- エルトン・ジョン Elton John -

<20世紀を代表するヒット・メーカー>
 60年代から活躍を始め、ビートルズ以降最大のヒット・メーカーと言われた男、エルトン・ジョン。それでも彼の名は1990年代に入る頃には、危うく忘れられかけていました。しかし、1997年「風の中の火のように Candle In The Wind」のメガ・ヒットにより、再びその名が世界中に知られることになり、それどころか、ギネス・ブックに載るほどの20世紀最大のヒット曲の作者として、歴史にその名をとどめることになりました。
 もちろん「風の中の火のように」は、あのダイアナ皇太子妃の追悼歌として録音された曲ですが、もとはといえば彼の最高傑作と言われるアルバム「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」の中で、マリリン・モンローを追悼する歌として挿入されていた曲でした。20世紀を代表する美女二人、そしてともに謎の死を遂げた二人に捧げられた曲というだけでも、この曲の歴史的価値はたいへんなものかもしれません。

<ドワイト君、運命の分かれ道>
 彼は、1947年3月25日、イギリスのミドルセックス州ピンナーに生まれました。本名はレジナルド・ケネス・ドワイト Reginald Kenneth Dwight。名前からして堅そうですが、彼の家庭もまたその名に負けず劣らず厳格だったようです。(後年のド派手なメガネと衣装は、この時の反動だったのかもしれません)ローリング・ストーンズのようなR&B系のサウンドに憧れ、どこにでもあるようなバンドでキーボード奏者を勤めていた彼は、ある日ニュー・ミュージック・エキスプレス誌で、リバティー・レコードのアーティスト・コンポーザーの募集広告を目にしました。1967年7月17日のことです。そして、これが彼にとって、人生の重要な分かれ道となりました。

<永遠の友との出会い>
 この募集を見て、さっそくロンドンでオーディションを受けたドワイト君ですが、あっさりと不採用になってしまいます。しかし、運命はここから彼の人生を変えてゆくことになるのです。不採用としたもののリバティー・レーベルのスタッフは、彼にある人物を紹介してくれました。そして、それがこの後彼にとって、生涯の友?であり最良の共作者となる人物、バーニー・トウピンだったのです。すぐに意気投合した二人は、さっそくソング・ライティング・チームとして活動を始めます。ドワイトは、エルトン・ジョンというペン・ネームで作曲をし、バーニーが作詞を担当、彼らはさっそく音楽出版社、グラント社と契約を交わしました。

<エルトン・ジョン登場>
 そして、1968年エルトン・ジョンの初シングル"I've Been Loving You Too Long"が発売され、翌1969年にはデビュー・アルバム「エルトン・ジョンの肖像 Empty Sky」が発売されました。残念ながら、デビュー・アルバムは不発に終わりましたが、二枚目のアルバム"Elton John"からのシングル「僕の歌は君の歌 Your Song」は世界的大ヒットとなり、一躍彼はスターの仲間入りを果たします。

<ジェームス・テイラーというよりは、ファッツ・ドミノ>
 "Your Song"のヒットのおかげで、彼は同時期に活躍をし始めた多くのシンガー・ソングライター・タイプのアーテイストであると考えられますが、実際はけっしてジョニ・ミッチェルジェームス・テイラーのようなタイプではありませんでした。それよりは、元祖ニューオーリンズ・ファンクのロックン・ロール・ピアニスト、ファッツ・ドミノの方がよほど近かいでしょう。そのことは、この後次々に発表されるアルバムに収められた多才な曲の数々でしだいに明らかになってゆきます。
エルトン・ジョン3 Tumblewood Connection」(1970年)、「マッドマン Madman Across The Water」(1971年)、「ライブ!! Elton John 11-17-70」(1971年)、「ホンキー・シャトー Honkey Shateau」(1972年)、「ピアニストを撃つな! Don't Shoot The Me I'm Only The Pianist」(1973年)。これらのアルバムからは、「ダニエル」「クロコダイル・ロック」など数々のヒット曲が生まれましたが、そんな彼の多彩な曲の集大成とも言えるアルバムが、1973年発売の「黄昏のレンガ路 Goodby Yellow Brick Road」です。

<「グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」>
 このアルバムには、前述の「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」以外に、「グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」、「ベニー&ジェッツ」、「土曜の夜は僕のいきがい」という大ヒット・シングルも収められ、まさに彼の代表作と呼ぶに相応しい内容です。(個人的には「スウィート・ペインテッド・レディー」も大好きな曲です・・・)
 当時は、すでにシングルの時代は終わり、アルバム中心の時代となっていました。そのため、ミュージシャンたちはあふれでるアイデアを二枚組や三枚組アルバムとして発表する場合も増えていました。しかし、多くの場合、そんな大作には穴埋め的な曲が必ずと言ってよいほど収められていたものです。しかし、エルトンの「グッドバイ・イエロー・・・」には、そんな欠点は見当たりませんでした。だからこそ、このアルバムはエルトン自身最大のセールスを記録する作品となったのでしょう。

