「ドント・ルック・バック Don't Look Back」 1967年

- ボブ・ディラン Bob Dylan -

<傑作でありながら知名度が低い幻の作品>
 この作品は、20世紀を代表するミュージシャンというよりアーティスト、ボブ・ディランのライブ・ステージはもちろん日常をもとらえた数少ないドキュメンタリー映画です。しかし、この作品は製作年度が古いせいと日本における公開が完成後ずいぶんたってからだったため、意外にその存在を知られていません。
 撮影されたライブは1965年夏にイギリスで行われたものでしたが、この映画が公開された1967年時点、ボブ・ディランは「フォークの神様」から「フォーク・ロックの先駆者」へと大きく変貌をとげていました。日本ではその公開がさらに遅れたわけですから、その価値が理解されなかったのは当然だったのかもしれません。
 しかし、今改めてこの作品を見ると、彼の音楽の価値の高さ、彼の言葉の持つ意味の深さ、彼の顔や一挙手一投足の格好良さ、モノクロ映像がとらえた60年代イギリスの風俗など、どれをとっても一級品であることに驚かされるはずです。(つい最近出版されたボブ・ディランの伝記本「ダウン・ザ・ハイウェイ」を読むとさらにその裏まで知ることができます)

<人間ボブ・ディランの魅力>
 もちろん、この作品の見所は、文句なしに人間ボブ・ディランの魅力にあります。そこには、「カリスマ性とは、こういうことを言うのだ」と納得させてくれる強烈な凄みがあります。ライブ映像がとらえた歌の魅力はもちろんのこと、バック・ステージでのやりとりや彼に群がるインタビュアーらとのやりとりにも、そのカリスマ性がたっぷりと感じられます。彼の言葉すべてが素晴らしい詩に感じられます。それだけではありません。彼の立ち居振る舞いやヘアー・スタイルまでもが、詩的であり格好良く見えるのです!
 とはいえ、最も格好良いのは、現代ではめったに見ることのできなくなった緊張感に満ちた「言葉のボクシング」をする彼の姿です。
 一流雑誌「タイム」のベテラン記者でも、学生新聞の若い記者であっても、その言動が気に入らなければ徹底的に言葉によってやりこめる厳しさとその話術は、この映画の見所です。(ただし、この箇所は映画のために強引に作られたものだったと、当の記者は後に主張していますが・・・)そして、その厳しさは、バンドのメンバーにもしっかりと向けられています。アニマルズからディランの元に移籍してきたばかりのアラン・プライスを彼が怒鳴りつける様子は、いかに彼がすべてにおいて厳しく当たっていたのかを物語るものです。そして、この厳しさが彼自身にも向けられていたからこそ、彼はこの後も次々と歴史に残る作品を生み出すことができたのだと、納得させられます。

<もう一人のカリスマ、アルバート・グロスマン>
 そんなカリスマ的人物ディランと五分に渡り合う唯一の男、マネージャーのアルバート・グロスマンは、この映画におけるもうひとりの主役と言えるのかもしれません。
 TV局とのギャラ交渉を行う際のしたたかさとその落ち着きぶりは、まるでギャング界の大立て者のような風格を漂わせています。(実際彼は公務員時代に事件を起こして首になっており、その過去にはかなり怪しげな部分があるようです)しかし、そんな辣腕ぶりとは対照的に彼ほどボブ・ディランを理解していた人物も少なかったのかもしれません。(もしかすると、ボブのカリスマ性はアルバート・グロスマンという存在を得て初めて生み出すことができたものかもしれません)
 ボブ・ディランという強烈なエゴの固まりをコントロールした男は、この後ザ・バンドを見出し、ボブのバック・バンドに抜擢、彼らをアメリカを代表するバンドへと育てて行くことにもなります。
 但し、アルバート・グロスマンについては、お金が目的のもの凄い商売人であったこともまた、確かなようです。ボブ・ディランとも後に契約問題でもめて訴訟事件にまで発展することになります。 ドクター・ジョンの自伝「フードゥー・ムーンの下で」によると、ドクター・ジョンはアルバート・グロスマンとマネージメント契約を結んだことで収益の3分の1を彼にもっていかれることになり、そのくせ実際には彼の部下に任せっきりであったため、彼を首にしたと書かれています。(その後、彼にさんざん仕事を妨害されたとも書いています)

