「狂気」が語る中国の真実

「狂気」

- ハ・ジン Ha Jin:哈金 -

<母国に裏切られた青春>
 この作品は、中国出身のアメリカ人作家による天安門事件時代の中国を舞台にした青春小説であり、中国の本質を正気を失った大学教授に語らせるというブラックな反体制派作品でもあります。もちろん、この小説は中国本土では出版されていないようです。在米の中国系作家でありながら、移民として生きる在米中国人の生活を描くのではなく中国に住む中国人を描くことにこだわる異色の作家ハ・ジンは、その生い立ちがほとんど知られていないことでも有名な人物でした。(その後、しだいに彼の生い立ちは明らかになり、その人生をもとにした小説も書かれることになります)
 ハ・ジンは、1956年に中国東北部の遼寧省で生まれ。父親が軍人だったこともあり、14歳の時、年齢を偽って人民解放軍に入退。その間、「文化大革命」の真っただ中にもかかわらず、英米文学の魅力にはまり、19歳に除隊すると、ハルビンにある黒竜江大学に入学。そこで英語学の学士号を取得。1985年29歳でアメリカに留学し、マサチューセッツ州にあるブランダイス大学に入学。彼はそこで英米文学の博士号を取得しますが、1989年天安門事件が起きます。彼はその事件の衝撃的な映像をアメリカのテレビで見て衝撃を受け、中国国籍を捨てる決意を固めます。この小説はそこまでの彼の人生を振り返りながら、もしそのまま中国に残る道を選んだらどうなったか、という思いを楊教授の悲劇に投影することで書かれたともいえます。
 ハ・ジンの人生は、この小説の主人公同様、この後中国を離れてアメリカで続くことになります。そのあたりは、彼のこの後の小説「自由生活」で描かれることになります。

<あらすじ>
 主人公の青年は、中国の中西部江蘇省にある山寧大学で文学を学ぶ大学院生。彼は婚約者の梅梅(メイメイ)の父親でもある恩師の大学教授、楊の病床の世話をすることになります。脳梗塞で倒れた教授は、脳に損傷を受けたために頻繁に意識混濁に陥り、そのたびにうわ言をしゃべるようになりました。しかし、そこで語られたのは、チベットに赴任中の妻の不倫、自分自身の不倫を思わせる別の誰かとの会話、文化大革命中に受けた熾烈な虐待の記憶、アメリカへの出張体験と自由への憧れ、そして現在の中国における政治体制と大学への批判・・・大学で多くの生徒たちに慕われている教授の隠されていた様々な顔に彼は衝撃を受けます。
 その中でも、彼が最も衝撃を受けたのは、楊教授が大学における教育者のことを、体制を維持するための大衆を作る「事務屋」にすぎないと言い切ったことでした。そんな事務屋になるな。と彼は娘の婚約者に強い口調で語ったのです。将来の道筋を模索していた彼は、その言葉により大学に残り教育者として働くための進学を辞める決断をします。しかし、そんな彼の決意を聞かされた婚約者の梅梅は、彼の考えに激怒し、迷っていた副学長子息との交際を決意します。
 恩師、楊教授の死と婚約者の裏切りに衝撃を受け、将来の目標も見失ってしまった主人公は、大学の同僚たちに誘われて北京に向かいます。時は、1989年、北京では今まさに天安門広場で軍隊による市民、学生の大虐殺が行われようとしていました。彼と仲間たちは、その動乱に巻きこまれることになります。彼の運命は?

<狂気でしか語れない真実>
 この小説は正気を失った楊教授に心の奥にしまっていた様々な思いや記憶を次々と語らせることで、「文化大革命時代における知識人への弾圧」や「共産党政権下での教育の不毛」、「中国で生きる苦難」、そして「生きる目的」などの問題を浮き上がらせています。ここで衝撃的なのは、理性の塊のような人物が、自らの本当の思いを狂気に飲み込まれなければ誰にも明かすことができなかったということです。密告を恐れて、隣近所や職場、友人たちとの間ですらも自らの意思を明かすことはできない。これが中国の現状なのです。
 さらにこの小説が上手くできているのは、教授のそうしたうわ言が、時代も順番もバラバラに語られて、それが誰のことで、真実かどうかもわからないため、主人公同様、読者もまた教授の言葉について推理せざるを得ないことです。そのおかげで読者は主人公と共に、悩んだり感動したり考えさせられたりすることになります。その意味では、この小説は推理小説的な楽しみによって上手く読者を巻き込むことに成功しています。残念ながら主人公は名探偵とはいえないどころか、常に騙されたり失敗したりですが、それはそれで失敗続きの青春小説として読むことも可能です。
 「狂気」でなければ語れない国の真実。あまりにブラックな小説です。

