「ディア・ハンター The Deer Hunter」 1978年

- マイケル・チミノ Michael Cimino -

<思い出深い映画>
 新聞社主催の試写会の券が当たり、生まれて初めて試写会で見た映画であると同時に、19歳で大学に入ったばかりという微妙な時期に見たことで、僕にとって忘れられない映画の一本になりました。改めてこの映画を見てみると、そこで描かれていたのは「戦場」という名の狂気の現場であると同時にアメリカに住むスラブ系移民たちにとっての1960年代末の青春群像であったことに気づかされます。
 これから人生が始まろうとしていた僕にとって、その青春はあまりに過酷であまりに悲惨なものでした。それなりに自分の将来や世界の未来について不安を感じ、青春時代独特の悩みを抱え込んでいた青年にとって、その映画はずっしりと腹に答える重さをもっていました。たぶん、それまでのどんな映画にも、そこまで重いものを感じたことはなかったように思います。
 この作品は3時間2分の上映時間が三つのパートに分かれていて、ヴェトナム出発前、ヴェトナムでの体験、ヴェトナムから帰還後の出来事がそれぞれ描かれています。この映画の公開時にも指摘されていたのですが、ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」は同じような時期の若者たちを描いていた映画です。それは、この映画のヴェトナム出発前の時期にあたり、その後に製作された「アメリカン・グラフィティ2」では、ヴェトナムでの体験(それと国に残った者たちの体験)が描かれていました。ただし、「アメリカン・グラフィティ」は1963年という、まだヴェトナム戦争が泥沼化していない時期のアメリカを描いていたので、「ディアハンター」の街と若者たちに比べて別世界のように明るい印象だったのは当然でした。
 「アメリカン・グラフィティ」と「ディア・ハンター」は、1960年代初めのアメリカが5年たってどうなったのかを実によく表現しています。「ディア・ハンター」はアメリカという若い国家の青春時代の終りを描いた作品といえるのかもしれません。

<追記>2015年2月
「マイケル・チミノは、戦争をまるごと描くのではなく、ロシアン・ルーレットに用いられる銃の弾丸一発にすべてを集約してみせた」
大林宣彦

<東欧系移民の文化>
 もうひとつ重要なのはこの映画で描かれている主人公たちの民族性の問題です。この映画の雰囲気に大きな影響を与えている彼らの街の文化のもつ独自性もまたこの映画の大きな特徴のひとつといえるでしょう。「ディアハンター」の主人公たちは映画の中の結婚式がロシア正教式だったことからもわかるように東欧スラブ系のアメリカ人です。彼らの祖先は19世紀末から20世紀初めにかけて大量にアメリカに渡ってきました。そのほとんどは人口の増加によって田畑をもてなくなった貧しい農地を得ることはほとんど不可能でした。なぜなら、この時点ですでにアメリカの国土はすべて誰かのものになっており、小作農として働くしか道は残されていなかったからです。1892年ユニオン・パシフィック鉄道が売りに出した低価格の農地をめぐり農民たちと大牧場主たちの間に戦争が起こります。大牧場を経営する資本家たちは、農地を独占するため強行手段に出て、殺し屋を雇うと農民たち一人につき50ドルの賞金を賭け虐殺させました。これが有名な「ジョンソン郡戦争」です。これは「虐殺」と呼ぶべきかもしれません。そして、この事件を超大作として映画化したのが、この映画の監督マイケル・チミノでした。(これがチミノによる「偉大なる失敗作」「天国の門」(1980年)です!)あの名作「シェーン」(1953年)もこの事件を題材とした映画なのだそうです。
 こうした過去の歴史があり、彼らは農民でありながら土地を持つことができず、しかたなく東部の工業都市に住み工場での肉体労働につくことになります。ピッツバーグの製鉄工場、シカゴの精肉工場、ニューヨークの石油精製所、そしてこの映画の舞台となったペンシルヴァニアの炭鉱や製鉄所もまた東欧系移民が多く住む地域となりました。

