- ドクター・フィールグッド Dr.Feelgood -

2003年10月3日追記

<パブ・ロックとは何ぞや?>
 パブ・ロックとは何ぞや?それは、パブロフの犬でもなく、パブロ・クルーズでもありません。当たり前のことですがが、イギリス独特の雰囲気をもつ居酒屋、パブで演奏されるロックのことをパブ・ロックと呼びます。ただそれだけのことなのですが、そう考えると、60年代にも、50年代にもパブ・ロックは存在したことになるはずです。しかし、そのころパブで演奏されていたのは、ロックではなくトラッドやカントリーでした。
 そんなわけで、パブでロックが演奏されるようになった1971年頃になって、初めて「パブ・ロック」という呼び方が誕生し、それに合わせるようにシンプルで、踊れて、酔わせてくれる新しいタイプの音楽が、生み出されたのです。その音楽スタイルは、当然それ以前からパブで演奏されていたカントリーやトラッドの影響を受けていて、それらがR&Bのファンキーさを取り入れることで生み出されました。(そのせいか、アメリカ南部で生まれたスワンプ・ロックなどにも似ていますが、スワンプ・ロックほどのどかではなく、スピード感があるのは北の国の音楽だからでしょうか)

<パブ・ロックの生まれた店>
 面白いのは、この音楽の誕生の歴史がタリー・ホーという名前のパブから始まったということが、はっきりしていることです。パブ・ロックは、この一軒のパブから生まれ、そこで少しずつ育ち、1970年代の中頃になっていよいよパブから外に出て、コンサート会場やラジオに登場するようになっていったのです。音楽の歴史で、そこまで歴史がはっきりしていることは非常に珍しいことです。

<パブ・ロックを代表するバンド>
 なかでも後にパブ・ロックの大御所として活躍することになるニック・ロウを輩出したブリンズレー・シュワルツは、最も初期の頃より活躍を始めたバンドです。その後を追うようにして、ブリンズレー・シュワルツの追っかけだったというエルヴィス・コステロイアン・デューリーグレアム・パーカー、そしてニック・ロウなどのアーティストが次々に登場して行きました。
 その中でも、未だに正調パブ・ロックとして唯一活動を続けているのが、ドクター・フィールグッドなのです。

<ドクター・フィールグッドの二本柱>
 ドクター・フィールグッドは、2つの強力な個性が出会うことによって生まれました。ひとりは南アフリカのダーバン生まれで、生涯バンドのヴォーカリストを務めることになるリー・ブリロー Lee Brilleaux。もうひとりは、切れ味鋭い凶器のようなギターでパブ・ロックに危険な香りを持ち込んだギタリスト、ウィルコ・ジョンソン Wilko Johnsonです。(パブ・ロックが、パンク・ロックの原点と言われるのは、このウィルコ・ジョンソンとグレアム・パーカーの存在があったからと言われています)

<ドクター・フィールグッドの結成>
 リー・ブリローは、1967年からジャグ・バンドを結成して、本格的に音楽活動を始めていました。まだ15歳か16歳の頃のことです。そのバンドでは、後にドクター・フィールグッドのベーシストとなるジョン・B・スパークス John B.Sparksがギターを弾いていました。その後、彼らは1969年にフィックスというバンドに加入します。それは、メンバーが抜けたための補充だったのですが、その抜けたメンバーこそウィルコ・ジョンソンでした。
 ウィルコは、ルーたちよりも早く1963年頃から音楽活動を開始していたのですが、大学に入学するために一時音楽活動を中断、さらに学生たちの間に広まっていたヒッピー・ムーブメントの影響を受け、しばらくインドへの旅に出ていたのです。
 インドから戻ったウィルコにジョン・B・スパークスが声をかけバンドを結成することになり、ジョンとルー、ウィルコ、それにウィルコの幼なじみのドラマー、ビッグ・フィガー The Big Figureことジョン・マーチンが加わることで、初代ドクター・フィールグッドのメンバーがそろったのでした。こうして、バンドが結成されたのが1971年のこと、彼らはそれから4年間、パブでのライブを重ねながら自分たちの音楽を育てあげてゆくことになります。

