「砂漠の惑星 NIEZWYCIEZONY」

- スタニスワフ・レム Stanislaw Lem -

<20世紀SF界の巨匠>
 この小説「砂漠の惑星」の作者スタニスワフ・レムは、英語圏ではなくポーランドの作家であること、映画化された作品が少ないこと(「ソラリスの陽のもとに」「金星応答なし」ぐらい)、作品の内容に冒険、戦闘、アクション・シーンがほとんどなく、哲学的、思弁的なものであること、などの理由から最近のSFファンにはあまり知られていない存在かもしれません。しかし、その内容の奥深さ、科学的知識の豊富さと新しさ、ドラマ展開の意外性・・・どれをとっても、「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラークや「私はロボット」のアイザック・アシモフなどに匹敵する作家のはずです。
 彼はSF小説以外にも多くの作品を残していますが、中でも本書「砂漠の惑星」と「ソラリスの陽のもとに」「エデン」の三作品は、SF史に残る三部作として未だに高く評価されています。その三作品で描かれているのは、SFにおける最も定番的なテーマのひとつ「第一次接近遭遇(ファースト・コンタクト)」についてです。しかし、そこで描かれているのは、それまでのSF小説には登場したことのない異色の生命体ばかりでした。人間とはあまりにもかけ離れた生命との交信は可能なのか?そして、そのことに意味はあるのか?もともと「異星人」という呼び方は、人類と接触する他の星の生命体が人型であるという前提に基づいています。しかし、他の惑星に生息する生命体が人間型である可能性はどれだけあるでしょう?さらにいうなら、それが本当に「生命体」と呼べるような存在かどうか?それもまた疑問です。レム自身、「ソラリスの陽のもとに」のあとがきでこう書いています。ちょっと長いのですが、お読み下さい。

「・・・現在われわれは遠い宇宙に飛び立とうとしている。人間が他の惑星の理性的存在と出会うようになるのはいつかということはまだわからないが、しかし、いつかはかならず出会うであろう。SFはこの問題について非常に多くの作品を生み出していて、そこにはすでに、他の惑星の理性的存在との接触のありうべき可能性について三つの紋切型ができあがっている。
 その三つの型とは、われわれが宇宙の他の理性的存在と平和的に協力関係を打ち立てるようになるか、でなければ、両者の間に摩擦が起こって、場合によってはそれが宇宙戦争にまで発展し、その結果、地球人が”かれら”に勝つか、あるいは”かれら”が地球を征服するよいうになるか、という三つの可能性である。しかし、私に言わせれば、このような定式はあまりに図式的である。それは、地球的な諸条件、つまりわれわれがよく知っている諸条件を宇宙という広大無辺な領域に単に機械的に移し変えたものにすぎない。星と、星の世界への道は、単に長くて困難なものであるだけでなく、さらに、それは、われわれの地球上の現実がもつ諸現象とは似ても似つかない無数の現象に満ちていると私は思う。宇宙は、<銀河系の規模にまで拡大された地球>では決してないであろう。それは質的に新しいものである。・・・・・
 私はこの問題をもっと広い立場から解明したいと思った。そのことは、ある特殊な文明を具体的に示すよりはむしろ、”未知のもの”をそのもの自体として示すことのほうが、私にとって重要であったということを意味する。私はその”未知のもの”を一定の物質的現象として、物質の未知の形態以上のものとして、人間のある種の観点から見れば、生物学的なもの、あるいは、心理学的なものを想起させるほどの組織と形態をもちながらも、人間に対して、一連の認識的、哲学的、心理的、倫理的性格の問題を提起するに違いない・・・・・」