<追記>(2016年4月)
 アメリカの戦争で犠牲になる兵隊の多くは中西部を中心とした田舎町、スモールタウン出身の若者たちである。そのためもあるだろう、1970年代のアメリカ映画を振り返って気がつくことは、スモールタウンを舞台にしたものが多いこと。「田舎への回帰」である。
「ラスト・ショー」「アメリカン・グラフィティ」「ディア・ハンター」「ペーパームーン」「スケアクロウ」「デリンジャー」「北国の帝王」「ラスト・アメリカン・ヒーロー」「ボウイ&キーチ」「バニシング・ポイント」・・・
 キャサリン・ビグローの「ハート・ロッカー」(2008年)の爆弾処理兵などあきらかにプロであり、「地獄の黙示録」の兵隊とは戦争への対し方がまったく違ってきている。
 ヴェトナム戦争の映画と、現代の映画との違いは、徴兵でとられた兵隊か、プロの兵隊かの違いかによっている。ヴェトナム戦争は、最後の、徴兵による大きな戦争といってよく、そのために、厭戦、あるいは反戦の映画がいくつも作られた。

川本三郎「映画の戦後」より

<マイケル・チミノ>
 この映画の監督マイケル・チミノ Michael Ciminoは1939年2月3日に生まれ、ニューヨーク州のロングアイランドで育ちました。父親はニューヨークの楽譜出版会社で働いていたため、彼もまた早くからショービジネスの世界に興味を抱いていたようです。1963年にエール大学を卒業すると陸軍に入隊しますが戦場には行かずにすみました。除隊後、ニューヨークで演技の勉強を始め、アクターズ・スタジオにも短期間ながら在籍。しかし、役者よりも脚本家に魅力を感じるようになり、テレビCMや企業向けの産業映画を撮りながらチャンスを待ちました。
 1971年、彼の脚本がついに映画化されます。SFファンやSFXマニアにとっては、今や幻の作品となったSFXの巨匠ダグラス・トランブルの監督デビュー作「サイレント・ランニング」がそれです。ちょっとロマンチック過ぎるストーリー展開ではありましたが、いち早くエコロジー、環境破壊の概念をテーマとして取り上げたこの作品はSFファンの間では高く評価され、愛されました。その後、彼はクリント・イーストウッドのもとで映画作り全般について学びながら、脚本を書き、ヒット・シリーズ「ダーティー・ハリー」の第二作を担当した後、いよいよ監督デビューを果たすことになります。(このとき、原案を書いたのはジョン・ミリアスでした)
 1974年のクリント・イーストウッド主演作「サンダーボルト」で、彼は脚本を書くと同時に監督も担当しました。ジェフ・ブリッジスがアカデミー助演男優賞にノミネートされたこの作品は、イーストウッド作品の中では珍しい青春映画の名作といえるかもしれません。(この映画はイーストウッド映画の基本的なパターンでもある「師と弟子」の関係ではあっても、当時はイーストウッドもまだ若かったのでジェフ・ブリッジスとの友情が成立していたといえるのかもしれません)機関砲で金庫破りをするというアイデアも面白かったのですが、主人公サンダーボルト(クリント・イーストウッド)の相棒(ジェフ・ブリッジス)が死ぬラストのほろ苦さが当時のイーストウッド作品には珍しく印象に残る作品となっていました。
 こうして、イーストウッド映画学校を無事に卒業した彼はいよいよ一本立ちし、第二作としていきなり大作となった「ディア・ハンター」の製作にかかることになります。

<ヴェトナム戦争を描く>
 1970年代後半は、1976年の「タクシー・ドライバー」のようなヴェトナム帰還兵の苦悩を描いた映画が大ヒットすることでヴェトナムを描くことが商業的に成り立つことを証明した時代でした。そして、この年1978年と翌年発表の2本の超大作がヴェトナム戦争の現場を描き、世界的なヒットを記録。それまでタブー視されていたヴェトナム戦争ものは一躍ドル箱扱いをうけるようになります。その2本とは、フランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」とこの映画でした。
 コッポラの「地獄の黙示録」がヒットしたのは当然といえば当然だったのかもしれません。映画のストーリーが完全に破綻していても、マーロン・ブランドがほとんど仕事をしていなくても、コッポラが財政的に破産状態になったとしても、撮影が遅れ、完成が遅れたとしても・・・・・それでもなおあの映画には観客を魅了し目を離させないパワーがありました。それだけのパワーが確かにあの映画には込められていたのです。それは、映画史に残る失敗作であると同時に映画史に残る傑作でもあります。
 それに比べ、「ディア・ハンター」の魅力とは何だったのでしょうか?
 ヒットした最大の原因のひとつには、「ロシアン・ルーレット」という究極のゲームの話題性を忘れるわけにはゆきません。「ロシアン・ルーレット」なる言葉の意味が日本中に知れわたり、映画の公開から遥かな時が流れてもなお、誰もがその意味を知っているのは、まさにこの映画が生み出した一大ブームのおかげでしょう。逆にいえば、この映画はヴェトナム戦争を描いた戦争映画というよりは、「ロシアン・ルーレット」に文字通り命をかけた男たちの異常な世界をのぞき見るカルト・ムービーだったといえるかもしれません。
 当時のブームは、「ディア・ハンター」のブームというより、「ロシアン・ルーレット」のブームだったようにも思えます。もちろん、それだけがこの映画の魅力だったわけではないのですが、それだけこのシーンが鬼気迫るものだったのは確かです。特に、3人の俳優たちロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・サベージによる狂気一歩手前の迫真の演技は彼らにとって生涯の代表作となるものでしたが、ある意味彼らの俳優としてのイメージを決定づけるものだったともいえそうです。(クリストファー・ウォーケンはこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞しています)さらに演技という面では、この映画が「ジュリア」に次ぐ作品となったメリル・ストリープの存在も忘れられません。この映画で薄幸な女性を演じた彼女は一躍名女優の仲間入りを果たし、その後アメリカを代表する大物女優になってゆくことになります。

