大正フェミニズム前史

1911年~1933年

「断髪のモダンガール 42人の大正快女伝」
森まゆみ

<断髪のモダンガール>
 ファッションが時代を映し出す鏡になったのはファッション文化が大衆レベルにまで広がった20世紀以降のことかもしれません。ヨーロッパはもう少し早く、日本でも江戸時代に早くも大衆文化の華が咲き出していたと言えます。とはいえ、日本全体を巻き込んだ変化と言えば、明治維新における「チョンマゲ」から「散切り頭」への変化でしょう。それは「武士」の時代の終焉を示す革命的な変化をビジュアル的に表現する変化でした。
 ただし、その変化は男性だけの変化であり、女性にとっては、江戸から明治への変化は見た目にはほとんど変化はありませんでした。そして、そのことは女性の地位についても同じことでした。女性には選挙権はなく、家庭内での地位も変わっていなかったのですから。
 その意味で、女性にとって大きな変化のきっかけとなったのが、1911年(明治44年)「青鞜」の発刊だったと言われています。さらに、その変化をビジュアル的に示したのが、女性にとって「断髪」の流行でした。
 昭和に入って、「モボ・モガ」という言葉が使われだすと、「モダンガール」を「毛断嬢」の字が当てられたそうです。それだけ「断髪の女性」は時代の変化を象徴する存在だったのでしょう。女ではないと言われる存在に自らなるからこそ「モダンガール」は「モダン」であり革命的だったのです。

 森まゆみさんの著書「断髪のモダンガール」にはそんな時代の先鋭となった女性たちの小史が書かれています。それぞれの女性の写真もあり、「今見ても美人だ!」とか「これはモガとは言い難いなあ?」など様々です。2019年宮藤官九郎の傑作大河ドラマ「いだてん」でスポーツ界におけるフェミニズム史が描かれていましたが、それよりもさらに時代を遡ると、女性たちはスポーツどころか髪を短くすることすら許されませんでした。それでもなお、彼女たちは時代や社会や男たちに反発し、自ら髪を切り、女性としての生き方を捨て、アーティストとして、社会活動家として、教育者として、生きたのです。
 彼女たちは、資産家の娘だったり、貧しい農家の娘だったり、アーティストの妻だったりと様々ですが、それぞれが何かの才能を武器に新しい時代を切り拓くことになりました。もちろん、誰もが成功したわけではなく、愛する男と心中した者、関東大震災の混乱の中惨殺された者、100歳近くまで長生きをした者などこれまた様々です。それぞれ伝記映画が一本撮れそうな濃い人生ばかりですが、その多くは記録が少ないようです。向田邦子さんが生きていたら、是非、彼女たちの人生をドラマにしてほしかった!

 姦通した妻は夫の制裁によって髪を切らされた。ナチスドイツは収容所で女たちの髪を丸坊主にしたこと、第二次世界大戦のパリで、ドイツ兵士と交流したフランス女性が髪を切られ見せしめにされたことなど、連想は限りなく広がるが、要するに断髪は「女を断つ」ことに等しかったのである。

