20世紀ファッション史 


- 流行、デザイナー、ファッション誌の歴史 -

 20世紀の音楽や映画の歴史を振り返る時、そこに登場するアーティストたちの多くは、それぞれ独自の印象的なファッションを身に着けていました。
 マーロン・ブランドの革ジャン、ジェームス・ディーンのTシャツにジーンズ、ボブ・マーリーのドレッドロック、尾崎紀世彦のモミアゲ、キャブ・キャロウェイのズート・スーツ、ジョン・トラボルタの白いスーツ、ジャニスやジミヘンのヒッピー・スタイル、エルヴィスの白い不死鳥スーツ、ブルース・リーの黄色に黒ラインのジャンプ・スーツ、・・・
 こうして思い出してみるとファッションの変遷は20世紀のポップカルチャーにとって大きな役割を果たしていたことがわかります。ポピュラー音楽や映画が、20世紀に入って大衆文化として世界中に広まったのに合わせるようにしてファッションもまた世界に広まったのでした。

 ここでは、そんな20世紀ファッションの歴史を年表形式でまとめました。
 ファッションの歴史は、人類が衣類を身にまといだした時から始まったといえます。しかし、不特定多数の女性たちのためにプロのデザイナーが、流行のファッションをデザインするようになったのは、やはり20世紀になってからのこと。女性が自立し、働く女性のためのファッションが必要とされるようになったのも20世紀に入ってからのこと。そして、その最初の女性デザイナーがあのココ・シャネルでした。
このあたりの歴史については、「女性たちの20世紀ファッション」をご覧ください。
 日本におけるファッションの歴史はさらに最近のこと、実質的には第二次世界大戦後、民主化により男女同権の時代が始まってからのことになります。さらに日本発信のファッションが世界をリードするようになる時代については、「クール&カワイイ・ジャパン世界へ」をご覧ください!
 さらにクール・ジャパンの原点となった日本の美術史についてのページもあります。そちらも併せてご覧ください。「クール・ジャパンの原点となった美学」
 残念ながら、絵も写真もないのですが・・・あしからず。
 
1818年
 ブルックス・ブラザース設立(元祖トラッド・スタイル)
1852年
<フランス初の百貨店>
 アルスティード・プシコがパリに最初の百貨店「ボン・マルシェ」をオープンさせる
1858年 
<初の女性用仕立て服店>
 英国人シャルル・フレデリック・ウォルトがパリのリュード・ラ・ペに女性向けの高級仕立服店(オートクチュール)をオープンさせる 
<アメリカ初の百貨店>
 アメリカ初の百貨店「メ―シーズ」がオープン
1867年 
<世界初の女性ファッション誌>
 「Harper's BAZAAR」創刊、創刊時のタイトルは正確には「Harper's BAZAR」日本版の創刊は世紀を越えた2000年
 