<三部構成の映画>
 この映画のもうひとつの特徴は、三つのパートそれぞれがまったく異なるトーンで描かれ、どれも一本の映画として素晴らしいということです。そのため、長い上映時間が長く感じられないのです。ゆったりとしたテンポで描かれる主人公の故郷の街を描く前半のシーンは常に曇り空で薄暗く、彼らが戦場に行きたくなる気持ちになったのが納得できるほど憂鬱な雰囲気の世界として描かれています。ただ彼らにとっての救いは、鹿狩りに出かけた山の中の美しい自然です。そこで使われるジョン・ウィリアムスの美しいギターの音色は、観客を天国へと導いているかのようです。
 しかし、これに続くヴェトナムの戦闘シーンではいっきに世界が地獄へと転換します。たたみかけるようなテンポで展開するドラマと銃弾の大音響は、観客に心構えをするヒマを与えません。そうかと思えば、ロシアン・ルーレットのシーンでは永遠とも思われるような時の止まる瞬間が訪れ、その後の脱走のシーンも含め、「動」と「静」の刺激的な転換が繰り返されます。
 この映画におけるビルモス・スィグモンドの撮影が、こうしたそれぞれのシーンを見事に描き分けていることも忘れられません。すべてが灰色に見える故郷の街、クレアトンの映像。オレンジ色のフィルターがかけられて温かみを帯びた製鉄工場内部の映像。どこまでも空気が澄み渡っている山の中の映像。湿気をおび、日差しの強さを感じさせるヴェトナムの映像。薄暗さとそこに差し込む光の対比が強烈なヴェトコンの基地内部の映像。それぞれのシーンを見事に描き分けた彼のカメラ抜きに、この映画を語ることはできないでしょう。

<戦場体験映画>
 この映画の以前にも、観客に戦争を仮想体験させる映画は存在しました。1930年の「西部戦線異常なし」は、そうした作品の先駆け的作品です。しかし、その後現実に戦争をリアルに体験させる作品はタブー視され、ヒーローものとして戦意高揚を目的とした作品しか作られなくなります。
 「眼下の敵」(1958年)、「ナバロンの要塞」(1960年)、「史上最大の作戦」(1962年)、「大脱走」(1963年)、「トラ・トラ・トラ!」(1970年)など、考えてみるとアメリカは第二次世界大戦後も、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争と休みなく戦争を続けていたため、戦争を客観的にとらえる映画は常にタブーであり続けたのです。そう考えると、1975年のヴェトナム戦争の終結こそが、この映画を生み出す最大のきっかけだったのかもしれません。戦争をリアルに体験させる歴史的な傑作は、そんな歴史の変わり目を表わす作品でもあったのです。

<追記>2012年3月
以下はポーリン・ケイル「明かりが消えて映画がはじまる - ポーリン・ケイル映画評論集-」より
「・・・「ディア・ハンター」という映画が腹立たしいのは、その野心とスケールの大きさにもかかわらず、イーストウッド主演のアクション映画と同程度の倫理観と知性しか持っていないからである。だが、それにしてもこれは驚くべき作品だ。パルプ雑誌的な暴力と壮大さがぎこちなく統合し、日常生活のありふれた情景、平凡さの中にきらめく詩が観客を魅了する。」
(注)イーストウッド主演のアクション映画とは、「サンダーボルト」のこと。

