「結晶世界 The Crystal World」

- J・G・バラード J.G.Ballard -

<SF界における名作中の名作>
 1980年代に僕がSFにはまったきっかけは、カート・ヴォネガットJr(当時はJr)の小説と出会ったことでした。彼は常にこう力説していました。
「SF作家には確かに幼稚な部分もあるが、それでも彼らは「科学」という人類の新しい文化を基礎にして未来社会を予言、警鐘を鳴らす大切な仕事に挑んでいるのだ」

 その言葉に騙され?、感銘を受け、僕はSFの名作と呼ばれる作品を次々に読んでゆきました。そんな中で出会った数々の名作の中でも特に忘れられない作品、それがこのJ・G・バラードの代表作「結晶世界」です。

 J・G・バラードという作家は、最近はSF以外のジャンルでも活躍しており、「楽園への疾走」や「太陽の帝国」のような作品が高く評価されて、イギリスの文学界全体を代表する作家になったといえます。しかし、その分、彼の初期における代表作「結晶世界」は最近では忘れられる傾向にあるかもしれません。かつて、SF評論の分野で素晴らしい著作を残した女流評論家ジュディス・メリルは、名著「SFに何ができるか」(晶文社)の中で、こう書いていました。
「もし、あなたにほかの作品を読むひまがなければ、とにかく『結晶世界』だけは読んでほしい。もし、前からバラードが好きだった人なら、きっと大いに満足されるだろう。そうでなかった人も、おそらく驚きを感じられるにちがいない」

 彼の代表作「沈んだ世界」、「燃える世界」と本作は地球終末3部作として知られていますが、間違いなくこの小説はその頂点にある作品といえるはずです。

 これは僕のかってな予想ですが、もうそろそろこの小説は映画化されるのではないかと思います。あまりに特殊な風景のため、過去には技術的に不可能でしたが、今ならCG技術の発展によって十分映像化が可能になったと思うのです。この小説ほど、読者の頭の中に絵画的なイメージを浮かべさせる小説はそうはないはずです。もし、この小説が映画化されたら、観客はどれほどその世界に魅了されることでしょうか!その時は、是非監督はリドリー・スコットにお願いしたいものです。「光と闇の魔術師」と呼ばれる彼なら、ワンカット、ワンカットがどれもが美しい絵画のように仕上げてくれるはずです。

<シュルレアリスムSF>
 この小説は、いうならば「シュルレアリスム」+「科学」+「文学」から生まれた「デカダンス冒険小説」と呼べるでしょう。この小説の冒頭にも置かれた次の文章がそれを見事に表しています。
「日中は、奇怪な形になった鳥が石化した森の中を飛び交い、結晶化した河のほとりには、宝石をちりばめたような鰐が山椒魚の紋章のようにきらめいた。夜になると、光り輝く人間が木立のあいだを走りまわり、その腕は金色の車のよう、頭は妖怪めいた冠のようだった。・・・・・」

 これは、まさにシュルレアリスムの世界です。この怪しくも美しい世界を描き出しただけでも十分に読者をひきつけているので、それがなぜ生み出されたか説明しなくても「不条理小説」として、十分に傑作になりうるものでした。しかし、バラードはここであえて「科学」によって、この異世界を説明しようとしています。
 地球から遥か遠くアンドロメダ星雲に現れた「反物質」からなる銀河系(反銀河)。その存在は宇宙空間における反物質の増加を招き、時空連続体として物質(空間)と時間が結びついている宇宙においては「反時間」をも生み出すことになる。そして、この「反時間」の誕生は、今存在している時間のストック(在庫)が失われることであり、それが宇宙の各地で物質の「結晶化」という現象を生み出している、というわけです。
 さらに「結晶化」という現象についても、いくつかの説明がなされています。この物語における「結晶化」とは、物質が「ウィルス」のような状態になることです。「ウィルス」というのは生物と物質の中間に近い存在で、活動していない状態の「ウィルス」は「死」に近い状態であり、「時間」が止まった状態にあるとも考えることができます。ある意味、それは絶対0度における冷凍保存に近いともいえるもので、「死」とは異なります。そのこともあり、この物語の中では、瀕死の病人やライ病患者たちが永遠の命を得ようと結晶化が進む森に侵入しようと試みるのです。(アンドレ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」における進入禁止区域「ゾーン」の存在を思い出させます)
 こうして、その結晶化の森は人間たちにとって「結晶化による死」をもたらす危険地域であると同時に「永遠の命」を得ることができる聖なる土地ともみなされることになるのです。こうして、「シュルレアリスム」に「科学」が加えられた物語は、「文学」として「生きること」「魂」「愛」について描き出すことも可能になるわけです。
 J・G・バラードは当時、SF界に一大ムーブメントを巻き起こしていたニューウェーブSFの旗手として時代の先端を行く存在でした。彼はSFの取り上げるべき題材とは、それまでのような宇宙空間ではなく、もうひとつの空間、内宇宙であると発言したことで知られています。

