混沌が生み出した奇跡のハーモニー


- クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
Crosby , Stills, Nash & Young -
<伝説のスーパーロックバンド>
 奇跡のハーモニーを生み出した4人組ロックバンドは、その個性の違いから、4人がそろって活動した期間は短いものでした。しかし、その間に彼らが生み出し録音された美しいハーモニーは永遠の存在です。個性が違い過ぎたからこそ、奇跡的にそれが上手くハモれた時の美しさは、際立ったのかもしれません。
 そもそもオリジナルCSNの3人は、それぞれ別のバンドで活躍するスターでした。その点では、彼らはアメリカ版のビートルズとも言えるスーパー・グループ存在でした。しかし、残念なことにバンドの結成時すでに彼らはビートルズ解散前の状態に近かったと言えます。
 フィルモア・イーストのオーナー、ビル・グレアムは、フィルモアに出演した際のCSN&Yのライブにおける混沌ぶりについてこう語っています。

「・・・あいつの後に出のは嫌だ。だって昨日はえらくウケてたからね。こいつの後も嫌だ。昨日はあんまりウケてなかったし、だからぼくが出る時、客が沈んでると困るからね。グレアムが先に出るのか?じゃあニールが2番目だな。・・・」みたいな騒ぎはしょっちゅうだった。

「ああいう四つの偉大な才能をひとつところに集めたとして、さていったいどうなると思う?ヘビ同士が仲良くやっていけると思うかい?彼らは全員が、グループを結成する前からスターだった。ああいうかたちでグループを作ったのは彼らがはじめてだったんだ・・・」

<デヴィッド・クロスビー>
 バンドの中心となったデヴィッド・クロスビー Devid Crosby は、1941年8月14日ロサンゼルスに生まれています。
 彼が最初にはまったのは、エヴァリー・ブラザースでした。兄弟による極上のハーモニーは、その後の彼の音楽性、特に彼とグラハム・ナッシュのハーモニーの良き目標となりました。
 少年時代の彼にとって、さらに衝撃的だったのは、ジョシュ・ホワイトが歌う「奇妙な果実」との出会いでした。(ビリー・ホリデイで有名ですが)白人たちによって木からつるされた黒人を果実に例えた歴史的名曲は、彼が反体制的な主張を持つ原点となったのかもしれません。
 彼の父親フロイド・クロスビーは、家ではまったく笑顔を見せない堅物でしたが、有名な映画界のカメラマンでした。フレッド・ジンネマンの「反赤狩り」の名作西部劇「真昼の決闘」を撮ったカメラマンです。彼の心の中には、そんな父親に認められたいという気持ちも常にあったようです。
 しかし、彼が音楽活動を始めたのはまったく異なる理由「女子にもてたい」でした。

<バーズでの成功>
 ザ・バーズでの成功により、彼はアイドルスターの仲間入りを果たします。ビートルズのメンバーとも友人となり、ボブ・ディランとも知り合い、彼の曲「ミスタ―・タンブリンマン」をカバーして大ヒットさせました。そして、ディランへの傾倒と時代の変化に合わせた彼は急速にアイドルからヒッピーへと見た目も生き方も変え始めます。この時期の彼のヒッピー・スタイルと髭は、映画「イージー・ライダー」のデニス・ホッパーに投影されたと本人が言ってますが、確かにそっくりです。
 ところが、少々保守的なカントリー・ロックのスタイルにこだわるバーズの他のメンバーは彼の変化について行けず、彼を呼び出して脱退を迫りました。こうして突然バンドから追放された彼はショックを受け、借金をしてヨットを購入して海に出て放浪します。海でのしばしの生活で生き返った彼は、音楽活動を再開。友人だったママス&パパスのキャス・エリオットの紹介で、英国のポップバンド、ホリーズのメンバーだったグラハム・ナッシュと出会います。
 グラハム・ナッシュ Graham Nash は、1942年2月2日イギリスのブラックプールに生まれています。イギリスで音楽活動を始めた彼は、ホリーズのメンバーとして成功しました。そしてCSNのもう一人のメンバーとなるスティーブン・スティルス Steven Stills は、1945年1月3日テキサス州ダラスに生まれ、バッファロー・スプリングフィールドのメンバーとして活躍していました。

