難解になった21世紀アメリカ文化を象徴する作家


「天使エスメラルダ - 9つの物語 The Angel Esmeralda」

- ドン・デリーロ Don DeLillo -

<現代アメリカを代表する作家>
 この本のあとがきにもあるように、20世紀から21世紀にかけてのアメリカを代表する作家をあげるとすれば、トマス・ピンチョン、フィリップ・ロス、コーマック・マッカーシーと並んで、ドン・デリーロが入るのかもしれません。(これはアメリカ文学界の一般的な評価でしょうが)しかし、前記3人の作家たちに比べれば、ドン・デリーロの知名度はかなり低いといえるし、実際に読まれている本の数も桁違いに少ないでしょう。
 日本では、さらにその傾向が強く、彼の小説は売れないどころか、多くは初版後再版されないまま絶版になっていて、読みたくても読めない状況にあります。なぜ、そうなってしまったのか?正直、彼の小説は難解です。以前、映画化もされた近未来的小説「コズモポリス」を読みましたが、正直、「?」の連続でした。(この小説は2012年にあのデヴィッド・クローネンバーグ監督によって映画化されています!)

<難解な作品の楽しみ方>
 今回、この短編集を読んで、やっとドン・デリーロの小説を楽しむための基本がわかりました。彼の小説は、「物語」の起承転結を楽しむのではなく、小説に描かれた「世界観」そのものを楽しむべきなのです。そのことを、この短編集はわかりやすく教えてくれる素晴らしい入門編だと思います。
 ここで先ずは、この本に収められている短編小説の背景・ストーリー概略を紹介してみます。

「天地創造 Creation」 1979年
天候不良とオーバー・ブッキングによって、カリブ海のリゾート島に取り残されてしまった二人の男女の不条理ドラマ。
僕も昔、インドで同じように飛行機に乗れず、数日間、デリーの街に足止めされ、暇を持て余したり、帰るためにジタバタしたことがあります。この時に、この小説のように空港で同じ飛行機に乗るはずの日本人夫婦が離れ離れになるという事件があり、その旦那と一緒に空港でビールを飲んだ思い出があります。これは、けっこう誰にでもありうる経験かもしれません。
誰も体験しうる「不条理の世界」といえるでしょう。

「第三次世界大戦における人間的瞬間 Human Moment in World War Ⅲ」 1983年
地球を見下ろす人工衛星乗った宇宙飛行士が地上で起きてしまった世界大戦を眺めるという不気味な近未来SF。
最近は宇宙ステーションに半年間もいられる時代ですから、こうした状況もまたありうることかもしれません。
この作品もそうですが、ドン・デリーロという作家は基本的にSF作家の延長にいるのだと思います。

・・・彼はもはや地球のことを、図書館にあるたぐいの地球儀として語らない。生命を帯びた地図としても、広大な宇宙云々というイメージは、ヴォルマーとしては精一杯思い切った想像力の飛翔だった。戦争によって、彼が地球を見る目は変わった。地球とは、体よく辞書的に言えば、陸と水から成る、死すべき人間たちの生息地である。彼はもはや地球を、華麗な言語を弄すべき場、呑気な戯れや思索のための場と見ていない。・・・

 ここでは宇宙飛行士は、ある意味、地球の運命を見届ける目撃者であり、神でもあるのかもしれません。

「ランナー The Runner」 1988年
ジョギング中のランナーが誘拐事件に遭遇。しかし、他の目撃者たちとの証言はなぜか食い違います。何が真実なのか?
ニューヨーク版の「羅生門」といった感じかな。
彼の作品は、非日常の世界に巻き込まれた人々が混乱させられることで、我々が住む日常の世界もまた偽物ではないのか?と感じさせます。

「象牙のアクロバット The Ivory」 1988年
ギリシャで起きた大地震の混乱に巻き込まれた主人公。メディア、政府の発表は、どこまでが真実なのか?
著者も同じようにギリシャで地震に遭遇したとのことです。

「天使エスメラルダ The Angel Esmeralda」 1994年
崩壊したニューヨークのブロンクスで貧民たちを援助するカトリックの修道女が出会った少女エスメラルダ。しかし、彼女はある日、何者かによって殺されてしまいます。
そして、彼女の死後、奇跡が起きます。
神の存在を否定する著者が、奇跡の存在を示すのはなぜか?
今や空想の世界にしか救いは存在しないのでしょうか?それとも、確かに救いは存在していて、それが「神」と呼ばれてきた「運命の意志」なのでしょうか?

「バーダー=マインホフ Baader - Meinhof」 2002年
ドイツ赤軍メンバーの死を描いた絵画を見に来る人々。
テロリストとして死んだ人々を通して、テロリズムについて考えさせられます。

「ドストエフスキーの深夜 Midnight in Dostoevsky」 2009年
大学生二人が近所に住む謎の老人の正体、過去について、想像、妄想を展開します。
変わり者二人の不思議な友情を描いた青春ドラマ。

「世界の終わるところで論理も終わる」

「槌と鎌 Hammer and Sickle」 2010年
経済犯罪者が収容された特殊な刑務所内の近未来SF経済ドラマ。
現代の経済・社会・文明、拝金主義世界についての問いかけでもある。

「瘦骨の人 The Stareeling」 2011年
離婚後も妻と同居を続ける主人公。彼は毎日毎日映画館を巡り歩き映画を観続けます。何のために?

人間存在はすべて光の錯覚である。

 彼女が何者であるかを伝えるひとつの真実、深さ。いっさいの時間感覚を彼は失い、彼女もそうしているかぎり自分もじっと動かぬままでいようという気で、不断に見守り、規則正しく息をし、決して過たなかった。
 彼がまばたきひとつでもしようものなら、彼女は消えてしまうだろう。


 どの作品も、あなたをこの世のどこにもまだないが、いつか体験するかもしれない世界へと連れて行ってくれるはずです。迷路のような少々ややこしい世界ではありますが、時に悲しく、時に可笑しく、時に恐ろしく、時に不条理な「デリーロ・ワールド」への旅にこの短編集から旅立っていただければと思います。

<ドン・デリーロ>
 1936年11月20日、ニューヨークの下町ブロンクスに生まれています。(小説の舞台も、ニューヨークが多い)1958年に大学を卒業後、長編小説「アメリカーナ」でデビュー。1985年発表の「ホワイト・ノイズ」で全米図書賞を受賞して一躍注目の作家となりました。
 1997年の「アンダー・ワールド」は彼にとって最大のヒット作となったが、海外での知名度は低い。しかし、アメリカの作家の中でも毎回ノーベル文学賞の候補に名前が挙がる作家。ブルックリン生まれのアメリカ人らしく野球ファンのようで、2005年公開(サンダンス映画祭にて)の「ライフ・イズ・ベースボール」では彼が脚本を担当。レッドソックス・ファンにとっては忘れられない悪夢の敗北をきっした1986年のワールド・シリーズを背景にした人々のドラマを描ています。メジャーリーグ・ベースボールというきわめてアメリカ的な文化を描く彼は、まさにアメリカ的作家なのです。
 その他の作品としては、「リブラ」(1988年)、「ボディ・アーティスト」(2001年)、「墜ちてゆく男」(2007年)、「コズモポリス」(2003年)など。

<参考>
「天使エスメラルダ - 9つの物語 The Angel Esmeralda」
 2011年
(著)ドン・デリーロ Don DeLillo
(訳)柴田元幸、上岡伸雄、都甲幸治、高吉一郎

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