1892年 
 女性ファッション誌「Vogue」創刊   
1900年
 日本初の少女向け雑誌「少女界」(金港堂書店)創刊  パリ万博開催(アールヌーヴォー)
川上貞奴(川上音二郎一座)が西欧で初の日本人アイドルとなる
マダム・パキャンのコレクションで20人のモデルがダンス
(動きのあるファッションショーの先駆)
1901年
 日本女子大学開校(日本初の女子大誕生) 「ハーパーズ・バザー」月刊となる(ファッション雑誌の先駆け)
1904年
<デパート誕生>
 日本初のデパートメントストア「三越呉服店」(三越デパート)誕生(見るだけで買う必要がないという気軽さが受けブームとなる)
<無鉛白粉>
 伊藤胡蝶園が無鉛白粉を発売。それまで歌舞伎など白粉を必要とする人々の多くが慢性鉛中毒に冒され、時には命を落としていた。
西欧から色白粉が輸入され「桃色」「黄色」なども普及。特に川上貞奴は西欧公演から持ち帰り、国産化の普及のきっかけを作りました。
1905年
<ハイカラ>
 「ハイカラ」が流行語となる(ハイカラーのシャツを着て西洋風を気取る風情のこと)
 「花月巻ブーム」(髪をふんわりとした束髪がハイカラの象徴としてブームとなる)
 外交官小松緑が「ハイカラの進歩性」についてあるパーティーで演説。
1906年
 初の婦人雑誌「婦人世界」創刊(実業之日本社)
<企業のPR誌がブーム>
 白木屋デパートの情報誌「流行」は世界情勢からファッションまで幅広く消費熱を煽ることに成功
1908年
「カイゼル髭ブーム」(上流階級の象徴が大衆の間に広がる)
「帝国女優養成所」設立(主宰は川上貞奴)女性の俳優がここから次々に誕生)
1908年、ポール・ポワレがイラストを用いたファッション・カタログを発行
1910年
<カフェー誕生>
 日本初のカフェー「カフェー・キサラギ」が大阪川口に開店、「カフェー」は大正にかけてブームとなる
(「カフェー」とは女給のお酌でビールや酒が飲める店のこと)
1911年
日本初の女性文芸雑誌」「青鞜(せいとう)」創刊
 平塚らいてうによる創刊の言葉「原始、女性は太陽であった」が流行語となった
フランスでオートクチュール協会設立
ポール・ポワレがアラブ風のコルセットのないファッションを流行させる(仏)
1912年
シルクに代わる素材としてレーヨン製ストッキング登場
ポール・ポアレが9人のモデルとヨーロッパツアー実施
(ホッブル・スカートというロングのタイト・スカートが人気)
1913年
 文部省が女性解放運動の広がりを抑えるため「青鞜」「女学世界」を発禁処分とする マリー・フェルプス・ジェイコブがブラジャーを開発(米)
ユニバーサル・ファスナー社がファスナーを開発(米)
1914年
<宝塚誕生>
 宝塚少女歌劇が初演を迎える
(宝塚温泉に客を誘致するために後の阪急電鉄がつくった。初演は温泉内のパラダイス劇場が舞台で主演女優は、ソプラノ歌手・高峰妙子だった)
バーバリー社がイギリス海軍向けにトレンチコートを開発
ココ・シャネルがフランス・ドーヴィルにブティック開店
1917年
 中産階級の主婦向け雑誌「主婦之友」創刊
(実用記事中心で娯楽情報、教養記事など主婦に大きな影響を与えた)
1919年
<セーラー服誕生>
 山脇高等女学院、学生服にセーラー服を採用
ココ・シャネルのジャージー・スーツ登場
1920年
<竹久夢二>
 竹久夢二「長崎十二景」発表(有名な黒猫が描かれた「黒般屋」はこの中の一作)
竹久の絵草紙は大正ロマンを象徴するファッション・アイコンとして女性に大人気だった
1921年
 男性にはカンカン帽がブレイク、女性はウェーブさせた髪で耳を隠すのが流行
1922年
 女性にはベリーショート(断髪)と男装風のファッションが知的女性層に広がる
男性はポマードで髪をオールバックにするのが流行
1923年
「少女倶楽部」(講談社)創刊(長編小説を中心に小学校高学年から女学校低学年向けに出版)
<美容院誕生>
 丸ビル内に日本初の美容院「丸の内美容院」がオープン
(オーナーの山野千枝子はアメリカから洗髪台やアイロンによるウェーブなどを持ち込み、一流女優らが通うカリスマ美容室の元祖となる)
1924年 
 夏向けの女性用ワンピース(アッパッパ)が年配向けの普段着として大ヒット
 「アッパッパ」は、NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」で有名になりました。
春のコレクションにココ・シャネルがスポーティーなジャージ素材のファッションを発表。これが女性のライフスタイルを変える世界的なヒットとなります。彼女は低価格化も実現し、ファッションから階級、性差別をなくした革命者となりました。
1927年 
 女子学生の間で映画俳優のブロマイド集めが大流行
 三越が日本初のファッション・ショーを開催
(フランスからデザイナーを招き、モデルとして水谷八重子、東日出子らの女優が登場)
<小学校女子の職業人気ランキング>
