- イーグルス Eagles -

<70年代を代表するバンド>
 70年代を代表するスーパー・グループ、イーグルス。当時の彼らの人気は、ウエストコースト・ロックを代表するというよりも、世界ナンバー1のロック・バンドだったと言えるでしょう。しかし、今になって冷静に70年代後半のロック界の状況を考えると、イーグルスは、けっして時代を変えるような革新的バンドではありませんでした。彼らはたまたま60年代から70年代へと続いたロックの流れの区切りの時期にそのキャリアのピークを迎え、必然的にその代表者の役を負わされたと考える方が自然なように思います。特にアルバム「ホテル・カリフォルニア」は、その発表のタイミングがアメリカ建国200年と重なるなど、あまりにタイムリーだったことも手伝い、彼らの役割りを強制的に終わらせる結果をもたらしてしまいました。(もちろん、それだけ素晴らしい作品だったことも事実なのですが・・・)
 逆に、時代が彼らをあそこまで派手に流れに乗せなければ、イーグルスというバンドはもっともっと長くカントリー系ロック・バンドの最高峰として活躍を続けることができたのではないかとも思えます。初期のイーグルスの曲「テイク・イット・イージー」や「テキーラ・サンライズ」などが好きな人には、その方が良かったと思えるかも知れません。どちらにしても彼らは、70年代ロック全体の責任を負うという、重いテーマに挑まざるを得なかったのです。

<ウッドストック世代最後のバンド>
 
イーグルスは、バーズやバッファロー・スプリングフィールドから始まったカントリー・ロックの流れを汲む最後の直系バンドであると同時に、ウッドストック世代最後のバンドだったとも言えます。それは、バンドのメンバーがイーグルスに参加するまでの経歴をみるとわかりやすいかもしれません。
<ドン・ヘンリー>
 ドン・ヘンリーは、1947年7月22日テキサス州のギルマーに生まれました。少年時代はデキシーランド・ジャズを演奏していましたが、ビートルズの影響で、ブルーグラス風のロック・バンドを組みます。その後、後にフライング・ブリトー・ブラザースやマナサスで活躍するアル・パーキンスと出会い、カントリー・ロック・バンド、ショイロ Shilohを結成しました。

<グレン・フライ>
 グレン・フライは、1948年11月6日ミシガン州のデトロイトに生まれました。ボブ・シーガーのバック・バンドなどに在籍した後、カリフォルニアに移住。J・D・サウザーと知り合ってバンドを組みましたが、成功には至りませんでした。

<バーニー・リードン>
 バーニー・リードンは、1947年7月19日ミネソタ州ミネアポリスに生まれました。その後、西海岸のサンディエゴに移ってから、ディラード&クラークやリンダ・ロンシュタットのバックを務め、カントリー・ロックを完成させたバンドのひとつ、フライング・ブリトー・ブラザースに参加しました。

<ランディー・マイズナー>
 ランディー・マイズナーは、1946年3月8日ネブラスカ州スコッツブラフに生まれました様々なバンドに加わった後、今や伝説のバンドとなったバッファロー・スプリングフィールドに参加。リッチー・フューレイ、ジム・メッシーナとともにカントリー・ロック・バンド、ポコを結成するもののすぐに脱退、アイドル・タレントのリック・ネルソンがつくったカントリー・ロック・バンドのメンバーになっていました。

<イーグルスの結成>
 それぞれが一流のテクニックをもち、歌も歌える実力派でありながら、成功には近づけなかった4人をバンドとしてまとめたのは、当時リンダ・ロンシュタットのプロデュースを担当していたジョン・ボイランでした。彼は4人をリンダのバック・バンドとして組ませると、単独での活動もさせレコード会社への売り込みを開始しました。
 ちょうどこの頃、70年代に一時代を築くことになるアサイラム・レーベルがやり手社長デビッド・ゲフィンによって立ち上げられ、彼らはジャクソン・ブラウンらとともに、その一期生として参加することになります。