<ダウン・バイ・ザ・ジェッティー>
 1975年、ついに彼らのデビュー・アルバム「ダウン・バイ・ザ・ジェッティー Down By The Jetty」が発売されました。このアルバムは、パブ・ロックの歴史に残る名盤であることは間違いないのですが、時を経るごとの輝きを増している数少ないロック・アルバムのひとつでもあります。
 それは、このアルバムがこれ以上ないところまで贅肉をそぎ落とすことにより、時の流れによって古くなる要素を排除してしまっているからだと言えるからです。これこそが、究極のロックの形であり、どんなにテクノロジーが進歩しても、けっして生み出すことができないグルーブを、このアルバムはつかみ取ってしまったのです。
 もちろん、その史上稀に見るグルーブを生み出したのは、ウィルコ・ジョンソンの切れ味鋭いギターとルー・ブリローの野太いヴォーカルの絶妙の絡み合いでした。映画「七人の侍」における居合い抜きの達人、宮口精二が、ウィルコ・ジョンソンとするなら、同じ映画の中で刀を取り替えながら、根性で敵を切りまくっていた三船敏郎こそルー・ブリローだったと言えるでしょう。

<ウィルコ・ジョンソンとの決別>
 こうして、ドクター・フィールグッドの活躍は始まり、セカンド・アルバム「不正療法 Malpractide」、彼らの本領発揮とも言えるライブ・アルバム「殺人病棟 Stupidity」を発表して行きます。しかし、二つの強烈な個性のぶつかり合いは、そう長くは続きませんでした。
 4作目の"Seakin Suspicion"を発表する直前に、ウィルコ・ジョンソンがバンドを去ってしまったのです。それは、パブ・ロックのバンドとしての活動の枠にウィルコ・ジョンソンが収まり切らなくなってきたことが原因だったようです。ある意味では、彼らは自分たちが超一流のロック・バンドへと躍進するチャンスを自ら断ったと言えるのかもしれません。もしかすると、彼らはパブ・ロックの枠組みを越えたニュー・ウェーブ系のバンドとして、エルヴィス・コステロやイアン・デューリーのような存在となる可能性もあったのです。(実際、バンドを離れたウィルコ・ジョンソンは、一時期イアン・デューリーのバンドで活躍しています)しかし、彼らはあえてメジャーにある道を選びませんでした。その選択は間違いだったのか?それは、彼らだけにしかわからないことでしょう。彼らは超一流の人気バンドにはなれませんでしたが、最高級のB級バンドとして、その後もウィルコ・ジョンソン抜きで長く活躍を続けることができたのですから。パブ・ロックの最高峰としての人気は、多くのファンを引きつけただけでなく、多くのミュージシャンにも愛され続けました。そのうえ、1993年には、なんとドクター・フィールグッド・ミュージック・バーというパブをロンドンにオープンさせることもできたのです。(自分の店で演奏できるというのは、パブ・ロックのバンドとしては、最高に幸せなことのはずです)
 残念なのは、その店のオープニング・ライブの時、すでにリー・ブリローが喉頭癌におかされていたことです。この時、すでに彼には死の宣告がなされていたのです。
 しかし、なんと彼はその死の直前の1994年1月24,25日の2日間、自らの店のステージに立ち、ラスト・ライブを行っています。このライブは、アルバム"Down At The Doctors"として発売もされています。なんという根性!やっぱり彼は「七人の侍」の三船敏郎だったのです。自らが作り上げた夢の城で最後の声をふりしぼったライブ、それを終えたリー・ブリローは、それからわずか2ヶ月ほど後の4月8日、静かにこの世を去りました。

<不滅のドクター・フィールグッド>
 この話しには、まだ続きがあります。正調パブ・ロック・バンドの伝統を築き上げたドクター・フィールグッドは、リー・ブリローを失ってもなお不滅だったのです。そう、ウィルコもいない、リーもいない、それどころかジョンもビッグ・フィガーもいないにも関わらず、ドクター・フィールグッドは、相変わらずロンドンのパブで活躍しているのです。さすがは、歴史と伝統を重んじる国イギリスらしい実に味のある話しではないでしょうか。
<追記>(2003年10月3日)
 ところで「ドクター・フィールグッド Doctor Feelgood」とは、「薬物中毒者に麻薬をばんばん処方する危ない医者」のことだそうです。なあるほど!

<締めのお言葉>
「こいつは俺にそっくりだ。抜き身だ。こうつも俺も鞘に入っていねえ刀さ。でもな、本当に良い刀は鞘に入ってる」

映画「椿三十郎」(黒沢明監督作品) 

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