 1位偉人 2位先生 3位商人 4位裁縫師 5位人妻 6位学者 7位芸術家 8位医者 9位看護婦 10位髪結師
フラッパー・ルックが世界的に流行する
(ボブ・ヘア、アイシャドウなど、クララ・ボウがそのモデルだった)
米AMI社がジュークボックスを発売
1928年 
「マネキンガール」誕生>
(上野で行われた御大礼記念博覧会の高島百貨店のコーナーに並んだマネキン人形の中に本物の女性が混じってポーズをとった。これがマネキンガールの元祖となり、モダンガール憧れの職業となりました
1929年 
山名文夫が資生堂のグラフィック担当に就任
東京上野松坂屋にエレベーターガール登場(14歳から20歳)
モハメド・フェミー・アガが「ヴォーグ」のアートディレクターに就任
1930年 
<モボ・モガの時代>
 浅草、銀座にモダンガール、モダンボーイが登場
不景気の中、映画、小説、音楽などの娯楽文化が発展。後に「エロ・グロ・ナンセンスの時代」と呼ばれる
エロチックなサービスで有名だった大阪のカフェ「美人座」「赤玉」が東京に進出
1931年 
「巴里の屋根の下」(曲)ラウール・モレッティ(詞)西條八十
 映画とともに、西条八十訳詞の曲が大ヒット、日本人のパリへの憧れを象徴する曲
1932年 
<「パーマ」登場>
 アメリカからパーマネントの機械が輸入される。この方法だと洗髪してもパーマがとれないため大好評となり急速に普及、一回10円と高価ではあった
「白木屋」デパート火災
 日本橋のデパート白木屋(現在の東急百貨店)4階の玩具売り場に設置されていたクリスマスツリーの電飾から出火。屋上からロープで脱出する準備がされるも和服の女性たちが下着を着ていないことから脱出をこばみ14人が焼死。事件後も下着は普及せず、戦時中のモンペ着用とともにズロースが普及
婦人用煙草「麗」発売(婦人団体から批判)
1933年 
 「東京音頭」(曲)中山晋平(詞)西條八十(120万枚売れたという!関東大震災から10年、盆踊りが日本中でブームとなった) ラコステ社の「ラコステ・シャツ」発売
(ロゴ物商品の原点、ポロ・シャツの原点)
1934年 
 カーキ色が国防色に指定される(公的な制服などから変更進む)
<流線型ブーム>
 南満州鉄道株式会社の特急「あじあ号」運転開始
(大連-新京間701キロを8時間半で走り、その後ハルビンまで延長。流線型の美しいデザインが大人気となり「流線型」が自動車だけでなくファンションにまで取り入れられた)
1935年 
 月賦販売が流行
 喫茶店が急増
<堕胎事件>
 新興キネマの女優・志賀暁子が堕胎の罪で逮捕
彼女が1933年にデビューした時の作品「新しき天」の監督・阿部豊との子供で阿部は妊娠を知り別の女性と結婚。彼女は懲役2年、執行猶予3年の判決を受ける
デュポン社(アメリカ)のウォーレス・カロザースが新素材ナイロンを開発
NBC放送でラジオ初のヒットパレード番組始まる
ボブ・ダンがエレキギターを初めて使用(ギブソン製)
1936年 
「国民歌謡」の放送開始
退廃的な流行歌が流行っていることに対抗し明るく健康的なホームソングを広めようと大阪放送局が行った。つまらない曲が多いと批判は多かったものの、「椰子の実」「朝」「夜明けの唄」などの名曲が生まれた
ボシュロム社がサングラスを開発(飛行機の操縦士用)
1938年 
 銀座でソーセージとマスタードをパンにはさんだ「ホットドッグ」登場(銀座の名物となり、その後全国へと広がる)
1939年 
<生活刷新案制定>
 飲食店などの営業時間短縮。ネオン全廃。中元歳暮などの贈答禁止。学生の挑発禁止。パーマネント禁止。ただし、パーマは活動的で経済的であることから、逆にこの時期増加していた
小説「女生徒」(太宰治)
1940年 
<少女向け雑貨店誕生>
 中原淳一のグッズ・ショップ「ひまわり」開店。その後、軍部の圧力を受けて兵役につくことになります。
<ぜいたくは敵だ>
 東京銀座に1500本の看板登場「ぜいたくは敵だ」
高級背広、ダイヤ、サファイヤなどの宝石などが製造販売禁止、着物の生地にも販売制限が設置、生活用品、節句用品、文具類にも禁止範囲広がる
東京のダンスホールが閉鎖、官庁、会社、百貨店の食堂は米食からパンやうどんに切り替え
街には贅沢監視隊が出動し、メガネの継ぎ目に金を使っている者まで摘発。しかし、こうしたやり方に国民全体が勤労意欲を失い、逆に生産力が低下
<国民服誕生>
 大日本帝国国民服令公布(国民服が制定。ワイシャツ、ネクタイ、チョッキなどが消える)
デュポン社(米)開発のナイロンを用いたストッキングが大ヒットとなる
「ダンケルク撤退作戦」でモントゴメリー将軍がダッフルコートを有名にする
1942年 
 衣料品についても点数切符制が取り入れられる
 モンペが登場、男性にはゲートルの着用が求められる
1943年 
<戦時家庭用品更正会>
 家庭用品や衣類などの修理をするための団体が誕生。修理者4000名が集められ、あらゆる家庭内の修理品に対応
1946年 
 中原淳一主催の雑誌「それいゆ」(ひまわり社)創刊
「少女クラブ」(講談社)創刊
 
