- デヴィッド・リンチ David Lynch -

「デヴィッド・リンチ : アートライフ」
David Lynch : The Art Life

<元祖カルトTV>
 カルト・ムービーは数あれど、ここまで大人向けのカルトなテレビ番組は「ツイン・ピークス」以前にはなかったように思います。(イギリスには「銀河ヒッチコック・ガイド」というカルトTVがかつてありましたが、・・それはまた別の機会に)それまでも僕自身が「ハマッタ」テレビはいっぱいありました。洋モノだけでは、「刑事コロンボ」「刑事コジャック」「マッシュ」「タイムトンネル」「ルーツ」「逃亡者」「宇宙家族ロビンソン」「ER」「モンク」「バイオニック・ジェミー」などなど。でも、テレビという倫理的規制が厳しい表現メディアにおいては、俗に「カルト」と呼ばれるような「アダルト向け」「マニア向け」さらに「セクシャル」で「アブノーマル」なスタイルの番組が放映可能だとは考えられませんでした。
 そんな常識を覆したのが「ツイン・ピークス」だったように思います。

<映画界からの進出>
 もちろん、デビッド・リンチというすでに映画界で実績のある一流監督の作品だからこそ、この企画にオーケーがでたのでしょう。といっても、当時リンチ監督は映画界で仕事がなくてテレビ界に進出したわけでなく、「ブルーベルベット」と「ワイルド・アット・ハート」という2大傑作の合間に撮ったのが、このテレビ・シリーズでした。そんな絶頂期になぜ、あえてテレビという制約が多い世界に挑んだのか?それ自体が僕には疑問でした。
 2時間ちょっとという限られた枠に収めきれないドラマも、テレビ・シリーズなら実現できるとうこともあります。
 「ソープ・オペラ」と呼ばれる家庭内ドタバタ・ドラマの現代版を自分なりに作りたかったのかもしれません。
 そうでなくとも彼の映画人生はかなり不思議に満ちています。もともと作品の内容だけでなく彼自体が変わり者で、動物解剖が趣味だというのも有名な話です。そんな監督が作った変態趣味の映画がなぜか世界各地の映画祭で数々の賞をとり、おまけに世界各地で大ヒット。ついには彼自身がカンヌ映画祭の審査委員長まで務めてしまうのです。なぜ彼はこうも玄人にも素人にも受け入れられるのか?これは実に不思議です。そこにはきっと何か理由があるはず、そしてそのヒントが「ツインピークス」の大ヒットにあるような気がします。

<真面目な好青年の心の闇>
 デヴィッド・リンチは、1946年1月20日モンタナ州のミズーラに生まれました。父親が農林省の研究員で土壌や虫などの生き物を調べる仕事をしていたため転勤が多く、ツイン・ピークスの町のような田舎の町を点々とする生活をしていました。「ツイン・ピークス」における監督の分身、デイル・クーパー捜査官がやたらと鳥や樹など自然に詳しいのはこのせいでしょう。そして、引っ越しの多い生活は彼を常に観察者として社会を見つめる立場にしていたのかもしれません。
 何不自由ない家庭に育ち、頭も良くてハンサムな彼は学生時代常に学校の人気者でした。しかし、そんな恵まれた学生生活を送りながらも、彼はそこに何か違和感を憶えていました。それは自分が常にその土地の人々にとって異邦人であることを意識していたからかもしれません。そのためか、彼は典型的なアメリカン・スクール・ライフよりも、その裏に隠された闇の部分にこそ魅力を感じるようになります。そして、彼はその心の闇の探求にその生涯をかけることになったわけです。

<心の闇との出会い>
 彼がそうしたもうひとつの世界を覗き見るきっかけは、画家である友人の父親の影響だったようです。絵を描きながら自由に生きるその人物の生き方を見て、自分もそんな生き方がしたい、そう思うようになったのです。ある意味、その画家は「ツイン・ピークス」における謎の犯人キラー・ボブのような存在だったのかもしれません。自由を求める画家の生き方が、真面目な青年の心に乗り移り、その人生を大きく変えてしまったのです。
 こうして、彼は芸術家として生きる道を選択し、60年代後半フィラデルフィアの街に一人旅立ち、美術の勉強をすることになりました。
 しかし、その街は彼にとって「悪夢の街」に思える不気味な存在となります。彼のインタビューからなるドキュメンタリー作品「アートライフ」の中では、彼が街で出会った様々な不気味な人々のことが語られています。