<ロンドンからのスタート>
 意外なことに、彼らのデビュー・アルバムはロンドンで録音されています。プロデューサーはローリング・ストーンズやザ・フーのアルバムで有名なグリン・ジョーンズ。1972年に発売されたデビュー・アルバム「イーグルス・ファースト Eagles」からは「テイク・イット・イージー」「魔女のささやき」「ピースフル・イージー・フィーリング」が連続してシングル・ヒット。彼らは一躍話題のバンドになります。
 この時、彼らはロンドンという当時一大ブームだったブリティッシュ・ロックの地元で録音を行うことで、土臭さとポップさを合わせ持つウエスト・コースト・ロックの原型を生み出すことに成功したのかもしれません。ちなみに「魔女のささやき」の「魔女」とは、リンダ・ロンシュタットのとこだそうです。確かに、この後の彼女の男性遍歴からするとこの指摘はなかなか的を得たものだったかもしれません。

<「ならず者たち」の活躍>
 続くセカンド・アルバム「ならず者 Desperado」(1973年)は、西部劇を意識したコンセプト・アルバムで、当時ちょっとしたブームだったニューシネマ系西部劇の人気に乗り、なんと映画化の話しもあったそうです。
 名曲「テキーラ・サンライズ」を含むこのアルバムも、彼らにとって代表作と言えますが、彼らはこの後よりロック色を強めてゆきます。そのためにプロデューサーとして抜擢されたのが、当時絶好調のリック・デリンジャーのアルバムを手がけていたビル・シムジクでした。
 録音場所はロスに移り、新たにギタリストとして、ドン・フェルダーを加えてパワー・アップがはかられました。

<ドン・フェルダー>
 ドン・フェルダーは、1947年9月21日フロリダ州ゲインズビルに生まれました。10代の頃からミュージシャンとして活動を始めていた彼は、その後ニューヨークに進出。しかし、ニューヨークでは成功に至らず、ロスに移り住み、そこでデヴィッド・ブルーやクロスビー&ナッシュらのバックを勤めていました。
 ロスで録音されたサード・アルバム「オン・ザ・ボーダー On The Border」(1974年)では、ドンはスライド・ギターを弾き、さわやかカントリー・ロックからより泥臭いロックへの脱皮をはかっています。さらにこのアルバムには彼らにとって初のナンバー1ヒットとなった不滅のバラード「我が愛の至上 Best of My Love」が収められており、彼らの幅の広さを証明してみせていました。

<「呪われた夜」>
 しかし、彼らが文句なしにアメリカ・ナンバー1のロック・バンドになったのは、1975年発表の「呪われた夜」が大ヒットしてからでしょう。このアルバムからは、「呪われた夜」「いつわりの瞳」「テイク・イット・イージー」という大ヒットが生まれています。しかし、この時バンドのポップ・ロック化に反対していたバーニー・リードンがイーグルスを去ります。そこで、代わりのメンバーとして補充されたのがジョー・ウォルシュでした。この人選には、僕も含め多くの人が驚かされたものです。

<ジョー・ウォルシュ>
 ジョー・ウォルシュは、1947年11月20日オハイオ州クリーブランドに生まれています。泥臭くファンキーなロック・バンド、ジェームス・ギャングに二代目ギタリストとして参加し、後にイーグルスをプロデュースすることになったビル・シムジクに認められ、バンドはレコード・デビューを果たします。その後1971年に彼は脱退し、ソロ活動を開始。ソロとしてのセカンド・アルバム「ジョー・ウォルシュ・セカンド」(1973年)は、全米6位にまで上昇するヒットとなりました。イーグルス加入後に発売されたソロ・ライブ・アルバム「ジョー・ウォルシュ・ライブ」も大ヒットし、その後もソロ活動を継続1978年にもアルバム「ロスからの蒼い風」をヒットさせています。なぜ、それだけのスターが参加しなければならないのか?しかし、そんな疑問も1976年に発表された傑作アルバム「ホテル・カリフォルニア」の登場によって吹き飛ばされてしまいました。