1947年 
 中原淳一主催「ひまわり」(ひまわり社)創刊
「アプレゲール」(戦後派)が話題となる
スウェーデンのアパレル・メーカー、<H&M>創業
1948年 
<初のファッション・ショー開催>
 東京共立講堂にて全国ファッションコンクール開催(5月26日)4000人が来場し、ここで発表されたクリスチャン・ディオールのロングスカートが流行
アディダス社誕生(スポーツ・シューズ)
「ダスラー兄弟商会」が分裂し、アドルフ・ダスラーが設立
1949年 
 「あんみつ姫」(倉金章介) アディダスの兄ルドルフが設立したRUDA社が社名をプーマ社に変更
1950年 
ビニール製レインコート、ブレザー・ジャケット、ネッカチーフ、アコーディオン、プリーツのスカートが流行
ボブ・ヘアーが流行
女性の化粧にアイメイクが登場
ナイロンストッキング(郡是製絲)が大ヒット商品となる
 
1951年 
 「月刊少女ブック」(集英社)創刊(10代少女のファッションが話題になる)
日航エアーガールのショルダーバッグ流行
ナイロンストッキング、カーディガン、パナマ帽流行
朝鮮戦争の米兵たちの間で流行したGIカットが流行
石津謙介が大阪で「VANジャケット」を設立
 
1952年 
 NHKラジオ「君の名は」放送開始
長いストールを頭にかぶり、それを肩にかける「真知子巻き」が大流行した。(この年生まれの「真知子」は多い)
夏に新素材の透け透けナイロンブラウス
透明ビニールレインコート
プリーツスカートが流行
 
1953年 
漫画「リボンの騎士」(手塚治虫) 
雪村いずみがデビューし、美空ひばり、江利チエミとともに三人娘と呼ばれる
プリンセス・スタイル
クリスチャン・ディオール旋風
<ミスユニバース>
 アメリカのマイアミで開催されたミス・ユニバースで伊東絹子が世界第三位となる。八頭身のスタイルが話題となり、等身大の切り抜き看板も登場
 
