- クァルテート・エン・シー Quarteto Em Cy -

<Cyのカルテット>
 Quarteto Em Cy、ポルトガル語で「Cyのカルテット」とはなんぞや?
実はこれメンバーの名前からきています。1939年生まれの長女Cyva(de Sa Leite)シーヴァ、1940年生まれのCybeleシベーリ、1945年生まれのCynaraシナーラ、そして一番下が1946年生まれのCyleneシレーネと四人の姉妹の名前の頭の文字から取られたというわけです。
だからなんだって?いやまあ、由美、宏美、久美、雅美で「美しカルテット」なんてどうかな?・・・

<ブラジルにおける孤高の存在>
 彼女たちの存在は、今や世界中でブレイクしているMPBの人気者たち、カエターノ・ヴェローゾカルリーニョス・ブラウン、マリーザ・モンチなどとは、ちょっと違う位置にいます。彼女たちの最大の売りは、その超絶テクニックによる美しいハーモニーにあります。だから彼女たちにオリジナル曲は必要なく、ブラジルという美しい音楽の宝庫からより抜きの素晴らしい曲を掘り起こし、次々に傑作アルバムを生み出してきました。
 サンバに代表されるブラジルのダンス・ミュージックとは違うもうひとつの側面、「美しきサウダージの世界」を紹介し続けてきたのが、彼女たち「クァルテート・エン・シー」だと言えるだろう。

<サウダージとは?>
 ブラジルと言えば、「サッカー」そして「リオのカーニヴァル」と明るく楽しいイメージばかりが先行しがちですが、ほとんどのサンバのアルバムを聴いてみると、楽しいダンスミュージックというよりも、胸がキュンと締め付けられるような郷愁にあふれたメロディーが多いことに気づかされるはずです。けっして、演歌のような湿っぽさはないのですが、夕暮れ時の河原の風景のような妙に懐かしさを覚える不思議な感情。「サウダージ」とは、そんなブラジル人独特の感情を指す言葉です。そして、それは日本人にとっても、なぜか妙に心に響くものです。
 ブラジルが生んだ悲劇のF1ヒーロー、アイルトン・セナの表情には、いつもこのサウダージがありました。彼はレースで勝利をおさめ表彰台に上がっているときでさえ、その笑顔の奥には「サウダージ」が感じられました。そんな彼の表情に世界中のファン、特に女性たちは魅了されていたのでしょう。その表情は、もしかすると自分の早すぎる死を予感していたせいだったのかもしれません(彼は1994年サンマリノ・グランプリにおける事故でこの世を去りました)

<クァルテート・エン・シーのスタート>
 クァルテート・エン・シーの四人姉妹は、ブラジルにおける音楽文化の最重要発信地、バイーア州のサルヴァドール市に生まれています。(バイーア州サルヴァドール市については、カルリーニョス・ブラウンのページ参照)50年代の後半には、地元のテレビに出演するようになり、60年代に入り、リオに進出しました。当時ブラジルでは、ボサ・ノヴァが一大ブームを巻き起こしていて、彼女たちは、そのボサ・ノヴァにおける最高の詩人、ヴィニシウス・モライスと最高の作曲家、カルロス・リラに認められ、恵まれたデビューを飾りました。グループ名の名付け親も、彼ら二人でした。

<デビューから第一期黄金時代>
 1964年、彼女たちはアルバム"Quarteto Em Cy"でデビューを果たし、ボサ・ノヴァ界随一の女性コーラス・グループとして、注目を集めることになります。その後1966年、メンバーのひとりシレーニが結婚のため引退しましたが、代わりにレジーナ・ヴェルネッキが加わり、アメリカ・ツアーを行います。この頃、ボサ・ノヴァのブームはアメリカにも広がっていたため、彼女たちはその勢いに乗って、活動の場をアメリカに移し、アメリカ向けの英語アルバム"The Exciting New Sound"の発表や「アンディー・ウィリアム・ショー」への出演、ラスヴェガスでの公演など、次々にその活躍の場を広げて行きました。
 しかし、その頃アメリカとは逆に、ボサ・ノヴァ発祥の地、ブラジルではすでにボサ・ノヴァのブームは終わりを向かえようとしていました。そのため、彼女たちの方向性もまた不安定になり、70年代に入ると、グループは事実上分裂状態に陥ってしまいました。