<自由と友愛の街で見た悪夢>
 アメリカの独立に深く関わる「自由と友愛の街」フィラデルフィアは、ある意味アメリカン・ドリームの象徴の街のように思われています。究極のアメリカン・ドリーム映画「ロッキー」がフィラデルフィアを舞台にしたのも、そのためですが、実はその街は「ロッキー」で描かれていたように不況の影響をもろに受けた暗く薄汚れた街でした。(「ロッキー」は、当時まったく無名だった俳優シルベスター・スタローンを主役とする超低予算作品だったため、オールロケで街の姿をそのまま使うしかなく、そのおかげでリアルな雰囲気を出すことに成功しました)
 モータウン・サウンドを生んだデトロイトとフィリー・サウンドを生んだフィラデルフィア、どちらもかつては工業都市として栄えた土地であり、黒人音楽文化の中心地でもありました。しかし、第二次世界大戦後の好景気が終わると街の活気は失われてゆき、いつの間にか犯罪が多発する危険な街へと変貌をとげた都市でもあります。それだけに、そこに移住したばかりの若者にとってその街が悪夢の世界に思えたのも当然だったのかもしれません。

<悪夢からの脱出>
 それまで田舎の美しい街でしか暮らしたことのなかった彼にとって、廃墟のような都市フィラデルフィアでの貧しい学生生活はたいへんなカルチャー・ショックでした。ある日、彼は家のすぐ近くの路上でギャングまがいの若者たちが何の罪もない通りすがりの人に因縁をつけ射殺してしまう現場を目撃しました。それはまさに悪夢でした。しかし、それは紛れもなく現実のことだったのです。そんな闇の世界が日常化してしまった街で暮らす生活が彼の作品を暗いものにしていったのは当然のことだったはずです。彼が街でその正気を保つことができたのは、そこでの芸術家として生きる暮らしが「幸福なもの」だったからです。
 そんな街で彼は作品作りに挑み続けますが、暗く陰鬱な彼の作品が一般的に認められることはなく、実生活でも悪夢が続きます。こうして、20代は芽が出ないまますぎて行きました。しかし、30歳を前にして、やっと彼にもチャンスが巡ってきます。それは皮肉なことに、自分が住む悪夢の街フィラデルフィアを映像化した作品がきっかけとなりました。
 幸いにも彼は映像作品のコンテストで見事にAFIから映画製作の資金を得て、ハリウッドに住みながら映画を撮るチャンスを得ます。こうして悪夢の街フィラデルフィアから西海岸のロサンゼルスへと移住することになった彼は、いよいよ映像作家への道を歩み出すことになります。

<難解カルト作品「イレイザー・ヘッド」>
 素晴らしい気候の街、ロサンゼルスに住み始めた彼はそこで悪夢の街フィラデルフィアを映像化したその作品「イレイザー・ヘッド Eraserhead」(1976年)の撮影を開始します。資金と環境を得て撮影をスタートとさせたものの、その撮影作業自体もまた悪夢の連続となります。撮影にのめり込み過ぎた彼は、撮影所に寝泊まりし、その生活をやめられなくなります。乏しい資金で始めた撮影は途中で資金難で中断を余儀なくされ、資金作りをしながらの撮影には4年の歳月を要することになります。彼の父親が映画の道をあきらめるよう説得に来たのもわかる気がします。
 望まれざる子供の誕生というこの映画のテーマ自体、彼の家庭生活をそのままを移し出したもので、彼の妻は撮影の途中に貧しい生活に嫌気がさし家を出ていきました。(当時は映画の撮影現場がそのまま家になっていたようですから、逃げ出したくなる奥さんの気持ちはわかります)まさに、彼にとっては悪夢のような映画だったはずです。
 ところが、彼はその撮影をしながら苦しんでいたかというと、そうではなく、実際は楽しんでいたといいます。そこには彼の趣味のひとつでもある、解剖によって生み出されたと言われる不気味なキャラクターも登場し、彼の悪夢をよりリアルに表現しています。こうして、彼は映画を作るという作業に没頭し、その中で生活できることに喜びすら感じていたのでした。まさにアーティストの鏡、そして最悪の父親です。
 こうして、なんとか完成にこぎつけたものの、「イレイザー・ヘッド」は映画館で公開される可能性は当初まったくありませんでした。意味不明なストーリーと不気味な映像は、誰が見てもヒットするようには思えなかったのです。

<カルト・ムービーというジャンル>
 ところが、彼はなぜかついていました。カルト・ムービーの代表作「エル・トポ」(アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品)をヒットさせ、次なるヒット作を探していた配給会社の人間が彼の作品に目を付けてくれたのです。さっそく「イレイザー・ヘッド」は深夜のアート・シアターで静かに公開され始めました。当初はまったく観客がいなかったこの作品ですが、何度も見に来るリピーターが現れることでしだいに話題となり、ついには世界中で公開されるヒット作になっていきました。ヒット作品を求めていた映画会社にとっては、願ってもない存在となった彼には、すぐに次なる作品のオファーが入ります。それが世界中で大ヒットすることになった感動作「エレファントマン The Elephant Man」(1980年)です。

