「エル・トポ El Topo」 1969年

- アレハンドロ・ホドロフスキー Alexandro Jodorowsky -

<カルト・ムービーの歴史>
 カルト・ムービーといわれる映画は数多くあります。古くは元祖フリークス・ムービーといわれる伝説の映画「フリークス」(1932年)から怪優ディバイン主演のグロテスク映画「ピンク・フラミンゴ」(1972年)、観客参加型映画の元祖「ロッキー・ホラー・ショー」(1974年)、悪夢の映像化作品としてデヴィッド・リンチの出世作となった「イレイザー・ヘッド」(1977年)。このあたりは、王道?的カルト・ムービーでしょう。しかし、カルトの範囲は人によって様々です。ダイバーにとっては「グラン・ブルー」はまさにカルト・ムービーだったし、パーシー・アドロンの「バグダッド・カフェ」のように女性向け?の優しいカルト・ムービーもあります。SFファンにとっては、各ジャンルごとにカルト・ムービーがあり、「ブレード・ランナー」、「サイレント・ランニング」、「ビデオドローム」、「砂の惑星」など様々なジャンルの作品があります。
 カルト・ムービーの基準をあえていうなら、公開時にはヒットせず、その後口コミでロングラン・ヒットになった作品であること。それも、映画評論家やマスコミ以外のある種の熱狂的なファンの人々によって認められて世に出た作品であることでしょう。
 今や数多くのカルト・ムービーがある中で、あまりに過激すぎて30年間公開されることのなかったトッド・ブラウニングの「フリークス」をのぞくと、実は1960年代以前の作品というのはほとんど見当たりません。それもそのはず、カルト・ムービーの歴史は1970年公開のこの映画「エルトポ」から始まったといえるのです。ではなぜ「エルトポ」からだといえるのでしょうか?それはこの映画の公開方法がそれまでにないやり方だったことが原因でした。

<「エルトポ」世に出る>
 時は1971年1月1日。この映画はNYのミニシアター「エルジン」で夜中の12時(土日は1時)のみの公開として、その興行をスタートさせました。手作りの看板以外はポスターも無く、事前の宣伝もありませんでした。そうかといって、映画に有名俳優が出ているわけでもなく、監督などスタッフの名前も全員まったくの無名でした。どこから見てもヒットする可能性はなく、観客が入ることさえ不思議な作品でしたが、たまたま夜中に暇を持て余した人がその強烈なインパクトに衝撃を受け、それを友人にも見せようと再び映画館を訪れる。そんな展開によって、しだいに映画の観客は増えてゆき、いつしか夜中の映画館が超満員になり始めます。
 この映画の仕掛け人「エルジン」のオーナー、ベン・バレンホルツは、夜中なら経費をかけずに好きな映画を公開できると考えて、この映画を公開したのですが、あまりの反応に驚かされることになります。こうして、口コミだけで公開された「エルトポ」はニューヨークのアンダー・グラウンド・シーンの最先端となり、そこにはミック・ジャガー、アンディー・ウォーホル、デニス・ホッパーそれにジョン・レノンまでもが訪れるようになります。中でも、ジョン・レノンは、この映画と4回見た後、マネージャーのアレン・クラインにその凄さを教え、彼に「エルトポ」と次回作(「ホーリー・マウンテン」)の独占配給権を買わせてしまいます。
 こうして、「エルトポ」はNYを出てアメリカ各地の都市でも公開され、1974年にはアボリアッツ映画祭で審査員特別賞を受賞して、いよいよその名は海外にも広まって行きました。ただし、日本では幻の映画として名前を聞くだけで、1972年に開催されたメキシコ映画祭で一度公開されただけでした。やっと日本で日の目を見たのは、1986年東京国際ファンタスティック映画祭に特別招待作品として公開され、翌年やっと一般公開されてからでした。(僕自身もこの時に初めて見ました)
(追)この映画館「エルジン」では、その後デヴィッド・リンチのデビュー作「イレイザーヘッド」が観客わずか25人の前で公開され、その後同じような大ヒットへと広まってゆきました。

<「エル・トポ」という映画>
 「エル・トポ」とはどんな映画か?あえて他の作品と比較してみると・・・
セルジオ・レオーネ作品「荒野の用心棒」の「乾いた残虐さ」、サム・ペキンパー作品「ワイルド・バンチ」の「血の美学」、デヴィッド・リンチ作品「イレイザー・ヘッド」の「悪夢のイメージ」、ブルース・リー「死亡遊戯」の「決闘によるイニシエーション」、トッド・ブラウニング作品「フリークス」の「畸形趣味」、マーティン・スコセッシ作品「最後の誘惑」のキリスト教再評価」、日本が生んだ傑作時代劇シリーズ「子連れ狼」の「親子による冥府魔道の旅」などなど、これらの作品を組み合わせて、そこからハリウッド式の論理を取り除き、「禅」の思想を中心とする東洋的な論理によって再構築すると、だいたい似てくるように思います。
 それにしても、このとんでもない映画の監督であり、脚本、音楽、衣裳、装置それに主演もしてしまった人物アレハンドロ・ホドロフスキーとはいかなる人物なのでしょうか?

