- ドゥービー・ブラザース The Doobie Brothers -

<B級ロック・バンドの最高峰>
 イーグルスが70年代のウエスト・コースト・ロック・バンドを代表する輝けるA級スター・バンドとするなら、B級の代表格に当たるのは、このドゥービー・ブラザースかもしれません。
 バンド名の"Doobie Brothers"というのは、元々「マリファナ仲間」を指すスラングだというし(実際そうだったらしいのですが・・・)、メンバーの入れ替えが激しくリーダーすらも途中交代している主役不在の珍しいバンドという意味でも。「B級」という言葉は、ぴったりのような気がします。
 もちろん、B級に比べて音楽的な質が劣るという意味ではありません。ロックという音楽自体が、反体制、反主流の音楽として生まれたことを考えれば、B級であることは、ロック的であることの証かもしれないのですから。
 彼らのアルバム「スタンピート」のジャケット写真、カウボーイ姿で馬に乗る姿こそ彼らにピッタリのイメージなのです。それは、1970年代前半に静かなブームを巻き起こしていたニューシネマ系西部劇のどじな悪党グループ、サム・ペキンパーの作品なんかに必ず登場するB級のわき役たちのイメージでもありました。(L.Q.ジョーンズ、スリム・ピケンズ、ウォーレン・オーツ、ハリー・ディーン・スタントン、マット・クラークなど)
 だからこそ、僕にとってドゥービー・ブラザースと言えば、なんと言っても土臭いロックを演奏していた初期の頃が最高なのです。、後期のあか抜けたジャズ・ロック・バンドは、未だにイメージではないのです。

<ドゥービー仲間集まる>
 ある意味ドゥービー・ブラザースの歴史はメンバーの変遷史でもありましたが、そのスタートは1969年にまでさかのぼることができます。この年にLAで結成されたカントリー・フォーク系のトリオ、PUDのメンバーだったトム・ジョンストン、ジョン・ハートマン、グレッグ・マーフィーがその原点でした。このバンドのグレッグ・マーフィーがデイブ・ション・グレンに交代し、さらにタイラン・ポーター、パット・シモンズが加わって、第一期ドゥービー・ブラザースのメンバーがそろったのです。彼らはワーナー・ブラザースと契約し、さっそくデビュー・アルバム「The Doobie Brothers」を発表します。

<テッド・テンプルマンとの出会い>
 ファースト・アルバムのプロデューサーは、後に数多くの名作ロック・アルバムを手がけることになる元ハーパーズ・ビザールのテッド・テンプルマンでした。彼にとっては、これがプロデューサーとしての初仕事だったのですが、セカンド・アルバムのプロデューサーも途中から担当した彼は早くも結果を出します。このアルバム「トゥールーズ・ストリート Toulouse Street」(1972年)からシングル「Listen To The Music」が全米11位となる大ヒットとなったのです。
 彼はこの後、リトル・フィートの「セイリン・シューズ」、ヴァン・モリソンの「テュペロ・ハニー」、エリック・クラプトンの「Behind The Sun」、その後もヴァン・ヘイレン、サミー・ヘイガー、デヴィッド・リー・ロスらのアルバムを手がけるなど、70年代から80年代にかけて、ロック界を代表する大物プロデューサーとなります。

<「キャプテン・アンド・ミー」誕生>
 セカンド・アルバムの完成時点で、デイブ・ショングレンはタイラン・ポーターと交代、さらにリズムを強化するために当時ちょっとしたブームとなっていたツイン・ドラムスを採用。そのためにドラマーとしてマイケル・ホザックを加えました。そしてこのメンバーに、ゲストとしてリトル・フィートのビル・ペイン、スティーリー・ダンのジェフ・バクスターらが参加して作られたのが、今やロックにおけるスタンダード・ナンバーとなった名曲中の名曲「ロング・トレイン・ランニン」と「チャイナ・グローブ」を収めた彼らの最高傑作のひとつ「キャプテン・アンド・ミー Captain And Me」(1973年)でした。

<「ドゥービー天国」誕生>
 前作とほぼ同じメンバーで制作されたアルバム「ドゥービー天国 What Were Once Vices Are Now Habits」(1974年)からも、元々シングルのB面として発売された「ブラック・ウォーター Black Water」があれよあれよという間に全米1位にまで登りつめてしまいます。彼らはウェスト・コーストを代表するバンドから一気にアメリカを代表するロック・バンドへと登りつめてしまったと言えるでしょう。しかし、ここで再びメンバーが変わります。