<感動大作「エレファントマン」>
 「エレファントマン」は「人間とは何か?」「人間の尊厳とは何か?」を問いかけるヒューマン作品として打ち出され、多くの人々を感動させました。しかし、彼がそれを本当に意図して作品を作ったのか?それはあくまでプロモーションの成功だったようにも思えます。しかし、そんなねじ曲がった解釈をされるのもまた、彼の多面的な人間性の現れなのかも知れません。
 僕が思うこの作品のヒット理由は、映画の中のエレファントマンが見せ物として覗き趣味の人間達を喜ばせたように、映画自体も恐いモノ見たさ、話題のモノ見たさの観客達の欲望を刺激したからだと思います。
 そして、誤解されようがなんだろうが、とにかく世界的大ヒットのおかげで大物監督の仲間入りをしてしまった彼には、いよいよ超大作の話がやってきます。

<SF超大作「砂の惑星 Dune」>
 SF大河小説の歴史的傑作として名高いだけでなく、エコロジーという概念をいち早く小説化したことでも知られるフランク・ハーバートの「砂の惑星」は、その長大さから映画化は困難と言われていた幻の作品でした。しかし、「スターウォーズ」の大ヒットにより、映画界ではSFというジャンルはヒットを生み出す旬な素材という認識が広がり、大物プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスが暖めていたこの企画が、ついにデヴィッド・リンチに回ってくることになったのです。小説を読んでいた僕も、この映画の監督にリンチが選ばれたと知ったときは、これは期待できるぞ、と思ったものでした。
 ところが、映画版の「砂の惑星 Dune」(1984年)は、長い長いドラマの要所要所を細切れにつなぎ合わせただけの中途半端な作品になっていました。(スティングやサンドワーム、ハルコンネン男爵など、魅力的なキャラクターもあり、見所はいろいろありましたが・・・)後に同じような大河小説である「指輪物語」が3部作として見事に映画化されたように、この映画も何本かに分けて撮れれば良かったのかも知れません。その点では、その後作られたテレビ・シリーズの「砂の惑星」の方が小説に忠実だったようです。
 もともと完璧にストーリーが出来上がったものを彼に映画化させるという企画自体が間違っていたのかもしれません。監督の選択と作品への口だしが誤りだったことは、ラウレンティス自身も気づいていたようで、この映画が大コケして製作費すら回収できなかったにも関わらず、彼はもう一度リンチにチャンスを与えることにします。(このあたりもまた彼が恵まれている不思議な点です)

<変態少年探偵団映画「ブルーベルベット」>
 低予算とはいえ、口を出さずにお金だけを出したラウレンティスの判断は今度は吉とでます。こうして彼の最高傑作とも言われる作品「ブルーベルベット Blue Velvet」(1986年)が出来上がりました。この作品は後に薄められ広げられてTV版「ツインピークス」となるどろどろと凝縮された濃い作品です。キャラクターの個性やドラマのもつ毒気、セックス、暴力、虐待の映像表現など、どれもアダルト指定ギリギリのきわどいところまでいっています。
 そしてそんなどぎつい作品に配置された俳優たちも、それぞれの個性によってドラマにはっきりとした明暗を与えることに成功しています。
 主人公として「闇を覗き見る」少年役となったカイル・マクラクランは、端正な顔だちがリンチ監督に似ており、まさに彼の分身と言えます。そして、彼に引きずられて「闇を覗き見る」ことになる少女役のローラ・ダーンも彼の作品にぴったりのアメリカ的美人女優です。
 そんな二人に比べ「闇の世界」を代表する存在となったデニス・ホッパーは、見事に異常性格を演じきり、「ラスト・ムービー」を監督して失敗して以後、長く落ち込んでいたスランプから完全復活を果たしました。彼が演じた悪役フランク・ブースによって人格を崩壊させられてしまった悲しく美しい人妻を演じたイザベラ・ロッセリーニ(往年の美人女優イングリッド・バーグマンの娘)の危険な色っぽさも忘れられません。二人が作り上げた「闇の世界」を主人公とともに覗き見させられる観客はスリルとサスペンスを味わうだけでなく性的な快感と見てはいけないもの見てしまったというゾクゾクするような罪悪感を感じるはずです。
 リンチ少年がかつて体験した出来事もちりばめられたというこの作品は監督自身の青春卒業白書でもありました。その後、彼は「ツイン・ピークス」「ワイルド・アット・ハート」ついには「ストレート・タイム」へと少しずつ主人公を大人へとシフトさせているゆくことになります。
 自らの個人的体験とそこから広がる妄想の世界を描いた彼の作品は、当然他人には理解しがたいはずです。にも関わらずヒットしてしまうのはなぜ?再び、最初の疑問に戻ってきました。