 これだけ自らの作品やSFについて論理的に語る作家スタニスワフ・レムとは、いかなる人物なのでしょうか?彼ついてわかっていることを少々書き記しておきましょう。

<スタニスワフ・レム>
 スタニスワフ・レムは、1921年9月12日ポーランドのルヴフに生まれています。父親が医者だったこともあり、成績優秀だった彼もまた医者を目指し、1940年ルヴフ医科大学に入学します。ところが、1941年ドイツのポーランド侵攻により学業は中断され、戦時中、彼は工場で自動車の組み立てや溶接工として働くことになります。
 1944年、ドイツの敗戦により、彼は再び学業を再開します。1946年には両親と共にクラクフに引越し、ヤギェウォ大学の医学部で勉強を続けますが、この頃から彼は文学に興味を持つようになります。そして、カトヴィツェの雑誌「新しい冒険の世界」に「火星から来た男」という小説を発表。作家としての活動を始めます。
 1948年に彼は大学を卒業しますが、医者にはならず大学の学術セミナー研究員となり、科学雑誌「科学生活」に学術書の書評を書くようになります。同時にSFではない現代小説「失われざる時」(3部作)を完成させ、作家として本格的な活躍を開始します。(この小説は、ナチス・ドイツによって壊滅させられた精神病のサナトリウムを舞台とした戦争文学作品。トーマス・マンの「魔の山」を意識したとも言われるこの3部作により、彼の名はポーランド文学史に永遠に刻まれることになりました)
 1951年、彼は初のSF長編小説「宇宙飛行士たち」(邦訳「金星応答なし」)を発表し、SF作家としての本格的な活動を開始します。同じ年、彼は翌年上演されることになる戯曲「ヨット『パラダイス8』号」も執筆しており、評論家、現代文学作家、SF作家、戯曲作家など、多彩な仕事ぶりは、その後もずっと続くことになります。それらの著作の中には、哲学、社会学、物理学、サイバネティックス、天文学、生物学、医学、情報理論、心理学など、様々な要素が盛り込まれており、どれも専門的な知識に基づくものです。こうした多彩な知識は当然彼の後のSF作品に注ぎ込まれることになります。
 1959年、ポーランド復興十字勲章を受章した彼は、この年、長編SF小説「エデン」、長編現代小説「捜査」を発表。さらに1961年、彼は「星からの帰還」、「浴槽で発見された手記」、「ソラリスの陽のもとに」、短編集「ロボットの本」と次々に名作を発表。この時期、SF作家レムのキャリアにとっては黄金時代だったといえます。しかし、彼の他分野での活躍はこの後も長く続くことになります。
 1962年、文学新聞の編集に参加したり、テレビ番組のシナリオ、エッセイなどを執筆。1964年には、科学技術に関する論文を集めた「技術大全」を発表。そして、同じ1964年に発表されたのが、本書「砂漠の惑星」でした。(原題は「無敵」)
 彼の仕事は、その後、SFよりも科学技術全般の普及活動やポーランド科学アカデミー委員としての活動、そして現代文学の作者としての活動へと方向が変わってゆき、本格的なSFは書かなくなります。それだけに、「エデン」「ソラリスの陽のもとに」「砂漠の惑星」からなる三部作の価値は高いといえます。
 彼は2006年3月27日ポーランドでこの世を去りました。

<ファーストコンタクト三部作>
「エデン」(1959年)
<あらすじ>(ネタバレ注意!)
 惑星エデンに不時着した地球の宇宙船の乗組員たちは、その惑星で不思議な生命体「エデン人」と出会います。調査を続けた地球人の科学者たちは、エデン人は遺伝子操作によって生み出された改造生命体であることをつき止めます。そして、不思議なことに、彼らは一つの生命体が思考部分と労働部分に分かれた複合生物として作られていました。さらに調査を続けた彼らは衝撃的な発見をします。彼らを生み出すために作られた大量生産のためのオートメイション工場からは、不良品として大量のエデン人の死体が廃棄されていたのです。なぜ?なんのために、彼らは大量に作り続けられ、大量に投棄されているのか?支配者たちはどこに行ってしまったのか?科学者たちは、その謎を解くためエデン人たちとの対話を試み始めます。

 この小説においては、「中央集権国家」と「遺伝子操作」が究極のところまで進むとどうなってしまうのか?その一つの可能性を描き出しています。しかし、具体的にその社会がどんなシステムのもとで管理されているのか?そのへんは、最後ま明らかにされず、あまりにも不思議な世界はなんだかカフカの不条理小説の世界のようでもあります。

「ソラリスの陽のもとに(惑星ソラリス)」(1961年)
<あらすじ>(ネタバレ注意!)
 そのほとんどが、原形質状の海で覆われた謎の惑星ソラリス。宇宙船から科学者が実験のためX線を照射したことがきっかけで、その海が直接宇宙船内の地球人の脳に接触してきます。なんと彼らは脳内を電磁波によって探査し、彼らの潜在記憶に潜む傷跡をイメージ化し、それを宇宙船内で実体化させていたのです。
 宇宙船を調査に来た主人公の目の前にも、自殺したはずの彼の妻が現れ、彼の忘れかけていた心の傷を思い出させるのでした。なぜ、ソラリスの海はそんなことをするのか?それは地球人に対する攻撃なのか?単なる交信にすぎないのか?主人公はいつしか妻の存在を素直に受け入れるようになり、自分が居る場所がどこなのかもわからなくなってくるのでした。

 ソラリスによる人類への接触方法は、驚くべき方法ですが、最近ではイルカの精神治療効果が有名になっており、人類と異なる生物の精神的な交信は十分にありうるように思えます。この壮大な惑星規模の交信方法が多くの作家たちを刺激するのは当然で、ソ連の巨匠アンドレイ・タルコフスキー、今やアメリカの巨匠となったスティーブン・ソダーバーグによって2回も映画化されているのもうなずけます。

