20世紀ブラック・アメリカン・ムービーの集大成


「ザ・ファイブ・ブラッズ Da 5 Bloods」

- スパイク・リー Spike Lee -
<Mr.ブラック・アメリカン・ムービー>
 長年、映画界におけるブラック・アメリカン・カルチャーの象徴的存在として活躍してきたスパイク・リー
「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989年)、「マルコムX」(1992年)、「ゲット・オン・ザ・バス」(1995年)などの作品は、その代表的作品として今も高い評価を受けています。しかし、21世紀に入ると、彼の作品は娯楽的要素が増し、犯罪サスペンス映画の職人監督的な存在になりつつありました。もちろん本人はそうした作品に満足していたわけではなく、撮りたい作品を撮れないもどかしさに苦しんでいたようです。今回の映画も当初の企画段階で、どの映画会社にも製作を断られていたといいます。最後にその企画に乗ったのが、ネットフリックスだったわけです。(「アイリッシュマン」、「ROMA」なども同じような流れで映画化にこぎつけています)
 もちろん、スパイク・リーは、この作品を大画面で公開するべきスケールの大きな作品に仕上げていて、映画館での上映を望んでいるようです。それでも、もしネットフリックスの製作でなければ、新型コロナ・ウィルスの影響により、この映画の公開は大幅に遅れていたはずです。その後、新型コロナ・ウィルスと共に全米に広がった「Black Lives Matter」の運動に合わせるように公開できたことは、アメリカ社会にとっても、スパイク・リーにとっても実にタイムリーなことだったと思います。(もちろんフロイドさんの殺人事件自体は不幸なことではありますが・・・)あとは、この勢いに乗って2021年のアカデミー作品賞を受賞してほしいものです。ネット公開の映画にとっても、来年のアカデミー賞は今までになく有利になっているので、今回は行けそうな気がします。ただし、その頃には、新たなアメリカの大統領も決まっているはず・・・はてさてどうなっているのか?そっちの方が問題ですね。

<新たなテーマ>
 これまでも彼の作品は、白人の側からしか語られてこなかったアメリカの歴史を黒人たちの側から再解釈してきましたが、今回、彼が取り上げたのは「ベトナム戦争」です。今まで白人兵士の視点からしか描かれてこなかったベトナム戦争が、初めて黒人兵の視点から描かれます。ただし、最終的にはベトナム兵の視点から描かれなければ、ベトナム戦争についての歴史的評価にはまだ不十分と言わざるを得ないのかもしれません。この映画の中でスパイク・リーはあえてベトナム人に「アメリカ戦争」という言葉を使わせています。そこはさすがだと思います。ここは重要なポイントだと思います。
 このページでは、この映画の中に次々と登場する歴史的人物や事件の映像、写真をチェック、解読することで、より深く作品を理解できるようにしたいと思います。なにせ、今回の作品はいつも以上に情報量が多く奥が深いのですが、スパイク・リーはそれを実の見事に凝縮して映画に織り込んでいます。
 前半部は80年代から90年代にかけての政治的なスタイルで特に情報量が多くなっています。後半部は21世紀以降の犯罪サスペンスのスタイルとなっているのでエンターテイメントとして一気に見せるのはさすがです。その意味でも、この作品はスパイク・リーの集大成と言えると思います。
 先ずは一度「ザ・ファイブ・ブラッズ」をじっくりと見ていただいた後、このページを参考にもう一度見てもらえればと思います。間違いなく映画史に残る名作と言われることになるであろう本作は何度も見るに値する作品だと思います。
 先ずはオープニングの映像から始めます。ここで流れている曲は、マーヴィン・ゲイの歴史的名盤「What's Going On」のオープニング曲「Inner City Blues(Make Me Wanna Holler)」です。