<アレハンドロ・ホドロフスキー>
 アレハンドロ・ホドロフスキー Alexandro Jodorowskyは1930年2月7日南米チリの田舎町で生まれました。父親は金を探してロシアから移住してきたロシア系ユダヤ人で雑貨屋を営んでいましたが、母親はオペラ歌手で祖母はバレエ・ダンサーだったそうです。その後、サンチアゴ大学で心理学と哲学を専攻。2年で大学を中退し、1955年フランスに渡るとそれから10年間放浪生活をおくります。しかし、その間、マルセル・マルソーと共著で戯曲を書いたり、モーリス・シュバリエの芝居を演出したりするなど、ヨーロッパの芸術家たちとの交流もしっかり果たしていました。
 1960年マルセル・マルソーとメキシコ・シティーに渡り、そこで数多くの芝居を演出。その後、一時ヨーロッパに戻るものの、再びメキシコに戻るとその後はメキシコを拠点に活動するようになります。以前マルセル・カルネの名作「天井桟敷の人々」を見て以来、映画に関心があった彼は1968年初の映画「ファンドとリス Fando and Lis」を発表。賛否はあったものの、その反応の大きさに気をよくした彼は、すぐに次回作「エル・トポ」の製作に入ったのでした。
 「エル・トポ」の物語は、実はホドロフスキーの人生でもあるようです。
 チリにまでやって来て、それぞれ夢破れた両親は喧嘩の末に彼を置き去りにしていなくなってしまいました。彼は一人仕方なく家を出て放浪の旅を開始したといいます。大道芸人、絵描き、泥棒など、多くの生き方を経験するうちに彼は年齢も顔も性別も家も限界もすべてを失っていったといいます。それ以来、彼は自分が毎日「変身」しているように感じられるようになり、それが彼の生み出す芸術の原点になってゆきました。
 といっても、その間、映画はほとんど見ていなかったようで、文学が彼に大きな影響を与えました。ジョイス、トーマス・マン、ラディゲ、リリアン・ヘルマン、ダシール・ハメット、ジャック・ロンドン、エドガー・アランポー、キプリング・・・etc.これらの作家のイメージとチリの荒野のイメージこそが「エル・トポ」世界の原点なのでしょう。その意味で彼は必然的に映画という芸術媒体と出会い、自らのあふれ出んばかりのイメージを総合的に表現するようになったのでしょう。そして、幸いなことに彼にはそうして生まれた作品をプロモーションしてくれる理解者が少なからずいたということです。
「私が映画に求めているものは、北アメリカに住む人間がサイケデリックなドラッグに求めるものと同じものさ・・・」
 サイケデリック・ムーブメントにも乗ったことで、この映画は一大ブームを巻き起こすことになりました。しかし、この映画はドラッグを使用して初めて楽しめるという映画ではありません。作者自身が言っているように、この映画はドラッグに代わるものとして作られているのです。「目で見る合法的なドラッグ」。この映画は多くの芸術家が目指す究極のトリップ芸術に限りなく迫ったからこそ、世界中の観客をトリップに誘うことができたのです。

<幻の映画「砂の惑星」>
 ホドロフスキーについて、話題になる話しとして、幻の企画「砂の惑星」があります。後にデヴィッド・リンチが映画化し、その後テレビ・ドラマ化もされたSF超大作「砂の惑星」は、SF作家フランク・ハーバートの伝説のSFシリーズとして、早くから映画化の企画がありました。文学の世界では初めて「エコロジー」の概念を持ち込んで壮大なスケールの生命体系を構築し、さらにそこに新しい宗教体系を作り上げたことで、この小説はヒッピー・ムーブメントを象徴する文学のひとつとも言われることになりました。それだけに、ホドロフスキーがあのサルバドール・ダリとともに「砂の惑星」の映画化を企画していたというのは、途中でお流れになったとはいえワクワクする話でした。企画段階とはいっても、かなり具体的に準備が行われていて、ダン・オバノンの脚本とギーガー、メビウスなど、エイリアンのスタッフが参加。それにオーソン・ウェルズ、グロリア・スワンソン、ダリらが出演するという噂など、いろいろな興味深い計画がありました。でも、あまりに面白すぎる計画にプロデューサーが恐れをなして逃げてしまった、どうやらそんな感じのようです。
 ホドロフスキーは、「エル・トポ」の後、より宗教色を強めた「ホーリー・マウンテン(聖なる山)」(1973年)を撮り、その後1980年にコメディー・タッチの冒険映画「Tusk(牙)」を撮って以降、まったく映画を撮っていません。その後、彼は世俗を健全に捨て、座禅の日々に入り、洞窟の中で出家したエル・トポ、そのものの生活をしているとのことでしたが・・・・・。