 この本には大正時代のフェミニズムに関する年表が記されています。以下にそれをもとに、数名の女性についてご紹介させていただきます。

1911年 
この年のその他の出来事など
<1月>
 「大逆事件」共産主義者への弾圧が本格化し12名が死刑になる
<3月>
 カフェ・プランタンが京橋にオープン
<9月>
 「青鞜」創刊(平塚らいてう
 イプセン作「人形の家」上演開始(主演の松井須磨子が女性解放運動の象徴的存在となる)
1912年(大正元年)
この年のその他の出来事など
<7月>
 北原白秋が姦通罪で告発される
<11月>
 「女優まげ」が流行 
1913年 
この年のその他の出来事など
憲政擁護運動がブームとなり、「大正デモクラシー」始まる
島村抱月、松井須磨子により芸術座創設
女性解放運動の盛り上がりを抑えるため、「青鞜」、「女学世界」を政府が発禁処分とする
<1月>
 平塚らいてうが「私は新しい女である」を「中央公論」に発表
<5月>
  西川文子らによる婦人誌「新真婦人」創刊(木村駒子、宮崎光子
<西川文子>
 文子は婦人が自立すること、職業を持つこと、愛による結婚をすること、家庭での夫と妻は対等であるべきこと、性別分業の廃止などを訴えた。それらは二十一世紀のいま、理念としては常識的だが、まだまだ現実になっているとはいえない。
 前衛である華やかな「青鞜」の後ろに、生活上の悩みを抱え、子どもと家庭を抱え、はばたき切れなかったたくさんの女たちがいたことを「新真婦人」は教えてくれる。
<8月>
 東北帝大が女子入学を認める
 北海道、東北で大凶作
1914年 
この年のその他の出来事など
<3月>
 芸術座がトルストイの「復活」を上演
 挿入歌の「カチューシャの唄」が大ヒット
 東京大正博覧会開催(~7月)
<4月>
第二次大隈重信内閣成立
<未婚の母>
 平塚らいてうが5歳年下の学生、奥村博と同棲し長女を出産。未婚の母となる。
 当時、平塚には同性愛の恋人、尾竹紅吉がいました。この関係を奥村はこう表現
「二羽の水鳥がなかよく遊んでいることろに、一羽の若い燕が飛んできたために騒ぎがおこり・・・」
 ここから「若い燕」という言葉が生まれました。
1915年 
この年のその他の出来事など
  カフェーの女給の白エプロン姿が始まる
 松井須磨子「ゴンドラの唄」が大ヒット
<1月>
 大正天皇即位の御大典
1916年 
この年のその他の出来事など
<1月>
 吉野作造が論文「憲政の本義を説いて其の有終の美を消すの途を論ず」を発表
 「大正デモクラシー」が流行語となり、民主化が本格化し、労働運動が広がる
 「婦人公論」創刊
 「青鞜」休刊
<10月>
 寺内正毅内閣成立
 夏目漱石没
 中平文子が「中央新聞」の記者となり「お目見得日記」を執筆
<中平文子>
 「恋多き女」として多くの男性を渡り歩いた女性として有名な女性。
 望月百合子とヨーロッパに旅をして、各地で越後獅子やかっぽれの踊子として稼ぐなどしたのも有名
 この時代、ヨーロッパを旅するには現在のお金で1000万円以上が必要だったはず。それを二人の女性が実行。
 その行動力、経済力、度胸に驚かされます。
 この時一緒に旅をした女性、望月百合子は後に共産党宮本顕治委員長の妻となるの宮本百合子です!
「恋がと切れると私は居たたまらなく淋しくて、平凡で、とてもやり切れなかった」
中平文子
「…文子さんなんて恋愛もなしに、お金のあるところを渡り歩くだけの人ですよ。ぜいたくしたいというだけで。
だけど悪い人ってわけじゃない。悩みも何もないんです。私にも平気でこの人とどこそこにいるのよ。なんて喋るから、あきれました」

望月百合子
「女の自然性は決して子供を多く生むことを、本来とも幸福とも義務とも思っちゃいない。
・・・が、一旦それが生まれてしまうと、どんな暢気な母だって死に物狂ひの愛着を感じる」

武林文子「婦人公論」(昭和6年)
<11月>
 神近市子が葉山日陰茶屋で大杉栄を刺す
1917年 
この年のその他の出来事など
日本初の育児用ミルク「キノミール」(和光堂)発売
松井須磨子「さすらいの唄」大ヒット
常盤座で歌舞伎協会が喜劇「女軍出征」を上演、大衆オペレッタのブームとなり、関東大震災まで続く

<2月>
 中産階級の主婦向け雑誌「主婦の友」創刊(実用中心で娯楽情報、教養記事など主婦に大きな影響を与えました)
<3月>
 芳川顕正伯爵四女の若夫人、鎌子が運転手と情死未遂。
「ああ春浅き宵なりき、恋に悩めるあでびとの真白き指に輝けるダイヤの光うれいあり・・・」「千葉心中の歌」
(身分よりも資産よりも愛を選んだ死は大きな話題となり大正デモクラシーの象徴となりました)
<8月>
 シベリア出兵開始
<9月>
  女性への運転免許交付開始
 浅草に芸能の中心となる施設「浅草オペラ」誕生。ここから大ヒット曲「コロッケの唄」誕生
1918年 
この年のその他の出来事など

<米騒動>
 米価の上昇を予想した米問屋が米を買い占めたことで、一升12銭だった米が50銭にまで上昇
 富山県魚津の漁師の妻たちが米屋を襲い、その影響が全国に広がりました。
 米騒動により退陣した寺内内閣に代わって原敬内閣誕生。爵位を持たない人物だったことから「平民宰相」と呼ばれ人気となった。