<オープニングの映像について>
モハメド・アリの記者会見(1968年) 
 ボクシングの世界ヘビー級王者として世界を魅了したモハメド・アリがベトナム戦争を批判し徴兵を拒否した有名な演説です。
「俺たち黒人はベトナムで差別されているわけではないし、搾取されてもいない。それなのになぜわざわざ彼らを殺しに行かなければならないんだ?」
この主張により、彼は世界チャンピオンのベルトを奪われることになりました。当時はまだ黒人たちの多くはベトナム戦争に協力することこそ、アメリカで黒人が平等を勝ち取る方法だと考えられていました。しかし、彼と同じ主張をこの映画の最後にキング牧師が行うことになります。
ニール・アームストロング(1969年)
 アポロ11号が月面着陸に成功。最初の足跡を月面に刻んだニール・アームストロング船長は、この有名な言葉を残しました。
「これは小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」
 しかし、アポロ11号が世界の注目を集めている間にも、ベトナムでは多くの黒人兵たちが命を落としていました。そして、その戦争のために、巨額の軍事費が費やされ、そのお金はアメリカ国民の税金によって賄われていました。宇宙開発の偉業はこうした悲劇を裏側に達成されていたわけです。 
マルコムXの演説(1962年) 
 60年代後半になり、アメリカの黒人たちの間から人種差別の撤廃には武装闘争も辞さないという考えが浮上し、その中から「ブラック・パンサー党」が誕生。その精神的指導者としてマルコムXはカリスマ的人気を獲得して行くことになります。 
トミー・スミス、ジョン・カーロスによるブラック・パワー・パフォーマンス(1968年)  
 1968年のメキシコ・オリンピックの男子200m走の決勝でアメリカ代表の黒人選手トミー・スミス Tommie Smith、ジョン・カーロス John Carlosが金メダルと銅メダルを獲得しました。そして表彰式に於て、二人は黒い手袋を手にブラック・パワーをアピールし世界的な注目を集めました。しかし、禁止されている政治的主張を行ったことで二人はメダルを剥奪されてしまいます。それでもこの大会ではアメリカの黒人選手が大活躍し、ブラック・パワーの勢いは確実に世界中を驚かせることになりました。 
ウワメ・トゥーレ、アンジェラ・デイヴィスの演説(1968年、1969年) 
 ニューヨークのハーレムを中心にブラック・パンサーの活動が活発化。その中でも中心的存在だったのが、クワメ・トゥーレ Kwame Tureとアフロヘア―が見事なブラック・ビューティー、アンジェラ・デイヴィス Angela Davis です。
枯葉剤 Agent Orangeの散布(1961年~1971年) 
 米軍がベトコンの隠れ場所を無くすために用いたのが、森を丸裸にする強力な農薬(エージェント・オレンジ)でした。しかし、このエージェント・オレンジは森を枯らすだけでなくそれを浴びた人間たちにも大きな影響を与えていたことがその後明らかになります。遺伝子の異常により奇形の胎児が生まれたり、米軍の兵士に癌患者が急増するなど、その影響は世界から批判を浴びることになります。この映画の主役であるポールもまたその影響により癌になっていたことが明らかになります。 
ケント州立大乱射事件(1970年) 
 ベトナム戦争への反対運動が盛り上がりを見せる中、デモ隊への警察の攻撃は次第に暴力的になり、オハイオ州のケント州立大学で白人学生4人が死亡する悲劇が起きました。死亡したのは、William Schroeder(19歳)、Allison Krause(19歳)、Jeffrey Miller(20歳)、Sandra Lee Scheuer(20歳)。
ジャクソン州立大乱射事件(1970年) 
 アメリカ南部ミシシッピー州のジャクソン州立大学では、黒人学生2名が犠牲となりました。死亡したのは、Phillip La Fayette Gibbs(21歳)、James Earl Green(17歳)。 
T・Q・ドックとH・D・バンの焼身自殺(1963年)
 ベトナムへの米軍の侵攻に対し、北ベトナムの首都サイゴンの街中で行われた焼身自殺という究極のパフォーマンス映像です。自らの身体に火を点けて抵抗の意志を示すことができたのは、仏教の僧侶だから可能だったのか?世界中に衝撃を与えた映像と写真は、今のなお世界に影響を与えつづけています。20世紀末から活躍を続ける反体制派のロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアルバム・ジャケット(1992年のデビュー・アルバム)にも使用されているので見たことのある人も多いはず。
民主党大会暴動(1968年) 
 1968年にイリノイ州のシカゴで行われた民主党の党大会は、民主党を支持する左派が分裂したことで大混乱となりました。これにより民主党は分裂状態で大統領選挙に臨むことになり、地滑り的に共和党の勝利に結びつくことになります。そして、それはベトナムからの米軍撤退を大幅に遅らせることになり、さらなる犠牲者を生み出すことになりました。
 当初は左派の主張をもつロックバンドだったシカゴは、この時のことをメジャー・デビューアルバム「シカゴの軌跡」に収めています。曲名は、ずばり「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」です。シカゴはデビュー当時反体制派のロック・バンドだったんです!
ホー・チ・ミンの笑顔(1955年) 
