ダブリン市民とジョイスの人生カタログ

「ダブリン市民」

- ジェイムズ・ジョイス James Joyce -
<人生カタログ小説「ダブリン市民」>
 アイルランドを代表する偉大な作家によって書かれたアイルランド国民の人間カタログともいえる小説ですが、時代を越えて現代社会の普遍的な人間カタログのようにも見えてきます。それも単に様々なタイプの人々の人生を切り取って並べただけではありません。それは「生から死へ」と刻まれて行く人生の様々な断片を切り取って並べた異色の世代別人間カタログとして読むこともできるのです。それは徹底したリアリズムによって書かれていて、余計な脚色がないためにアイルランドとその時代を見事に切り取ることにも成功しています。この小説は「時代小説」として傑作であるだけでなく、「人間小説」としてもその価値は失われることがないはずです。
 ここでは、この小説を順番に超短縮版にして並べてみます。

「姉妹」
 年老いた司祭ジェイムズ・フリンの死を、彼に学んだ少女の視点で描いています。
 美少女との関係を疑われていたのか?アルツハイマーによりおかしくなっていたのか?司祭が疑惑の対象になっていることがポイントです。
 「死」と同時に「成長」の物語といえる作品からこの小説は始まります。

「邂逅かいこう」
 友人でもある不良少年マーニーとの旅を主人公の少年の視点で描いています。
 最後に二人の少年に語りかける怪しいDV男との対話は、現代の家庭にも通じる普遍的問題です。
 「大人への一歩」を描いた「冒険物語」です。

「アラビー」
 「姉妹」で亡くなった司祭の後に住んだ少年が主人公。
 伯父から小遣いをもらった少年は一人夜のバザー(アラビー)に向かい、片思いの少女へのプレゼントを探します。
 恋する少女のために小さな旅に出る少年の「恋の冒険物語」

「エヴリン」
 DV父親から逃げて暮らす独身女性エヴリンが主人公。
 彼女は父親と兄弟を残して恋人と結婚するため、アルゼンチンに旅立とうとしますが、・・・
 女性の自立への葛藤を描いた「人生の見直し物語」

「レースのあと」
 海外から来た若き実業家たちに憧れる青年が主人公。
 フランス人シャルル、カナダ人アンドレ、ハンガリー人ヴィロナ、イギリス人ドイル、四人の自動車会社に主人公は出資しようとしますが・・・
 「自動車」という20世紀の夢に賭ける「青春群像物語」

「二人のいろごと師」
 女性を騙して暮らす色事師コーリーが主人公。
 師弟関係にある二人の色事師の仕事ぶりを描く小説ですが、そんな人生に不安を感じる主人公でもありました・・・
 若さを失いつつある中で人生の選択に悩む「壮年物語」

「下宿屋」
 女手一つで下宿屋を営む女性が主人公。
 19歳の娘ポリーが下宿屋の住人の子供宿してしまい女将は激怒しますが・・・
 下宿屋女将の「ど根性人生物語」

「小さな雲」
 詩人としての成功を夢見る妻子ある男性が主人公。
 ロンドンの新聞社で働く友人と再会し、あきらめていた詩人としてのチャンスを期待するが・・・
 夢見る詩人の一夜の「夢物語」

「対応」
 会計事務所で働く地味な事務員が主人公。
 上役にいつも叱られ、そのストレスからアルコール中毒となった彼は仕事中にもビールを飲み、ついには上司に反抗してしまいます・・・
 アル中サラリーマンの実録「家庭崩壊物語」

「土くれ」
 結婚を申し込まれた独身女性が主人公。
 結婚を申し込まれた女性がケーキを買って、彼の実家に行き、そこで懐かしい歌を歌います・・・
 結婚を前に揺れ動く「女心の物語」

「痛ましい事件」
 銀行の出納係を務めてきた真面目な独身男性が主人公。
 夫のある女性とのプラトニックな不倫の後、その関係を絶ちますが・・・
 人妻を死に追い込んだ男の「悔恨の物語」

「委員会のパーネル記念日」
 市議会議員の候補者の委員会室に集まる人々が主人公。
 様々な人々が当時の政治の実情を語ります。
 政界の裏話物語

「母親」
 ピアニストの娘をマネージメントする母親が主人公。
 アイルランド語普及活動のための音楽界に娘を出演させるが出演料でもめることに・・・
 ステージママのトラブル事件簿

「恩寵」
 酔っぱらって階段から落ちた男が主人公。
 度重なる不祥事に夫人は夫の飲酒をやめさせようと一計を案じますが・・・
 酔いどれ男の「悔い改め物語」

「死せる人々」
 年末のパーティーに参加したゲイブリエルが主人公。
 パーティーの後、妻から「昔、自分には愛する人がいたことを告げられショックを受けますが・・・
 すべての死にゆく人々への「愛の物語」

