-」より

 もし、この映画が1960年末代に作られていたら、そうした原作の構図がそのまま用いられたかもしれません。しかし、1970年代に入りそんな熱い時代はすでに終わりを迎え、シラケの時代が訪れていました。この映画はそこであえて原作にある体制と戦う英雄のファンタジー的な物語を、より現実的な精神病院内の事件として描くことに徹しています。そのため、この映画は象徴的なかたちで人間vs権力、患者vs病院、白人vs先住民、自由vs管理などをイメージさせる奥行きのある「普遍的な物語」として描かれることになりました。
 この映画のラスト・シーンは、アメリカにおいて支配される側となった先住民の英雄を登場させることで、誰にとってもわかりやすい感動的なものとなりました。

<リアルな精神病棟>
 この映画で描かれている病院は、実際にオレゴン州にあった精神病院で、そこの患者たちもエキストラとして出演したといいます。それだけに病院としてのリアリティーは十分といえます。こうして、この映画はリアリティーにこだわった映画として完成しましたが、そのことは逆に一つの弱点をもたらすことにもなりました。そして、それが僕がこの映画を好きになれなかった最大の理由でもありました。その点について、映画評論家のポーリン・ケイルはこう書いています。

「フォアマン自身は、人生の敗残者たちと一体であると感じているからこそ、あのように彼らの実際の姿を容赦なく描き出せるのかもしれない。だが観客はどうなのだろう?わたしにはひどくきまり悪く思えたシーンを笑った客もいたが、それが正しい反応なのだろうか?それがフォアマンの意図したことなのだろうか?それが本当に人間的な受け取り方と言えるのだろうか?・・・
 『カッコーの巣の上で』においても、まずわたしたちはぎこちないショックを受け、場合によっては気まずく笑ってみたりもする。この段階を越えて、人物たちを知り、彼らを見守ることを時に楽しめるようになるまでには、だいぶ時間がかかる。ペキンパーなら最初の一場面だけで有無を言わせずわたしたちを引きずり込む。が、この映画では最後まで見てもそれほど引き込まれはしない気がする。」

(この映画における精神病患者たちの描写は、リアルであるがゆえに、どうしても哀れに見えてしまい、笑えるシーンが笑えなくなるのです。これは人それぞれの反応なので、笑えることが間違っているわけではないかもしれません。へんに同情することが彼らにとって良いこととも思えませんし・・・これは単純な問題ではありません)

 かつてフランス映画で「まぼろしの市街戦」という作品がありました。(監督はフィリップ・ド・ブロカ)伝説的な反戦映画として有名なこの映画では、精神病院の患者たちが戦争で無人になった街に住み、軍隊を迎えるのですが、展開がおとぎ話のようになっていて違和感なくお話に入り込むことができました。精神病の患者たちは、軍人たちよりもずっと頭が良く、繊細で、優しい人々ととして描かれていました。それはリアリティーを無視したファンタジーだからこその可能になったのかもしれません。リアリティーとファンタジーそのバランスをとることは決して無理な事ではないと思います。今なら彼はまた違った視点でこの作品を撮るかもしれません。

<豪華な俳優陣>
 前述の違和感から僕はこの映画に100%共感したわけではなかったものの、この映画の素晴らしさは間違いのないものでした。そしてその最大の功労者は、なんといってもこの映画を支えた豪華な俳優陣でしょう。
 この映画でアカデミー主演男優賞を獲得したジャック・ニコルソン Jack Nicholson は、まさに一世一代の名演技でした。マクマーフィーというキャラクターは、二重人格的で切れやすい役柄を得意とする彼にぴったりでした。この役を得たことで、彼にアカデミー賞がもたらされたと言えるでしょう。まして、彼の場合、「イージー・ライダー」(1969年)から始まって、「ファブ・イージー・ピーセス」(1970年)、「ラスト・ディテール」(1973年)、「チャイナタウン」(1974年)と4回アカデミー賞の候補となっていただけに、もうそろそろ彼に受賞させようという流れがあったかもしれません。(ただし、アル・パチーノも同じように賞を獲り逃していて、この後も彼は受賞を逃し続けることになります)彼の場合、その実力を発揮できるかどうかは、与えられた役がいかに「濃い」ものかどうかにかかっているのかもしれません。(「バットマン」におけるジョーカーのような役もまたそんな役でした)

「ニコルソンは、きわめてアクの強い、一種強烈な磁力をもったような人物を演じないと成功しない。このことは彼自身もう気づいているにちがいない。つまりさして個性のない人物を演じると、彼自身のアクの強さが先に立ち、結局いつものきまったパターンを演じてしまう危険があるからだ - サメのように口を横にひろげて、どこか子供っぽくニヤリと笑い、得意満面の表情で人の一枚上手を行く無頼漢、というおきまりのパターンを。」
ポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集-」より