<「ホテル・カリフォルニア」>
 建国200年に浮かれるアメリカに「1969年、あのウッドストック世代のスピリットはどこへ行った?」と歌いかけた一世一代の名曲「ホテル・カリフォルニア」。
 ブルー・アイド・ソウルのニュー・ヒーローとして登場し、その後のAOR時代を背負って立つことになるホール&オーツを皮肉った曲「ニューキッド・イン・タウン」。
 そして、最後にアメリカのフロンティア・スピリットの消失を嘆く「ラスト・リゾート」で終わるこのアルバムほど、多くの人々に語られたアルバムは、その後70年代に現れることはありませんでした。(日本では、その後80年代にトレンディー・ドラマのテーマ曲として使用されリバイバル・ヒット。カラオケで歌われる曲の仲間入りし、トホホの名曲になってしまいました)
 結局「ホテル・カリフォルニア」は世界中で1100万枚を越える特大のヒットとなりました。文句なしに世界一の人気バンドとなった彼らは、長期間に渡るライブ・ツアーを開始します。しかし、この頃ランディー・マイズナーはそんなスーパー・スターとしての生活に嫌気がさしバンドを去ってしまいました。彼の代わりには、やはりポコに在籍していたティモシー・B・シュミットが参加しました。

<あまりに大きなプレッシャーのもと>
 1979年、彼らはあまりに大きなプレッシャーのもとニューアルバム「ロング・ラン」を発表します。そして、それがイーグルスにとって最後のオリジナル・アルバムとなりました。このアルバムからは、「ハートエイク・トゥナイト」「ロング・ラン」「言いだせなくて」がヒットし、彼らの健在ぶりをアピールしました。しかし、このアルバムの制作中、すでにバンド内では解散ムードが拡がっていたようです。ジョー・ウォルシュを迎えることで、なんとか「呪われた夜」を越えるアルバムを生み出したものの、もう一度その壁を越えることはやはり困難だったのでしょう。
 そして、1982年5月正式にイーグルスは解散してしまいました。
<イーグルス再結成>
 その後1994年、彼らは14年ぶりにバンドを再結成し、ライブ録音を含めたニュー・アルバム「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー Hell Freezes Over」を発表しています。しかし、それまでの間もイーグルスのメンバーはそれぞれがソロとして活躍を続けていました。
 特にグレン・フライは、テレビ・ドラマ「マイアミ・バイス」に使われた「スマグラーズ・ブルース」「ユー・ビロング・ツー・ザ・シティ」などが大ヒット。(俳優としてもドラマに出演しています)さらに「ビバリー・ヒルズ・コップ」「ゴースト・バスターズ2」「テルマ&ルイーズ」などの映画に曲を提供するなど活躍を続けました。
 ドン・ヘンリーも「レザー&レイクス」(スティーヴィー・ニックスとのデュエット)や「ボーイズ・オブ・サマー」などをヒットさせ活躍を続けました。
 それぞれが大人のミュージシャンであり実力を持っていただけに、イーグルスは解散後もそれぞれが独自の道で成功できた幸福なバンドでもあったかもしれません。

<ウッドストック・スピリットの終焉>
 ザ・バンドが、その解散コンサートでウッドストック世代の終焉を自ら演じてみせたのと、ちょうど同じ頃イーグルスは「ホテル・カリフォルニア」を発表しました。それはアメリカという国がフロンティア・スピリットを失ったことを歌うと同時に、ロック・ミュージックもまたフロンティア・スピリットを失ったことを歌たい、さらには自分たち自身もまたフロンティア・スピリットを失ってしまったことを歌っていたのかもしれません。
 こうして、60年代から続いたウッドストック世代の時代は終わりを迎え、80年代に向けた新たな時代、パンク・ロック世代の登場を待つことになるのです。

<締めのお言葉>
「一つの種の絶滅が正確に記録される例は珍しい。マーサは、1914年9月1日に死亡した。29歳であった。・・・・・かのJ・J・オーデュボンが、秋色に染まるケンタッキーの森に立ち、「真昼というのに日食の折りのようにあたりが薄暗くなる」ほどのリョコウバトの大群を感嘆をこめて眺めたのは、これよりちょうど101年前のことだった」

ロバート・シルヴァーバーグ著 「地上から消えた動物」より

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ホテル・カリフォルニア
 1976年

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