<リンチ作品の魅力>
 人の不幸、恐いモノ、異常なモノを見たがる人間の欲望。これこそが彼のアブノーマルな作品をヒットさせる最大の原因かもしれません。(かつてサスペンス映画の巨匠として活躍したアルフレッド・ヒッチコックの「裏窓」や「サイコ」もそうした覗き趣味を満足させる作品でした)
 そう考えるとテレビのワイドショーが大好きな大衆を前にして「ツイン・ピークス」が異常な視聴率を稼いだのも実に当然のことだったのかもしれません。毎週少しずつ明らかにされる噂話の数々。それを自らが探偵になった気分で知ることになる喜びに世界中の人々がはまったのです。かくいう僕も、我が家の奥さん共々、新作を見る時はコーヒーとドーナッツを側に置いて見るほど、このシリーズにはまっていたものです。ただし、奥さんは「ツイン・ピークス」にははまっても「ブルーベルベット」や「ワイルド・アット・ハート」には今ひとつだったようです。そう考えると、「ツイン・ピークス」は毒をテレビ向けに薄めたことで多くの大衆に受け入れられたのでしょう。
 世界を変えようと社会や政治の誤りを告発し続けた1970年代の映画に代わり、
1980年代は再び娯楽映画への揺り戻しがきた時代と言われています。(「ロッキー」「スターウォーズ」以後)ハリウッドは社会派の映画を作る代わりにオカルト映画、パニック映画、カンフー映画、SF映画、スポーツ根性映画、犯罪アクション映画など、子供向けの映画を量産し始めました。そのため、この時期に大人向けの映画を求めていた観客たちは、しかたなく娯楽映画の仮面をかぶったカルト・ムービーと呼ばれる難解な映画へとその目を向けたました。
 だからこそ、リンチ作品以外にも多くの作品が映画ファンの観客から支持され、深く静かにヒットすることになったのです。(例えば、「ブレード・ランナー」(1982年)「ビデオドローム」(1982年)「ガープの世界」(1982年)「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」(1984年)「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984年)「未来世紀ブラジル」(1985年)などなど)
 そんな作品群を代表して、いち早く観客に評価されたのがデヴィッド・リンチの作品群だったと思います。


「デヴィッド・リンチ : アートライフ」
 2016年
David Lynch : The Art Life
(監)ジョン・グエン、リック・バーンズ、オリヴィア・ニアガート=ホルム
(製)ジョン・グエン、ジェイソン・S、サブリナ・S・サザーランド
(撮)ジェイソン・S
(編)オリヴィア・ニアガート=ホルム
(音)ヨナタン・ベンタ
(出)デヴィッド・リンチ
 この作品は、デヴィッド・リンチのインタビューと記録映像により、彼の生い立ちから苦難のアーティスト生活、映像作家への変身、そして衝撃作「イレイザー・ヘッド」で映画作家としてデヴューするまでを追体験させてくれます。
 芸術家として生きる人生の喜びと苦難。孫のような幼い娘をあやしながら抽象的な作品を制作する現在の彼の姿は、実にのどかです。(年をとれば人はみな丸くなる?ということでしょうか?)しかし、そうなる可能性は意外と少なかったようにも思えます。フィラデルフィア時代には狂気一歩手前まで行っていたようだし、LAに来てからも映画の完成までは危機的な日々が続いていました。両親が彼に映画の製作をやめさせようとした気持ちもわかります。
「真の芸術家は狂気ギリギリのところで立ち止まることができた人間だけが辿り着ける境地である」(これは僕の持論です)
 そんな人生が羨ましいと思えるあなたは、是非、アートライフを生きるべきです。もちろん多少の危険は伴いますが・・・
 それにしても、彼に密着し続けてドキュメンタリー映画3部作を完成させた監督のジョン・グエンという人も凄い。そこまで入れ込んでも、客観性を失わないということは、きっと至極真面目でまともな人なのでしょう。(写真を見るとそんな感じです)

ドキュメンタリー映画 「デヴィッド・リンチ : アートライフ」David Lynch : The Art Lifeより
2016年
Dark Deep Darkness and splendor
all aRound ・ It was in the Roots and
UNDER
and A Tree came out and then a HOUSE with stars above -
inside the House a MAN with eyse SEE and LONG ARMS reaching
He SAW the splendor
all aRound and reaching out into
the Deep Darkness
He SAW HIMSELF 
深い闇と明るい光が周りを包んでいる
根の中にあったものは
やがて木になり
星空の家になった
その家の中で
よく見るための目と長い腕を持つ男は
明るい光に手を伸ばし
深い闇にも手を伸ばした
そして自分自身を見た 

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