<メンバー・チェンジ Vol.2>
 ゲスト参加していたジェフ・バクスターが正式にメンバーとして加わることになり、ドラムがマイケル・ホザックからキース・ヌードセンへと交代し、ツイン・ドラムスとトリプル・ギターという、よりパワフルな構成が誕生しました。こうして、生まれたのが僕が個人的に大好きなアルバム「スタンピート Stampede」(1975年)でした。しかし、運命は彼らにより大きな変化を要求してきました。バンドのリーダー兼ヴォーカリストでもあり、ほとんどの曲の作者でもあったトム・ジョンストンが、ツアー中に突然倒れてしまったのです。慌てた彼らは、急遽ヴォーカルのできる新メンバーを迎えます。こうして代役として加わったのが、ジェフ・バクスターと同じスティーリー・ダンのメンバーでキーボードと歌を担当していたマイケル・マクドナルドでした。

<「ドゥービー・ストリート Doobie Street」誕生>
 こうして作られたアルバム「ドゥービー・ストリート Doobie Street」は、明らかに新メンバーの影響による今までにない作品に仕上がっていました。それまでのパワフルなロックは、あっという間に都会派のジャージーなロックへと変身してしまったのです。しかし、それはマイケル・マクドナルドのジャズ的なキーボード・プレイとソフトなヴォーカル・スタイルからすれば当然の変化だったのかもしれません。

<ロックの新しい流れに乗って>
 しかし、彼らの変化は時代の変化でもありました。1976年と言えば、AOR元年、フュージョン元年とも言えるほど「大人向けのロック・アルバム」が次々にヒットした年だったのです。
「Year of The Cat」 Al Swewart、「Silk Degrees」 Boz Scaggs、「Hotel California」 Eagles、「Breezin'」 George Benson、「The Art of Tea」 Michael Franks、「Glow」 Al Jarrowなど、後にAOR(日本の業界による名でアダルト・オリエンテド・ロックの略称)の代表作と呼ばれる作品が次々に発表され、彼らのアルバムもまたこの流れに見事に乗って行きます。さらに翌年1977年のアルバム「運命の掟 Livin' On The Fault Line」も、この方向性をさらに進めた作品となりました。

<後期の傑作「Minute By Minute」誕生>
 この頃バンドには、一時メンバーをはずれていたトム・ジョンストンが復帰していましたが、新しい方向性を見出したバンドにその居場所があるはずもなく、すぐにソロ活動に入って行きました。
 こうして、後期ドゥービー・ブラザースは、いよいよその代表作とも言えるアルバム「ミニット・バイ・ミニット Minute By Minute」(1978年)を発表します。このアルバムには、全米ナンバー1ヒットとなったケニー・ロギンズとの共作曲「ある愚か者の場合 What A Fool Believe」も収められており、フュージョン系ロックのアルバムとして、いよいよ完成の域に達していたと言えるでしょう。

<解散へ>
 この後もメンバー・チェンジが続きます。
 ジョン・ハートマンとジェフ・バクスターが脱退し、ジョン・マクフィー、チェット・マッケラン、コーネリアス・バンプスが参加。さらにマイケル・マクドナルド色を強めたアルバム「ワン・ステップ・クローサー One Step Closer」(1980年)を発表します。
 これだけ次々とメンバーを変えていったバンドでしたが、意外なことにその終わりはあっさりとしたものでした。1982年彼らはフェアウェル・ツアーを行います。このツアーには、かつて在籍していたメンバーの多くが参加。特別ゲストとしてトム・ジョンストンも顔を出し、にぎやかにそして和やかにその活動にピリオドを打ちました。
 ついでながら、1989年ドゥービーは再結成され、アルバム「Cycles」(1989年)「Brotherhood」(1991年)を発表した後、再び活動を停止していますが、その後もライブ活動を散発的に行っており、1996年にはライブ・アルバムも発表しています。

<忘れられない存在>
 90年代に入り彼らの名前は忘れられかけていましたが、1991年にバナナラマが「ロング・トレイン・ランニン」をカバーヒットさせて以降、カバー・ヒットやサンプリング・ネタとして彼らの曲はたびたび登場。その存在を不動のものにしつつあります。
 あれだけ頻繁にメンバー・チェンジを繰り返しながら、常に和やかな雰囲気を失わなかったドゥービー。それは元々彼らがドゥービー(マリファナ)の回しのみ仲間から始まったからなのかもしれません。
 ウエスト・コースト・ロック最後のB級ヒーロー、ドゥービー兄弟による縄張り争いの物語は、これにてお終いです。彼らの音楽的争いが、けっして血生臭いものではなかったことは、解散後も何度も集まっては、ライブなどを行っていることからも伺えます。
 さすがは長い付き合いのドゥービー(マリファナ)仲間です。

<締めのお言葉>
「この町は俺とお前がいるには狭すぎる。陽が沈むまでに出て行け」

映画「落日の決闘」より(監)スチュアート・ギルモア

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