ようこそ、江戸文学の世界へ


- 「好色一代男」、「雨月物語」、「通言総籬」、「春色梅児誉美」 -

<江戸文学の魅力
 江戸時代の日本ほど大衆文化が華やかだった社会は、当時世界中のどこにもなかった。そう言われます。農民や町人の子供たちまでもが文字を読め、俳句や小説などを読んだり、人形浄瑠璃や落語などを楽しむlことで多くの大衆文化が花開いた江戸時代は奇跡の時代だったのです。
 明治維新以後、日本は西欧文明を取り入れることにより、アジアの中でいち早く先進国の仲間入りを果たすことになりました。しかし、それ以前に日本は、すぐにでも西欧文明を吸収できる準備が整っていたのです。その文化レベルを築きあげたのは、江戸時代に日本中にできた寺子屋などの学校や私塾の存在があったからでした。明治維新をリードしたエリートたちの多くが町人や農民出身だったのは、彼らが飛びぬけた天才だったからではなく、彼らを生み出した江戸の文化レベルの高さのおかげだったのです。
 では、そんな江戸時代の文学とは、どんなものだったのか?「古文」が大の苦手だった僕は、そこを長年スルーしてきました。しかし、最近になって古典文学の新しい翻訳版がいろいろと出版されるようになり、僕のような人が古典文学をたしなむことが可能になってきました。今回、池澤夏樹編集による「日本文学全集」に江戸の名作文学が新訳で収録され、それを読むことができました。ここではその第11巻に収められた4作品をご紹介させていただきます。
「好色一代男」、「雨月物語」、「通言総籬」、「春色梅児誉美」の訳者は、それぞれ島田雅彦、円城塔、いとうせいこう、島本理生。この顔ぶれだけでも読みたくなるじゃないですか。
 是非、あなたも江戸文学の世界へと踏み出していただければと思います。
「好色一代男」 Koshoku Ichidai Otoko
(著)井原西鶴 (訳)島田雅彦
初版の出版は、1682年(江戸時代前期)で出版者は大阪の荒砥屋孫兵衛可心
 大阪の町人作家、井原西鶴(1642年~1693年)の代表作。
 西鶴はもともと俳人で、これが小説家としてのデビュー作であると同時に「浮世草子」と呼ばれる読み物の最初の作品でもあります。それ以前の読み物は「仮名草子」と呼ばれていて、エッセイや啓蒙書などストーリー性のないものでした。したがって、この作品は日本における大衆向け娯楽小説の元祖ともいえるのです。
 もちろんそれ以前にも小説的存在の文学作品はあり、古くは「源氏物語」も貴族社会向けの娯楽小説だったといえます。そして、この「好色一代男」は、前述の「源氏物語」や「伊勢物語」のパロディー文学としての書かれています。例えば、「源氏物語」が54話からなる連作物語なのに対し、この作品も主人公が54歳になるまでを54話で描いています。他にも、「源氏物語」のストーリーを「貴族社会」から「大衆社会」へと移し替えた物語でもあるのです。さすがはオタク文化の国の文学です。最初の大衆娯楽小説からして、名作のパロディー文学作品だったわけです。おまけにその内容は、日本版ドンファンの日本縦断買春旅行なのですから、エロ大国日本的ですね。なにせ生涯のセックス相手が女性3742人、男性755人という強者が、日本全国を旅しながら各地の女性たちだけでなく宿や食事、文化を紹介する食べ歩き&セックス・カタログというのが、この作品の設定なのです。
「・・・秘密にしておくが、人が見ていないところでも振る舞いに気を配るのが女郎のたしなみってもんだぜ」
「・・・女郎は一見浮ついて見えて、実は賢いというのが上物なんだ。」

 北は山形県酒田から南は長崎まで日本中の女郎文化について語る評論家としての西鶴のセンスも凄いのですが、「文学」として優れているのはやはりその描写力でしょう。
「帯を解けば、肌に潤いがあり、温かく、鼻息高く、結い髪が乱れるのも気にせず、枕はいつだって、のけてしまい、目はかすかに青みがかり、左右の脇の下は湿り気を帯び、寝間着は汗に濡れ、腰は宙に浮き、足の指先は屈む。・・・
 よがり声が鵺(ぬえ)に似て、乱れて蚊帳の吊り手が落ちるとともに男が果てそうになるところを九度まで抑える」