<中国を離れる若者たち>
 中国から日本にやって来た学生たちの多くは、日本人学生よりも一生懸命勉強していて優秀と言われます。僕も知り合いに中国から来た大学院生がいますが、本当に真面目で一生懸命勉強しています。それは中国から来た留学生にだけ言える事ではないかもしれませんが、・・・。中国における権力者の不正や少数民族への弾圧、宗教への弾圧、そしてそうした状況の改善が困難であることを知った時、若者たちにできるのは自分も「権力」の側につくか、国を捨てて海外で生きるかの二者択一にならざるを得ないのかもしれません。前者の道を選ぶなら、迷うことなく共産党に入党しなければならないし、後者なら、優秀な成績をとり海外で活躍する道を切り開くことしかないのです。
 現在の中国では、どんなに強力な権力や資金力を持っていても、明日権力者が変われば、すべてを失ってしまう可能性があります。そうなってしまっては、政治家も弁護士も裁判所も警察も守ってはくれません。場合によっては、隣人が裏切り者となって、罪をでっちあげて犯罪者として落し入れる可能性すらあります。
 皮肉なことに、本当に恐ろしいのは、海外で活躍するチャンスを獲得した優秀な若者たちがこの本の著者ハ・ジンのように母国を捨てて海外に移住してしまう道を選んでしまうということです。そうなると、中国本土に残されるのは、「政治」に期待せず、自分だけが生き残ることしか考えない大衆だけになりかねません。「権力者」か「大衆」そのどちらかにしかなれない現実を思い知らされた主人公の苦悩は日本人である我々には理解しがたいものですが、この小説を読むとそうした状況がかなり深く理解できるでしょう。

 帰りの列車に乗ってから、ぼくは恐ろしい悪夢にずっと苦しめられていた。老いさらばえて気のふれた老女と化した中国が、おのが命を長らえるために、わが子をむさぼり食おうとしている。欲深い老婆はこれまでにも数多くの若い命を奪ってきたが、いままた新たな犠牲者をむさぼり、さらに多くの命をみてもらうとしている。

 天安門広場での混乱を逃れてかろうじて逃げ帰った主人公の言葉です。
 一人っ子政策をとる中国にとって、家族にとって子供が大切なのは当然のことです。しかし、その政策により人口の抑制を行う政府の側にとっては、子供たちの命は実に軽いものとなってしまうのです。だからこそ、中国の軍隊は簡単に学生たちに銃を向け、発砲し、虐殺を行えるのです。この中国の基本的な姿勢が、すべての国家体制に影響を与えているからこそ、多くの若者たちは海外へと逃れる道を選択するのです。

<詩人でもあるハ・ジンの文学論>
 母国語ではないにもかかわらず、著者は英語で詩を書くことにこだわり続けました。その挑戦の日々についても、彼の「自由生活」に描かれていますが、そこから彼独特のシンプルで魅力的な小説の語り口が生まれたのかもしれません。

・・・中国の詩人たちは、詩の表現から距離を置くための”語り手”を必要としない。一方、それとは対照的に、西側の文学では詩人たちは、詩から自伝的な色彩を薄めるために、しばしば”語り手”を採用する。真実よりも技巧に重きが置かれているのだ。

 これは楊教授の言葉。客観的な視点を追及する西洋の科学とも共通するこの考えは、実に説得力があります。詩人でもある著者らしい文章です。この小説は中国と西洋の違いだけでなく、「文学論」に関する作品としても読める奥行を持っています。

<共産主義と個人主義>
・・・だが、共産主義革命について書かれた歴史書からは、個人的な動機がいつも抜け落ちている。どうして赤軍や共産党に加わったのかという話になると、老革命分子たちは、親がすすめる縁談を断るためだの、借金から逃れたかっただの、食糧や衣料が支給されるからだのという理由をしばしば口にした。人を動かし、結果的に歴史を動かす原動力は、じつは個人的な利害ではないだろうか。

 集団行動を前提とする軍や共産党は、その存在自体が個性や個人的都合を無視することで成立しているともいえます。そこで生きてゆくためには「個」を殺すしかないのですが、生きてゆく限りそれは不可能なことです。だからこそ「個」を強く持つ人ほど、それを奥深くにまで沈めなければならなくなります。ついには「狂気」によってしか「正気」の自分を表現できない社会が誕生することにもなるのです。・・・それはまるで映画「未来世紀ブラジル」や小説「1984年」の世界のようです。
 恐るべし中国。ただし、我々日本人だって人のことはいえないはずです。文科省による道徳教育の強化。国旗掲揚と国歌斉唱の強制。そして迫りつつある「積極的平和主義」という名の「自衛のための戦争」の容認。「権力者」の個人的妄想(太平洋戦争は平和のための戦争だった)に歯止めがかけられない議会制民主主義は、中国共産党による集団的な政治体制よりも、静かに確実に浸透しつつあります。日本という国が、他国から危険な国と見られつつある現状を否定することは簡単ですが、客観的に冷静に見れば日本が「恐るべき国」になりつつあると恐れるのは当然だと思います。
 日本も、もうすぐ学校の教室や会社で、「愛国心」を否定することが許されなくなるかもしれません。
「愛国心なんて、あって当たり前でしょ!」
 もし、そう思っているなら、あなたは「愛国心」を持てない人々を排除する中国の大衆と同じ思想の持ち主になりつつあるということです。異なる思想の否定からすべてのファシズムは始まるのです。

・・・ここでは誰も自分を救ってなどくれないのだし、自分を守れるのは自分だけだ。それに彼女は、もう偽りの自分ではいたくなかった。中国に戻りたいとかつては思うこともあったけれど、その中国では、嘘をつくことなしには生きることができなかった。何をするにも、そして危険が身に及ばないようにするにも、いつでも嘘が必要だった。アメリカに来たばかりの六年半まえ、彼女は何か月も、うまく喋ることができなかった。嘘をつかずに話すやりかたを、知らなかったからだ。
自由生活」よりウー・ナンの妻ピンピン

「狂気 The Crazed」 2002年
(著)ハ・ジン Ha Jin:哈金
(訳)立石光子
早川書房

<参考>
自由生活 2007年
(著)ハ・ジン Ha Jin:哈金
(訳)駒沢敏器
NHK出版

20世紀文学大全集へ   トップページへ