「この映画は少年冒険小説の名作の思い出にどっぷりつかっている。大事なものは独立独歩の精神と意志の強さ。この愛は男と女の愛よりも高い。なぜならこの愛は肉欲に汚されることが決してないからだ。・・・」
確かにこの映画の男たちの間には友情を超えた「愛」が感じられます。

「・・・しかし映画の最も本質的な部分 - アジあの混沌に対比されるクレアトンの共同体-が伝えているのは、伝統的な孤立主義のメッセージである。アジアはアジア人にまかせて俺たちは俺たちの土地にとどまっていよう、しかしどうしてそこへ行かねばならないというのなら、俺たちがどれだけタフか見せてやろうじゃないか、という地方主義がおそらく、この映画を全面的に否定する人が出てくる理由である。」
この映画でヴェトナム人には人格が与えられていません。アメリカ人からの視点のみの映画の代表作として、「プラトーン」や「ミッドナイト・エクスプレス」と並ぶ作品ということもできます。

「ディア・ハンター The Deer Hunter」 1978年公開
(監)(製)(原)マイケル・チミノ
(製)バリー・スパイキングス、マイケル・ディーリー、ジョン・リヴェラル
(脚)(原)デリック・ウォッシュバーン
(撮)ビルモス・スィグモンド
(音)スタンリー・マイヤーズ
(挿入曲)「君の瞳に恋してる」(フランキー・ヴァリ1967年のヒット曲、1982年にはボーイズ・タウン・ギャングがカバー)「恋のから騒ぎ」「ブリジット・ジョーンズの日記」でも使用
(出)ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・サベージ、メリル・ストリープ、ジョン・カザール

<あらすじ>
(クレアトンにて)
 ピッツバーグに近いペンシルヴァニア州の工業都市クレアトンの製鉄所で働くマイケル(ロバート・デ・ニーロ)とニック(クリストファー・ウォーケン)は、友人のスティーブン(ジョン・サベージ)の結婚式に出席した後、スティーブンとともにヴェトナムの戦場へと向かうことになっていました。盛大な結婚式が終り、彼らは近くの山へ鹿狩りに出かけます。山の中を歩き続けた彼らの目の前に見事な角を持った鹿が現れます。銃の名手マイケルはじっくりと狙いを定め、見事にし止め、彼らは意気揚々と凱旋します。しかし、3人はその後すぐに戦場へと向かうことになります。
(ヴェトナムにて)
 ヴェトナムの戦場は鹿狩りとは大違いで、彼らの想像をこえた悲惨な状況でした。同じ部隊に属していた3人は戦闘中にヴェトコンの捕虜となってしまいますが、彼らが連れて行かれた基地では娯楽として捕虜たちにロシアン・ルーレットをやらせて賭けをしていたのです。それは、リボルバー式の拳銃に一発だけ弾丸をつめて、順番に自分のこめかみに向かって引き金を引かせ、どっちが先に死ぬかを賭けるという異常なゲームでした。
 マイケルとニックにも、ついに対戦の番が回って来ますが、そこでマイケルはあえて弾を三発こめさせて勝負を始めます。二人で6発の弾丸。これで彼らはその場にいたヴェトコンを倒すとスティーブンを助けてそこを脱出します。その後、サイゴンからマイケルはアメリカへと帰郷しますが、ニックはサイゴンの街で姿を消し、行方不明にとなってしまいました。ある日故郷に戻ったマイケルのもとにニックの居場所についての知らせが届きます。なんと彼はサイゴンであのロシアン・ルーレットを見せる非合法のショーのスターになっているというのです。再び、マイケルはサイゴンへと向かいます。そして、マイケルはロシアン・ルーレットに再び挑むことになります。彼は無事にニックを連れ戻すことができるのか?

マイケル「・・・ニック、帰れるかな?」
ニック「ヴェトナムから?」
マイケル「ああ」
ニック「そんなことは分からない 俺たちのすべてはここにあるんだ この町が好きだ 俺に万一のことがあったら 必ずここへ連れて帰ってくれ 約束してくれないかマイク・・・」

<この年の映画>

<故郷へ向かうアメリカ>
「ディア・ハンター」、「帰郷」のヒットにより、タブーといわれていたヴェトナム戦争映画の時代到来
 アメリカ映画は故郷に向かって帰る。
 そう指摘したのは、評論家のスチュアート・バイロン。1920年代の映画に、異国に捕らわれた同胞を故郷に戻そうという映画が多いことに気づいて、そういった。

