- ザ・クラッシュ The Clash -

<我が青春のクラッシュ?>
 僕はクラッシュのコンサートを生で見たことがあります。1982年の来日コンサートでのことです。その時、僕は22歳、大学を卒業し就職したばかりでした。その時の僕は新入社員で仕事帰りにスーツを着てコンサートに行ったのを憶えています。
「やれやれ、スーツを着てパンクを聴きに来るとはね。…」と、やっぱりその時は、今ひとつ気分が盛り上がらなかったことを良く覚えています。さらに言うと、その時同じ会社に入社した女の子が偶然来ていて、彼女の方はその後しばらくすると会社を辞めてしまいました、なんてこともありました。
 残念ながら、あまりぱっとした思い出ではないのですが、クラッシュというバンドがパンクを象徴するバンドであっただけに、今にして思えばその分印象深いものがあります。

<パンクを代表するバンド、クラッシュ>
 クラッシュは1976年、ロンドンで結成された四人組のロック・バンドです。メンバーは、ジョー・ストラマー(Vo,Gui)、ミック・ジョーンズ(Gui)、ポール・シムノン(Bass)、テリー・チムス(Dr)で、1977年にアルバム「白い暴動 The Clash」でデビューし、いっきにセックス・ピストルズと並ぶロンドン・パンクの代表格になりました。1978年には「動乱 Give'em Enough Rope」、1979年には、パンクの歴史における代表作であり、アナログ盤2枚組の大作「ロンドン・コーリング London Calling」を発表しています。しかし、彼らの創作意欲はまだまだそんなものではおさまりませんでした。1980年発表のアルバム「サンディニスタ」は、なんとアナログ3枚組みの超大作で、その中にはロックだけでなく、レゲエ、ファンク、R&B、ロカビリー、カリプソ、ダブなど数多くのジャンルが登場するエネルギーにあふれた作品でした。

<継続は力なり>
 
彼らは、他のパンク・バンドに比べて大きく違う点がいくつかあります。
 彼らは、1976年頃から活動を開始し、ラスト・アルバム「カット・ザ・クラップ」発表の1985年まで、ほぼ10年に渡って活動を続けました。パンク・バンドでこれだけ長期間活動を続けたバンドは、本当に少ないのです。それは、彼らがパンク発生の原動力とも言われる「現状に対する怒り」という初期衝動だけによって、活動するバンドではなかったということなのかもしれません。(ならば、彼らはパンクの正統派ではないと考えることもできるのかもしれないのですが…)

<闘うバンド>
 多くのパンク・バンドは、単純に「社会状況に対する怒り」を歌にぶち込んでいたのに対し、クラッシュは、しだいに具体的な社会的主張をもつようになって行きました。その中心テーマとなっていたのは、反植民地主義であり、その最大の敵としてのアメリカへの攻撃でした。1980年発表の「サンディニスタ」では、彼らのその政治的主張が明確に表明されている。この時期は、特に中米において、エルサルバドルやニカラグアなど、アメリカがからんだクーデターが頻発し、それに対する国際的非難が高まっている時期でもあっただけに、彼らの主張は実にタイムリーでした。同じ頃、カナダを代表する硬派のシンガー・ソングライター、ブルース・コバーンが、「イフ・アイ・ハドゥ・ア・ロケット・ランチャー」という曲で「もし俺が、ロケット・ランチャーを持っていたら、アメリカに打ち込んでやる」とまで歌うほど、アメリカに対する非難は高まっていました。(残念ながら、日本ではそんな感覚はほとんどなかったのですが・・・)
(解説)「サンディニスタ」とは?
 サンディニスタとは、中米のニカラグアに成立した社会主義革命政権のカリスマ的指導者の名前(アウグスト・セサル・サンディーノ)からとられています。この政権の成功を恐れたアメリカ政府は、ニカラグアの反政府右派勢力に資金や軍事援助を提供し政権の崩壊を狙いました。

