- アース・ウィンド&ファイアー Earth,Wind&Fire -

<大所帯ファンク黄金時代>
 1970年代前半のブラック・ミュージックは、ソウルからヴォーカル・インストロメンタル・グループへと移り変わりをみせた時期であり、未だに活躍を続けるファンク・バンドの数多くが、この時期に誕生しています。
 クール&ザ・ギャング、ウォー、コモドアーズ、パーラメント&ファンカデリック、タワー・オブ・パワー、オハイオ・プレイヤーズなどが、この時期に誕生しているわけですが、そんな優れた大所帯バンドが誕生した裏には、それなりの理由がありました。
 それは、どのバンドにも共通するファンキーなインストロメンタル・サウンドを生み出す優れたミュージシャンたちが、この時期世にあふれていたという事実です。その状況は、1950年代にピークをむかえたジャズのミュージシャンたちの多くが、60年代の後半になると仕事場を失いだしたことから生まれました。ジャズで食べて行けなくなったミュージシャンたちは、そのテクニックを活かすため、当時人気だったソウルの世界に進出し、そこで新たなジャンルの開拓を目指す者たちが現れたのです。
 エリック・ゲイルやフィル・アップチャーチらの優れたミュージシャンたちは、スタジオ・ミュージシャンとしてダニー・ハサウェイらのニューソウル・シーンを支え、その後はフュージョン・ブームを生み出して行くことになりますが、自らバンドを結成し新たなファンク・ミュージックの歴史を築き始めたのが、最初に上げたバンドたちだったわけです。
 ジャズ界の大物ラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーとして活躍したモーリス・ホワイトを中心として、ジャンルの枠を越えた人気を得たアース・ウィンド&ファイアー Earth.Wind&Fireもまた、その系譜に属するバンドでした。

<音楽の道へ>
 バンドの中心人物モーリス・ホワイトは、1941年12月19日テネシー州メンフィスで生まれ、その後シカゴで青春時代を過ごしました。音楽好きの裕福な家庭に育ち、父親にドラム・セットを買ってもらったモーリス少年は、14歳の頃同級生の仲間達とバンドを組み、早くもミュージシャンとしての活動を開始します。(この時のバンド仲間には、なんとブッカー・T・ジョーンズもいたそうです)
 彼は父親が医者だったこともあり一時は医者を目指しますが、好きな音楽の道へと方向転換をし、音楽教師になるため、シカゴ大学に再入学、ピアノや音楽理論を勉強し始めます。しかし、ミュージシャンとしての活動への憧れを捨てることはできず、大学を辞めチェス・レコードのスタジオでセッション・ミュージシャンとして働き始めます。

<チェス・レコードでの出会い>
 1960年代前半と言えば、チェス・レコードにとってはまさに黄金時代でした。彼はそこで、チャック・ベリー、マディー・ウォーターズ、ザ・デルズらのバックを務めながら、レコーディング技術やプロデュースなどの基本を学んで行きます。さらにそこで同じシカゴ音楽院出身の大物ジャズ・ミュージシャン、ラムゼイ・ルイスと出会い、その後彼のバンドのドラマーに抜擢されました。

<ラムゼイ・ルイス・トリオ>
 ジャズ界で最もファンキーなバンド、ラムゼイ・ルイス・トリオに加わったモーリス・ホワイトは、バンドとともに世界各地を旅する機会に恵まれます。特にアフリカの大地は彼に強烈なインスピレーションを与え、後に彼が結成することになる「アース・ウィンド&ファイアー」というバンド名もこの時に生まれたと言います。さらに、この頃から彼はカリンバというアフリカ生まれの楽器を使うようになります。

<新しいスタイルへのチャレンジ>
 しかし、ジャズの世界だけの活躍では満足できなかった彼は、自らスタジオを設立し、それまでに蓄えてきた音楽的知識を元にメンバーを集め新たなバンドを結成します。そして、1971年バンド名をタイトルとするデビュー・アルバム「アース・ウィンド&ファイアー Earth Wind & Fire」を発表します。シングル"Love Is Life"は小ヒットを記録、セカンド・アルバム"Need Of Love"(1972年)を発表しますが今ひとつぱっとせず、ワーナーからCBSに移籍します。
 デビュー当時総勢10名だったメンバーは、固定せず常に入れ替わりながら、「地球最後の日 Last Days And Time」(1972年)、「ブラック・ロック革命 Head To The Sky」(1973年)とアルバムを発表。しだいにメンバーを固めて行きます。

<アース・ウィンド&ファイアー>
 モーリス・ホワイト(Vo,カリンバ,Per)、フィリップ・ベイリー(Vo,Per)、ヴァーダン・ホワイト(Bass)、ラリー・ダン(KeyB)、ラルフ・ジョンソン(Dr)、ヤコフ・バン・イスラエル(Per)、アンドリュー・ウールフォーク(Sax)、ジョニー・グラハム(Gui)、アル・マッケイ(Gui,Per)らのメンバーがこうしてそろいました。メンバーの中には、すでに他のバンドやプロデューサーなどの実績がある者も多く、それぞれが独自の要素を持ち寄ることで、ブルース、ソウル、ジャズなどの黒人音楽にロックやラテン、アフリカ音楽を混ぜ合わせた新しいファンク・ミュージックを生み出し始めて行きました。さらにそこにベテラン・プロデューサー、チャールズ・ステップニーが加わりました。