「ニューヨーク誌」(1979年)
 その原型はジョン・フォードの「捜索者」(1956年)。この作品の流れを感じさせる作品が70年代数多く作られました。「ディア・ハンター」、「地獄の黙示録」、「風とライオン」、「タクシー・ドライバー」、「ミッドナイト・エクスプレス」・・・いずれも捕らわれた人々を救い出す物語です。

 ヴェトナム戦争の時代、アメリカは外へ出て行った。モンロー主義にあらわされているように本来「内向き」の国であるアメリカが分相応に、外へ出て行った。そこで痛い目にあった。
 やはり外に出るのではよくない。家に帰ろう。70年代は、アメリカ社会がヴェトナム戦争の敗戦から、故郷へ回帰しようとした時代ではなかったか。

川本三郎「映画の戦後」より

「秋のソナタ」(監)(脚)イングマル・ベルイマン(撮)スヴェン・ニクヴィスト(出)イングリッド・バーグマン、リヴ・ウルマン
「イッツ・フライデーThank God, It's Friday」 (監)ロバート・クレイン(音)ポール・ジャバラ アカデミー歌曲賞「Let's Dance」
(ご存じドナ・サマーの大ヒット曲)
インテリア Interia」 (監)(脚)ウディ・アレン(撮)ゴードン・ウィリス(出)ダイアン・キートン、メアリー・ベス・ハート(スウェーデンの巨匠、ベルイマンに挑む?)
「ウィズThe Wiz」 (監)シドニー・ルメット(音)Quincy Jones (歌は上手いけどダイアナ・ロスの少女役はあんまりだ!)
「カリフォルニア・スウィート Califorunia Suite」(監)ハーバート・ロス(脚)ニール・サイモン
(マギー・スミスがアカデミー助演女優賞
「帰郷 Coming Home」(監)ハル・アシュビー(出)ジョン・ボイト、ジェーン・フォンダ(アカデミー主演男優、主演女優賞カンヌ映画祭主演男優賞受賞)
「木靴の木」(監)(脚)(撮)エルマンノ・オルミ(出)ルイジ・オルナーギ、フランチェスカ・モリッジ(カンヌ映画祭パルムドール受賞)
「グリース Grease」 (監)ランダル・クレイザー(ジョン・トラボルタ&若作りオリビア・ニュートン・ジョンのロックン・ロール・ミュージカル)
「結婚しない女」(監)(脚)ポール・マザースキー(出)ジル・クレイバーグ(カンヌ映画祭主演女優賞)、アラン・ベイツ
「ザ・シャウト/さまよえる幻響」(監)イエジー・スコリモフスキー(カンヌ映画祭グランプリ
「スーパーマンSuperman」 (監)リチャード・ドナー(音)John Williams (なんと脚本は「ゴッドファーザー」の作者、マリオ・プーゾ)
「大理石の男」(監)アンジェイ・ワイダカンヌ映画祭国際批評家連盟賞
「ディア・ハンター The Deer Hunter」(監)マイケル・チミノ(出)ロバート・デニーロ(アカデミー作品賞、監督賞、クリストファー・ウォーケンが助演男優賞
「天国から来たチャンピオンHeaven Can Wait」(監)ウォーレン・ビーティ、バック・ヘンリー(音)Dave Grusin (ジャズ・キーボード・プレーヤーでもある)
天国の日々Days of Heaven」(音)Ennio Morricone (巨匠テレンス・マリックの美しき傑作、1979年度カンヌ映画祭監督賞受賞)
「バイバイ・モンキー/コーネリアスの夢」(監)マルコ・フェレーリ(カンヌ映画祭グランプリ
「ビッグ・ウェンズデー」(監)(脚)ジョン・ミリアス(脚)デニス・アーバーグ(撮)ブルース・サーティーズ(出)ジャン・マイケル・ビンセント、ウィリアム・カット
ミッドナイト・エクスプレスMidnight Express」(監)アラン・パーカー(音)ジョルジョ・モロダー アカデミー作曲賞(スリリングな映画だったが、トルコの国民を馬鹿にした映画でもあった)
「群れ」(監)ゼキ・ウクテン(製総)(脚)ユルマズ・ギュネイ(出)メルケ・デミルアー、タークル・アカン
ラスト・ワルツ The Last Waltz」 (監)マーティン・スコセッシ(音)ザ・バンドほか(ザ・バンドの解散コンサート)