リンドン・ジョンソン大統領(1968年)
 笑顔が優しいベトナム戦争最大の英雄ホー・チ・ミンは、「ホーおじさん」の愛称で呼ばれる一見人の好いオジサンです。しかし、彼はヨーロッパで高等教育を受けたインテリで、単なるロシア共産主義の傀儡ではありませんでした。したたかな戦略家でもある彼の作戦なしに、ベトコンの勝利はなかったはずです。アメリカ政府もまさかこんな普通のオジサンと彼が率いる軽装備の兵士や農民たちに世界最強の米軍が敗れるなど考えてもいなかったはずです。 
 ベトナムでの戦闘が長引き、引きに引けなくなったアメリカ軍は、ベトナムを焦土と化すための絨毯爆撃を主張し、ジョンソン大統領はゴー・サインを出します。その作戦を指揮したのは、かつて東京大空襲を指揮した悪名高いルメイ将軍でした。
「サイゴンでの処刑」(1968年)
 エドワード・アダムズ(AP通信)によるこの写真は、ニュース速報部門でピューリッツァー賞を受賞しています。(1969年)
 サイゴンの路上で撮影された有名な処刑シーン。射殺されたのは、ベトコンのNguyen Van Lem。「アキラ」の作者大友克洋によるイラストも有名です。 
 1968年、ベトナムの旧正月テトに始まった「テト攻勢」2日目に撮影されたこの写真はベトナム戦争を象徴するだけでなく、あらゆる戦争写真の中でも10本の指に入る歴史的一枚といえるでしょう。この写真と広島のきのこ雲の写真があれば、戦争の接写とロング・ショットがそろったといえるでしょう。
 この写真で引き金を引いている南ベトナムの警察長官だったグエン・ゴク・ロアン中佐は、その後アメリカに移住しましたが、この写真のおかげでアメリカでも多くの人から非難されることになったといいます。もし、この写真が撮られた時、カメラマンのエドワーズからフィルムを取り上げていれば・・・。しかし、この時のロアンはそのベトコン兵士が多くの市民に銃口を向けていたことに怒り、自らの成した正義に自信を持っていたのです。時の流れを経て、撃たれた側のベトコンの立場だけでなく、撃った側の立場になって、この瞬間を見直してみることで「戦争の真実」にもう一歩近づける気がします。
「ナパーム弾から逃げる少女」(1972年) 
 この写真もまたニュース速報部門でピューリッツァー賞を受賞しています。(1973年)
 戦争の悲惨さを収めた伝説的な一枚を撮影したのは地元ベトナムのカメラマン、ニック・ウットでした。
 彼の兄もカメラマンでしたが、取材中に命を落としており、彼はその兄の意志を次いで南ベトナム軍にカメラマンとして同行していました。
 1972年6月8日、彼は南ベトナム軍の戦闘機がナパーム弾を投下する写真を撮ろうとしていました。ところが、戦闘機は落とす場所を間違えたらしく、友軍と一般市民が住む場所に落としてしまいます。そのため、多くの村人が被害にあい着の身着のままで炎から逃れようと走ってきました。ウットもまた炎から逃れるために走り出し、燃え盛る炎を撮るために振り返りました。するとそこに火がついた服を脱ぎ捨てて裸のまま逃げる少女が現れたのでした。ファン・ティー・キム・クックという名の少女の背中はナパーム弾によって酷い火傷を負っていました。
 ウットは撮影後、すぐに彼女に駆け寄り水筒の水をかけてやるだけでなく、サイゴンの病院まで送りました。彼女はそうした対応のおかげで無事に火傷から回復し終戦を迎えることができました。
 その後、ベトナムが独立すると、ウットはアメリカに亡命し、カメラマンとして活躍します。キムは北ベトナム政府によってプロパガンダのためのスタートして扱われ、キューバに留学します。
 その後、彼女は自由を求めてカナダに亡命したため、二人はアメリカで感動の再開を果たすことになりました。
 炎と兵士たちに追われるように走る子供たち、そして裸の少女という組み合わせは、戦争という狂気が最も弱い存在に襲いかかる様を見事に映像化しています。この写真にとって後日談は不要かもしれません。  
ニクソン大統領辞任会見(1974年)
 ホワイトハウスで行われたリチャード・ニクソンの辞任会見の映像です。1972年に発覚した「ウォーターゲイト事件」により民主党本部をCIA職員が盗聴していたことが発覚。その責任をとり、現職の大統領が辞任に追い込まれることになりました。その結果、共和党は政権を失い、民主党の政権に移行。これがベトナム戦争の終結を速めることにもなります。そのおかげで、多くの人命が救われることになったとも言えます。
ボビー・シールの演説(1968年)
 カリフォルニア州オークランドで行われたボビー・シールの演説。ボビー・シール Bobby Seale は、ヒューイ・ニュートン、スト―クリー・カーマイケルと共にブラック・パンサーを創立した中心メンバーです。 
サイゴン陥落(1975年) 
ボート・ピープル(ベトナム難民) (1975年~1995年)
 反戦運動の高まりだけでなくウォーターゲート事件もあり、アメリカでは政権への批判が急速に高まり、ベトナムから米軍の撤退が急速に進みました。その結果、南ベトナム軍は一気に崩壊。1975年4月29日についに首都サイゴンが陥落。サイゴンの空港、港は脱出しようとする人々で大混乱となりました。
 この後も、北ベトナムによる急速な共産主義化により、インテリ層、富裕層の多くが北ベトナムからの脱出を目指します。中でも貧しい人々は船によりベトナムから脱出し、アメリカなどに移民を試みますが、多くの人々がその途中で命を落とすことになりました。こうした人々は、この後、「ボートピープル」と呼ばれることになります。 

