「黒い瞳 Oh,These Dark Eyes・・・」

 - ファイナ・ブラゴダーロワ Faina Blagodarova -

<混沌のロシア>
 こういう本を読んでいると、つくづく日本は平和な素晴らしい国だと再認識させられます。「無気力」とか「平和ボケ」とか「ひ弱な国民性」と呼ばれて久しい日本ですが、それが不幸なことと簡単に言ってはいけない気もします。
 それと逆にロシア人は「攻撃的」とか「信頼できない」とか言われることが多いようです。最近でも、プーチン政権のロシア人至上主義的な政治と拡張主義的な外交政策は、かつてソ連時代に目指していた「世界平和と平等社会の実現」とは程遠いものです。なぜ、ロシアはそんな攻撃的な国になってしまったのか?それはもともとロシア人がもつ国民性によるものなのか?それとも、混沌とした歴史の流れによって積み上げられてきたものなのか?名著「二十世紀」(上巻)の中で著者の橋本治は、こう書いています。

「日露戦争に負けたロシアは、やがて革命の道を歩み出す。そして、1917年に社会主義革命を達成したロシアは、「ソヴィエト連邦社会主義共和国」となり、1991年にはこのソ連も崩壊する。ソ連が崩壊した後にロシアは再びガタガタになるのだけれども、ここにそんなに難しい理由はいらないだろう。
 皇帝の絶対権力の下でまともな議論の場=議会をもたなかったロシアは、持たないまんま、社会主義の絶対権力の下に入ってしまったからだ。ロシアの国民には”近代の成熟”がない。それだけの話しである」


 しかし、次から次に身に降りかかる災いの数々の中で、人間性が失われたり、心の病になったり、人間不信に陥ってしまう人々を簡単に「愚か者」とか「信用できない」と言ってはいけない気もします。
 1931年にロシアの古都レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)に生まれた少女が生きた激動の人生は、それがすべて真実ではないにしても、読む者を驚かせずにはおかない歴史的出来事の連続です。ここでは、その人生の概略とその時代背景を合わせて解説したいと思います。

<マリーナの少女時代>
 主人公のマリーナは、真面目な海軍の軍人を父を持ち、ごく普通の家庭に育ちました。しかし、第二次世界大戦が始まると、彼女の家族が住むレニングラードの街はドイツ軍によって封鎖されてしまいます。食料も無く、父親も不在の状況が続く中、まわりでは次々に人々が飢えと病によって命を落としてゆきました。彼女の祖母も、この時飢えによって体力を衰えさせたのちこの世を去りました。さらに、ある日彼女は人肉を求めて子供を誘拐していたグループに襲われてしまいます。危うく逃れることができたものの、この時の体験は彼女の心にトラウマとなって残ることになりました。
 戦後、やっと平和が訪れますが、政府の実権を握った独裁者ヨシフ・スターリンは、自分の権力を脅かす者を次々に逮捕、処刑、シベリア送りにして行きます。さらに国民の心をつかむため、あえた少数民族への差別心を利用。特に経済的に豊かなことから恨まれていたユダヤ人を中心に少数民族に対する圧制を行い、彼らから資産や住居、土地を奪う政策を次々と打ち出してゆきます。
(チェチェン人への差別 : 当時、ユダヤ人と同じように民族ごと移住させられ、民族差別の犠牲になったのがシベリアなど不毛の地に追いやられたチェチェンの人々です。ロシア国内で起きたテロ事件の多くがこのチェチェン人によるものなのは、この時代からの怨念に原点があるのです)
 そして、ユダヤ人だった彼女の家族もまたその犠牲となります。今でこそスターリンの独裁制はヒトラー以上の命を奪ったことが知られるようになりましたが、当時はそのことは、ほとんど知られていませんでした。それは海外のメディアだけでなく、ソ連の国民も同様になにも知らされてはいませんでした。

「・・・スターリン独裁のソ連は、歴然たるファシズム国家だったのだが、『それを言えば”反共”と言われるから言えない』という現実があった。その現実こそがファシズム国家を証明するのだが、1989年になって、ルーマニアの『建国の父』と言われたチャウシェスク大統領がその暴政ゆえに倒されるという、ほとんど中世のドラマのようなことが起こせるまで、『社会主義国家のファシズム』はタブーだった。・・・」
橋本治(著)「二十世紀」(上巻)より

<圧制のもとでの生活>
 政府によるユダヤ人への差別的政策により、マリーナ一家は政府によって家を追い出されただけでなく、家具などの財産もすべて没収されてしまいます。(こんなことは、日本なら絶対にあり得ないとも思えますが、キリスト教徒に行われた江戸時代の弾圧や20世紀に入ってからの共産主義者への弾圧はほとんど大差ないものでした)さらにそうした圧制以上に恐ろしいのは、そうした理不尽な行為のきっかけの多くが、地域社会や職場内での密告だったことです。真偽は定かでなくても、気に入らない奴は密告することで世の中から消すことができる。それを逃れるには、権力かワイロしかなかったのです。そうした厳しい状況のもと、彼女は母親のハナからの強い薦めにより強引に海軍で働く青年ヴィクトルと結婚させられてしまいます。好きでもない男性との結婚により精神のバランスを崩した彼女は、ある日優秀な精神科医ヴォロトケーヴィチと出会い道ならぬ恋に落ちます。