「愛の亡霊」(監)大島渚(主)吉行和子、田村高広(カンヌ映画祭監督賞、フランス映画高等技術委員会賞
「帰らざる日々」(監)(脚)藤田敏八(製)岡田裕(原)(脚)中岡京平(撮)前田米造(音)アリス(出)永島敏行、江藤潤、浅野真弓
「鬼畜」(監)(製)野村芳太郎(原)松本清張(脚)井手雅人(撮)川又昴(出)緒方拳、岩下志麻、小川真由美
「サード」(監)東陽一(製)前田勝弘(原)軒上泊(脚)寺山修司(音)田中未知(出)永島敏行、森下愛子
「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」(監)舛田利雄(原)松本零士(一作目を上回る大ヒットとなる)
「事件」(監)(製)野村芳太郎(脚)新藤兼人(原)大岡昇平(撮)川又昴(出)永島敏行、松坂慶子、大竹しのぶ、渡瀬恒彦
「曽根崎心中」(監)(脚)増村保造(製)藤井浩明他(原)近松門左衛門(脚)白坂依志夫(音)武満徹(出)藤竜也、吉行和子
「ダイナマイトどんどん」(監)岡本喜八(原)火野葦平(脚)井手雅人(監)菅原文太、北大路欣也
「人妻集団暴行致死事件」(監)田中登(製)三浦朗(原)長谷部日出雄(脚)佐治乾(出)室田日出男、酒井昭、黒沢のり子
「博多っ子純情」(監)曽根中生(製)土肥静加(原)長谷川法世(脚)石森史郎(出)光石研、松本ちえこ
「冬の華」(監)降旗康男(脚)倉本聰(音)クロード・チアリ(出)高倉健、池上季実子、田中邦衛
「柳生一族の陰謀」(監)(脚)深作欣二(脚)野上龍雄、松田寛夫(出)千葉真一、萬屋錦之助、丹波哲郎(大ヒットとなる)
「野性の証明」(監)佐藤純弥(原)森村誠一(脚)高田宏治(出)高倉健、薬師丸ひろ子

田宮二郎 散弾銃による自殺(43歳)
古賀政男(作曲家)死去(73歳)
佐野周二(俳優)死去(67歳)

<この年の出来事>

国連非政府組織軍縮会議
第4回先進国首脳会議(ボン)
<アメリカ>
ガイアナの人民寺院で集団自殺
ドミニカ連邦、アメリカより独立
<ヨーロッパ>
イギリスで世界初の体外受精児(試験管ベビー)誕生
ローマ・カトリック教皇にヨハネ・パウロ2世(ポーランド人)が就任
<アフリカ・中東>
中東和平キャンプ・デービッド会談開催(米、エジプト、イスラエル)
アラブ12ヶ国首脳会談(エジプト除外され非難強まる)
<アジア>
ヴェトナム、ソ連と友好協力条約を結ぶ(中国との対立深まる)
中国で新憲法公布、新国歌制定
毛沢東批判の壁新聞現れ、近代化路線へ
金大中氏釈放される
<日本>
日中平和友好条約調印
成田空港(新東京国際空港)開港
円高が進み、一時1ドル=180円を割る
大平内閣成立

<芸術、文化、商品関連>
「叫び声」ジェイムズ・マクファーソン著(ピューリツァー賞受賞)
「海よ、海」アイリス・マードック著(ブッカー賞受賞)
「亡命詩人、雨に消ゆ」ウィリアム・H・ハラハン著(エドガー賞)
ジャンニ・ヴェルサーチ・ブランド誕生
ラフォーレ原宿オープン
<音楽関連(海外)>
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のヒットで世界的なディスコ・ブーム
アフリカ・バンバータがズールー・ネイションを設立。ヒップ・ホップ文化を生み出す先駆けとなる
インドネシアで、ググム・グンピーラがジャイポンガンを創始する
ローデシア(ジンバブエ)でトーマス・マプフーモがザ・ブラックス・アンリミテッド結成し、独立解放のための音楽「チムレンガ」を発表し始める
小アンティル諸島出身のカッサヴ結成、フランスで活躍開始
韓国でパーカッション・グループ、サムルノリが結成される
<音楽関連(国内)>
キャンディーズ解散
矢沢永吉の自伝エッセイ「成り上がり」が100万部を超えるヒットとなる
ピンク・レディーがラスベガスに続き後楽園球場でコンサートを開催。彼女たちのキャラクターを用いた商品が多数販売され、アーティスト・キャラクター・グッズ商法の先駆けとなる
<この年の音楽について>

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