<二枚組LPとCD>
 現代のCD制作において、70分という時間(CD容量をフル活用した場合)は、毎回二枚組のLPを発表しているようなものです。同じ曲のダンスミックス・バージョンとか英語バージョンとか、いろいろと苦労しているのはわかるのですが・・・。それに作る側よりも聴く側にとって、70分は通して聴くのに長すぎると思うのです。CD世代にとって、アルバムは編集して聴くものであり、通して聴くものではなくなってしまったのかもしれませんが・・・。(僕も最近そんな傾向があります)

<エルトン絶頂期へ>
 このアルバムで彼は自らキャリアにおけるピークを迎えたと言えるのかもしれません。しかし、売上はさておき、彼の作品においてその総決算とも言える本当の作品は、「グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード」ではなかったと思います。たぶんエルトンのファンの多くが最高傑作と思っているアルバムは「キャプテンファンタスティック&ブラウン・ダート・カウボーイ Captainfantastic And The Brown Dirt Cowboy」(1975年)ではないでしょうか?(客観的にみるとやっぱり「グッドバイ・イエロー・・・」かな?)
 このアルバムは、前の年に発売されたアルバム「カリブ Caribou」とほぼ同時期に録音されたのですが、内容的にはまったく異なる作品でした。

<「キャプテンファンタスティック&ブラウン・ダート・カウボーイ」>
 都会の厳格な家庭で育てられたおぼっちゃまのキャプテンファンタスティックこと、エルトン・ジョン。田舎ののどかな家庭で育てられた腕白少年のブラウン・ダート・カウボーイこと、バーニー・トウピン。二人の少年時代を歌ったタイトル曲から始まり、売れない時期、曲が書けない時期の苦しみの歌、二人がコンビで曲を作り上げる喜びの歌、そして最後に「どんな大人にも子供時代に探していた宝物があったはずだ」と遠い思い出へと連れていってくれる曲「ベールの中の遠い想い出」まで、二人の歴史を振り返りつつ、聴く者を懐かしい思い出へと誘ってくれる不思議なトータル・コンセプト・アルバムでした。

<その後のエルトン>
 残念ながら1980年代以降、僕はほとんどエルトン・ジョンを聴かなくなってしまいました。時代の流れは、パンクへ、ニュー・ウェーブへ、そしてグランジへと移り変わってゆき、僕の興味はすっかりそれらの方向へと向かってしまったからです。
 それでも、そんな世の中の流れとは関係なしにエルトンは、実にコンスタントに年一枚のペースでアルバムを発表し続けます。しかし、残念ながら彼の発表するシングルのヒット・チャート最高ランクは、しだいに下がってゆきました。そして、ついにその名が消えようとしたころ、あの「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」の大ヒットが生まれたというわけです。

<年はとっても、元気です>
 「千のメガネをもつド派手なゲイのおじさん」、「カツラをつけた最初のロック・ミュージシャン」、「ロッド・スチュアートと並ぶサッカー狂」などなど、陰口を叩かれながらも、彼の生み出したメロディーは、いつまでも人々の口元から離れることはないでしょう。どの曲も、ある時ふっと口ずさみたくなる記憶に残るメロディーばかりです。
「20世紀を代表するメロディー・メイカー」そして、エンター・テナー、エルトン・ジョンは、きっと死ぬまでピアノの前に座り続けているでしょう。そして、ファッツ・ドミノやレイ・チャールズのように老いてなお、ピアノを叩きまくっているに違いないでしょう。

「この世には子供たちが探したくなるような
尊い宝物が沢山あるんだよ
そして、ちょうど僕たちと同じように
きみにもきっとあったはず
遠い昔、昔の物語が・・・」
「ベールの中の遠い想い出」(作詞)バーニー・トウピン(訳詞)山本安見

それにしても、エルトンとバーニー、ふたりを引き合わせた人物のもたらした功績は、たいへんなものです。世の中、いつ、どこで、どんな出会いが待っているかわからないもの。インターネットも良いけど、外に出て人生の本当の冒険を楽しまなきゃね!

<追記>2014年4月
 ラジオのインタビュー番組で聴きましたが、作家の重松清さんは、自分の小説の盛り上がる場面はすべて「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」をバックにイメージして書いているとのことでした。みなさんも是非、聴きながら重松さんの本を読んでみて下さい!

<締めのお言葉>
「幸運と偶然の一致という言葉についてだけで、大きな百科事典が書けるだろう。”宇宙のことば”はまさにこの二つの言葉で書かれているんだ」

パウロ・コエーリョ著「アルケミスト」より

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