 なんというセクシーな描写でしょう。
 この作品は、花街を舞台にしているにも関わらず悲劇的要素は少なく、セックス好きのオタク男を主人公としたユートピア小説として現代にも通じる永久不滅の輝きを保っています。(ただし、植物系男子が主流の今、過去の存在になりかねないのも事実ですが・・・)とはいえ、色事大好き人間になったつもりで、江戸時代の日本を旅してもらえればきっと楽しめるでしょう。
<あらすじ>
 主人公の世之介は理想の女を求めて日本各地の花街を巡りますが、その放蕩ぶりにあきれた両親に若くして勘当され、無一文で放浪の旅を続けます。しかし、自分探しの旅の後、彼は父親の死を知り、遺産の500億円(現在の価値で)を自由に使うように告げられます。
 世之介は、500億円を使い切ろうと再び放蕩三昧の旅を開始します。そして、ラストにはまるで「指輪物語」か「2001年宇宙の旅」のような壮大なエンディングが訪れます。
「雨月物語」 Ugetsu Monogatari
(著)上田秋成 (訳)円城塔
初版の出版は、1776年(江戸時代中期)で出版者は京都の梅村半兵衛と大阪の野村長兵衛 
 西鶴と同じ大阪の町人だった上田秋成(1734年~1809年)の代表作。
 9編の短編小説からなる連作オカルト小説集です。元祖ジャパニーズ・ホラー小説として、何度も映画化されたり、多くの小説に影響を与え続けている傑作。映画化作品としては、なんといっても溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)が有名で、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得しています。
 上田秋成は「浮世草子」と「読本」二つのジャンルの作家として活躍していて、この作品は「読本」としての代表作です。「浮世草子」が「風俗小説」であり「娯楽小説」だったのに対し、インテリ層がより芸術性の高い内容を求めて書かれたのが「読本」だったといえます。具体的には、当時最新の海外文学だった中国文学に要素を日本に持ち込み、そこに歴史、思想などを盛り込んで仕上げたのが「読本」だったといえます。
 ただし、この作品の魅力はそうした芸術性、歴史性以上にジャパニーズ・ホラー文学としての表現力の凄さにあるといえます。

「・・・一体どうしたことだといぶかりながら、恐る恐る灯りを掲げてあちらこちらと見て回るうちに、開け放たれた戸の横の壁が生々しく血にまみれ、地面にまで伝っているのに気がついた。しかし死体も骨も見あたらない。月明りによくよく目を凝らしてみると、軒先からなにかがぶら下がっているらしい。灯りを持ち上げて照らしてみると、引きちぎられた男髷が揺れており、他にはなにも見あたらない。驚きつつもわけがわからず、その恐ろしさはとても形容できるようなものではなかった。・・・」
「吉備津の釜」より
「白峰」
 有名な西行法師が山中で出会った叛乱により命を落とした幽霊を成仏させるというお話。謎の僧侶として登場した僧が途中で西行だと明かされ、その言葉の力で幽霊たちを説得し成仏させてゆく対話が見事です。
「菊花の約」
 命を助けたことから、子弟の約束を交わした武士と学生。助けられた武士は、その恩義に感謝し、城へ戻った後、もう一度戻ってくることを約束します。その約束の日、夜遅くに武士は戻ってきます。ところが彼の正体は幽霊でした。なぜ彼は幽霊となって戻って来たのか?その衝撃の理由とは?
「浅茅が宿」
 農家を営んでいたある男が、一儲けを期して田畑を売り商売を始めます。そして、一攫千金を狙い、下総の国から京へと長旅に出ます。ところが、応仁の乱が始まってしまい、故郷に戻れなくなります。7年後、やっと村に戻った男は、そこで妻と再会します。しかし、その妻は・・・
「夢応の鯉魚」
 絵の名人といわれた僧が病気でこの世を去り、3日後突然生き返り周囲を驚かせます。すると彼は人々にその間に夢の中で見ていた出来事を語り始めます。どうやって彼は死後の世界から戻って来たのか?それは驚きの旅でした。
「興義は絵の名人として広く名前を知られていたが、神仏や山川草木、花鳥風月といったありきたりの題は採らない。寺の仕事があくと、琵琶湖に舟を浮かべる漁師に銭を渡して、網や釣りで獲った魚を買いとる。それらを元の湖に放してやっては、魚の泳ぎを紙へ写すのである。長年そうしているうちに、絶妙の域へ達した。
 あるときなどは、絵に没入するあまりそのまま夢に入り込み、大小様々の魚と湖の中を泳いでいた。目覚めた後で見たままを描き壁に貼り、自ら「夢応の鯉魚」を名づけた。」

