元祖カントリー・ロックのアイドル兄弟デュオ


- エヴァリー・ブラザーズ The Everly Brothers -
<元祖カントリー・ロック>
 70年代にロックにはまり、そこからR&Bやブルースなどルーツとなる黒人音楽聞き出した僕のような人間にとって、エヴァリー・ブラザーズは少々微妙な存在です。70年代に聞いた僕の耳には、彼らの爽やかでポップなコーラス・サウンドはカントリータッチのアイドル・ポップにしか聞えなかったからです。正直どこが良いの?と思っていました。
 しかし、改めてアメリカのポップ音楽の歴史を振り返ると、1950年代後半の彼らが得意としたクロス・ハーモニーと呼ばれる唱法は、ビーチボーイズやクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングへとつながるコーラス・サウンドやカントリー・ロックの源流だったことがわかりました。
 同時代に彼らの音楽を聞いていた山下達郎さんなどが、彼らの音楽を高く評価していたのは、そうした歴史を体感していたからこそなのかもしれません。ということで、改めてエヴァリー・ブラザーズについて、調べてみました。

<エヴァリー兄弟>
 エヴァリー・ブラザーズ The Everly Brothers の兄ドン・エヴァリーは1937年2月1日、弟フィルは1939年1月19日いずれもケンタッキー州ブロウニーで生まれています。イケメンの白人兄弟は、音楽業界の人間だった両親の影響から早くからカントリーの兄弟デュオとして活動を開始しています。
 1955年、両親のラジオ番組に出演してチャンスをつかむとカントリー音楽の本場ナッシュビルに出てコロンビア・レコードと契約。さっそくデビューしますが、鳴かず飛ばずで翌年には解雇。それでも二人は両親の知り合いでもあった大物カントリー歌手のチェット・アトキンスの推薦により、ロイ・エイカフとウェスリー・ローズの音楽出版社と契約。ウェスリー・ローズがマネージャーとなって、ニューヨークに本社があるケイデンス・レコードにカントリー歌手として売り込み、再デビューのチャンスを得ることになりました。

<ヒット曲連発!>
 ケイデンス・レコードのトップだったアーチ―・ブレイヤーは、フェリスとボードローのブライアント夫妻の曲「バイ・バイ・ラブ Bye Bye Love」のレコーディングを提案します。この曲は、二人が得意とする高音のハーモニーとアコースティック・ギターの済んだ音がマッチしたこともあり、1957年6月には全米2位の大ヒットとなり、100万枚を売り上げました。
 この曲のヒットで特徴的だったのは、ポップチャートだけでなく、カントリー&ウエスタン部門でも1位、逆に白人アーティストの曲にも拘らずR&Bチャートでも5位まで上昇していることです。いかに彼らが幅広い層で聞かれていたかがわかります。(そう考えると、21世紀に入り彼らの名前が忘れられがちなのは、どのジャンルにも属さないせいだったのかもしれません)
 イケメン白人兄弟デュオは、アイドル的な人気も獲得し、アラン・フリードのテレビショー「ビッグ・ビート」や「エド・サリバン・ショー」などの音楽バラエティー番組に次々に出演し、一躍時代の寵児となります。そして、セカンド・シングルの「起きろよスージー Wake Up Little Susie」は、2週連続全米1位の大ヒットとなりました。4曲目のカバー・シングル「夢をみるだけ All I Have To Do Is Dream」は、4週連続全米1位で、「Bird Dog」も全米1位、「Problems」が全米2位といずれも大ヒット。
 彼らの曲は、普通の若者たちの恋を描いた爽やかな歌詞ですが、ロックン・ロールの影響を受けることでカントリーとR&Bが見事に融合したポップスに仕上がっていました。その絶妙なバランス感覚が彼らの曲がヒットして理由だったのかもしれません。

<ワーナーへの移籍>
 1959年「キッスをするまで ('Til) I Kissed You」を全米4位のヒットにした後、1960年2月に彼らは100万ドルの契約金を得て、ワーナーブラザースへ移籍します。
 移籍後、最初のシングル「Cathy's Clown」(1960年)は、さっそく全米1位となり、300万枚を売り上げる大ヒットになりました。アルバム「It's Every Time !」もアルバムチャート9位のヒットになりました。その他1960年には、「When Will I Be Loved」が8位。「So Sad (To Watch Good Love Go Bad)」が7位とヒットを連発。1961年には「Walk Right Back」が7位のヒットとなりますが、ここで二人のキャリアは中断します。
 11月に海兵隊予備軍に召集され、6か月間軍への慰問ツアーを行い、それ以外の音楽活動ができなくりました。ところが、この間にロック界は大きな変革の時を迎えようとしていました。
 1962年、彼らは音楽界に復帰し、さっそく「Crying In The Rain」が全米6位、「Old Fashon」が全米9位とヒットを連発しますが、この後、彼らのヒットは止まります。
 1962年と言えば、ビートルズがデヴューし、ブリティッシュ・インベイジョンが始まる年。彼らの人気は英国のビートバンドに奪われることになりました。それでも多くの黒人R&Bアーティストたちがそうだったように、彼らもまた本国アメリカよりも英国での人気は続いていましたが、さすがに70年代に入ると彼らは過去の存在となりました。

<電撃的解散>
 1973年南カリフォルニアのノッツベリー・ファームで開催されたライブ・イベント中、フィルが演奏途中に突如ギターを投げ棄てて退場してしまう事件が起きます。ドンは、その後も一人で演奏を続けた後、「エヴァリー・ブラザーズは、10年前にすでに死んでいた」と告白し、解散を宣言します。二人の仲は、そうとう悪化していたようです。
 その後、10年間、二人はソロでの活動を継続しますが、フィルがクリフ・リチャードと共演した「She Means Nothing To Me」の9位以外。ヒットチャートをにぎわすことはありませんでした。
 1983年、彼らはロンドンのロイヤル・アルバータ・ホールで再結成ライブを行い、そのライブ録音を「Reunion Concert」として発表し、17年ぶりにヒットチャートに登場。ポール・マッカートニーが二人のために書いた曲「ナイチンゲールの翼」はシングルチャート50位のヒットとなりました。
 1986年、彼らは同年に解説された「ロックの殿堂」に入る最初の10組に選ばれています。

 1960年代末にバーズやフライング・ブリトー・ブラザース、それにクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなど、カントリー・ロックの元祖と言われるバンドは、ロック・バンドとしてスタートし、そこからカントリー音楽の要素を取り込んで行きました。
 それに対し、エヴァリー・ブラザーズは、一足早い1950年代にカントリー畑からデヴューし、ロックンロールの要素を取り込んだグループでした。その意味では、カントリー・ロックの元祖と言われて良いはずです。彼らの活躍は早すぎたのかもしれません。そして、終わるのも早すぎたのでしょう。
 オアシス同様、兄弟げんかはやめましょう!
 弟のフィルは、2014年1月3日にこの世を去っています。

ミュージシャン名鑑へ   トップページヘ