<復活から第二期黄金時代>
 1972年、アメリカで活躍していたシーヴァが帰国し、シナーラと新メンバーのドリーニャ・タパジョスソーニアによって、新生クァルテート・エン・シーが結成されました。そしてここからいよいよ彼女たちの時代が始まることになります。特に、1975年、1976年に発売されたアルバム「サンバ・カンソンのアンソロジーVol.1&2」の二枚は、ボサ・ノヴァ誕生以前に一世を風靡したサンバ・カンソンの作曲家たち20人の名曲を掘り起こした歴史的名盤でした。(サンバ・カンソンとは、本来ダンス・ミュージックとして生まれたサンバを歌謡曲化したもので、ここからボサ・ノヴァが生まれたと言ってよい。単純に言うと「バラード系サンバ」かな?)
 このアルバムによって彼女たちに対する再評価の機運が高まり、1978年"Querelas Do Brasil"や1980年の"Interpreta Gnzaguinha,Caetano,Ian,Milton"(ご存じMPBの大物たちの作品集)など、MPBの最先端のサウンドにも挑戦することで、若い層からも指示される存在になって行きました。しかし、この頃メンバーのひとりドリーニャが白血病で亡くなり、グループは80年代に入り、再び5年近い休止状態に入ってしまいます。

<再び第3期黄金時代へ>
 しかし、90年代に入り、時代の風は再びブラジルに向けて吹き始めた。MPBの世界的なブームは、彼女たちのような国宝級のグループを放っておくはずがなかった。80年代末にシベーリを再びメンバーに迎え入れた彼女たちは、活動を再開。1991年"Chico Em Cy"(MPBを代表するアーティスト、コンポーザーのひとり、シコ・ブアルキの作品集)、"Vinicius Em Cy"(ボサ・ノヴァの父、詩人ヴィニシウス・モライスの作品集)を発表後、1994年にはグループ結成30周年記念アルバムとして、アルバム"Tempo E Artista"、1996年にはブラジル音楽の総決算的スタンダード集とも言える"Brasil Em Cy"を発表し、その活動は益々活発化している。さらにこの頃、彼女たちと似たスタイルをもつコーラス・グループ、トリオ・エスペランサもフランスを中心に活躍を開始し、いよいよサンバ・カンソンの美しさは世界中に知られるようになっていった。

<その美しさの秘密>
 彼女たちの歌の魅力はいったいどこにあるのでしょうか?それはやはり彼女たちの原点、ボサ・ノヴァにありそうです。さりげなく繰り広げられる驚異的なコーラス・ワークは、かつてジョアン・ジルベルトが誰にもマネできないテクニックでギターを弾きながら歌ったボサ・ノヴァの名曲たちに通じるものがあります。ユニゾンで歌っているにも関わらずその美しさで世界中を魅了してきたサンバを生んだブラジル歌謡が、そこに驚異的なハーモニーを持ち込んだのです、美しくないわけがない。
 1996年発売の彼女たちのアルバム"Brasil Em Cy"のジャケットに12個の花模様が印刷されています。それをよく見ると、それぞれの花模様が微妙に違っていることに気づかされる。けっして左右対称ではなく、さりげなくずらして印刷された花のバランスが生み出す美学、それがクァルテート・エン・シーの美しさの秘密かもしれないと、僕は思うのですが・・・

<締めのお言葉>
禅の造形
一 不均整・・・不完全さではない、完璧さを越えるものである
二 脱俗  ・・・形のない自由
三 自然  ・・・本来のまま、無理のない姿
四 簡素  ・・・単純の美、高度に素朴であること
五 静寂  ・・・内に向かう心、限りない静けさ
六 枯高  ・・・古木のごとき威厳
七 幽玄  ・・・内に秘めた余韻、尽きることのない含蓄

鈴木大拙

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