「華氏451度 Fahreheit 451」

- レイ・ブラッドベリ Ray Bradbury
、 フランソワ・トリュフォー Francois Truffaut -

<「火星年代記」の作者>
 この小説の作者レイ・ブラッドベリのもうひとつの代表作「火星年代記」は、SF小説におけるオールタイム・ベスト10の常連として有名な作品です。当然、SFファンの間でも彼の人気は高かったのですが、その後彼はSF作家というよりもファンタジー文学の作家としての方が有名になり、今ではSF作家とは見られていないかもしれません。そのうえ、彼ほど科学の進歩を拒否し、過去の時代への愛情を表現し続けた作家も珍しいといえます。(宮崎駿の描く世界観の先を行っていたかもしれません)本人は科学の進歩を否定しているわけではないと語っていたようですが、代表作の「火星年代記」もまた火星という惑星を舞台にした異世界の伝説をまとめた伝記文学大作であって、科学小説とはいいがたい内容です。そんなアンチ科学派作家としての彼が生み出した時代を越えた名作、それがこの小説です。

<この小説が予見したこと>
 この作品は多くのSFの名作がそうであるように、多くの点で未来を予見していました。
 例えば、
(1)「イヤホン型の超小型通信機」「携帯テレビ」(今やこれらは携帯電話の登場によりごく普通の技術となりました)
「壁面を用いた巨大テレビ画面による視聴者参加型ドラマ」(これはインターネットと3Dテレビによってほぼ可能になりつつあります)
(2)「テレビの普及、ネット新聞の登場により情報が薄められること」(ネット新聞の登場により大手新聞社が消えつつあることはみなさんもご存知でしょう)
「考えてみるがいい。十九世紀の人間は、馬、犬、ないしは馬車を使って、スローモーションで、世を送っていた。それが二十世紀になると、カメラの動きが素早いものになる。本だって、それにつれて短縮され、どれもこれも簡約版。ダイジェストとタブロイド版ばかり。・・・・・」
本文より

(3)「ネットやテレビの画像情報による情報の支配」
「・・・一度、テレビ室の味を知った者は、がんじがらめに、しばりあげられてしまう。あの網をやぶって逃げ出した者は、ひとりもおらんのですよ。視聴者は、相手の考えどおりに、かたちまで変えられてしまう。したがって、あれがつくりだす環境が、この世界同様、現実になってしまう。真理となろうとするから、真理になってしまうんです。書物の場合だと、理性によって、その正否を論じあうことができるが、相手がテレビでは、そうはいかん。・・・・・」

(4)「制度としての『結婚』の形骸化と少子化」
(5)「反社会的行動を抑止するための監視カメラ社会」

 この小説が発表された1953年のアメリカでは、テレビで「ローンレンジャー」(1949年から)、「アイ・ラブ・ルーシー」(1951年から)、「スーパーマン」(1952年から)が放映されていましたが、まだまだテレビの時代は始まったばかりでした。アメリカの各家庭では、まだラジオが主役だったといえます。
 そして、もうひとつこの時代で特筆すべきこととしては、この時期が「赤狩り」の真っ只中だったことです。映画界における「赤狩り」が始まったのが、1947年の事。そして、その「赤狩り」の波が政界にまで波及するようになったのが、1950年ごろのことでした。したがって、当時のアメリカでは共産主義者を焙り出すために多くの人がスパイのようにお互いを監視し合う状況が生み出されていました。作者のブラッドべリ自身は、共産主義に対し否定的な考えを持っていましたが、そんな彼も「赤狩り」という中世の魔女狩りを思わせる異常な社会管理体制には強い危機感を持っていたようです。(この当時製作された映画「真昼の決闘」はそんな社会状況を批判した作品でした)

<パラレルワールドSF>
 作品中で、その世界の近代史が説明されているように、この小説は、あり得たかもしれないもう一つのアメリカ社会を描いたパラレルワールドSFの傑作ともいえるでしょう。そのため、ここに書かれているもう一つの世界は、「近未来のアメリカ」というよりも「もう一つの米ソ冷戦時代のアメリカ」もしくは、「もう一つのありえたかもしれないアメリカ」であり、「危険な未来」を描くというよりも「もうひとつの過去」を描くことで古くなることを免れたのかもしれません。このことは、ブラッドベリ作品全般にいえることですが、この作品もまたアンチ科学技術の寓話として時代性を拒否しているわけです。

<世界中の本へのオマージュ>
 本を愛し、本を記憶することによって、自ら「本」になった男たちの物語でもあるこの小説は、「世界中の本へのオマージュ」ともいえる作品です。
「・・・・・なぜ書物は重要であるか、その理由をご存じかな?そこには、ものの本質がしめされておるのです。われわれがものの本質を知らなくなって久しい。では、本質とはなにか?わしにいわせれば、それはものの核心を意味する。・・・・・
 すべてをことこまかく語れ。新しい詳細を語れ。すぐれた著者は、生命の深奥を掘り当てる。凡庸な著者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者となると、ただむやみに手をつけて、かきまわすだけのこと、であとはどうなれと、捨て去ってしまうんです。といったわけで、なにゆえに書物が、怖れと憎しみの対象になるかもおわかりになったと思う。・・・・・」