 神業的画家だからこそ起きた奇跡のような復活劇とは?
「仏法僧」
 高野山で泊まる場所を探していた僧侶が息子と共に山中で夜を過ごそうとしていると、不思議な武士の一団と遭遇します。二人は武士たちの酒宴に招かれ、彼らと俳諧のやり取りを交わしながら朝を迎えます。すると彼らはあわててその場を去ろうとします。いったい彼らは何者だったのか?
「吉備津の釜」
 浮気者の主人公は妻を捨てて若い浮気相手と駆け落ちします。しかし、夫に騙されたと知った妻は、夫の後を追いかけ、相手の女の呪い殺しただけでなく、悪霊となって夫にも迫ります。このままでは呪い殺されると知った陰陽師は、夫を助けるため、彼の身体に呪文を書き、さらに家中の出入り口や窓に護符を張って、悪霊の侵入を防ぎます。これでもう大丈夫かと思われたのですが・・・
「蛇性の婬」
 漁師の息子だった男はある日、謎めいた美女と出会い恋に落ちます。しかし、彼女から渡された刀が、最近盗まれたばかりのお宝のひとつとわかり、彼女がこの世の者ではないとわかり、彼女の元から逃げ出します。そして、離れた土地で別の女性と結婚しますが、妻が別れたはずの女に取って代わられていることに気づいてしまいます。
「世のことわざにも言う。『人は必ずしも虎を傷つけるつもりはないが、虎は人を傷つけるのが本性である』と。お前は魔性の心根でもってわたしにつきまとい、何度も非道の目に遭わせた上に、たとえ言葉の上のこととしても、恐ろしい脅しを持ち出すのは所詮魔性の仕業である。しかしわたしを思う気持ちは世の人間と変わらない以上、その気持ちは受け入れる。・・・」
「青頭巾」
 ある禅僧が旅の途中、鬼になってしまった僧のいる寺の話をききます。彼はその僧を成仏させるため、その寺を訪れます。鬼となった僧は、禅僧を食べようとしますが、生き仏である仏の姿をとらえることができません。すると彼は禅僧に自分を救ってほしいと教えを請います。それに対し禅僧は彼に有り難い謎の言葉を教え、それを念じ続けるよう命じます。
 そして一年が過ぎました。・・・
「貧福論」
 陸奥の国に住むある武士は、評判は高いものの、財産をためこんでいることで知られていました。しかし、彼は単なるケチではなく、全ての大切さを知る賢人でした。そんな彼の枕元にある夜、謎の老人が現れます。老人は自らを黄金の精霊と称し、彼に褒美として言葉を与えに来たといいます。
 そして、仏の道にとって、「富」とは何かを二人は語り合うことになります。
「通言総籬 」 Tsugen Somagaki
(著)山東京伝 Kyoudenn Santou(訳)いとうせいこう
初版の出版は、1787年(江戸中期)で出版人は江戸の蔦屋重三郎
 著者の山東京伝(1761年~1816年)は、挿絵画家としてキャリアをスタートし、自作の文章と絵を組み合わせた本を出して認められます。浮世絵の絵師として美人画集「青桜名君自筆集」で吉原の美人たちを描きヒットさせています。その後、「洒落本」と呼ばれるファッションや芸能ネタを盛り込んだ小説「息子部屋」(1785年)を書きます。
 この作品は「洒落本」の決定版ともいえる代表作で、この時代の大衆文化の流行が「なんとなくクリスタル」の江戸時代版のようにたっぷりと書き込まれています。物語は実にシンプルで、えん二郎という遊び人が喜之介、しあんという仲間たちと吉原に遊びに行く道中から翌日の帰りまでの一晩の出来事をライブカメラによるドキュメンタリー番組のように丹念に追った旅日記です。訳者がいとうせいこうだけあって、本文の量に匹敵するウンチクが注釈としてが加えられています。
 オタク文化は、21世紀日本の文化だったわけではなくこの時代には大衆文化にオタク的要素が盛り込まれるようになっていたのです。例えば、当時の「流行語」、「一発ギャグ」についてのこんな文章があります。

