退行進化のテクノ・ポップ from USA


- ディーヴォ Devo -

<活躍を続けるテクノポップ・バンド>
 1970年代末のテクノ・ブームにおけるクラフトワークYMOに継ぐ存在そして一世を風靡したバンド、Devo。ストーンズのカバー曲でありブレイク作となった「サティスファクション」があまりにインパクトが強かったせいか、彼らは一発屋と思われているかもしれません。しかし、彼らは1976年のデビュー以来、解散もせず、21世紀に入ってもなお活動を続けています。2003年にはサマーソニック出演のために来日。2010年にはアルバム「サムシング・フォー・エブリバディ」を発表しています。
 思えば、彼らは2組の兄弟を中心に結成されたバンドだったので、絆が強すぎて解散しようもなかったのかもしれません。

<アート志向のテクノ・パンク・バンド>
 2組の兄弟のうちの二人、ジェリィ・キャセールとマーク・マザーズバーグがケント州立大学で出会ったのは1971年のこと。その4年後、二人は自主制作の短編映画のためにバンドを結成します。それがDevoでした。Devoという名前は、De-Evolution(退行進化)のことで、「人間は退化した生物である」というコンセプトに基づいています。もともと大学で美術を専攻していた二人が目指したのは、アート志向のロックバンドでした。彼らはアートの世界では、自分たちの表現したいことが伝えられないと考え、バンド活動に移行したようです。
 当時、アメリカのロック界で活躍していたミュージシャンたちの多くはアート畑出身の若者たちでした。トーキングヘッズのデヴィッド・バーンも美術を学んでいたし、パティ・スミスは詩人を目指していました。さらにパンク・ムーブメントによって、ロック界は急激に変化しつつあり、若者たちにとっては自由度が増し、様々なスタイルを打ち出すことが可能になっていた時代でした。だからこそ、彼らはデビューと同時に独自のプロダクションを立ち上げ、黄色い紙のつなぎのユニフォームを着たり真赤なおかしな帽子をかぶったりと、音楽以外の部分でも独自のコンセプトを打ち出したのでしょう。

<兄弟の絆バンド>
 当初のメンバーはすべてが身内。ジェリィ・キャセールがベースを担当し、弟のボブ・キャセールはギター。マーク・マザーズバーグは、ヴォーカル、ギター、キーボードを担当し、彼の二人の弟、ボブはギターでジムがドラムを担当していました。たまたまボブが二人いたため、ボブ・マザーズバーグがボブ1号で、ボブ・キャセールをボブ2号と呼ぶことになったようです。
 彼らはステージで電気洗濯機の音を使ったり、非人間的な動きを取り入れることで、不気味な可笑しさを表現。コマーシャリズムの影響を受けずに、独自性を追求するためなのか、彼らは自主レーベル「ブージーボーイ」を立ち上げ、ジムはマネージャーに転向します。(ドラマーとして、アラン・マイヤーズが参加)

<ブームに乗った人気バンド>
 1977年、彼らはデビュー・シングル「ジョコー・ホモ Jocko Homo」を発表します。すると、この曲は本国アメリカではなくパンクの本場イギリスでチャートの51位まで上昇。そして次なるシングル「サティスファクション [I Can't Get No]Satisfaction」は、やはりイギリスで41位になり、一躍彼らの名は注目を集めることになりました。(でも、41位とは意外です。せめてベスト10ぐらいには入っていると思っていたのですが・・・)しかし、トッド・ラングレンブライアン・イーノデヴィッド・ボウィらの大物アーティストたちが彼らを高く評価。そして、ブライアン・イーノがプロデュースを担当して、デビュー・アルバム「頽廃的美学論 Q:Are We Not Men ? A:We Are Devo!」(1978年)がメジャーのワーナーから発売されました。このアルバムは、「サティスファクション」のミュージック・ビデオのブレイクもあって大ヒット、全英で12位、全米でも78位となりました。
 1979年、セカンド・アルバム「生存学未来論 Duty Now For The Future」を発表し、初来日を果たします。この年はYMOがあのブレイク・アルバム「ソリッド・ステイト・サバイバー」を発表していて、テクノポップ・ブームが日本中を席巻。Devoもその勢いに乗り、日本でも大人気となりました。
 1980年のアルバム「欲望心理学 Freedom of Choice」は、全米22位のヒットとなりました。
 1981年に4作目のアルバム「ニュートラディショナリスト New Traditionalists」も全米で24位のヒットなり、日本での人気の高まりから彼らはホンダのテレビCMに出演しています。

<アクロンの街が生んだバンド>
 Devoの出身地、オハイオ州アクロンの街は、世界的なタイヤ・メーカーのグッドイヤー本社がある工業都市です。自動車産業の様々な工場がこの州に数多くあり、街からはトマス・エジソン、ライト兄弟などの発明家を生んだ土地でもあります。アメリカ中東部の田舎街からなぜ、テクノ?だったのかは、そんな街の特徴から理解できるかもしれません。
 彼らのユニフォームとして有名な黄色のつなぎも、そんな工場の街だったことから生まれたものであり、ロボット的な演出も必然的だったことがわかります。これは偶然でしょうが、1977年彼らがデビューした年は、アクロンの街にホンダが進出して工場が操業を開始した年でもあります。
 後に彼らが日本でホンダのテレビCMに出演したのも、運命だったのかもしれません。

<活動を継続するバンド>
 1981年、彼らは大規模な全米ツアーを敢行。ライブアルバム「Devo Live」を発表します。
 1982年、5作目のアルバム「Oh ! I'ts Devo」を発表後、しばらくバンドは活動休止状態となります。
 その間に、マークは日本のテクノポップバンド、プラスチックスの立花ハジメのソロアルバム「Hm」に参加しています。思えば、プラスチックスも凄いバンドでした。僕は一度トーキングヘッズのライブに前座で出演した時に見ましたがかっこよかった。
 1984年、久々のアルバム「Shout」を発表しますが、ここでワーナーとの契約が終了し、彼らの音楽活動もしばらく休止状態となります。この頃、すでに彼らは売れるバンドではなくなっていたようです。
 1988年、エニグマ・レコードと契約が成立し活動を再開させた彼らは7作目のアルバム「Total Devo」を発表。このアルバムではドラマーのアランが脱退し、代わってデヴィッド・ケンドリックが参加しています。
 1989年、ライブアルバム「退化の改新 Now It Can Be Told~Devo At The Palace 12.9.88」発売。
 1991年、「ディーヴォのくいしん坊万歳 Smooth Noodle Maps」発売。ここから先はRYKOレーベルから企画アルバムを発売し、1993年にはベスト・アルバム「Hot Potates:The Best of Devo」が発売されています。これで普通なら解散して、活動休止になるところかもしれません。
 しかしその後、21世紀に入り、彼らは活動を再開させています。

 テクノ・ポップといえば、未来的なイメージの電子音楽でクラフトワークは、そうしたSF的イメージを音楽化することで独自のイメージを作り上げました。しかし、Devoはそうしたイメージに対抗するように人類の退化をイメージに音楽と演出を行い独自の世界観を作り上げました。芸術不毛の土地と思われがちなアメリカのいなかの工業地帯から突然変異のように現れた彼らは、ロックの進化史に登場した「ネオテニー(退行進化)」の音楽である「パンクロック」とテクノロジーを融合させたバンドだったといえます。ところが、そこから生まれたのは、人類の進歩と明るい未来ではなく、人類の退化と文明の崩壊だったとしたら・・・。
 ところで、アメリカの自動車産業が崩壊しかかった1980年代と彼らの活躍は同じ時期でした。これって偶然だったのでしょうか? 

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