 部屋の空気がぞくぞく肩にしみた。彼はふとんの下で用心深く体を伸ばして、妻のわきに横たわった。一人びとり、みな亡霊になっていく。年齢とともに、みじめにあせ衰えていくよりは、何か熱情のまばゆい陶酔にみちて、敢然と彼岸の世界へおもむくほうがましなのだ。彼は、横にねている妻が、そんなにも長い年月のあいだ、生きたいとは思わないと言ったときの恋人の眼の面影を、胸にしっかり秘めてきたいじらしさに、思いをいたすのであった。
 寛容の涙が、ゲイブリエルの眼にあふれた。これまでいかなる女性にもこのような気持ちになったことはなかった。だが、このような感情こそ愛というべきものに相違ない、ということを知ったのだ。


<ジェイムズ・ジョイス James Joyce>
<生い立ち>
 アイルランドを代表する作家ジェイムズ・ジョイス James Joyce は、1882年2月2日アイルランドの首都ダブリン市郊外に生まれています。父親のジョンはコーク州の旧地主でアイルランド国民党のために政治活動もした人物でした。その活動のおかげで、一時は収税吏の仕事を得ていましたが、国民党が選挙で敗北したため職を失ってしまいます。その後、アルコール中毒になり怠け者になってしまった父親のおかげで、10人の子供がいる家庭は常に火の車でした。(「ダブリン市民」には、この頃の貧しい生活が活かされています)
 両親は彼が聖職者になることを望んでいたようですが、本人は文学者になることを望み、16歳の時、ユニヴァーシティ・カレッジの予科に入学。そこで文学史を学び始めます。進歩的思想の持ち主だった彼は、保守的なアイルランドの文芸復興運動には批判的だったようで、そのための評論「わいわい騒ぎの時代」を自費出版しています。さらに彼が書いたイプセンの新作「われらの死者目ざめなば」についての批評文が「フォートナイトリー・レビュー」誌に採用され、18歳の時に天才と早くも評価されました。翌年には、ゲルハルト・ハウプトマンの戯曲「日の出前」を翻訳しています。
 1902年に大学を卒業した彼は、ダブリンを去り、パリ大学で医学を学び始めますが学費が不足して、それを断念。貧乏生活をパリで続けますが、そんな中、詩や芸術論をノートに書き続けました。
 1903年、母親が危篤になったため、ダブリンに戻った彼は、生きる目的を見失いしばらく酒浸りの生活を続けます。しかし、友人たちと新聞の発行を企画したり、社会主義の労働者集会に出席したりして新しい経験を重ねることで再び生きる目的を見出します。
 1904年、ダブリン近郊の小学校で教師として働きながら小説を執筆し、出版社に送り始めます。そして、この年、彼はノラ・バーナクルという女性と出会い恋に落ちます。この頃の作品「若き日の芸術家の肖像」は、出版社に出版を拒否されますが、「ダブリン市民」の中の一編「姉妹」など3作品が「アイリッシュ・ホウムステッド」誌に掲載され作家としての一歩を歩み出しています。

<ヨーロッパへ>
 1904年の秋、彼はノラと共にヨーロッパに向かい、スイス・チューリッヒのベルリッツ学院で語学教師として働くはずが、手違いにより職を得られず、仕方なくイタリア・トリエステで弟とノラと共に暮らすことになります。その街のベルリッツで職を得た彼は、働きながら小説を書き続け、3年がかりで書き上げようとしていた「ダブリン市民」をロンドンのグラント・リチャーズに持ち込みます。しかし、問題のある部分を訂正するよう求められたために、契約には至りませんでした。その間にも、彼は「死せる人々」を書き上げ、悶々としながらトマス・ハーディ、ラドヤード・キプリング、ヘンリー・ジェイムズ、アナトール・フランスらの作品を読む日々が続きます。
 1907年、小説ではなく詩集「室内楽 Chamber Music」が出版されます。この作品への評価はいまひとつで売り上げもぱっとしませんでしたが、アメリカの詩人エズラ・パウンドはこの詩集を気に入り、アイルランドが生んだノーベル文学賞受賞詩人イエイツに彼を紹介。その後も、パウンドは彼を様々な面でサポートしてくれるようになります。
 1909年、「ダブリン市民」の出版について、ダブリンの出版社ロバート・モーンセルと契約を交わします。しかし、本作中の「委員会のパーネル記念日」におけるイギリス国王エドワード7世についての文章を修正するように求められたことにジョイスは激怒。出版はまたもや実現しませんでした。
 1914年、彼が完成させた「若き日の芸術家の肖像」を読んで感動したエズラ・パウンドが前衛的文芸誌「エゴイスト」に推薦してくれたおかげで、その掲載が実現します。この作品により、やっと彼の小説家としての知名度が上がることになりました。
 1915年6月、ついに「ダブリン市民」が内容を変更されることなくロンドンの出版社ブランド・リチャーズから刊行されました。完成して売り込みを始めてから7年がかりの出版となりました。この時、ジョイスは32歳。
 1918年、すでに書き始めていた大作「ユリシーズ」の執筆を中断し、戯曲「流浪者 Exile」を書き上げて発表。そして同年3月、マーガレット・アンダーソンが編集するシカゴの文芸誌「リトル・レビュー」で「ユリシーズ」の連載が始まります。(これもまたエズラ・パウンドによる斡旋のおかげでした)
 残念ながらヨーロッパは第1次世界大戦の混乱に巻き込まれてしまい、執筆は中断を余儀なくされますが、1919年には発表を再開します。ところが、1920年10月、内容が風紀上有害だと告発されてしまい、裁判が行われた後、有罪の判決を受けます。「ユリシーズ」の完成は遠のきます。
 ここでまたもやエズラ・パウンドが動きます。生活にも困る中、彼が執筆を続けられるようにと、イギリス王室基金や作家協会援助金、個人からの寄付などを集めることで、パリに彼を呼び寄せます。
 1920年、パリに移り住んだ彼は本格的に「ユリシーズ」の完成に向けて執筆活動を続け、1922年2月2日ついに「ユリシーズ」は完成します。この時、ジョイスは40歳になっていました。

