障害者への差別と闘い続けた青春の軌跡 |
<障害者運動の原点>
「障害者運動の夜明け」という日本語タイトルを見て、障害者スポーツの原点となった英国のマンデビル病院のドキュメンタリーかと思っていました。見始めて全く違うことがわかりました。お恥ずかしい!
原題の「CRIP CAMP」で使われている「CRIP」というのは、スラングで「障害者を差別する表現」のこと。この作品は、アメリカの障害者の人々が法の下の平等を勝ち取るために20年間に渡り戦い続けた日々を振り返ったドキュメンタリー作品です。バラク&ミシェル・オバマが設立したHigher Groundが製作しています。
この作品の魅力は、それが単なる社会運動の歴史とその記録に収まらず、参加した人々の青春ドラマであり、ノスタルジックな人生ドラマにもなっているところです。そしてそのすべての原点になっているのが、タイトルにある「ハンディキャップ・キャンプ」と呼ばれた「ジェネド・キャンプ Camp Jened」です。
ニューヨーク郊外で行われていたその障害者のためのキャンプは、1951年から1977年まで開催されていました。そのキャンプには全米各地から障害者の若者たちが集まり、仲間意識をお互いに持つだけでなく、それぞれが意識を高めて、地元へと帰って行きました。そしてその中から、障害者の権利を守るための社会運動の中心となるメンバーが現れることになりました。
この作品は、その障害者キャンプの記録映像と障害者運動の記録映像をまとめることでアメリカにおける障害者運動の歴史を残そうと作られました。その中心となったのが、音響デザイナーとして活躍しているジム・レブレヒトとオバマ政権の元で国務省国際障害権利特別顧問を努めたこともあるジュディ・ヒューマンの二人でした。二人は障害者であり、ジェネド・キャンプの卒業生でもあります。ジム・レブレヒトにそのキャンプのことを聞いたこの作品の共同監督ニコル・ニューナムは、キャンプの記録映像のことを調査。撮影を行ったグループ「ピープルズ・ビデオ・シアター」の存在を突き止め、残された当時の記録映像を発見します。撮影から50年たっていたにも関わらず、その映像が残っていたことから、この作品の骨格が生まれたと言えます。
<1971年~>
この伝説的なキャンプが行われていた1971年と言えば、1969年のウッドストックでの伝説的なコンサートの後、全米の若者たちが「自由と平和」を夢見ていた時代です。キャンプの雰囲気も、そんな時代に合わせて大きく変わっていました。障害も性別も人種も越えた自由な空気が映像からも伝わってきます。そこで活動する健常者だけでなく障害をもつスタッフたちも、そんな時代の空気を感じながら参加者たちの意識を変えようと奮闘していました。その中心人物の中にこの作品の主人公の一人、ジュディス・ヒューマンがいました。
子供時代にポリオによって車いすを使うことになり、健常者と共に教育を受けることが困難になった彼女は、キャンプに参加してから障害者が差別されることなく社会参加できることを目指し活動を始めます。彼女は「ジェネド・キャンプ」が生んだ障害者運動の象徴的人物です。
公民権運動が全米で盛り上がり、その中に人種差別を禁止する特別条項が盛り込まれた際、同じように障害者への差別を禁止する条項である504条も盛り込まれました。(1973年)
しかし、その法律は政府によって実行されることはなく、有名無実な法律に過ぎませんでした。政府は法律どおりに実行することになれば、巨額の予算が必要になると試算したからです。そこで障害者の人々はその法律が施行されるよう求める運動を展開し始めることになります。
<1977年>
1977年民主党のカーター政権は、共和党政権時代と大きく違い、国民のために必要な公共政策を実行するために様々な改革を行いました。そんな中、504条を施行するための法律が準備され、議会による承認を受ける段階にこぎつけます。しかし、公共交通機関や教育機関にとって、すべての私設で障害者に対応してゆくことは、多くの予算を必要とするため、施設や企業からの反発意見も多数ありました。そのため、当時の保険教育福祉長官のジョセフ・カリファーノは、その法案を認めることを拒否。法案の可決は見送られることになります。
その法案制定に関わってきた障害者とその支援グループは、このチャンスを逃すわけにはいかないと考え、仲間たちを再結集します。もちろんその中には、かつて「ジェネド・キャンプ」に参加した仲間たちも数多くいました。彼らは全米各地で抗議活動を展開した後、保険教育福祉省が入った連邦ビルに侵入し、建物を占拠。そこでハンガー・ストライキを始めます。しかし、政府を動かすところまではなかなか到らず、戦いは延々と続きます。すると、彼らの活動に賛同するテレビ局、労働組合などからの援助が行われるようになり、当時、全盛期だったブラック・パンサーから食料が届けられます。その時、立てこもりに参加していた「ジェネド・キャンプ」からの仲間たちにとっては、それはキャンプの続きに思えていたのかもしれません。
その間にも、ジュディスなど中心メンバーはホワイトハウスやカリファーノ邸を訪れ、抗議と説得を行いました。すると彼らは政府側から「障害者のために公的施設の改築を行う。ただし、決められた施設に限定したい」との提案を受けます。しかし、それはかつて黒人たちが差別の代わりに人種隔離されていた南部アメリカの政策と同じことなのは明らかでした。当然、彼らはその提案を拒否。