1954年 
「ジュニアそれいゆ」(ひまわり社)創刊(中原淳一による少女向け雑誌)
日本でもオードリー・ヘップバーンスタイル流行
サブリナ・シューズが人気となる(オードリー・ヘップバーンの「麗しのサブリナ」より)
シャネルの5番(寝る時に着けているものは?のモンローへの質問の答えからブレイク)
ロマンス・グレー(包容力のある中年男性の魅力を象徴)
映画「麗しのサブリナ」のヒットでジバンシー・デザインのサブリナ・パンツ(7分丈のスリム・パンツ)が大流行
デザイナーはイディス・ヘッド(ドレスはジバンシィ)が担当
1955年 
 少女向け雑誌「りぼん」(集英社)創刊
 少女向け雑誌「なかよし」(講談社)創刊
<雑誌「文学界」に石原慎太朗「太陽の季節」発表>
 第一回文学界新人賞、第34回芥川賞受賞し、25万部の大ヒット。GIカットに近い「慎太郎刈り」も流行。「太陽族」という言葉は、評論家の大宅壮一が「”太陽族”の健康診断」という記事を書いたことから流行
クリスチャン・ディオールによる「A-ライン」、「Y-ライン」発表
スカート丈が膝下のシャネルスーツが人気
ポニーテール・スタイル大流行
ビキニスタイル登場
マリー・クワントがロンドンのキングスロードに<バザー>出店
「ロリータ Lolita」ウラジミール・ナボコフ著
1956年 
女性ファッションはディオールブームが続く
フレアスカート全盛
ジーパンスタイル出現
アロハ・シャツ人気に(ハワイアン、カリプソのヒット)
<赤いウィンド・ブレーカー>
 ジェームズ・ディーンの人気急上昇で、白黒で撮り始めた『理由なき反抗』は、急きょ、B級からA級の予算が組まれることになり、カラー撮影に切り換えられた。すでに白黒で撮影されたシーンもすべてカラーで撮り直しされることになった。そこで、カラー撮影用に、黒い革ジャンパーの代わり赤いウィンドブレーカー(スウィング・トップともいいますね)が使われることになり、これがジェームズ・ディーンのイメージを決定的なものにしたのだった。マーロン・ブランドが『乱暴者』で暴走する青春のブランドにした黒の革ジャンパーをしのぐ若者の鮮烈なシンボルになったのである。
山田宏一
 