<世界の本質を見直すこと>
 本を失うことで、ものの本質を見失った社会は、道をぶらぶら歩くことも禁止され、無駄のない移動を求められる超効率的な社会でもあります。しかし、すべてを効率的に行なうことは、もうひとつ重要なこととして、人が「立ち止まって考える」機会をも失わせることにもなりました。主人公のモンターグにそのことを教えた大学の元教授フェイバーはこう言います。
「・・・さっきもいったように、第一に大切なのは、われわれの知識が、ものの本質をつかむこと。第二には、それを消化するだけの閑暇をもつこと。そして第三には、最初の両者の相互作用から学びとったものに基礎をおいて、正しい行動に出ることにある。・・・」

 人類の英知を独占することによって、ごく一部のエリートが支配体制を確立。一般大衆は教育を受けられずただ盲目的に指導に従う烏合の衆と化す。そのための有効な手段として用いられたのが、社会に存在している書物を焼き払うことだったわけです。しかし、それが警察国家的な管理体制の下で強引に行なわれたのなら、ありそうな展開ですが、この本の場合、そうではありません。どうやら、それは強制的なものではなく自主規制から始まった自然発生的な成り行きによるものでした。

「黒い民族は、”リトル・ブラック・サンボ”を好まない。だから、それを焼いてしまう。タバコと肺ガンについての書物を書いたやつがいる。タバコのみはそれを読むと、がっかりする。そこで、そいつも焼いてしまう。平穏無事が幸福の要領だよ、モンターグ。平和こそ人生なんだ、モンターグ。内心との戦いはぜったいに禁物。争いごとは、外へむけろ。できれば、焼却炉へ投げ込むことだ。葬式は悲しくて、野蛮なものだ。だから葬式は廃止された。・・・・・」
モンターグの上司、ビーティーの言葉

 この本に描かれた世界をばかげていると簡単に笑い飛ばしてよいのか?今、日本の放送界に放送禁止に関する法的規制がないことをご存知でしょうか?にも関らず、数多くの歌が自主規制の対象となり、電波に乗ることはありません。<「放送禁止歌」参照>
 法律によって規制強化をはかる動きがあれば、多くのアーティストたちはそれに反対するはずです。しかし、一部の人々にとって不快な内容の場合、公開、放送、発表は自粛した方がよいのでは?というまっとうな意見が述べられと、それに従わざるを得ないのが、最近の「優しい日本人」の常識になっているようです。誰かを嫌な気分にさせるなら、それは「悪いこと」である。平和に生きる日本人の考え方は、前述のビーティーの言葉と大差ないかもしれません。

<名文を読む喜び>
 現代社会が向かう方向への警告という意味でのこの小説の輝きは、今でも十分に衰えていません。しかし、そこはSF界でも最も美しい文章を書く作家の一人、レイ・ブラッドベリです。他にも、素晴らしい文章がまだまだ散りばめられています。

「人間である以上、死ぬ時はかならず、後に何かを残しておくべきだ。わしの祖父が、そういっておった。子供をひとり、本を一冊、絵を一枚、家を一軒、築いた堀をひとつ、あるいはまた、こしらえた靴を一足。それでなければ、自分の手で丹精した庭、なんでもよろしい。なにかの意味で、自分の手に触れたものをのこしておかねばならぬ。それによって、たとえ死んでも、たましいが行き場に迷うことはない。・・・・・」

 人々が管理された未来社会から脱出する主人公を描いた数多くのディストピア小説の原点のひとつ「華氏451度」は、「元祖」と呼ばれる作品すべてがそうであるように、時を越えて読まれるに値する素晴らしい文章から成立しているのです。

「さあ、世間を見よう。おれのうちにある神よ、あの場所へ行って、おれの外へ出て、おれの外にある現実に触れるのだ。それだけが、最後にはおれは自身であるものに触れることのできる唯一の道である。それではじめて、それはおれの血液となる。・・・・・」

<追記>2014年8月
映画「華氏451」 1966年
(監)(脚)フランソワ・トリュフォー(脚)ジャン=ルイ・リシャール
(製)ルイス・M・アレン
(原)レイ・ブラッドベリ
(撮)ニコラス・ローグ
(音)バーナード・ハーマン
(出)オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティー(二役)
 この小説は、1966年にフランスの巨匠、フランソワ・トリュフォーによって映画化されています。(映画版のタイトルは、「華氏451度」ではなく「華氏451」)しかし、トリュフォー作品の中でも異色であること、役者が地味なこと、初期の作品であることなどからめったにテレビでも放映されませんが、先日やっと見ることができました。後にスピルバーグの「未知との遭遇」に出演するほどSFが好きなトリュフォー監督、思っていた以上に原作に忠実でよくできた映画でした。(モノレール、消防車?、一人乗りの飛行装置、未来風の家などの小道具も楽しめます)
 映画の中には様々な本が登場していて目が離せません。原作者レイ・ブラッドベリの「火星年代記」から「ライ麦畑でつかまえて」、「ロリータ」、「カラマーゾフの兄弟」、「ロビンソン・クルーソー」、「地下鉄のザジ」・・・。
 あえて欠点を上げるなら、主人公が本にのめり込むシーンにもう少しリアリティーが欲しかった。(本が魅力的なのは説明不要と当時は思われていた可能性もありますが・・・)それと同じようにジュリー・クリスティー(クラリス)に魅かれるシーンにも、もう少しリアリティーが欲しかった。彼女の美しさはもっともっと出せたと思います。「ドクトル・ジバゴ」ではあんなに魅力的だったのですから・・・。

