繰り返される悲劇の年の記憶


「危険な年 A Year of Living Dangerously」

- ピーター・ウェアー Peter Weir -
<歴史と映画の関係>
 歴史を扱った映画の面白さは、そこで描かれている歴史についての知識があるかどうかで違ってくるものです。もちろん、本当に素晴らしい映画は、そうした事前情報が無くても観客には十分に伝わるものですが。それでも、そこで描かれている事件発生の経緯やその後の展開について知っていたり、その現場となった国や土地を訪れたことがあると見方は違ってくるはずです。
 「危険な年」は日本初公開の1984年に見ましたが、その年、僕はインドネシアのバリ島旅行をするため、インドネシア語まで勉強していました。それも知り合いの紹介でインドネシア語の元教授の家まで行っていました。ちょうどその頃、僕はスネークマンショーの影響もあり、「マジック・マッシュルーム」と「ケチャック・ダンス」を現地で堪能するつもりでした。しかし、この映画で描かれた「危険な年」1965年にインドネシアで何があったのか?については、ほとんど何の知識もありませんでした。

<第三者の視点>
 「危険な年」の主人公は、インドネシアに来たばかりのオーストラリア人記者です。隣国とは言え、言語も文化も違う部外者で、インドネシア社会の現状もほとんど知らずに取材を始めます。その第三者的な視点は、この映画の監督ピーター・ウェア―の視点そのものでもあります。デビューして以降、彼はこうした第三者的視点から世界を各地を見つめ、映画を撮ることを続けています。多くのハリウッド映画の監督たちが、アメリカ人キリスト教徒としての確固たる視点で映画を撮るのと対照的です。
 そのうえ、この作品では主人公たちがクーデターの直前にインドネシアを離れてしまうので、それから起こる悲劇については描かれていません。もし、その後起きる惨劇についての知識があれば、ラストの緊張感はもっと高いものに感じられたかもしれません。そのことに気づいたのは、映画を見て30年後、2012年にドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を見たせいでした。「アクト・オブ・キリング」は、1965年のクーデターの後に起きた左派の大虐殺を実際に犯行に関わった人物による再現を行うという怖ろしい作品。それを見て、当時、100万人以上もの人が虐殺されたことを知り、衝撃を受けた方は多いでしょう。
 映画は、時代と共にその価値や見方は変化するのは当然です。特に歴史的な事件を扱った作品は、新たな証言や記録が明らかになることで、まったく異なる味方になる場合もあります。しかし、偏りのない視点から作られた映画なら、たとえ時代が立ち、新たな証言により、当時の印象が覆ったとしても、その価値を失うことはないはずです。
 この映画の監督、ピーター・ウェア―はその点、常に部外者としての視点であることに謙虚にこだわりました。
 映画には、様々な視点が存在します。その中でも、よそ者として、謙虚に他者を見るピーター・ウェア―監督の視点は、アジアにおいてよそ者的存在の日本人の我々にとっても、感情移入しやすいものだと思います。

「危険な年 A Year of Living Dangerously」 1982年
(監)(脚)ピーター・ウェア―
(製)ジェームズ・マッケルロイ
(原)(脚)クリストファー・J・コッチ
(脚)デヴィッド・ウィリアムソン
(撮)ラッセル・ボイド
(編)ビル・アンダーソン
(美)ハーバート・ピンター
(音)モーリス・ジャール
(出)メル・ギブソン、シガニ―・ウィーバー、リンダ・ハント(アカデミー助演女優賞)、マイケル・マーフィー、ノエル・フェリヤー、ビル・カー
<あらすじ>
1965年春、インドネシアの首都ジャカルタに到着したオーストラリアの記者、ガイ・ハミルトン。
長く続く経済不況と反政府運動の盛り上がりにより、インドネシアでは、共産党PKIが急成長。
スカルノ政権への批判の高まりが、共産党を中心とする政府転覆の動きとなりつつありました。
民族主義の名のもとに支持を得ていたスカルノに対し、左派だけでなく右派、軍部も反発し始め、情勢は複雑さを増しつつありました。
そんな中、ガイは謎のカメラマン、クワンと知り合い、彼の案内でジャカルタの奥深くにまで取材を行います。
彼はそれまで知らなかったインドネシアの民衆の暮しや文化を知り、政治や経済に対する西欧の影響力の大きさと記者の無力さを思い知ります。
英国大使館のジルとも知り合った彼は、彼女と恋に落ちますが、彼女はこれから起きる危機からの脱出準備をしていました。

<映画のその後>
 映画のクライマックス、インドネシアで起きたクーデターは、共産党PKIとそのシンパの軍の一部によるものでした。ところが、そのクーデターを待っていた軍内部の右派勢力は、すぐにそのクーデターを鎮圧しただけでなく、そのままスカルノ政権を追い落とし、スハルト将軍を中心とする軍事独裁政権を樹立します。
 そして、その機会を使い、共産勢力を殲滅するため、軍だけでなく右派の市民や私兵をも使い、左派勢力に対する大虐殺を実行します。共産党員だけでなく、その家族や怪しいと思われる者を中心に多くの一般市民が虐殺され、その数は100万から200万人とも言われ、その数すら未だにはっきりしません。
 映画のラスト、ほとんどすべての外国人記者たちが、海外へと逃れた後、その事実「9.30虐殺事件」を取材したり記録したりする人は誰もいなかったのです。
 インドネシアで1965年に起きたこの事件は、他の国でも起きています。ルワンダ、シリア、サラエボなどで起きた大虐殺も同じように起きた事件です。そして、つい最近2021年にもアフガニスタンでアメリカ軍が撤退し、タリバンに制圧された時点で同じような状況が生まれました。この後、どうなるのか心配です。
 インドネシアにとっての「危険な年」から50年以上の時が過ぎてもなお、世界がまったく進歩していないとは、悲しすぎる現実です。

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