<3人の出会い>
 1968年6月、ローレル・キャニオンにあったスティーブン・スティルスの家に3人が集まり、ヴォーカル・ハーモニーのジャム・セッションを行ったところ、40秒で曲が出来上がったと言います。何度もケンカは起きたものの、曲作りを続けた彼らは数か月かけて、バンドとしてのリハーサルを重ねます。その間に3人は、所属するレコード会社、元のバンドとの契約問題を解決し、1969年新グループ、クロスビー、スティルス&ナッシュとしてデビュー・アルバムを発表します。
 デビュー前からスーパーグループ的な存在として話題になっていたCSNのアルバムはチャートの2位まで上昇し、200万枚を突破。シングルの「マラケシュ急行」もビルボードの28位、「組曲:青い目のジュディ」も21位のヒットになりました。そして、ここで最後のメンバーとして、ニール・ヤングが参加し、CSN&Yが完成します。
 1969年6月ニューヨークのフィルモア・イーストで彼らはステージ・デビューを飾りました。そして8月に開催されたウッドストック・フェスティバルでは、歴史的イベントの象徴的存在となりました。その後、彼らは全米ツアーに出発し、年末にはローリング・ストーンズのオルタモントのライブにもゲスト出演し、あの有名なヘルスエンジェルスによる黒人青年刺殺事件に遭遇することになりました。
 1970年彼らはグラミー賞の最優秀新人賞を獲得。いよいよ彼らはアメリカのトップスターの仲間入りを果たしました。

<デヴィッド・クロスビー悲劇との遭遇>
 バンドは4人にとっての最初で最後のオリジナル・アルバム「デジャ・ヴ」の録音を開始しますが、その間にデヴィッド・クロスビーの恋人クリスティーン・ヒントンが交通事故で死亡。そのショックで落ち込んだクロスビーは、しばらくスタジオにこもり、ジェリー・ガルシア、ニール・ヤングらの助けを借りて、ソロ・アルバムを録音します。そのアルバム「If I Could Only Remember」は、彼にとっては自身の命を救う心のリハビリとなり、完成したアルバムも高い評価を受けることになりました。しかし、この頃から彼の薬物依存、アルコール依存は悪化し続けることになります。

<反体制の象徴>
 1970年5月、デヴィッド・クロスビーが見出し、一時は恋人でもあったジョニ・ミッチェルの曲「ウッドストック Woodstock」をCSN&Yがカバーして全米11位のヒットとなりました。アルバム「デジャ・ヴ」も一週間で100万枚を突破して、アルバム・チャートのトップとなりました。
 6月、オハイオ州立大学ケント校で行われた学生たちによるストライキに対し警察が発砲し、4人の学生が死亡する悲劇が起きます。その事件について知ったニール・ヤングはすぐに曲を書き、バンドのメンバーも集まって事件について歌った新曲「オハイオ」を録音。当時彼らが所属していたアトランティック・レコードのアーメッド・アーティガンはそのレコードの緊急発売を指示し、1週間後にはシングルとして発売され、全米14位のヒットとなりました。
 さらにアルバムからのシングル「Teach Your Children」も全米16位のヒットとなり、この曲は1971年の大ヒット映画「小さな恋のメロディ」のエンディング曲として、時代を象徴する曲となります。
 こうしたバンドの急速な過激化の中、それ以上に反体制的でロックよりの音楽を志向するニール・ヤングは、バンドの方向性では物足りないと感じたのか、バンドを脱退します。