 でもトリュフォー監督は、原作の中の最も魅力的な部分を上手く拾い上げています。本を暗記し、それを頭の中で保存している人々の登場する場面です。

「ジョナサン・スイフト、あの悪意にみちた政治的著作、<ガリヴァー旅行記>の著作にも会ってやってほしい。それからこちらの男は、<チャールズ・ダーウィン>で、こちらのほうが<ショウペン・ハウエル>だ。そして、こちらは<アインシュタイン>、もうひとつこちらの、つまり、わしのすぐわきにおるのが、<アルベルト・シュバイツァ氏>いたっておだやかな哲学者だ。・・・・・」

 映画では、僕が大好きなこのシーンがより膨らませてありました!「高慢と偏見」の上下巻が双子の兄弟によって暗記されていたり、お爺さんが死の間際まで窓の自分が暗記していた本を受け渡そうとする場面も追加されていて、大満足です。多くの暗記者たちがそれぞれの本を口に出しながら歩く雪の中の美しいラストの映像が本当に素敵です。

 最後にこの小説のタイトル「華氏451度」の意味ですが、それは紙が燃え始める温度220℃ぐらいのことだそうです。ちなみに、このタイトル「華氏451度 Fahreheit 451」へのオマージュをこめてタイトルをつけられたのが、マイケル・ムーア2004年の問題作、映画「華氏911」です。そう考えると、「華氏451度」の影響力は未だに衰えていないといえそうです。

「『華451』を私は一つのオブジェとしてつくりたいと思っていた。前の『ピアニストを撃て』と同じように、ここで私は子供時代に戻り、鉛の兵隊や雪や兵営の玩具や火焔などのイメージを示そうと考えた。『華氏451』の主題は書物への愛ということだが、それは私にとっては余りにも当然のことであり、今さらそれを主張するよりは、むしろ美しい挿絵としてそれを示そうとしたのである。ある人たちはリチャード・ブルックス風の映画を期待したようだが、あれはあこがれいいだろう。しかし私の気質には合わないのだ・・・それとこの映画で私が心配したのは、撮影現場の如何にかかわらず、これが東方のある国を暗示しているのではないかとカンぐられることだった。私がこの映画をあくまで色彩で撮るように固執したのも、この危険をなくすためであった」
フランソワ・トリュフォー

<あらすじ>
 本の所有を禁じられた国。そこで本を見つけ、その場で焼却処分にすることを任務とする職についているモンターグは、ある日、隣に住む少女に話しかけられます。禁じられているはずの散歩や学校への登校を拒否する彼女の話になぜかひきつけられた彼は、しだいに自分の仕事に疑問をもつようになります。そして、ある日、ついに彼は自ら燃やすべき本を家に持ち帰ってしまいます。
 同じ頃、彼は謎めいた老人と出会い、彼が大量に本を所有していることを知ります。なぜ彼は危険を覚悟してまで本を守ろうとしているのか?彼は老人に話しかけ、その理由を聞き、自らそのために協力するべくある決断をするのでした。

<追記>2015年5月(参考「理科系の文学誌」荒俣宏)
 この小説を寓話もしくはアンチ・ユートピアの傑作と読むことができる人々は幸福なのかもしれません。なぜなら、この小説と似た状況は世界各地に現在でもなお見られるからです。「焚書」の無い国の方が、もしかすると珍しいのかもしれません。以下は、実在の作家とその妻について、ニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長ヘドリック・スミスが書いた記事です。

「彼女は夫の死後、追跡されているウサギのように、逮捕をまぬがれ、マンデリシュタールの詩という宝を保存するため、何年も国内をとびまわった。いろいろの原稿をわずかずつ保管してもらったり、詩を実際にそっくり暗記してみなさいといわれれば、中断せずに三時間は朗読することができた」

 マンデリシュタールというのはソ連時代の作家で、スターリン体制下で独裁者スターリンのことを「ゴキブリ髭に邪悪な目つきをし、地虫のような太い指をもつクレムリンの人殺し山男」とする詩を書いたことから収容所に送られ、そこで命を落としました。しかし、その後彼の作品は、ソ連からヨーロッパに密かに出て、高い評価を受けることになりました。
 21世紀のロシアもまたプーチンという独裁者に支配され、情報の統制が行われています。それ以上に情報への検閲が行われている中国や北朝鮮などの国もあり、世界の多くの人々は、自由に本を読むことができないと考えるべきなのです。

小説「華氏451度 Fahreheit 451」 1953年
(著)レイ・ブラッドベリ Ray Bradbury
(訳)宇野利泰
ハヤカワ文庫

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