<本編スタート!>
 いよいよここから本編が始まります。現代のベトナム、サイゴンを訪れたかつてのベトナム戦争の戦友たち「ブラッズ」は、再会を祝い、街のディスコに繰り出します。その店の名前は、「Apocalypse Now」(地獄の黙示録)です。この映画がベトナム戦争を描いた歴史的超大作「地獄の黙示録」のパロディになっていることがここで示されます。バックにかかっている曲はマーヴィン・ゲイのディスコ・ヒット「Got To Give It Up」。思えば、店を彼らが出るときに仕掛けられたいたずらの爆竹もまたラストに回収されることになります。
<「地獄の黙示録」のパロディとして>
 この後、彼らの船による上流への旅が始まると、いきなり「地獄の黙示録」のテーマ曲とも言えるワーグナーの「ワルキューレの騎行」が流れ始めます。
 「地獄の黙示録」では米軍から離脱しジャングルの奥地に自らの独立国を建設してしまったカーツ大佐を探すため、主人公たちはメコン川の上流目指して航海を続け、そこで様々な体験をして行くことになります。カーツ大佐が本拠とする寺院は、ラストにブラッズのメンバーが隠れることになる廃墟の寺院なのかもしれません。映画のラスト近くにオーティスが叫ぶ「狂気だ、狂気だ」の台詞は、カーツ大佐を演じたマーロン・ブランドの不気味な台詞「恐怖だ、恐怖だ」を思い出させます。