<問題作「ユリシーズ」>
 「ユリシーズ」は過激な内容が理解されず多くの出版社が出版に尻込みをする中、パリ在住のアメリカ人女性シルヴィア・ビーチにより、予約出版という形で出版されることになりました。予約のみの販売のため、ささやかな量の初版本となりましたが、サンプル本を店頭に並べると客が殺到し、店は大混乱になったといいます。ネットも、広告もなくても、「ユリシーズ」の話題はパリ中に広がっていたようです。ジョイスも手伝って、予約本は海外へも発送されましたが、ロンドンとニューヨークの税関はこの本を発禁本として没収してしまいました。それでもヨーロッパで、この本は大ヒットし、ジョイスは世界的な名声を獲得することになりました。
 「意識の流れ」をそのまま文章として写し取ろうというこの作品の試みは、多くの読者には難解なものでしたが、さらに実験的に手法を推し進めた次作「フィネガンズ・ウェイク Finegans Wake」が1939年英米両国で同時に発売されます。
 しかし、彼はその間に緑内障が悪化し、ほとんど失明に近い状態になっており、追い打ちをかけるように長女ルーシアは精神病院に入り、そして第2次世界大戦が始ってしまいます。こうした苦難の日々のせいか、書くべき作品を完成させてしまったからか、それともパリの街を戦争で追われたせいか彼は急に執筆活動を止めてしまいます。しばらくはフランス南部のヴィシ―で暮らすものの、1940年の末にはスイスのチューリッヒに向かいます。そこで十二指腸潰瘍にかかった彼は入院して手術を受けますが、容体が悪化してしまい1941年1月13日静かにこの世を去りました。

<20世紀を代表する作家>
 ジョイスといえば「難解な小説」の作家というイメージです。実は僕は「ユリシーズ」は読んでいません。もとになっているギリシャ神話、原語の英語、様々な比喩、パロディなどの知識なしにどこまで理解できるのか?正直まったく自信がないので・・・
 そこでここではリアリズム小説としてのデビュー作「ダブリン市民」を取り上げました。様々な世代、様々な階層のアイルランド人を描いたこの小説には、ジョイスの体験が様々な形で反映されているので、彼の人生や生きていた時代、社会がよく理解できるはずです。ちなみに「ユリシーズ」に描かれたアイルランドの姿に本国の人々は怒り、長らくこの本はアイルランド人に批判され続けることになります。
 偏屈で自作をいじられることを絶対に許さなかったジョイス。当然、60年弱の生涯で発表された作品はごくわずかしかありませんでした。しかし、彼の作品がその後の作家に与えた影響は大きく20世紀を代表する作家と呼ばれるのは当然なのかもしれません。
 改めて振り返ると、彼が生み出した「死せる人々」へのオマージュは、旧大陸ヨーロッパの栄光へのオマージュだったのかもしれません。彼の後、文学の中心は新大陸アメリカへと移って行くことになります。スコット・フィッツジェラルドヘミングウェイへと続く文学の流れは、J・D・サリンジャーへと受け継がれ、彼が永遠の青春文学を生み出すことになりますが、それは新大陸アメリカへのオマージュとなり、アメリカの時代もまた終わることになります。21世紀はいかなる作家が時代をリードすることになるのでしょうか?

「ダブリン市民 Dabliners」 1914年出版(完成は1907年)
(著)ジェイムズ・ジョイス James Joyce
(訳)安藤一郎
新潮文庫

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