- エマーソン・レイク&パーマー Emerson,Lake & Palmer -

<忘れられたプログレ・ヒーロー
 ピンク・フロイドイエスキング・クリムゾン、そしてエマーソン・レイク&パーマー(以下ELP)といえば、プログレの一大ブームを舞い起こした4大バンドです。ただし、ELP以外のバンドが皆、解散後に再結成し20世紀いっぱい活躍を続けたのに対し、ELPは1977年の「庶民のファンファーレ」以降、ほとんど名前を聞くことがなくなり、1992年の再結成と来日コンサートも、ほとんんどの人は知らないのではないでしょうか。
 もともとELPの場合は、インストロメンタル曲が中心だったこともあり、シングル・ヒットをあまり出せませんでした。一曲一曲が長いため、ラジオのオンエア向きではなかったというこもあるでしょう。しかしその分、彼らのスタイルを真似するバンドは少なく、めいっぱいアナログな彼らの音楽は今聴いても新鮮なはずです。かつてクラシックの名作「展覧会の絵」(ムソルグスキー作)をロック化し大ヒットさせた彼らですが、彼らの演奏自体が今やクラシックの仲間入りをしつつあるのかもしれません。ただし、この場合のクラシックとは単に古典的なのではなく時を越えて新鮮に聞こえる「普遍的」という意味も持っていると思います。
 最近忘れられ気味のELPに改めて光を当ててみたいと思います。

<キース・エマーソン>
 ELPのキーボード奏者として一世を風靡したキース・エマーソン Keith Emersonは1944年11月2日イギリスのランカシャーで生まれました。小さな頃から音楽好きで10歳でギターを弾き始め、当時流行のスキッフルに挑戦。しかし、すぐにピアノを弾き始めます。その後、ロンドン・ミュージック・アカデミーに入学するも学校での勉強が物足りなくなり退学してしまいます。とりあえず銀行に就職したものの、今度はジャズにはまり、街のジャズ・トリオにピアニストとして参加。その後、18歳でゲイリー・ファー&ザ・T・ボーンズのメンバーとなってからは本格的にプロのミュージシャンとして活動するようになります。いくつかのバンドを渡り歩いた後、彼はリー・ジャクソン、ブライアン・デヴィソン、デヴィッド・オリストらとナイス Niceを結成。1968年アルバム「ナイスの思想 Thoughts of Emerist Davjack」でデビューを飾りました。
 彼らのサウンドは、翌年発表のアルバム・タイトル「ジャズ+クラシック÷ロック=ナイス Nice」からもわかるように、すでにELPのコンセプトに近いものだったようです。オーケストラとの共演もこの頃すでに実現しており、ELPが実現することになる音楽スタイルの準備は、ここでできていたのかもしれません。

<グレッグ・レイク>
 ELPのベーシストとなるグレッグ・レイク Greg Lakeは、1947年11月10日イギリスのバードンマウスに生まれています。小さな頃、母親にギターを買ってもらったことから、音楽にはまり自らロック・バンドを結成。その後、ベースギターに転向し、1969年あのキング・クリムゾンのベーシスト&ヴォーカリストとして伝説的名盤「クリムゾン・キングの宮殿 In The Court of the Crimson King」の録音に参加します。しかし、1970年発表のセカンド・アルバム「ポセイドンのめざめ」にヴォーカルとして参加するとあっさりと脱退してしまいました。彼にもまた自らのやりたい音楽スタイルがあり、ロバート・フリップという大きな存在がいるキング・クリムゾンでは実現できないと考えたのかもしれません。だからこそ、彼はELP結成後は、自らプロデューサーとして音作りの中心となります。
<追悼>
 2016年12月7日、69歳癌によりこの世を去りました。ご冥福をお祈りします。

<カール・パーマー>
 ELPのドラマー、カール・パーマー Carl Palmerは、1950年3月20日バーミンガムに生まれました。学生時代からドラムを叩いていた彼はスティーブ・ウィンウッドらともいっしょに演奏しており、15歳で学校を中退するとザ・キング・ビーズというバンドにプロのドラマーとして参加。その後、クリス・ファーロウのザ・サンダーバーズ、クレイジーワールド・オブ・アーサー・ブラウンを経て1969年ヴィンセント・クレイン、ニック・グラハムとともにアトミック・ルースターを結成。1970年、アルバム「Atomic Rooster」でデビューし、注目を集めますが、彼の才能を認めたグレッグ・レイクに説得され、ELPに参加することになりました。