<「エルトポ」が放ったもの>
 エル・トポが洞窟を掘り、町へと歩み出させたフリークスたち。彼らは町の住人たちによって皆殺しにされましたが、それは映画の中のことでした。実はエルトポが放ったのは観客の心に潜む「フリークス」たちだったのかもしれません。1970年代以降に登場するフリークスたちは肉体的な畸形ではなく、より複雑でより危険なフリークスへとなってゆきます。
 「タクシー・ドライバー」のトラビス、「地獄の黙示録」のカーツ大佐、「トミー」の登場人物たち、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター・・・しかし、フリークスと呼ばれていた者たちは、いつしかヒーローとして、神に近い存在として映画に登場するようになって行きます。
 「エレファントマン」のジョン・メリック、「ブレード・ランナー」のレプリカントたち、「バーディー」の鳥になった青年、「バットマン」「ファンタスティック・フォー」「Xメン」「ハルク」などなど、数え上げるときりがありません。
 「エル・トポ」が開けた穴は、異形の者たちに日の光を当てるとともに普通の人間の中に潜む異形の人間性にも光を当て、その醜さを際立たせることになって行きました。1970年代以降の映画界はフリークスたちの活躍によって成り立っていたのではないか?そんな風にも思えてきます。
「・・・・・映画と共に私は自分が生まれ変わるべきだと思う。私は自分を殺し、新しい命を得ていくのだ。それと同じことを役者たちも観客たちにも体験してほしい」
 そして、「エルトポ」は観客にこの映画を見るに値する人物たることを要求しています。
「もし、あなたが偉大なら『エルトポ』も偉大だ。もし、あなたに限界があれば『エル・トポ』にも限界がある」
アレハンドロ・ホドロフスキー

「エルトポ El Topo」 1969年公開
(監)(脚)(音)アレハンドロ・ホドロフスキー
(製)アレン・クライン
(撮)ラファエル・コルキディ
(出)アレハンドロ・ホドロフスキー、ブランティス・ホドロフスキー、デヴィッド・シルバ、ポーラ・ロモ

<あらすじ>
 黒装束のガンマン、エル・トポ(アレハンドロ・ホドロフスキー)は息子のブロンティスと旅の途中、山賊たちによって虐殺が行われた町を通りました。彼はそこで山賊たちを皆殺しにした後、山賊のボスの女、マーラ(マーラ・ロレンツォ)を連れて再び町を出て行きます。しかし、その時ブロンティスは町の修道院に置き去りにされてしまいます。
 マーラを愛してしまったエル・トポに対して、彼女は自分に愛の証を見せるようある要求をします。それは、砂漠に住む4人の「マスター」を倒し、自分への愛を証明しろというものでした。
 一人目のマスターは、盲目でありながら超能力によって弾丸が身体を通過するという無敵のガンマンでした。それと腕の無い男とその男の肩に乗った足の無い男、二人組みの召使が相手でした。
 二人目のマスターは、エル・トポ以上の早撃ちでしたが女性に目が無いという弱点があり、彼はその隙をついて倒すことに成功します。
 三人目のマスターは、相手の心を読み、確実に心臓を打ち抜くことができる腕を持っていました。
 四人目のマスターは、弾丸を網で捕らえることができたが、彼はエル・トポに決闘の無意味さを教えるため、エル・トポの銃を奪って自殺してしまいます。そのための罪悪感に苦しんでしる彼の隙をついて、マーラと恋に落ちていた同性愛者のガンマンが銃撃。エル・トポは瀕死の傷を負います。
 20年の歳月が流れ、エル・トポは小人や不具者たちとともに岩山の洞窟にいました。自分の罪を償うために彼は閉じ込められているフリークたちを脱出させるためのトンネルを掘り始めます。彼は小人の女性とフリークたちを岩山に閉じ込めた人々の住む町へ出ます。彼の子供を身ごもった小人の女性と結婚するために教会を訪れるとその教会の神父は彼が捨てた息子ブロンティスでした。復讐を果たす時を待っていた息子にトンネルの完成まで待ってほしいと頼んだ彼は息子とともにトンネルをついに完成させました。
 ところが、町へと喜んで出てったフリークたちは恐怖におびえた町の人々によって皆殺しにされてしまいます。怒りと悲しみに我を忘れたエル・トポは町を壊滅させ自らも命を断ってしまいます。
 すべてが失われた町に残されたブロンティスは小人の女とその子供を馬に乗せて再び父と同じように旅に出るのでした。

20世紀映画劇場へ   トップページへ