「流行語も面白いもんで、ちょっと言い出すとえらく流行るもんすよね。この頃だと扇屋の貴公さん、丁子屋がはてな、ぶしゃれまいぞ、おたのしみざんす、松葉屋がじゃあおっせんか。玉屋は鬼の首、大文字屋の知らぁんもよく聞くし。様というところを、せと言ったり。・・・」
ここで、「貴公さん」(初めての客で名前がわからない時の呼び方)、「ぶしゃれまいぞ」(「ふざけないで」)、「じゃあおっせんか」(「じゃあありませんか」)、「知らぁん」(どんなイントネーションだったのでしょう?)
 その他にも、各土地や遊郭ごとのファッション・チェックをしたり、グルメ対決、接客サービス比較、お座敷遊び紹介、流行の芸能人紹介、もちろん芸者たちの美人度、お洒落度、接客力、人間性などのチェックも厳しく行っています。これに映像がついたら、動く江戸ファッション・グルメ絵巻として、江戸エンターテイメント映画として大ヒット間違いなしだと思います。
 著者の山東京伝は、浅草で活躍するマルチクリエーターでしたが、風俗を乱したとして自作の浮世絵で罰金をとられたり、のちには作家として逮捕されたりと苦労もしています。カルト的な作家から一度は足を洗おうとしたようですが、当時人気ナンバー1の出版プロデューサー蔦屋重三郎(あのTUTAYAはこの人の名前からとられています!)時代の風俗最前線に立ったこだわりのオタク小説をお楽しみください!
「春色梅児誉美」 Shunshoku Umegoyomi 
(著)為永春水(訳)島本理生
初版の出版は、1832年(江戸後期)で出版人は江戸の西村屋与八と大嶋屋伝右衛門門
 著者の町人作家、為永春水(1790年~1843年)によるこの作品は、初編、第二編が1832年、第三編、第四編が1833年に出版されています。ジャンル的に、この作品は「人情本」と呼ばれ、「洒落本」の展開をより凝ったものにし、娯楽性を増した娯楽小説といえます。為永は、元々講釈師、為永正輔として寄席に出演する芸人であり、書籍の仲買人だったこともある多彩な顔をもつ人物でした。
 「洒落本」が遊女の恋愛小説だったのに対し、「人情本」は遊女以外の一般女性も登場することから、読者層もより幅広くなっていました。本の中の会話も、より口語的になって読みやすかったようです。長期間にわたって発表されているので、「朝の連続テレビ小説」のように町の人々の間で、この作品は話題になっていたのでしょう。
 正直、ラストの大団円はできすぎの感は否めませんが、エンターテイメント小説として強引にハッピーエンドに持ってゆく力量はたいしたものです。この時代の作品の多くが「心中」や「切腹」で終わる悲劇なのに対し、この作品は現実逃避としての娯楽作品としてただただ読者を楽しませてくれます。「曽根崎心中」の芸術性とは対極に位置する作品として、これはこれで十分に価値があると僕は思います。
<あらすじ>(現代的にさらに意訳しちゃいました)
 詐欺師グループに騙され、警察に追われることになった主人公T。彼を助け何かと世話を焼くキャバ嬢Hと彼女と同じようにTを慕う妹的な存在の婚約者Aはライバル関係となります。Hの先輩キャバ嬢で姉御肌のKは、彼らを守ろうとします。
 AはTを助けるために家を出ますが、不良グループに襲われレイプされそうになります。しかし、危機一髪の彼女は謎のヘアーメイクアップアーティストUに助けられ、彼女の世話になります。そして、Tの借金返済のためにとショーガールとして働き始めます。
 Aと同じくTを愛するHの店に通いつめる彼女のファンの金持ち青年実業家Rは、店でいじめられていたAを助け、Uのもとに届けます。すると、Uが自分が長いあいだ探していたかつての恋人だったことに驚きます。さらに彼は自分が居場所の捜索を依頼されていた有名政治家の隠し子が、詐欺師グループの犠牲者Tだということに気づきます。しかし、そこ頃、詐欺師グループを追っていた警察は、ついにTの居場所を突きとめようとしていました。
 Tの無罪は証明できるのか?
 それぞれの女性たちは愛する男と結ばれるのか?
 先へ先へと読み進ませるスリリングな展開と読者を感情移入させる多彩で生き生きとした登場人物たちのリアリティー。実によくできたエンターテイメント・ラブ・サスペンス小説です。
<参考>
「日本文学全集(11)」
 2015年
(編)池澤夏樹
河出書房新社

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