 そして、このテーマにおける3作目として書かれたのが、本作「砂漠の惑星」で、本作は最も完成度が高く分かりやすい作品に仕上がっていると思われます。

「砂漠の惑星」(1964年)
<あらすじ>(ネタバレ注意!)
 6年前に消息を断った宇宙船コンドル号探索のため通称「砂漠の惑星」ことレギス第三惑星に着陸した無敵号は、無傷のまま放置されたコンドル号を発見します。船内に生存者はなく敵の攻撃に応戦した形跡もありませんでした。
 なぜ、コンドル号の乗員は宇宙船を離れたのか?謎を解くため、無敵号の乗員であるロハンは隊を引き連れて、惑星の調査に出かけます。しかし、その星に生物はまったく見当たらず、ただ砂漠が延々と続くばかりでしたが、ある場所で彼らは金属で出来た植物のような建造物を発見します。その後、さらに彼らは同じように金属でできた巨大な都市らしき構造物を発見しますが、そこにも生物の痕跡はありませんでした。しかし、誰が何のためにそうした構造物を作ったのか?そして、彼らはその砂漠に潜む驚くべき擬似生命の存在を知ることになります。

<脳内攻撃>
 「ソラリス」において惑星の海が行なった脳内部の探査に近い行為。それをレギス第三惑星の機械生物は、他者からの攻撃に対抗するために用います。単に敵の脳内のシステムを無効にする目的なので「ソラリス」のような高度な利用法ではないかもしれません。しかし、それはより具体的で可能な方法でもあります。
 脳の記憶メカニズムがどのようになっているのか、その詳細は未だに明らかになっていません。しかし、それが脳内を駆け巡る神経系を電気回路のように流れる電気信号の形であることは明らかになりつつあります。より多く、よりくり返し流れる電気信号の流れは、しだいに反固定化され、それが長期記憶となってゆくらしいのです。したがって、強力な磁場によって、デジタル時計を狂わせることが可能なのように敵対生命の脳内記憶(脳内回路)を破壊することも十分に可能かもしれません。
 この方法は戦場において、敵を殺すよりも有効な攻撃方法といえるかもしれません。地雷という兵器は、敵兵を殺すのではなく歩けなくすることが目的の兵器だといわれます。それは兵士を一人歩けなくすることで、その兵士を看護する兵士とともに二人の兵士を戦闘不能にすることが可能だからです。もしかすると、将来、どこかの企業が人を殺さない「世界初の人道的兵器」として、脳内破壊兵器を兵器の展示会で発表するかもしれません。(そうじゃなくても、アメリカの軍隊では多くの兵士が兵役後、PTSDによって精神を病み、戦場から帰国してもなお長く苦しんでいると聞きますが・・・・・)
 
<生命とは何か?>
 人工生命についての最新科学として誕生したばかりだった新たなジャンル「サイバネティックス」と生物の進化を中心主題とするこの小説は、新たな「異星人」である「機械生命体」を登場させた画期的なSFです。それまでの作品で、「異星人」を「知能をもつ生命体」へと拡大させた彼は、この作品で「進化し続ける機械」を新たな生命と位置づけてみせました。ここで彼は「生命とは何か?」という人類永遠のテーマにまで踏み込んでみせたともいえます。
 現在の科学において、「生命とは何か?」という問いに対する答えは、「秩序を維持もしくは進化させ続けることのできるシステム」となるでしょうか。ここで言う秩序とは、ほぼ肉体のことであり、子孫を残し種を保存する行為まで含めて初めて、それは生命と認められると言えます。しかし、そのことを実行するためにオスとメスの存在やSEXの必要性はないはずです。自らエネルギー源を確保し、その活動を維持してゆくことが可能だとすれば、無生物である機械にも「生命体」と呼ばれる資格が生じる可能性はあるということです。では機械が生命を生み出し、なおかつエネルギーを最小限に抑えるにはいかなる形態、いかなるシステムが必要か?スタニフワフ・レムという作家は、その回答を求めようとしていました。三部作の中、「砂漠の惑星」は、明確な論理的説明が与えられており、読みやすい作品になっています。ただし、この究極の機械生命体に対して、人類最強ともいえる宇宙船「無敵号」は歯が立たず惑星からの撤退を余儀なくされます。(まるで映画「エイリアン」シリーズの最強の進化生命体エイリアンを思わせます)この小説は、人類の宇宙における「孤独」を描き、人類の「無力さ」をも描いたのです。
 もし、この小説に続編があるとしたら、もし、レギス第三惑星から帰った宇宙船に生命体が侵入していて、それが他の星での繁殖をプログラムされたものだったとしたら・・・。彼らは、宇宙全体への繁殖を開始するための第一歩として地球にやって来るかもしれません。この小説は、CGを利用することで今なら十分に娯楽映画として成立する題材になったと思います。絶対、面白い映画になるはず!

「砂漠の惑星(原題「無敵号) NIEZWYCIEZONY」 1964年
(著)スタニスワフ・レム
(訳)飯田規和
ハヤカワ文庫

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