トランプ大統領の演説(2016年) 
 ここでトランプ大統領の演説とその背後ではしゃぐ黒人支持者の映像が登場します。フロリダ州サンフォードで行われた演説会の映像です。ここでトランプがかぶっている「Make America Great Again」のフレーズが書かれたキャップは、この後、重要なアイテムとして登場することになります。
 そこでトランプが「Fake Bone Spurs President」(フェイク大統領)と呼ばれています。ここでいう「Bone Spurs」とは、トランプが大学卒業後の徴兵を足の骨にある小さな棘(Bone Spurs)によって免れたとされることから来ています。そもそも彼はフェイクによって、徴兵逃れをしてきた嘘つきだということです。

 それにしても「小さな棘」なんて、なんともちっちゃい嘘ですね。

 ここから16mmフィルムの映像が挿入されるようになり、過去のベトナム戦争の記憶がよみがえり始めます。ここでスパイク・リーは、あえて16mmフィルムを用いて撮影を行うことで、当時の映像と違和感のない画面を作り上げています。おかげで、現在と過去の映像はわかりやすく違和感なく転換してゆくことになります。
 本物のベトナムを体験したブラッズ・メンバーは、ここでシルベスター・スタローンの世界的大ヒット「ランボー」シリーズは偽のベトナム戦争映画だと批判します。(ちょうど「ランボー」の新作が公開されるところでした)
 ここでベトナムで最初に勲章を授与された黒人兵士
ミルトン・L・オリーヴ Milton L.Olive Ⅲ(1965年10月22日享年18歳)が紹介されています。彼は手榴弾の爆発を自分が犠牲になることで小さくし、周りの兵士を守ったことが評価されました。この逸話もまた後で回収されることになります。
 ここで「ソウルの女王」アレサ・フランクリンがちらりと写真で登場し、名曲「Think」がちらりと・・・。オーティスとベトナム人の恋人、その娘の出会いが描かれます。戦争があるところ、必ずそこに悲劇の恋が生まれ、そこから誕生した子供たちがその後厳しい人生を歩むことになることも、スパイク・リーはしっかりと描いています。
クリスパス・アタックスとボストン茶会事件(1770年) 
 アメリカ合衆国において最初に国のために死んだ人物は、1770年3月5日ボストン茶会事件で最初に犠牲となった黒人のクリスパス・アタックス Crispus Attucksという人物である。これは驚きの情報ですが、アメリカの人たちは知っているのでしょうか?

 旅が始まり、その途中、ブラッズのメンバーは過去の記憶をよみがえらせます。中でも強烈な思い出の一つに北ベトナムからのラジオ放送「ボイス・オブ・ベトナム」によって知らされたキング牧師の暗殺事件があります。(1968年4月4日)
ボイス・オブ・ベトナム(ハノイ・ハンナ) 
 北ベトナムの国営放送が米軍向けに行っていたラジオ放送「ボイス・オブ・ベトナム」の人気DJ「ハノイ・ハンナ」が登場します。こうした放送は戦場で相手国の戦意を低下させるためにどの国も行っていました。ここでハノイ・ハンナを演じているのは、ベトナムの女優・歌手のベロニカ・グゥ(ゴー・タイ・バン)です。見たことがある?と思った方は「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」で爆撃機の乗務員として悲劇の死を遂げる女性パイロットの印象だと思います。
「アメリカにおける黒人の人口は11%。それに対しベトナムの戦場に派遣されている兵士のうちで黒人は32%に達しています。明らかにあなたたち黒人は差別されています。そして今日あなた方のために戦ってきたキング牧師が白人によって暗殺されました。それでもまだ、あなた方はアメリカのために戦うのですか?」

 この後、ブラッズのメンバーは船を降り、ジャングルへと分け入って行くことになりますが、その前に彼らは地雷撤去をボランティアで行う組織LAMBのメンバーと出会っています。そして、ジャングルを歩きながら彼らは、マーヴィン・ゲイのアルバム「What's Going On」から「What's Happning Brother」を合唱します。彼らはポールの息子デヴィッドの「運」のおかげで金塊を見つけますが、オーティスが金塊の換金を依頼していたフランス人実業家デローシュに裏切られていたことが明らかになります。彼が雇ったベトナム人たちとブラッズのメンバーとの討論の中でカリー中尉の名前が出てきます。ベトナムにおいて米軍が行った残虐行為の中でも最も有名なのがカリー中尉によるソンミ村虐殺事件です。このあたりからポールの精神状態は破綻に近づき始めます。
「村にいるのは老人と母親と子供と赤ん坊だった・・・やつらは村落にやって来ると、女性をレイプして赤ん坊を殺した。誰もかれも見境なく・・・おまけに民間人を殺害するだけでは飽き足らず、死体を切り刻んだ。さすがにそれを調理して食べるまではしなかった。頭がおかしくなると、あんなにひどい行動をとるのだろうか」
ウィリアム・カリー大尉率いる第一大隊の行為を上空から発見し、それを止めさせたヘリコプターの乗員ラリー・コルバーンの言葉

 彼は自分のせいで死んでしまったストーミン・ノーマンの亡霊を見始めます。銃を手にしたノーマンの亡霊が登場するシーンが実に美しく印象に残ります。(そのイケメンぶりは、サム・クック、マーヴィン・ゲイを思わせます)そしてポールは、自分が枯葉剤の影響で癌に冒され、余命が短いことをカメラ目線で告白します。