 この映画での彼はピッタリの役どころにどっぷりとはまって派手な演技をするのではなく、逆にぐっと演技を抑えることで、より彼らしい危険な人物像を作りあげることに成功しています。

 そして、そんなニコルソンの演技を際立たせたのが、冷徹な看護師長を演じたルイーズ・フレッチャー Louise Fletcher のクールな演技です。彼女はジョン・フランケンハイマー演出のテレビ・ドラマ・シリーズ「プレイハウス90」でデビュー。その後、結婚して2児の母親となり芸能界から引退していましたが、9年間のブランクの後に復帰。ロバート・アルトマン監督作品「ボウイ&キーチ」で、主人公を裏切る主婦役で存在感を見せ、一躍注目俳優となった彼女は、この映画でアカデミー主演女優賞を獲得し一気にアメリカを代表する女優の仲間入りを果たしました。まさに「遅咲きのシンデレラ・ストーリー」です。

 もうひとり重要な存在として忘れられないのは、この映画の中心的存在、アメリカ先住民の俳優ウィル・サンプソン Will Sampson です。彼なしでこの映画の成功はなかったのではないか?そう思えるほどの存在感でした。彼はオクラホマ州のクリーク族出身で、この映画がデビュー作でした。この作品で脚光を浴びた彼は、その後クリント・イーストウッド監督の「アウトロー」(1976年)やロバート・アルトマン監督の「ビッグ・アメリカン」(1976年)など、様々な作品に出演しています。

 その他にも、インテリの患者ハーディングを演じたウィリアム・レッドフィールドは、この映画に客観的な視点をもたらしてくれましたが、彼はこの後1977年に白血病でこの世を去っています。後に「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で有名になるクリストファー・ロイドやダニー・デ・ビートもいい味を出していました。

<ジャック・ニッチェの音楽>
 この映画の音楽は、製作者がロック畑の人物ということもあり、当時は映画と関わりがなかった編曲・作曲家のジャック・ニッチェ Jack Nitzscheです。彼はゲーリー・ルイス、モンキーズ、マリアンヌ・フェイスフル、ニール・ヤング、ランディー・ニューマン、リンゴ・スター、ハーパーズ・ビザールらの曲に参加。元々はアレンジャーとして、フィルスペクターの右腕的存在だった彼は、ミック・ジャガー主演の映画「パフォーマンス」で初めて映画音楽を担当。この映画での成功の後は、映画音楽の作曲家としても活躍して行くことになります。後に、「愛と青春の旅立ち」によりアカデミー賞も受賞しています。
 それともう1人、この映画のラスト、強烈な印象をも残すサックスの演奏を聞かせているのは、黒人サックス・プレイヤーのスタンリー・タレンタイン Stanley Turrentine です。彼の力強い演奏も忘れられません。

「カッコーの巣の上で One Flew Over The Cuckoo's Nest」 1975年
(監)ミロシュ・フォアマン Milos Forman
(製)ソウル・ゼインツ Saul Zaentz、マイケル・ダグラス Michael Douglas
(脚)ローレンス・ホウベン、ボー・ゴールドマン
(原)ケン・キージー Ken Kesey
(撮)ハスケル・ウェクスラー(ただし、撮影中に降板させられた)
(音)ジャック・ニッチェ Jack Nitzsche
(編)リチャード・チュウ
(出)ジャック・ニコルソン Jack Nicholson、ルイーズ・フレッチャー Louise Fletcher、ウィル・サンプソン Will Sampson

<あらすじ>
 1963年、オレゴン州立精神病院にランドル・P・マクマーフィー(J・ニコルソン)が入院してきました。彼は刑務所で強制労働させられるのを逃れるため、精神病を装った偽装精神病患者でした。彼は病棟内で行われている婦長ラチェッド(L・フレッチャー)による専制君主的な支配体制に反発。彼女にことごとく反抗し、次々問題を起こすようになります。
 ある時、彼は野球ファンの患者たちとともに大リーグのワールドシリーズを見るために日課を変更して欲しいと彼女に要求します。しかし、彼女は要求を拒否、投票による採決を求めました。するとマクマーフィーは、患者たちの説得に走り回り、全員の賛成票を獲得します。放送には間に合わなかったものの、この事件以降、病院内で彼は一目置かれる存在となりました。
 そんな中、彼はそれまで口をきくことがなかった先住民チーフとも信頼関係を築き、二人で病院からの脱獄する計画を立てます。そして、決行を目前に控えたある日、彼は他の患者たちとお別れパーティーを行い、そこに自分の恋人キャンディを招き入れます。そして、いまだ童貞だった患者の1人ビリーと彼女を二人だけにしてやります。ところが、このことが大きな悲劇を生むことになってしまいます。 

20世紀映画劇場へ   トップページへ