
「同時代ゲーム」
- 大江健三郎 Kenzaburoh Ohe -
<「同時代ゲーム」とは?>
「同時代ゲーム」というタイトルから、この小説の内容を予想するのは難しいでしょう。無理やりタイトルとの関連性から、この小説の中身を説明するとすれば・・・。
「四国の森の中の小さな村の歴史をすべて一枚の絵に表現し、地図の上に並べ、巨大な一枚の絵巻物のようなゲーム盤に仕上げようとした男の回想録」といった感じでしょうか?もちろん「絵」とはいっても、それぞれの物語は手紙として書かれているので、文章による表現なのですが、それを補うためにあえてこの本の表紙には、内容を意識して描かれたオリジナルの大きな絵が使われています。その点では、表紙がこれだけ大きな意味を持つ小説もめずらしいかもしれません。
<独特の文章形式(あらすじ)>
この小説は、主人公である歴史を記録すべき使命を帯びた人物が、故郷の村に住みそこで巫女となった妹にあてた手紙として語られます。メキシコという、かつてヨーロッパ(スペイン)によって支配されていた土地から、同じように日本よって支配されることになった架空の国(村=国家=小宇宙)の子孫に向けて出された手紙として、この小説は始まり、その中で少しずつその歴史が明らかにされてゆくことになります。主人公は幼い頃から父親によって、その村=国家=小宇宙の歴史を書き記すべく育てられ、そのための知識を与えられていました。
そこに書かれている波乱万丈の歴史をここで分かりやすく順を追って書いてみましょう。
(1)「壊す人との脱出の旅」
壊す人と呼ばれる村=国家=小宇宙の建国者とその仲間たち(創建者)たちによる四国内陸部への脱出の旅。彼らは村ごと、独立を保つために、巨大な船によって内陸部への移住を実行します。上流へと登るため、途中で船は壊され、それは巨大な荷車として彼らの荷物を載せ、人の住まない山奥で隠れて生活することになりました。
セシル・B・デミル監督の映画「十戒」でも有名なユダヤ人の脱出の行(出エジプト記)やヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画「フィツカラルド」で有名なアマゾン上流へのヨーロッパ人の冒険旅行を思わせるスケールの大きな伝説。
(2)村=国家=小宇宙を守るための大作戦
彼らを追う者たちから村=国家=小宇宙を守るために行なわれた大作戦の物語。五十日間にわたる豪雨とその間にたまった水を用いた大規模な洪水により、追跡隊を全滅に追い込んだ村ぐるみの大作戦は、その後、その地域の土壌を変え、豊かな農作物を育てることが可能になりました。
(3)「大快音」と「復古運動」
謎の音によって村人の多くが苦しめられ、それを回避するための移住作戦が村ぐるみで実行されます。そのために行なわれた村全体を巻き込んだ「住み替え」運動は、それまで村をリードしてきた「創建者」たちの時代を終わらせてゆきます。「壊す人」もまた村の中のアンチ・ヒーロー的存在だった「シリメ」によって毒をもられて暗殺されます。彼らは「壊す人」の肉体を切り刻み自らの体内に取り込みます。そして、このことで「壊す人」は村人たちの中で行き続けることになります。同時に「復古運動」も行なわれ村は再び、移住当時の緊張感を取り戻したのは、そのせいかもしれません。
(4)亀井銘助事件(江戸末期)
脱藩浪人の侵入が相次ぎ、江戸幕府による村=国家=小宇宙の発見を怖れた亀井銘助は、脱藩浪人への協力、天皇家への接近を模索し始める。彼は村の外側の人々による一揆を仲裁しようと幕府との間に入るが、それをきっかけに肝心の村=国家=小宇宙の存在を見破られてしまう。そのために、新たな対応策として二重戸籍による村半分の隠蔽を行なう仕組みが誕生します。
(5)原重治=「牛鬼」の時代(明治)
大逆事件(1910〜1911年)によって共産主義者が排除されたことに対し、村=国家=小宇宙の原重治という人物が抗議の文章を天皇宛に送る。ところが、そのことがきっかけとなり再び村=国家=小宇宙の存在が危機に追い込まれる事態になった。
(6)無名大尉との闘い(太平洋戦争末期)
後に五十日戦争と呼ばれることになる政府と村=国家=小宇宙の軍事的衝突事件。反政府勢力の存在を認められない政府が疑わしい村の存在を明らかにするため軍隊を村に向かわせる。そのことを知った村=国家=小宇宙は、かつて「創建者」たちが行なった洪水作戦を再び行い、軍隊を全滅させます。しかし、その調査にやって来た無名大尉率いる軍隊は、村の存在を明らかにするため地域をくまなく探るローラー作戦を実施。それに失敗すると最後の手段として森を燃やそうとします。それに対し、森の存在を第一と考える村=国家=小宇宙の人々は降伏することを選びます。軍は二重名簿によって存在を隠していた村人を銃殺刑にします。こうして、村=国家=小宇宙の存在は政府に知られることとなりました。
(7)歴史を書き記す自分と巫女になった妹(現在)
村を出て高級娼婦となり、後のアメリカ大統領とも関係をもった妹。彼女は大統領の秘密を知るがゆえに暗殺されそうになり偽装自殺をとげます。その後、村にもどった彼女は父親(神主)のもとで、森の中で発見した「壊す人」を育てる巫女の役を務めることになります。主人公はこの妹に手紙を書くことで、長い長い物語を語りだします。
(その他の登場人物)
その他にも、村の存在を認めてもらおうと皇室に直訴しようとした兄。女性として生きる道を選び女形となった兄。プロ野球の選手になるため、戦後すぐにアメリカに渡り、大リーグに挑戦した弟ツユトメサン。村の存在を知り、それを「村=国家=小宇宙」と名づけた物理学者「アポじい」と「ペリじい」。