<内宇宙の物語>

「現実の外世界と精神の内世界が出会い、融けあう領域。成熟したSFの真の主題は、この領域にのみ見いだされる」
J・G・バラード

 ここで描かれているのは、時間の喪失という外宇宙的な物語と個々の人間たちの心の葛藤の物語でもあります。
重い病のために森を出られない一人の女性を奪い合う二人の男たち。
不倫相手の女性を救うため森にさまよいこんだ医師。
神の存在を否定し森の奥深くの教会に閉じこもる神父。
 こうした登場人物たちが抱える救いがたい罪の意識もまた森を結晶化を他の場所よりも速く進行させた原因のひとつだったのかもしれません。少なくとも、彼らはその森に救いと赦しを求め、その存在を受け入れることになったことだけは確かです。もしかすると、森の中にあったライ病患者の入院施設も、結晶化の一因だったのかもしれません。「心」と「身体」の病が、逆に「時間」に影響を与えていた可能性もあると思います。
 主人公が川をさかのぼり、結晶化の中心へと近づく旅は、映画「地獄の黙示録」の原作となったジョセフ・コンラッドの「闇の奥」のSF版のよでもあり、主人公自身が自らの「魂」の奥底へと分け入る心の旅でもあります。

<人類終末への序章>
 考えてみると、この小説は結晶化の始まりによって人類滅亡へのカウントダウンが始まった発端の出来事を描いたもので、本当ならここからSF小説にとっての本番が始まるところかもしれません。しかし、作者にとっては、こうした「人類の闘い」は興味の範囲外なのでしょう。彼にとっては、あくまでも「死」と「永遠の生命」を前にした罪深き人間たち個々の「思い」と「行い」、それだけが描くべき対象なのです。彼が目指すニューウェーブSFが描こうとする内宇宙とは、人の心のことでもあるのですから。
 ただし、SFファンならずとも、そこから先の展開を思い描きたくなるのも人情というものです。いかにして、人類は結晶化の広がりを抑え込もうとするのか?この小説の中にも水と宝石がその結晶化を抑え込む力をもっていることが描かれているので、人類はその方法を見つけ出すことができるかもしれません。しかし、それまでの間にも結晶化は世界中へと広がり、ついにはこの小説でマイアミの街がそうなったように、多くの街が結晶化してしまうことになるかもしれません。街全体が結晶化してしまったニューヨークや東京の美しい映像も見てみたい気がします。ついには、海も結晶化してくるとしたら、流氷に覆われたオホーツクの海よりもずっと美しい光景が日本の周りに広がることになるのでしょう。
 誰か、この小説を映画化してください!

 「結晶世界」に匹敵するSFの名著「地球の長い午後」の著者ブライアン・オールディスは、「解放されたフランケンシュタイン」という作品の中で「時間」について、こう書いています。

「時間も空間も世にいう”瀕死”の状態にある。われわれはもはや時間の進行の正常な連続さえも、信頼することはできない。明日は実は先週だったということが分かるかもしれないし、あるいは前世紀とか、ファラオの時代なのかもしれぬ。知性がわれわれの地球を知識人にとって危険なものにしてしまった。われわれはメアリ・シェリーの小説中のフランケンシュタイン男爵の呪いに悩まされている。すなわち、あまりに多くを制御しようとして、われわれは自分自身さえ制御できなくなってしまったのだ」

<あらすじ>
 アフリカの熱帯雨林でライ病専門の病院で働くサンダース医師。彼は不倫相手だった女性を追って、彼女のいる村に向かおうとしていました。ところが、なぜかその村の周辺は軍隊によって閉鎖されていました。川づたいにその村に行く方法をみつけようとしていた彼は、港で不思議な水死体を発見します。その死体は片腕が水晶のように結晶化していたのです。
 彼はボートをチャーターし、取材に行ったまま行方不明になった同僚を探していた女性記者とともに川をさかのぼって行きます。そして、たどり着いた先で彼は、世にも美しく不思議な光景を目にすることになります。それはすべてのものが、少しずつ光り輝く結晶へと変化してゆく世界であり、「時間」が凍りつく場所でもありました。

「結晶世界 The Crystal World」 1966年
(著)J・G・バラード J.G.Ballard
(訳)中村保男
創元推理文庫

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