<テンプテーションズ=ブラッズ>
 ラスト近く、銃撃戦の後、デローシュに射殺されそうになったオーティスは、
「ブラッズは死なない。増えるだけだ」と言い、無事生き残ることになります。ここまで来て、あれ?と思った方は、かなりの黒人音楽マニアです。
 オーティス、それにポールとその息子デヴィッド、エディ、メルヴィン、この名前はモータウン・レーベルを代表するコーラス・グループとして1960年代から活躍し、今もなお活動を続けるザ・テンプテーションズの初期メンバーの名前からとられていることに間違いないでしょう。では「ノーマン」は?それはテンプテーションズの曲を作り、プロデュースも手掛けていたモータウンの重要な裏方の一人ノーマン・ホイットフィールドのことでしょう。21世紀に入ってもなお活動するテンプテーションズで、2020年時点で唯一現役メンバーなのがオーティス・ウィリアムスですから、オーティスが生き残るのも当然だったわけです。(他のメンバーはすでにこの世を去っています)スパイク・リーの黒人文化への「愛」が感じられるこだわりですが、そうした細部へのこだわりが、映画全体に感じられるところにこそ、この監督の映画も持つ魅力があるのです。そして、この作品はそうした彼のこだわりの集大成になっています。だからこそ、この作品は彼についに念願のアカデミー作品賞をもたらすのではないかと僕は思うのです。

マーティン・ルーサー・キング牧師の演説「ベトナムを越えて」(1967年4月6日) 
<キング牧師が暗殺される一年前に行われたニューヨークでの演説から>
米国の黒人の魂を救うこと、
そのためには、目標を黒人の権利だけのために狭めてはだめなのです。我々は確信しました。
奴隷の子孫が今も課せられている束縛から完全に解放されない限り、米国は自由たり得ないと
我々はハーレムの詩人ヒューズの次の言葉にある意味賛同します。
断言するが
私にとって米国は祖国ではなかった
だがここに宣誓する
いずれ必ずなると

 キング牧師は、黒人たちが本当に解放されるには、自分たちの問題だけではなくベトナムにおけるアメリカの間違った戦争も終わらせる必要があると宣言。この宣言により、彼は反戦運動の先鋒にも立つことになりました。そして、一年後、彼は何者かによって暗殺されることになります。

<この作品で使用されている曲>
 収録されている全9曲のうち6曲がこの映画に使用されているマーヴィン・ゲイのアルバム「What's Going On」は、この映画のために作られたオリジナル・サントラ・アルバムのような存在です。(歌詞の内容もまたこの映画の内容にぴたりとはまっています)
 そのアルバム誕生のきっかけは、マーヴィンの弟がベトナムから帰還し、その悲惨な現状を兄に教えたことでした。ベトナム戦争はアメリカにとって正義の戦争だと思っていたマーヴィンは、弟の証言により、同じ黒人の兵士たちが次々と死んでいることに衝撃を受けました。このままではいけないと思った彼は、すぐにその思いを音楽に込めて、名曲「What's Goin On」を作ります。当初、反戦をテーマにした政治的な歌詞から、ベリー・ゴーディーはシングル化に反対をしました。しかし、反対を押し切り、B面を「God Is Love」として、1971年1月に発売されると見事全米2位の大ヒットとなりました。すぐに他のアルバム収録曲も録音され、ソウル界初のトータル・コンセプト・アルバムとして、高い評価を受けました。