<難解な物語の始まりに要注意>
長い「村=国家=小宇宙」の歴史とそこに登場する魅力的人物によって、この物語は、「神話」「時代劇」「SF」「戦争アクション」「スポーツ(野球)」「冒険アクション」「植民地独立戦争」「エッチな青春ドラマ」・・・様々な顔をもつ大河歴史小説となりました。これほど、ふんだんにエピソードが盛り込まれているのですから、この小説が面白くならないわけがありません。しかし、そこにはちょっとした仕掛けもあります。
この小説を読み始めると、いきなり第一章で主人公から妹への手紙が始まり、過去の歴史的説明なしに過去の事件がどんどん語られます。読者にとって、それらの事件はその後、少しずつ明らかになりますが、始まった時点では何がなんだかわからないまま読み進まざるをえないのです。予備知識なしにこの本を読み始めた人のどれだけが第一章で挫折してしまったことか?とにかく、この小説はわけが分からなくても、とにかく第二章まで読み進むことです。そうでないと、その醍醐味が伝わらないのです。なにせ、この小説は第一稿で2300枚あったという原稿を最終稿で1000枚にまで縮めたというぐらい無駄をはぶいたことでできた小説なのです。
それぞれ実に面白い物語がパズルのように組み合わされ挿絵のような巨大な絵巻物が完成する。実に見事な仕掛けです。
「馬鹿々々しいような筋立て、夢のような筋立てから、ある現実の核心に向かっていく方法を僕はとりたい。しかも、それは文化全体、時代の文明全体を覆すような。・・・・・」
大江健三郎「現代文明を諷刺する」(対談・大江健三郎/加賀乙彦)より
実は、この小説に対する回りの評価はあまり良くないようです。難解すぎる、一人よがりの思い上がりが気になるなど、当時はけっこう批判されたようです。確かに、この本、ほんとうに読者に読んでほしいのだろうか?そう思えなくもない突き放したような文章です。逆に本人には思い入れが深い作品のようですが、・・・。
「同時代ゲーム」は、作者大江健三郎から与えられた読者への難解な読書ゲームだと思って挑戦していただければと思います。
<大江健三郎という人物>
大江健三郎氏を僕は一度小田急線の車内で見かけたことがあります。(1980年代に僕が小田急線の生田に住んでいた頃のこと)あの丸いメガネと独特の穏やかな風貌は間違えようがなく、彼のまわりには静かなオーラが漂っていました。いつも込み合っている小田急線の列車内で吊革につかまりながら本を開いている彼の周りにはいつの間にかちょっとした空間ができていたように思います。
彼が描き出す非日常的な世界は、けっして小説の中だけではなく、彼自身の周りにもそれが広がっていたのではないか?今さらながらそんなことを考えています。作家は自らの作品世界を生きるとよく言いますが、ノーベル賞をとるほどの作家ともなれば、自分の周りの世界までも作り変えてしまうのかもしれません。
「僕のように、いわば現実生活をしないで作家になった人間、子供から成長して大学に入り、そのまま小説を書き始めてしまった人間の、その後の生活は、すなわち表現しながらする生活は、もうどこか現実性を失っているものじゃないか。・・・そのように現実の壁というか実際生活を通り抜けないできたいる弱点を、僕は常に感じています。今度の小説は、現実とうまく噛みあっていない人間が、言葉を通じて、ありうべき現実と見合う大きさの夢の中に全面的に入って行く設定になっている。・・・・・」
大江健三郎「現代文明を諷刺する」(対談・大江健三郎/加賀乙彦)より
多作ではないといっても、これまで数多くの小説を発表してきた大江健三郎にとって、この小説は集大成的な作品でした。彼の故郷でもある四国の山国(愛媛県旧大瀬村)。そこに広がる深い「森」、「死と再生」、「太平洋戦争と天皇制」、「壊す者と育てる者」など、彼の今までの小説で何度となく描かれてきたテーマがこの小説ではひとつの国の歴史の中に見事に収められています。
「・・・誤解をおそれずに言えば、共同の無意識の中の原点にあって、外側からみると歪んでいるけれども、全体が一挙に見渡し得るような、時間×空間のユニットを組み立てたかったわけです。僕は、小説を書くことは、同時代についてのそのようにして全世界の自分のモデルを作ること。そこで『同時代ゲーム』というタイトルは、僕には小説というタイトルにひとしいわけですね。」
難解なようにみえる大江健三郎の小説は実は具体的なビジョンに基づいて、しっかりと構造的に組みあげられた職人技の娯楽作品でもあるのです。(だからこそ、「ゲーム」という言葉を使っているのでしょう)ただし、その娯楽性が万人にとって「娯楽」と思えるかどうかは問題ですが、・・・。
「南総里見八犬伝」をそのまま原本で楽しめる人はそうはいないでしょう。江戸川乱歩の小説も、発表当時の文体では、なかなか理解できないはずです。それはもちろん言葉使いが古いからですが、物語の世界観を読者が共有できにくくなっているからでもあります。もしかすると、大江健三郎の小説もそうなりつつあるかもしれません。
とっつきにくいけれども、娯楽小説としても十分に楽しめる大江健三郎の代表作。これぐらいの文章は、なんとか読みこなせるぐらいの知識と忍耐力は身につけてほしいのですが・・・。村上春樹が大好きなわが家の長男には、もう無理かもしれません。
「さらば!20世紀純文学よ!」なんでしょうか。
「同時代ゲーム」 1979年
大江健三郎(著)
新潮社
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