- 大工哲弘 Tetsuhiro Daiku -

<ハート・ランドでの出会い>
 僕が最初に沖縄に行ったのは、スキューバ・ダイビングのライセンスをとったばかりの1980年代中頃でした。最初に泊まった宿のオジサンと泡盛で盛り上がり、いきなりみんなでカチャーシーを踊ったことは忘れられません。その後、沖縄には西表島に行ったのも含め5回ほど行きました。北海道以外の土地にもし住むなら、僕は迷わず沖縄を選ぶでしょう。海と音楽が大好きな僕にとって、そこは夢の土地です。
 2004年、久しぶりに沖縄に行き、海中でジンベエザメを見た帰り、那覇のマルフク・レコードに寄って、琉球ポップのアルバムを買ってきました。その中の一枚、大工哲弘の「蓬莱行」を聴いて、久々に感動!これを紹介しなければこのサイトをやっている意味がない!と思ったわけです。
 CD二枚組というボリュームのある大作でしたが、一曲目の「ハート・ランド」を聴いただけで、もう僕は虜になってしまいました。

<アルバム「蓬莱行」>
 アルバム・タイトルの「蓬莱行」とは、「天国の土地への旅」、「パラダイス行き」、「ユートピアへの道」といった感じでしょうか。そして、そこに収められた音楽もまたタイトルどおり、「見果てぬ夢へのひとときの音の旅」を体験させてくれます。おまけにそこで取り上げられている音楽の幅と奥行きがなんと深いことか!「安里屋ユンタ」のような定番琉球民謡、ディック・リーも歌ったハワイ製のおかしな歌「ジャパニーズ・ルンバ」、沖縄が生んだ大ヒット歌謡曲「十九の春」、パンタの名盤「マラッカ」からレゲエ・ナンバー「つれなのふりや」、反米アジテーション・ソングのひとつ「一粒たりとも渡すまい」、ラストにはブラジルを代表するMPBの大物ミルトン・ナシメントの「トラベシア Travessia」などなど・・・。
 それにしても、大工哲弘とはいかなる人物なのか、気になってしかたがありませんでした。

<大工哲弘>
 大工哲弘は、1947年石垣島の石垣市新川に生まれました。もちろん、石垣島と言えば沖縄県の西、日本の端に近いところに位置しています。その島に住む人々の多くは自分たちの住む土地を沖縄とは言わず、八重山と呼んでいるそうです。台湾がすぐそばにあるこの八重山諸島では出稼ぎと言えば沖縄本島ではなく台湾に行くというのが当たり前の時代も過去にあり、音楽の世界においても八重山民謡は琉球民謡とは異なる道を歩んできたと言われる異なる文化圏でもあります。
 そんな島で彼は農家の長男として育ち、仕事をしながらユンタ(共同作業のための歌)を歌う毎日を過ごしました。当時はユンタを歌いながら農作業をするのは当たり前のことでしたが、今ではもうその習慣は失われているようです。しかし、彼にとっては、この時家族と歌ったユンタは音楽家としての原点であると同時に八重山人としての原風景でもあるようです。
 こうして、「歌」というものと出会った彼は、しだいに歌手になることを目指すようになります。そして、地元の八重山農林高校を卒業した彼は父親の反対を押し切って那覇へと旅立ち、八重山民謡の第一人者、山里勇吉に弟子入りし民謡歌手としての第一歩を踏み出しました。

<民謡界の第一人者>
 1970年、八重山音楽安室流保存会教師免許取得
 1977年、「琉球新報」主催の古典芸能コンクール笛の部で最高賞受賞
 1980年、上記コンクール三味線の部で再び最高賞受賞
 その他琉球民謡協会師範など数々の資格を取得。彼は八重山民謡界の最高峰へと登りつめて行きました。
 沖縄は民謡が盛んな土地柄ですが、民謡歌手として食べて行くことは困難だったため、彼はその間数多くの職業につきながら生活費を稼いでいました。そうして、彼は最後に那覇市役所職員という職場に落ち着き、安定した収入を確保し、週末や有給休暇を利用しながら音楽活動を継続して行きます。(いやあ、優れたアーティストを育てるということなら、税金が有効に使われていると考えられそうですが、・・・それを無駄に使っている人もいるという場合も多いわけで・・・公務員は恵まれていますなあ。まてよ、それならいっそのこと、役所でアーティストや職人さんなどを積極的に採用すれば、地域文化の保存や発展につながるだけでなく、無駄な残業や休日出勤も減って一石二鳥かもしれない!)

<沖縄から世界へ>
 八重山民謡を極めた彼にとって、その音楽は例えどんなに限られた範囲(小さな島)のものではあっても、海の向こうに広がる島々や大和の国、そして海外の国々のそれと対等に対話をすることができる共通言語となりました。実際、彼は1990年代に入ると世界各地への旅を敢行。アジアだけでなくヨーロッパや中南米、そしてアフリカへと足をのばし、各地で歌を歌い、その土地のミュージシャンたちとの交流をすることで、自らの音楽に対する自信を深めて行きました。
 だからこそ、「蓬莱行」のようなワールド・ワイドなアルバムが生まれ、なおかつ「癒し」と「毒」を合わせ持つ奥の深い歌を歌うことができるようになったのだと思います。
 一度聴くと、そのレイドバック感(脱力感?)にすっかり癒されてしまうのですが、歌詞と解説を見てみると、その裏にはニヤリとさせられるような毒気もしっかりと隠されています。

「心に咲いた花を、とまどいながら
 明日へと続く道を、探しているのか
 ひとりでゆけない、ひとりでゆけない
 幸せという名の遠い国

 ゆきたいよ、ゆきたいよ、心休む場所に
 ゆきたいよ、ゆきたいよ、きっとあるはずさ
 ・・・・」

大工哲弘のアルバム「蓬莱行」の一曲目「ハートランド」より
(注)この曲の作者は、京都在住のシンガー・ソングライター、オクノ修さんです。彼はカフェ「六曜社」の店主でもあるとのことです。いい歌をありがとうございます。

<永遠なるユートピアへの旅>
 琉球地方は、現在の在日アメリカ軍問題だけでなく、かつては大和の国(薩摩藩)と台湾両方によって支配された時期があるなど、近代になってからは常に支配される国として苦しい立場にありました。そのため、中米やハワイへの移民や台湾、大阪などへの出稼ぎなど、島から旅立つ若者たちが後をたちませんでした。そんな彼らにとって「蓬莱行」とは、現実の厳しい状況からの逃避であると同時にユートピアへの旅でもある複雑なものなのかもしれません。
 しかし、そうした感覚は閉塞感に包まれた現代大和人にも深く共感できるものになりつつあるのかもしれません。だからこそ、多くの人々が沖縄へと旅に出かけ、さらには移住を目指しているのでしょう。もちろん、沖縄には他の土地とは比べものにならない大きな問題(米軍基地問題)があり、経済的にも問題が山積みではあります。けっしてユートピアではありません。でも、そこにチュら海があり、琉球人気質にあふれた人々が住んでいるかぎり、やっぱりそこは僕らにとっての「ハートランド」であり続けることでしょう。ああ、また沖縄に行きたいなあ!

<締めのお言葉>
「漂海民、ウミアメンボ、独りぼっちのヨット乗り、神秘主義者、・・・みな多かれ少なかれ世俗に耐えきれず、世間を知ろうともしない。流浪の民に共通しているもうひとつの特質は、地理にはうといのに、どこにいても自分の位置だけは正確に把握していることだ」

ジェームズ・ハミルトン・パターソン著「7/10」より

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