<ボブ・ディラン激動の時>
 この作品には、1963年に彼がアメリカ南部ミシシッピー州で行われた選挙人登録集会でギター片手に歌う若々しい姿も収められています。イギリス公演からは、たった2年昔のことなのですが、ディランは実に若々しく青春まっただ中といった感じです。(この映像は、彼がかつてギターを片手にアメリカ中を旅していたという偽の履歴を補うために挿入されたのかもしれないのですが、かなりの危険を冒して実施されたものでもありました)
 ウディー・ガスリー直系の弟子として、プロテスト・フォークを歌う草の根のホーボー・シンガーだったボブ・ディラン。それが2年後にはアメリカのフォーク界だけでなく新たなジャンル、フォーク・ロック界のパイオニアとして、ロンドンの名門コンサート会場、ロイヤル・アルバータ・ホールの舞台に立っていたのです。そして、この後も「転がる石」のように走り続け、変化をし続けます。
 この映画が公開されるよりも早く、彼は翌1966年に再び同じロイヤル・アルバータ・ホールのステージに立っています。しかし、この時すでに彼は後のザ・バンドの原型となるバック・バンドを従えており、彼の新たな顔エレクトリック・ブルース・ロックのスタイルが誕生しようとしていたのです。

<伝説のライブとトンガッていた時代>
 後に発売された、この時のロイヤル・アルバータ・ホールのライブには、ディランと観客との有名な口げんかなども収められており、まさに「ドント・ルック・バック」の続編とも言える緊張感に満ちています。ディランだけでなく、どのアーティストも、どの観客も、どの記者たちもが常にトンガッてて生きていた1960年代。この作品には、その時代の精神的リーダーのひとりだったビート詩人のアレン・ギンズバーグの姿も映っています。ロック・ファンにとっては、ある種あこがれの時代をタイム・カプセルに閉じこめたこの作品を是非一度ご覧下さい。

<オープニングの格好良さにはぶっ飛びです>
 そうそうこの映画、オープニングからして本当に格好良いのです。ディランの代表曲の一つ「サブタレニアン・ホーム・シック・ブルース」に合わせて、ディラン自身が無表情に淡々と歌詞が書かれたカードをめくって行くその姿は、なんだか映像によるヒップ・ホップといった感じです。この映像こそ、後のミュージック・ビデオの原点となった作品と言われています。このシーンだけでも見る価値有り!
 このイギリス・ツアーを終えて帰る旅の途中、彼はあの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を書きました。そして、その二ヵ月後、彼はロック・バンドをバックにしたがえてニューポート・フォーク・フェスティバルのステージに立ち、多くの保守的なフォーク・ファンからブーイング浴びせられることになります。こうして、新たな時代をリードするロック・ミュージシャン、ボブ・ディランが誕生することになりました。

<D.A.ペネベイカー>
 このドキュメンタリー映画の監督、D.A.ペネベイカー Donn Alan Pennebaker についても記しておかなければならないでしょう。1925年7月15日イリノイ州エヴァンストン生まれの彼は、1960年代から活躍しているアメリカを代表するドキュメンタリー映画作家です。手持ちカメラによるシンプルな映像の積み重ねにこだわるその手法は「ペネバイカー・ドキュメンタリーズ」とも呼ばれました。
 1960年にジョン・F・ケネディーの選挙戦をとらえたドキュメンタリー・フィルムの編集を担当し、その後フランスに渡りジャン=リュック・ゴダール知り合います。彼とは1968年共同で「ワン・アメリカン・ムービー」を撮ることになります。
 彼にとっては、この作品が出世作となり、その後多くのドキュメンタリー映画を撮ることになります。特に音楽ものの作品が多く、「モンタレー・ポップフェスティバル’67」(1968年)、デヴィッド・ボウィの代表作「ジギー・スターダスト」(1973年)などは特に有名です。
 その他にも、クリントン大統領の選挙戦を支えた男たちを描いたドキュメンタリー映画「クリントンを大統領にした男」(1993年)など多くのドキュメンタリー映画を撮っています。

「ドント・ルック・バック Don't Look Back」 1967年
(監)D.A.ペネベイカー D.A.Pennebaker
(製)アルバート・グロスマン、ジョン・コート
(撮)ボブ・ヴァン・ダイク Bob Van Dike
(出)ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ Joan Baez、ドノバン Donovan、アレン・ギンズバーグ Allen Ginaberg、アルバート・グロスマン

<あらすじ>
 1965年4月から6月にかけて行われたボブ・ディランの英国ツアー。そのステージを中心に記者会見、インタビュー、ホテルやバック・ステージでの会話、そこにそれまでの記録映像などを織り交ぜたドキュメンタリー映画。ライブ映像はもちろんですが、他で特に見ごたえがあるのは、インタビュアーたちとのやり取りの部分。次々に切れ味鋭い言葉を繰り出すディランの天才ぶり、傍若無人ぶり、過激ぶりはやはり半端ではないことがわかります。(ついこの間まで恋人だったはずの、ジョーン・バエズに対する彼の冷たい対応ぶりを見ると、天才と恋に落ちるのは考えものと思います)

20世紀映画劇場へ   トップページへ