<2月>
 平塚らいてう、与謝野晶子と母性保護論争
 武者小路実篤たが「新しき村」創設を提唱
<与謝野晶子>
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ」

与謝野晶子「みだれ髪」より(1901年当時23歳)

山の動く日来る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜすともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(をなご)今ぞ目覚めて動くなる。

「青鞜」より
1919年 
この年のその他の出来事など
株式、商品相場、土地投機が過熱
<サボタージュ>
 労働者による「サボタージュ」(職場放棄)が多発し、「サボる」が流行語となる。
 「サボタージュ」とは、労働者が作業をわざと遅らせることで、フランス語で「木靴」のこと。
 労働者が資本家への抵抗の意志を伝えるため、木靴で機械を叩いたことから生まれた言葉。
<セーラー服>
 山脇高等女学院が制服としてセーラー服を採用

<1月>
 松井須磨子が、スペイン風邪でこの世を去った島村抱月のあとを追い自殺
<4月>
 「改造」創刊
 愛知織物で織布女工がストライキを行う
 望月百合子が読売新聞に入社
 望月百合子とささきふさが「断髪」を実行し、意識的な「断髪ガール」第一号となる。
 「モダンボーイ、モダンガール」という新居格のこの語が使われたのが、1927年(昭和2年)なので、その8年も前に第一号が誕生していたわけです。
<望月百合子>
「戦後、強くなったのは女性と靴下、というけれど、あのころの絹の靴下は確かにすぐ破けたの。
その格好で銀座を歩くと、おしゃれどころじゃない。まるで見世物小屋の猿みたいなもので人は笑うし、ゾロゾロついてくるし、ひどい目にあいました。
あるときは電車の中で『まだ若いのに、ご主人を亡くされて』と同情されたことがある。昔は夫に死なれると髪を切ったものなのね」

望月百合子
 この後、彼女は日本共産党の指導者となる宮本顕治と出会い結婚。日本における左翼運動の中心となります。
「アナキズムがこわい思想じゃなくて、いちばんやさしい思想なの。差別や搾取のない自由な社会、みな助けあって生きていく。
 私の生きているうちにそんな世の中は来ないかもしれないけど、そういう夢をもつ人間が少しでも増えればと思っているの」

望月百合子
<ささきふさ>
「或る日銀座街頭で、『あれが大橋房子だ』と人に指示されて、始めて房子さんを見たのであるが、
フランス風のシックな洋装がしっくりと身に着いている美しいハイカラさに目をみはった」


「房子さんはまた断髪の先駆者の一人でもあった。今でこそ日本婦人は一般に髪を短くしてパーマをかけているが、その頃はまだ緑の黒髪の長さを誇っていた頃なので、断髪婦人の出現は一個の革命的驚異をわれわれに与えたものであった」
広津和郎「ささきふさ作品集」解説より
<6月>
 ベルサイユ条約調印
1920年 
この年のその他の出来事など