<レゲエとの深い関わり>
 彼らのレゲエへのこだわりは、デビュー・アルバムから現れていて、ダブもいち早く取り入れるなど、ニューウェーブのバンドたちの先駆けとなっていました。その思いは、レゲエをあえて導入しなかったセックス・ピストルズとは対照的であり、同じ頃、音楽のスタイルの一つとして、レゲエを選んだポリスとも違う、一歩踏み込んだものでした。それは、レゲエという音楽が「アメリカなど西欧諸国によるカリブ地域の支配体制に対する怒りをエネルギー源として発展した」ということを、彼らははっきりと認識していたということです。そして、それは彼らの街、ロンドンがジャマイカ系移民の非常に多い地域であったからこそ、理解できたことだったかもしれません。
 だからこそ、彼らのアルバムにはアメリカの第三世界に対する支配体制への批判が、はっきりと打ち出され、同じレゲエでもがっちりと骨太な作品に仕上がっていたのです。(彼らは、同じ時期にイギリスで活躍を始めたダブ・ポエット・アーティスト、リントン・クウェシー・ジョンソンの過激な政治姿勢にも当然影響を受けていたはずです)

<シンプルなパンクからよりスケールの大きなロックへ>
 「社会に対する怒り」をぶちまけたいという初期衝動(叫び)から生まれた若者の文化がパンクであり、それを音楽化したものがパンク・ロックであったとするなら、その使命は短いものにならざるをえなかったのかもしれません。なぜなら、単なる「叫び」だけでは、時代を越えることはできても、世代は越えて理解されることは困難だからです。
 しかし、クラッシュはそのパンク・ロックを、さらに音楽的、精神的に成長させ、時代と世代を越えて聴ける音楽にすることのできた数少ないバンドのひとつと言えそうです。彼らは、ロックの重要な掟「常に革新的であれ!」という言葉に忠実だったのです。

<映画「ウォーカー」とジョー・ストラマー>
 ジョー・ストラマーが音楽を担当した映画「ウォーカー」をご存じでしょうか?
この映画は、1988年の作品で、監督は放浪のインデペンデント作家アレックス・コックス。かつて中米に独立国家をつくりあげ、その国の大統領になろうとしたアメリカ人の話しを実話に基づいて映画化したもので、アメリカの植民地政策が生んだ狂気の物語です。この作品はある意味で、クラッシュの「サンディニスタ」の映像版とも言える作品かもしれません。
 ジョー・ストラマーは、この後一時期、同じアレックス・コックスの映画「ヘルズ・ディッチ」の音楽を担当したポーグスのメンバーになっていました。

<追悼・・・ジョー・ストラマー>
 2002年12月22日イングランドの自宅でジョー・ストラマーが心臓麻痺で亡くなったそうです。享年50歳、まだまだ活躍できたはずです。その後のロックに大きな影響を残したクラッシュは、まさに記憶に残るバンドでした。そのリーダー、ジョーの冥福を祈りたいと思います。

<締めのお言葉>
「アンティオキアでは、結婚の曲線はコーヒー価格の曲線に敏感に反応する。それは従属的な構造に特徴的なことで、アンティオキアの丘における愛の告白にふさわしい瞬間といったものまでもが、ニューヨークの取引所で決定されるのである」

「ブリキ缶は、鷲やアップルパイと同じくアメリカ合衆国のシンボルになるにいたった。しかい、ブリキ缶は単なる合衆国のシンボルではない。それは良く知られてはいないが、20世紀の鉱山、すなわちウヌアーニ(ボリビア)の肺塵症のシンボルでもある。ボリビアの鉱夫たちは、世界が安い錫を消費できるようにするため、自分の肺をぼろぼろにして死んでいくのである。ブリキは錫でつくられるが、錫にはなんの価値もない」

 エドゥアルド・ガレアーノ「収奪された大地」より

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