<それぞれの方向へ>
 ニール・ヤングの脱退後、メンバーはそれぞれの才能を生かし、それぞれの方向へと進みます。
 12月には、スティーブン・スティルスがエリック・クラプトンジミ・ヘンドリックス等を迎えて、ソロ・デビュー・アルバムを発表。全米3位のヒットとなりました。
 ニール・ヤングは、彼の代表作となった名盤「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」を発表し、これも全米8位のヒット。
 翌1971年5月発表のデヴィッド・クロスビーのアルバム「ソロ」も全米12位。
 同年7月発表のグラハム・ナッシュのソロ・デビュー・アルバム「ソングス・フォー・ビギナーズ」が全米15位。
 さらにこの年には、CSN&Yとして録音されたライブ・アルバム「4ウェイ・ストリート」も発売され、全米ナンバー1に輝き100万枚を越えるセールスを達成します。とはいえ、この時点で4人の心はすでにバラバラになっていて、その後は4人全員ではなく、異なる組み合わせでアルバムが制作されたり、ライブ活動が行われて行くことになります。
 1972年、アルバム「グラハム・ナッシュ/デヴィッド・クロスビー」。これは全米4位のヒット。
 1973年、スティーブン・スティルスのバンド、マナサスのサンフランシスコでのライブにクロスビー、スティルス、ナッシュそしてヤングの3人が飛び入り参加し、1時間という短い時間ながら、C,S,N&Yが揃いました。
 1974年、再び4人で全米ツアーを行い、グラハム・ナッシュの編集によるベスト・アルバム「So Far/ CSN&Y - 華麗なる栄光への道」が発売され、全米ナンバー1。しかし、4人によるオリジナル・アルバムの録音は、やはりニール・ヤングの脱退により実現しませんでした。
 1976年、スティルス&ヤング・バンドのアルバム「太陽への旅路」は、50万枚突破で全米26位。
 1977年3月、ヤング抜きのCSNとしてのアルバム「CSN」が発売され、全米2位のヒット。その後、ライブ活動も行いますが、すぐに解散。
 1979年、原発反対のイベントとして大きな話題となったMusicians United For Safe Energy MUSEコンサートのために、CSN3人によるライブが行われました。
 1982年、CSNによるニューアルバム「デイライト・アゲイン」が発売され、全米8位、100万枚超えのヒットとなりました。

<デヴィッド・クロスビー逮捕・逃亡・自首>
 1980年代に入り、デヴィッド・クロスビーの薬物依存が悪化。バンドのメンバーが何度もやめさせようと試みますが、結局うまく行かず、ついに彼は取り返しのつかない事件を起こしてしまいます。
 1983年、ドラッグと銃の不法所持で逮捕された彼は、薬物依存の治療施設に入所します。ところが、彼はそこから脱走。麻薬の密売人の手引きで飛行機に乗ってカリフォルニアに逃亡し、かつて自分が乗ったヨットに逃げ込みます。こうして、彼を逮捕するためFBIが彼の手配書を全国に配る事態となりました。結局、ヨットに乗って海に出て逃亡を続けることは不可能だったことから、彼はFBIに自ら出頭し再逮捕されることになりました。
 1986年、実刑判決を受けた彼は服役。再び薬物依存からの治療を開始しますが、幸なことに彼には同じように治療を受けることになった恋人がいて、彼女が彼の大きな心の支えとなります。
 1988年、出所後、彼は待っていてくれた3人とアルバム「アメリカン・ドリーム」を発表。全米16位のヒットになりました。
 1990年、CSNの新たなアルバム「Live It Up」は、全米57位。

<再びのバンド崩壊>
 その後、4人は仲良くバンドを再結成し、懐かしいヒット曲を演奏しながら余生を過ごしました!と普通ならなるところかもしれません。ところが、人間とはそう簡単には変わらないものです。デヴィッド・クロスビーは、高齢になってもその頑固さは丸くならず、他のメンバーとのケンカが絶えず、ついには全員から絶縁されてしまいました。いい年をして、ケンカを止められない高齢者は日本でも急増していますが・・・彼もまた同じタイプなのでしょうか?
 それでも彼は2021年製作のドキュメンタリー「デヴィッド・クロスビー:リメンバー・マイ・ネーム」の最後に、3人への謝罪の言葉を述べています。そして、そのドキュメンタリー映画の企画にオーケーしたのは、3人への別れの挨拶をする最後のチャンスだと思ったからと答えています。