新聞各社が文語体を口語体に改める
<2月>
 東京市街自動車会社が日本初のバスガールを採用。
 東京帝大が女子聴講生の入学を初めて許可
<3月>
 全国タイピスト組合結成
 「新婦人協会」結成(平塚らいてう、市川房江)
<5月>
 東京上野公園で日本初のメーデ―開催
 大杉栄、堺利彦らにより、社会主義同盟設立(1万人が参加するが、1935年から1945年までは禁止だった。
<10月>
 加賀豊彦「死線を越えて」刊行 
1921年(大正10年)
この年のその他の出来事など
 堺真柄らによる最初の女性社会主義団体「赤瀾会」結成
 羽仁もと子が自由学園創立
 西村伊作が文化学院を創立
 柳原白蓮が炭鉱王の夫を捨て年下の東京帝大出身の社会活動家、宮崎龍介のもとへ。
 ささきふさ小説集「断髪」刊行
 原敬の暗殺により高橋是清内閣成立
  髪をウェーブさせ耳を隠すヘアースタイルがブームになる
 粟島すみ子が映画「虞美人草」で日本初のスター女優となる
1922年 
この年のその他の出来事など
女性の間で男装風「断髪」(ベリー・ショート)がブームとなる
男性はポマードでのオールバックが流行
<1月>
 資生堂が「美容」「美髪」「洋装」の三科を設置
<3月>
 上野の平和記念博でマネキンガール登場(ショーウインドーで動かずにポーズをとるモデル)
 全国水平社創立大会開催
<4月>
 日本農民組合結成
<7月>
 日本共産党結成
<10月>
 日本軍がシベリアからの撤兵完了
<12月>
 ソビエト社会主義共和国成立
1923年 
この年のその他の出来事など
<3月>
 山野千枝子が丸ビル内に日本初の美容院「丸の内美容院」開業
 (アメリカから最新の洗髪台、アイロンによるウェーブなどを持ち込み、「カリスマ美容師」の先駆となった)
 文化裁縫女学校(後の文化服装学院)設立
<6月>
 有島武郎、波多野秋子と軽井沢で心中
<波多野秋子>
 波多野秋子は婦人公論の記者・編集者でした。
 有島武郎が人気者だっただけに、心中することで命を奪ったとして彼女は悪女・妖婦・毒婦扱いを受けることになりました。
 「少なくともあのお二人は、最高の悦びと慈しみの頂点で、心を一つにして、心を合わせてあのような終わり方をなさったのだと思います」
 加藤シヅエ
<9月>
 関東大震災 9月1日午前11時58分伊豆沖30kmでマグニチュード7.9
 被害総額は当時の日本の国家予算の3倍
 死者行方不明14万3000人、44万戸が焼失
<大杉栄虐殺>
 大杉栄が、伊藤野枝らと共に憲兵大尉、甘粕正彦によって虐殺される
 震災により極右が活発化し、左翼知識人や朝鮮人の大虐殺が行われる
<伊藤野枝>
 28歳で虐殺されるまでに7人もの子供を産んだというだけでも驚き。
 そのほか雑誌の編集、翻訳、小説、評論の執筆を手がけ、「赤瀾会」に加わって社会活動も行っていた!
1924年
この年のその他の出来事など
夏向けの女性用ワンピース(アッパッパ)が年配向けの普段着として大ヒット
<6月>
 築地小劇場開場
<12月>
 奥むめおら、婦人参政権獲得期成同盟会結成
 第二次護憲運動 
1925年 
この年のその他の出来事など
<1月>
 歌舞伎座落成
 日ソ国交回復
<3月>
 明治神宮競技場完成
<4月>
 久野久子がウィーンで自殺
 治安維持法公布
<5月>
 普通選挙法公布
<11月>
 御茶の水文化アパート完成 
1926年(大正15年、昭和元年)
この年のその他の出来事など

<同潤会アパート>
 鉄筋アパートの第一号が向島の「中ノ郷アパート」で、この後青山にも建設(家賃は6畳+3畳で13円~15円)

<1月>
 第一次若槻礼次郎内閣誕生
<3月>
 金子文子と朴烈が大逆罪で死刑判決を受ける
<4月>
 治安維持警察法が強化される
<12月>
 改造社「現代日本文学全集」刊行(1冊1円で販売し大成功)
 円本ブームとなり、作家たちの収入が急増
1927年 
この年のその他の出来事など
 保井コノが日本初の女性理学博士となる
 三越デパートが日本初のファッション・ショーを開催(フランスからデザイナーを招き、女優の水谷八重子らがモデルに抜擢)
<3月>
 取り付け騒ぎから金融恐慌が始まる
<7月>
 芥川龍之介が自殺
<8月>
 モダンボーイ150名を検挙
<12月>
 中條百合子、湯浅芳子とシベリア鉄道でモスクワへ
<湯浅芳子>
 湯浅芳子は平成2年10月24日、93歳でこの世を去りました。
 チェーホフ、ゴーリキーらの作品やマルシャークの「森は生きている」などのロシア文学の翻訳で活躍
 断髪にベレー帽、趣味の良い和服でステッキをついた彼女は、気まぐれで、横暴で、辛辣で、食いしん坊で、引っ越し魔だったらしい。
 生涯で愛した人は、と聞かれると、
「百合子、それからセイの順やな、三人目からは同じようなもんや」
湯浅芳子
1928年 
この年のその他の出来事など
<2月>
 九条武子死去
 初の普通選挙実施(女性が初投票)
<3月>
 徳田秋声と山田順子が別れる
 治安維持法の改正により、共産党員が弾圧される(3・15事件)
<7月>
 「女人芸術」創刊(中條百合子、長谷川時雨
 アムステルダム・オリンピックで人見絹枝が銀メダル獲得(800m)
<8月>
 医学博士夫人の宮下あきがオペラ歌手藤原義江のもとへ去る
1929年
この年のその他の出来事など
 東京上野松坂屋にエレベーター・ガール登場(14歳から20歳)
<4月>
 4・16事件で共産党員が弾圧される
<7月>
 浅草でエノケンら「カジノ・フォーリー」旗揚げ
<10月>
 日比谷公会堂落成
 ニューヨーク株式急落 
<12月>
 川端康成「浅草紅団」連載開始
1930年 
この年のその他の出来事など