<原子力危機>
 その間にも、スターリニズムに基づく異常な政治は続き、彼女の父親アレクサンドルは、原発事故が起きた地域へと転勤させられ、そこで癌に冒されてしまいます。チェルノブイリ原発の事故はあまりに大きい事故だったため隠蔽が不可能でしたが、それ以前にもソ連時代に原発事故は何度も起きており、その多くは兵士たちの犠牲によって抑え込まれ、さらには闇に葬られてきたのです。こうして、アレクサンドルは癌の悪化によりこの世を去ります。
 その間、ヴォロトケーヴィチはマリーナの治療だけでなくアレクサンドルの治療にも援助を与えてくれますが、マリーナとの不倫が妻にばれ、そのために妻の夫による圧力がかかり、彼は中国への転勤を命じられてしまいます。彼はそこで将来核戦争が起きた際に重要になると予想されていた放射線被爆への治療法についての研究に参加し、大きな成果をあげます。しかし、その研究の中で彼は自らを実験材料にしてしまい、それにより被爆してしまい若くして命を落としてしまいました。
 離婚して正式に結婚することになっていた最愛の男と大切な父親、二人の愛する人を失ってしまったために生きる望みを失ってしまった彼女は、ついにソ連という故郷を捨てる決意を固めます。幸いスターリンがこの世を去ったことから、ソ連から海外への窓口は開きつつあり、彼女は多くのユダヤ人が移住したカナダへと旅立ちます。彼女と母親そして別れた夫ヴィクトルとの子供アンナの3人は、カナダでの生活を始めますが、何の資格もない彼女たちは仕事もなく途方にくれます。
 幸いなことに、パーティーの席で彼女が歌うロシア民謡を聞いたロシアン・レストランのオーナーが、自分の店の専属歌手となってくれないかと頼みに来ました。こうして、少女時代からの夢だった歌手になった彼女は、レストランでロシア民謡などの歌を歌い始め、一躍人気者の仲間入りを果たします。そんなある日、不思議な老人が現れ、彼女に「黒い瞳」をリクエストし、その歌を聞きながら涙を流し始めました。そして、それから彼は毎日のように店に来ては「黒い瞳」をリクエストし続けます。いったい彼は何者なのか、なぜ「黒い瞳」ばかりを聞きたがるのか?

<「黒い瞳」>
 「黒い瞳」という曲は、もとはといえば1843年にウクライナの作家・詩人が新聞に発表した詩でした。それに1884年になって、ドイツ系ロシア人作曲家が曲をつけ、それが様々な歌手によって歌われるようになります。しかし、それがロシアが生んだスタンダード・ナンバーとして世界中に知られることになったのは、ロシアが生んだ偉大なオペラ歌手フェードル・シャリアピンのおかげでした。
 1922年、共産党政権のやり方に嫌気がさしていた彼はソ連を脱出し世界各地を渡り歩くようになります。元々この曲が気に入っていた彼は、オリジナルの歌詞にさらに自分で詞を書き加えて、自分のレパートリーに加えました。こうして、「黒い瞳」は日本も含めた世界中の国で歌われることになり、彼とともに世界的な知名度を獲得することになったのでした。
 「黒い瞳」という曲は、黒い瞳、黒い髪をもつことで有名なロマ(昔の差別用語でいうとジプシー)の女性に恋してしまった男性の気持ちを描いた作品です。ユダヤ人以上に差別の対象となっていたロマの女性との恋は、かなうはずもないと知っていたその男性はそれゆえに恋の炎を燃やし恋に苦しむことになりました。こうした、「道ならぬ恋」を歌った曲は、民族も、時代も、国境も、世代も越えて世界中の人々に受け入れられることになりました。
(ちなみに、ロシアが生んだ映画界の巨匠ニキータ・ミハルコフの名作「黒い瞳」(1978年)は、この小説とは内容的に関係はありませんが、やはりこの曲「黒い瞳」をモチーフに作られた作品です)

「・・・・・
ああ、黒い瞳、わたしを虜にした瞳
忘れられない瞳
わたしの前で燃える瞳
ああ、黒い瞳、あなたを愛した者は
永遠に心も平安も奪われる

移り気で強情なひと
あなたはバラで織られたひと
わたしはあなたより年上
なのに涙を流して恥ずかしい

秋にはわたしは喜んで命をあげよう
受けてください、わたしの命
・・・・・」
「黒い瞳」より

ごく普通の女性の目からみたソ連混乱の歴史。彼女の視点はスターリニズムによって偏向させられることなく、精神の病によってくずれることなく無事に混乱の歴史を乗り越えました。最後の最後まで彼女を支え続けたのが、神への信仰だったというのは、やはり必然だったのでしょうか。信じるものを失った人々がお金と権力だけを信じるようになってしまったのが、共産主義社会のなれの果てだとしたら、天国でマルクスはさぞやがっかりしていることでしょう。
しかし、21世紀のロシア、中国の国家体制からはスターリニズム以来の拝金主義とファシズムの伝統が見えてきてなりません。残念です。

「黒い瞳 Oh,These Dark Eyes・・・」 1999年
(著)ファイナ・ブラゴダーロワ Faina Blagodarova
(訳)佐伯靖子
教育出版

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