<参考>
ドキュメンタリー映画「デヴィッド・クロスビー:Remember My Name」 2021年
(監)A・J・イートン A.J.Eaton
(製)キャメロン・クロウ、ミヒャエル・ファリノーラ、グレッグ・マリオッティ
(編)エリザ・ブノラ、ヴェロニカ・プンカム
(撮)エド・ルーカス、イアン・コード
<使用曲>
曲名  演奏  作曲  コメント 
「Woodenship」  Crosby,Stills,Nash  Stephen Stills
David Crosby
Paul Kantner
 
「Guinnevere」(Demo) David Crosby  ←   
「All I Have To Do Is Dream」 エヴァリー・ブラザース
The Everlly Brothers
Boudleaux Bryant 美しいコーラスの兄弟デュオ
「Strange Fruit」  Josh White  Lewis Allan  オリジナルはビリー・ホリディ
「A Girl Once Told Me」(Demo)  David Crosby   
「I See You」  ザ・バーズ
The Byrds 
D.Crosby
Roger McGuinn 
カントリー・ロックの源流
「So You Want To Be A Rock'N' Roll Star」  The Byrds  Chris Hillman
Roger McGuinn
 
「Why」  The Byrds  D.Crosby
R.McGuinn 
 
「Mr.Tambourine Man」  ボブ・ディラン
Bob Dylan 
← 
「Mr.Tambourine Man」  The Byrds Bob Dylan ディランのロック・カバー
全米ナンバー1  
「Lady Friend」  The Byrds David Crosby  
「Hey Joe」  The Byrds Bill Roberts ジミ・ヘンドリックスのデビュー曲
「He Was A Friend of Mine」  The Byrds  Roger McGuinn   
「The Lee Shore」(Demo)  Crsby,Syills,Nash & Young  D.Crosby   
「Goin' Back」  The Byrds  Gerry Goffin
Carole King 
 
「Coast Road」(Demo) David Drosby  ←  ヨットの上で作った曲
「Let's Get Together」  Joni Mitchell
CSN 
Chester W. Power クロスビーの恋人だった
ジョニ・ミッチェルと共演
「Our House」  CSN  Graham Nash   
「Almost Cut My Hair」 CSN&Y D.Crosby
「Teach Your Children」  CSN&Y  G.Nash   
「Long Time Gone」(Live)  CSN&Y  D.Crosby   
「Love The One Your'e With」  CSN&Y  D.Crosby  
「Carry On」  CSN&Y Steven Stills  
「Deja Vu」  CSN&Y  David Crosby   
「Pre-Road Downs」  CSN  G.Nash   
「Song Will No Words」
(Three With No Leaves) 
David Crosby   
「The Weight」  ザ・バンド
The Band
Robbie Robertson イージー・ライダー」使用曲
「Triad」 David Crosby
& Sky Trail Band 
D.Crosby 
「Page 43」  David Crosby  ←   
「Rusty And Blue」  David Crosby
& Sky Trail Band  
D.Crosby  
「I'd Swear There Was Someday Here」  D.Crosby  ←   
「Find The Cost of Freedom」  CSNY  S.Stills   
「The Lee Shore」  D.Crosby  ←   
「Laughing」  D.Crosby  ←   
「Music Is Love」  D.Crosby  D.Crisby,G.Nash
N.Young 
 
「In My Dream」  D.Crosby  ←   
「Bittersweet」 Bill Laurence  D.Crosby 
「Homeward Through The Haze」  CSNY  D.Crosby   
「Compass」  CSNY  D.Crosby   
「Cowboy Movie」  David Crosby
& Sky Trail Band   
D.Crosby  
「Southern Cross」  CSN  Michael Curtis
Richard Curtis
S.Stills 
 
「Encore」  G.Nash  Shame Fontayne
G.Nash 
 
「Where Will I Be」  D.Crosby
G.Nash 
D.Crosby   

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