<ELP結成>
 ナイス時代すでにジャズ、ロック、クラシックの融合を行っていたキース・エマーソンに対し、プロデュースも担当することになったグレッグ・レイクはシンセサイザーの導入を提案します。登場して間もなかったシンセサイザーが加わったことで、キーボード、ベース、ドラムスというシンプルな編成のバンド編成にも関わらず、驚くほど高度で複雑な音楽が生み出せるようになりました。こうして、彼らは史上最強の変形ロック・トリオが誕生することになりました。
 1971年、彼らは最新鋭の電子楽器ムーグ・シンセサイザーを用いて、アルバム「タルカス Tarkus」を発表。戦車型怪獣タルカスという架空の存在をテーマに作られたコンセプト・アルバムは高い評価を受け、彼らは一躍プログレッシブ・ロック界のトップ・グループと見られるようになります。同じ年、彼らはニューキャッスルでのライブをアルバム「展覧会の絵 Pictures at Anexhibition」として発表します。タイトル曲の「展覧会の絵」は、ロシアの偉大な作曲家ムソルグスキーの有名なピアノ曲、大ヒットした「ナット・ロッカー」はもちろん、あのチャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」のタイトル曲をカバーしたものでした。クラシックを徹底的にロック化このアルバムによって、ELPはいよいよ完成の域に達したといえるでしょう。
 1972年に4枚目のアルバム「トリロジー Trilogy」を発表後、1973年に彼らは自分たちのレーベル、マンティコアを設立。自分たちだけでなく新人バンドの発掘も行い始めます。同年発表のアルバム「恐怖の頭脳改革 Brain Salad Surgery」では新たにシンセ・パーカッションも導入。再び完成度の高い代表作となったこのアルバムも高い評価を得て、シングル・ヒットがなくてもトータル・アルバムとして売れることを証明してみせました。(全英第2位)この時期、1970年から1975年ごろは、プログレ黄金時代ともいえる時代で、イエスピンクフロイドキング・クリムゾン、ユーライア・ヒープ、ソフトマシーン、プロコル・ハルム、ムーディー・ブルースなど数多くのバンドが活躍していました。たとえシングル・ヒットがなくても一曲がLPの片面いっぱいでも、当時はアルバム単位でヒット作となる可能性が十分にありました。(もしかすると、これはプログレ黄金時代というよりも、「LP黄金時代」と呼ぶべきなのかもしれません)
 ではこうしたブームのおかげでプログレのアルバムは売れたのでしょうか?たぶん、この時期のプログレには、こうしたブームを起こすだけの新鮮さとパワーがあったのでしょう。ロック・ファンにとってのプログレは、次々に新しい音楽が生まれる最も新鮮なジャンルだったのです。
 1960年代末、音楽の世界における先カンブリア紀に生まれたいろいろなジャンルの音楽の中でも、最も技術的に高度でインプロビゼーションの要素が強いプログレは若干遅れ気味に70年代にその頂点を迎えました。政治的なメッセージをもつ音楽がブームを迎えた1960年代の終わり、人々の一部にはすでにそんな音楽とは異なる新しい何かを求める動きが起きていたのでしょう。しかし、オーケストラとの共演やコンピューターの導入、クラシックなどとの融合など、アイデアをひととおり使い果たしたことで、プログレのブームはその後徐々に失速してゆくことになります。
 1974年にライブ・アルバム「レディース・アンド・ジェントルメン Welcome My Friends , To the Show That Never Ends - Ladies And Gentlemen」を発表した彼らは、その後4年間活動を休止します。

<再結成>
 1977年、しばらくぶりに活動を再開した彼らはロイヤル・フィル・オーケストラとキースの共演曲にレイクのソロと3人による「庶民のファンファーレ」などからなる変則的なつくりのアルバム「Works VolumeT」を発表。しかし、すでにその内容はソロ作の寄せ集めになっていて、3人による高度なアンサンブルは終わりをむかえていました。そして、1979年、ライブ・アルバム「ELPコンサート」の発表後、ついに解散を宣言します。
 その後、1985年にキースとレイクはELPの再結成を注意するものの、カール・パーマーは参加を断り、仕方なく二人は同じ「P」のイニシャルをもつドラマー、コージー・パウエルをメンバーに迎えて活動を再開します。(バンド名はエマーソン、レイク&パウエル)しかし、このバンドはアルバム一枚を出しただけですぐに解散。
 この間、カール・パーマーは1981年に元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、元イエス&バグルスのジェフ・ダウンズ、元イエスのスティーブ・ハウとともにスーパー・グループ、エイジア Asia を結成。3枚のアルバムを出しました。
 その後も何度かELPの再結成が計画されますが、なかなか実現はせず、1991年になってやっと実現しました。1992年、久しぶりにオリジナル・アルバム「ブラック・ムーン」を発表すると、その後日本を含めた世界ツアーを行いました。

<プログレの復活はあるか?>
 21世紀に全盛期を迎えつつあるデジタル音楽の代表格であるテクノに対し、プログレはその対極にあるといえます。デジタルとアナログ、パソコン一台でできるお手軽さと大仕掛けの楽器編成、プログラムどおりの音楽とインプロビゼーション中心の音楽。その違いは歴然です。こうして、今やアナクロ(時代錯誤)となったアナログ音楽、プログレに再び光が当たる時代は訪れるのでしょうか?前と後ろにびっしりと積み上げられたキーボードの群れを弾きまくるキース・エマーソンの鬼気迫る演奏は、今ならボタンひとつで再現できてしまうでしょう。ELPが見せてくれた機械と人間のガチンコ勝負は、コンピューターによって人間の肉体がとって代わられる前の最後の戦いだったのかもしれません。
 しかし、どんなにリズム・マシーンが発達してもなお、ドラマーの仕事は残されています。まだまだ音楽にとって「肉体」は必要とされているのです。人間が身体を揺らしながら耳だけでなく肉体で音楽を感じている限り、それは変わらないでしょう。ただし、音楽が完全にデジタル化され人間の脳に直接送り込まれるようになったとしたら、いよいよ音楽から「肉体」性は失われてしまうかもしれません。そして、その時にはまた新しい「脳」と「電気」のガチンコ勝負となる音楽が生み出されるのかもしれません。かつて1960年代に、まったく新しい概念の音楽が生み出されたように・・・。

<追悼>
グレッグ・レイクが2016年11月7日にこの世を去りました。ご冥福をお祈りします。

<締めのお言葉>
「その一年前には、10分間のギターソロをじっと聴いていられるやつなんて、ひとりもいなかったと思う。そもそもがそんなソロをやる気にはならなかったはずだ」

プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカーがフィルモアでのライブ・パフォーマンスについて語った言葉

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