24日間の長い戦いは、世論をも見方につけた障害者側の勝利となり、政府は504条の実行を約束します。
<1990年~>
その後も政権が変わるたびに、504条はその扱いが変わり、度々骨抜きにされました。そこで根本的に障害者を平等に扱うことを宣言した「障害を持つアメリカ人法」が議会に提案されます。この法律の制定を求め、足の不自由な障害者たちが国会への階段を車いすを降りて、這いあがるシーンはこの作品のクライマックスで感動的です。ただし、黒人への差別が時代によって地域によって政権によって度々変化してきたように、障害者への差別もトランプ政権の誕生や新型コロナ・ウイルスの登場によって再び厳しい状況に追い込まれています。
この作品はラストに彼らが原点となったキャップの跡地を訪れるところで終ります。
実は、僕は1974年中学時代に2週間アメリカ西海岸でクリスチャンの子供たちのキャンプに参加したことがあります。それはもちろん「ジェネド・キャンプ」のようなぶっ飛んだキャンプではなかったのですが、その時のアメリカ体験は僕にとってアメリカへの憧れだけでなく負の側面も見せてくれました。
そして、その時にジョン・レノンの「マインドゲームズ」、エルトン・ジョンの「グッドバイイエロー・ブリックロード」、イエスの「イエスソングス」などのレコードを買って帰り、そこからロックにはまる人生が始まることにもなりました。このサイトにとっても、その時のアメリカでのキャンプは原点だったと言っていいかもしれません。そんなことを思いながら見ていました。
「ハンディキャップ・キャンプ:障害者運動の夜明け」Crip Camp 2020年(ドキュメンタリー)
(監)(脚)ニコル・ニューナム、ジム・レブレヒト(アメリカ)
(製総)バラク&ミシェル・オバマ、トーニャ・デイヴィス、プリヤ・スワミナサン他
(撮)ジャスティン・シャイン
(編)アイリーン・メイヤー、アンドリュー・ガーシュ
(音)ベアー・マクレアリー
(出)ジュディ・ヒューマン、ジム・レブレヒト、デニース・シェラー・コブソン
<使用曲>
曲名 演奏 作曲 コメント 「For What It's Worth」 バッファロー・スプリングフィールド
Buffalo Springfieldスティーブン・スティルス
Stephen Stills1966年発表の全米7位のシングル
デビューアルバムの1967年再発版収録「Love My Baby」 Bobby Page & The Riff Boulet Valery Junior Boulet 1962年のヒット曲
New Orleansスタイルのロックバンド「Freedom」 リッチー・ヘヴンス
Richie Havens← 「ウッドストック」より
「ウッドストック」のオープニング曲として有名
黒人シンガー・ソングライターの代表曲「Truckin」 グレイトフル・デッド
Grateful DeadJerome J.Garcia
Robert H. Weir他アルバム「アメリカン・ビューティー」(1970年)
アメリカの西海岸を代表するサイケロックバンド「Crimson & Clover」 トミー・ジェイムズ&ザ・ションデルズ
Tommy James & The SchondellsTommy James
Peer Lucia Jr.1968年発表の同名アルバムからのシングル
1969年全米1位のサイケデリック・ロック「Tomorrow is a Long Time」 ボブ・ディラン
Bob Dylan← 録音は1963年
1971年の「グレイテスト・ヒットVol.2」収録「Sea of Grass」 Wheedle's Groove Bob Bogle
Christian Wilde他フィードルズ・グルーヴは
1960年代後半に活躍したソウル・インストバンド「Volunteers」 ジェファーソン・エアプレイン
Jefferson AirplaneMarty Balin
Paul Kantner1969年のアルバム「Volunteers」収録
シングルとして全米65位「Chicken Pox」 ブッカーT & ザ・MGズ
Booker T. & the M.G.'sStephen Cropper
Donald Dunn他1971年のアルバム「メルティング・ポット」収録
タイトルは「水疱瘡」のこと!「Sweet Transvestite」 Richard O'Brien and J.B.Gang Richard O'Brien 1975年の「ロッキー・ホラー・ショー」より!
性・人種の壁を越えたカルト・ミュージカル「The Capitol Crawl」 Eric Andrew Kuhn ← これは議会の階段を障害者たちが這いあがる場面
最も感動的な場面の曲「I Am Somebody」 Freddi Henchi & The Soulestters Fred Gowdy
Larry Wilkins他コロラド出身のソウル・バンドによる1972年のヒット 「Sugar Mountain」 ニール・ヤング
Neil Young← 1977年アルバム「DECADE」収録
60年代から活躍するロック界最後の巨人