曲名  演奏  作曲  コメント 
「Inner City Blues
(Make Me Wanna Holler)」 
マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye
Marvin P. Gaye
James Nyx 
名盤「What's Going On」(1971年)のオープニング曲
この映画でもオープニング曲となっています。 
「Got To Give It Up」  マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye 
Marvin P. Gaye  アルバム「ライブ・アット・パラディウム」(1977年)収録
全米ナンバー1となったディスコ・ヒット
「Bring the Boys Home」  フリーダ・ペイン
Freda Payne 
Angelo Bond
General N. Johnson
Gregory S. Perry
ベトナム戦争に対する反戦のメッセージを込めた曲
1971年発表の女性ソウル・シンガーによるヒット曲
モータウンから独立したインビクタスからのヒット
「I'm Coming Home」  ザ・スピナーズ
Spinners 
Thomas Rand Bell
Linda Diane Creed 
70年代に一大ブームとなったフィラデルフィア・ソウル
スピナーズによる1974年全米18位のヒット
アルバム「マイティー・ラブ」収録
オリジナルはジョニー・マティス(1973年)
「ワルキューレの騎行」
楽劇「ワルキューレ」より 
  リヒャルト・ワーグナー 「地獄の黙示録」、「ブルース・ブラザース」、「81/2」、「何かいいことないか子猫ちゃん」「モンスターズ/地球外生命体」、「マーラー」、「リストマニア」、「手紙は憶えている」・・・
「Time Has Come Today」  チェンバース・ブラザース
The Chembers Brithers
Joseph L.Chambers
Willie Mack Chambers
チェンバース・ブラザースは米国のサイケデリック・ソウルグループ
1967年全米11位のヒット曲
同名アルバムからのシングルヒット
「(Don't Worry) If There's A Hell Below,
We're All Going To Go」 
カーティス・メイフィールド
Curtis Mayfield
Curtis Mayfield 1970年のアルバム「カーティス」からのシングルで全米29位
オープニングの叫びは
Sisters ! Niggers ! Whities ! Jews ! Crackers ! Don't Worry, If there's a Hell below, We're all gonna go !...
(Crackersとは、プア・ホワイトのこと)
「What's Happening Brother」  マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye 
Marvin P. Gaye
James Nyx 
名盤「What's Going On」(1971年)より
ブラッズのメンバーがおかれた状況を説明するかのような曲です。
「Wholy Holy」  マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye
Renaldo O. Benson
Alfred W. Cleveland
名盤「What's Going On」(1971年)より
ノーマンの遺体を発見したところでかかる曲です。
「God Is Love」  デルロイ・リンドー
Delroy Lindo 
Anna Gaye,James Nyx
Marvin P. Gaye
Elgie Stover 
名盤「What's Going On」(1971年)より
この曲は映画内でポールがその死を前に歌います。
「Flyin' High(In The Friendly Sky)」  マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye 
Anna Gaye
Marvin P. Gaye
Elgie Stover 
名盤「What's Going On」(1971年)より
「What's Going On」  マーヴィン・ゲイ
Marvine Gaye  
Renaldo O. Benson
Alfred W. Cleveland
Marvin P. Gaye
名盤「What's Going On」(1971年)より
この曲はブラッズが分裂しバラバラにジャングルを逃げるシーンでもかかり、ラストに再び登場。この映画の主題歌とも言えます。

「ザ・ファイブ・ブラッズ Da 5 Bloods」 (2020年)
(監)(製)(脚)スパイク・リー
(製)ジョン・キリク、ベアトリス・レヴィン、ロイド・レヴィン(製総)バリー・レヴィン、マイク・バンドリー、ジョナサン・フィレイ
(脚)ダニー・ビルソン、ポール・デ・メオ、ケヴィン・ウィルモット
(撮)ニュートン・トーマス・サイジェル(編)アダム・ガフ
(音)テレンス・ブランチャード
(この映画のオリジナル・スコアを担当しているのは、スパイク・リー作品のほとんどの音楽を担当してきた今やジャズ界の大御所となったテレンス・ブランチャードです。たぶんこの作品の音楽としては、マーヴィン・ゲイの曲が注目されることになると思いますが、この映画のための彼のオーケストラ・サウンドは、かつてのハリウッド大作映画の音楽のようなクラシックな雰囲気があり、逆に新鮮です。黒人の音楽=ジャズかR&Bというステレオタイプに反抗するかのような正統派の映画音楽はこの作品に重厚な雰囲気をもたらしています!)
(出)デルロイ・リンドー(ポール)、ノーム・ルイス(エディ)、クラーク・ピータース(オーティス)、イザイア・ウィットロック・Jr(メルヴィン)
チャドウィック・ボーズマン(ノーマン)、ジョナサン・メジャーズ(デヴィッド)
ポール・ウォルター・ハウザー(サイモン)、ジャン・レノ(デローシュ)、メラニー・ティアニー(ヘディ)、ヤスペル・ペーコネン(セッポ)
ヴェロニカ・グゥ(ハノイ・ハンナ)、ジャンカルロ・エスポジート、ジョニー・グェン(ヴィン) 

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