<シャイニング・スターへ>
 1974年のアルバム「太陽の化身 Open Our Eyes」に続いて発表した1975年のアルバム「暗黒への挑戦 That's The Way Of The World」から、シングル「シャイニング・スター」が大ヒット、初めて全米ナンバー1の座に輝きます。そして、同じ年彼らの集大成とも言えるライブ・アルバム「灼熱の狂宴 Gratitude」が発表されます。(一部はスタジオ録音というアナログ2枚組)
 この作品での彼らの演奏は、まさに絶頂期の記録と言えるのですが、それは同時に70年代前半にピークを迎えたヴォーカル・インストロメンタル・グループの最高峰の記録でもありました。ドラムスが演奏しながら空中回転をするというヴィジュアル的な面のエンターテイメント性も含め、彼らの演奏の持つパワーは、この時をピークに少しづつ失われて行くことになります。

<プロデューサーとしての活動>
 こうしてスーパー・スターの座を手に入れたモーリス・ホワイトは、チェス・レーベル時代からの友人でバンドのアレンジ、プロデュースも担当していたチャールズ・ステップニーとカリンバ・プロダクションを設立。自分たち以外のアーティストのプロデュースも手がけるようになってゆきます。(元々彼らはプロデューサーとしての感覚が強いアーティストだったのでしょう)
 中でも女性コーラス・グループのエモーションズは、「ベスト・オブ・マイ・ライフ」(1977年)で全米ナンバー1に輝きました。

<ヒットの記録>
 1976年のアルバム「スピリット Spirit」からは、「ゲッタウェイ」、「サタデイ・ナイト」がヒット。1978年の「太陽神 All'N All」からは、「宇宙のファンタジー」が大ヒット。この頃から、彼らはファンク・バンドからディスコを意識したポップ・バンドへと変わり始めます。映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」では、ビートルズのカバー曲"Got Get To Into My Life"をヒットさせ、1979年にはアルバム「黙示録 I Am」から「アフター・ザ・ラブ・ハズ・ゴーン」、「ブギー・ワンダー・ランド」をヒットさせます。しかし、バンドの成長に大きな役割を果たしたプロデューサーのチャールズ・ステップニーが、1975年に心臓発作で亡くなってしまったこともあり、しだいにその方向性は変わってゆきました。
 その後も「ファイセス Faces」(1980年)、「天空の女神 Raise」(1981年)、「創世紀 Powerlight」(1983年)とヒット・アルバムを発表しますが、その後5年間、彼らは活動休止期間に入ります。と言っても、彼らはバンド活動以外にソロとしての活動を続けていました。特にフィリップ・ベイリー Philip Bailyは、その間3枚のソロ・アルバムを発表し、フィル・コリンズとのデュエット「イージー・ラヴァー Easy Lover」(1984年)は全米ナンバー1ヒットとなりました。
 リーダーのモーリス・ホワイト Maurice Whiteも、1985年にソロ・アルバム「モーリス・ホワイト/スタンド・バイ・ミー」を発表しています。それ以外のメンバーも、それぞれプロデューサーやゲスト・ミュージシャンとしていろいろなジャンルで活躍しました。
 1988年に彼らは久々のアルバム"Touch The World"を出します。しかし、そのアルバムは、内容も売上もパットせず、かつての勢いを失っていました。

<高度なサウンドの再評価>
 彼らはそれぞれが一流のテクニックをもつミュージシャンだっただけに、そのパフォーマンスは今や再現不能とも思える高い完成度をもっていました。1970年代に彼らが打ち出していたアフリカ回帰の思想が生んだプリミティブでパワフルなファンクは、ディスコ・サウンドの台頭、電子楽器の導入によるバンドの少人数化などで、しだいにその魅力を失って行きました。
 残念ながら、「大地と風と炎」が生んだ「原始の響き」は、サンプリングやリミックスによってしか聞くことができなくなりそうです。

<追悼モーリス・ホワイト>
 モーリス・ホワイトは、1990年代末にパーキンソン病であることが明らかになり、長きにわたる闘病生活に入りました。しかし、2016年2月3日ついにこの世を去りました。ご冥福をお祈りいたします。

<締めのお言葉>
「E/W&Fは、ジェイムス・ブラウンやスタックスのバンドが主として強調つまりアクセントのためにホーンを使ったのとは違って、滑らかに第2の旋律を演奏しながら不意をついてぐんと前面に出るというように、編曲の中にホーンを組み入れた」

アラン・ライト (リッキー・ヴィンセント著「ファンク」より)

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