<農業崩壊>
 農業恐慌が起き、不景気で失業者が急増(仏語の「ルンペン」=古着という言葉は広まる)
<産児制限相談所>
 日本初の戦時制限相談所が東京に発足(ただし、不純な動機は対象とならず3人以上の子供がいる女性のみが対象)
<エロ・グロ・ナンセンス>
 エロチックなサービスが有名だった大阪のカフェ「美人座」、「赤玉」が東京進出
 浅草、銀座にモダンガール、モダンボーイが登場
 不景気の中、映画、小説、音楽などの娯楽文化が急発展。後にこの流行が「エロ・グロ・ナンセンスの時代」と呼ばれることになります。
<1月>
 ロンドン海軍軍縮会議
<6月>
 同潤会大塚女子アパートメント竣工
<10月>
 奥むめお、東京本所に婦人セツルメント設立 
<11月>
 浜口雄幸首相、東京駅で狙撃される
1931年 
この年のその他の出来事など
「死の餞別」
歩兵・井上清一の妻・千代子が夫の満州出征前夜短刀により自殺
「私のご主人様、私うれしくてうれしくて胸が一杯で御座います。
何とお喜び申し上げてよいやら、明日の御出征に先立ちうれしくこの世を去ります。・・・」
この死は映画「ああ、井上中尉夫人」、「死の餞別」として映画化もされた。
この死をきっかけに大阪国防婦人会が結成され、後の大日本国防婦人会につながる
<3月>
 東京航空がエア・ガール3名採用
 東北の農村不況により娘の身売りが激増
<12月>
 犬養毅内閣成立 
1932年 
この年のその他の出来事など
日本初の婦人警官誕生(30代が3名)
婦人用タバコ「麗」発売され、婦人団体から批判を受ける
アメリカから「パーマ」が登場(当時の10円で非常に高価だった)
東京宝塚劇場誕生(後の東宝)

「天国に結ぶ恋」
神奈川県大磯町の雑木林で慶大生調所五郎と愛人の湯山八重子が交際を反対されたことから水銀剤で服毒心中。
調所は男爵家、湯山は資産家令嬢。二人は教会で知り合ったことから新聞記者が「天国に結ぶ恋」と名付けた。
事件はすぐに同タイトルで映画化。すると映画館で服毒自殺者が出る事件が発生し大きな話題となった
<1月>
 上海事変
<3月>
 大阪で国際婦人会発足
 木村キヤウが東京で最初の女性校長就任
<4月>
 上野駅落成 
<5月>
 「5・15」事件発生し、犬養首相が暗殺される
「白木屋」デパート火災(12月16日)
日本橋のデパート白木屋(現在の東急百貨店)4階の玩具売り場に設置されていたクリスマスツリーの電飾から出火。
屋上からロープで脱出する準備がされるも和服の女性たちが下着を着ていないことから脱出をこばみ14人が焼死。
事件後も下着は普及せず、戦時中のモンペ着用とともにズロースが普及
1933年 
この年のその他の出来事など
松竹少女歌劇団(SKD)がストライキ
(委員長は「男装の麗人」として人気の水之江滝子)
<1月>
 実践女子校生徒が三原山火口に飛び込み自殺
大島の三原山噴火口で実践女学校生徒が投身自殺
(友人が後追い自殺し三原山が自殺の名所となる。この年だけで944人が三原山で自殺した)

<2月>
 小林多喜二が築地警察署で拷問により死亡
<4月>
 京都帝大で「滝川事件」
<8月>
 「東京音頭」が大ヒット(関東大震災から10年、復興を記念して作られた曲) 

「断髪のモダンガール 42人の大正快女伝」 2008年
(著)森まゆみ
文藝春秋

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