1957年 
  エルメスの「サック・ア・クロア」(ケリー・バック)誕生
クリスチャン・ディオールの急死により、イヴ・サンローランが後継者となる
1958年 
  イヴ・サンローランが「トラペーズ・ライン」を発表
1959年 
 皇太子、正田美智子と結婚(テレビが全国に一気に普及する)
 皇太子の結婚により雑誌がどれもバカ売れ。そのため、次々と新しい雑誌が誕生
月刊誌が週刊誌に「週刊平凡」「週刊現代」「週刊文春」「朝日ジャーナル」
ピエール・カルダンがライセンス事業を開始(ファッション産業の新しいスタイル)
1960年 
 山梨シルクセンター(後のサンリオ)が設立
<バレンタインデー>
 「週刊平凡」が「2月14日は女性が男性を口説いていい日」としてバレンタインデーを紹介
<ダッコちゃんブーム>
 ツクダ玩具がビニール製人形「ウインキー」を発売。当初はまったく売れず、6月にデパートの海水浴用品売り場にアクセサリーとして並べるといきなりブレイク。ファッション・アイテムとなって一夏に50万個を売り上げる(ダッコちゃんというニックネームは「読売新聞」がつけたニックネーム(180円)
<「性生活の知恵」>
 池田書店発売の「性生活の知恵」(謝国権)が40万部に達するベストセラーになる。人形を用いて性行体位を見せるのが受けたらしい、購入者の3割が女性(320円)
ツイスト・ブームが世界中に広まる
1961年 
<女子大生亡国論>
 早稲田大学睴峻康隆教授が「大学の文学部が女子学生に占拠され、今や花嫁学校化している」と発言。14年後、同教授はその時の発言を時代錯誤と否定します
<国産初ナプキン発売>
 国産初の生理用ナプキン「アンネ」発売
「40年間、お待たせしました」のキャッチコピーで登場し、女性の活躍に大きく貢献
<レジャー・ブーム到来>
 週40時間労働、週休二日制がメーデーで打ち出され、生み出された余暇を旅行やドライブ、ゴルフなどに使う人が増える
ミニスカート発売(イギリス・ロンドンのデザイナー、マリー・クワント)
ビーチ・ボーイズがデビュー、サーフィン・ブーム始まる
映画「ウエストサイド・ストーリー」が世界中で大ヒット
1962年 
 週刊「少女フレンド」(講談社)創刊
 週刊「マーガレット」(集英社)創刊
 「スカッとさわやかコカ・コーラ」(1961年に輸入が自由化され、TVCMが始まり大ブレイク)
<テレビ普及>
 テレビの受信契約台数が1000万台を突破。
ジャニーズ事務所設立>
 メリー喜多川、ジャニー喜多川の姉弟が設立。進駐軍ハウスで作られた少年野球チーム「ジャニーズ」からタレント志望の少年たちを集めて、歌って踊れるチームを作ろうとしたのが始まりだった。さらにそのモデルとなったのは映画「ウエスト・サイド物語」のグループでした。
新ブランド「イヴ・サンローラン」誕生
ロンドンに初めてR&B専門のクラブ誕生
サム・ウォルトンがウォルマートを設立(スーパーマーケット時代の到来)
1963年 
 アイビー・ファッションのブーム
<キャラクター・グッズの誕生>
 サンリオ(この時はまだ山梨シルク・センター)が水森亜土のキャラクター商品発売 
 「こんいちわ赤ちゃん」「おもちゃのチャチャチャ」など赤ちゃんの歌がヒット
(経済成長により、赤ちゃんを余裕をもって育てられるようになってきた時代のおかげ)
 12月、NHK紅白歌合戦の最高視聴率が81.4%を記録(歴代最高!)
<「OL」誕生>
 「女性自身」でBG(Buisiness Girl)に代わる言葉として募集。「OL(Office Lady)」が選ばれた。BGはBargirl(売春婦)と誤解されるためNHKが放送禁止用語に指定。
<ヒット商品>
 「MG5」(男性整髪料)
<カッコいい>
 「カッコいい」という表現が流行し、一般化。クレージーキャッツが「シャボン玉ホリデー」などの番組で使ったことで広まった。
パッドで持ち上げるブラジャー「ワンダー・ブラ」発売(カナダ)
「モンキー・ダンス」ブーム
ビートルズの人気上昇によりリバプール・サウンド・ブーム始まる
アメリカではモダン・フォーク・ブームが頂点に達する
1964年 
東京オリンピック開催(10月10日)
<みゆき族登場>
 銀座みゆき通りに「みゆき族」登場。ロングヘアーにロングスカート、裸足にサンダルの若者たち。多くが警察に補導され、秋には消えた。
シャネル、クレージュ、イヴ・サンローランが「パンタロン・ルック」を発表
テレンス・コンランが「ハビタ」をオープン(コンラン・ショップ)
1965年 
<アイビールック登場>
 石津謙介デザインの「VANジャケット」の登場で「アイビー・ルック」がブレイク。1964年「平凡パンチ」などが特集したことで火が付いた
 フジテレビ系で「勝ち抜きエレキ合戦」スタート
ピエール・カルダンが「宇宙ルック」を発表
アンドレ・クレージュがオートクチュールとしてミニ・スカートを発表
英国のファッション・モデル、ツイギー Twiggy がデビュー
イヴ・サンローランが「モンドリアン・ドレス」を発表
1966年 
 「新三種の神器」(3C=カラーテレビ、カー、クーラー)
<流行語>
 「こまっちゃうな」(山本リンダ)
ミニ・スカートが世界的にブレイク、ツイギーがこの年の顔となった
「フラワームーブメントの盛り上がり」
サンフランシスコに数千人のヒッピーが集合し、「ラブ・イン」開催
ロンドンで、「モッズ」ブームがピークを迎える
1967年 
<ツイギー Twiggy来日>
 10月18日ミニスカート・ブームの火付け役イギリス人モデルのツイギー来日。日本中にミニスカートのブーム広がる
武道館でのファンションショーに8000人が入場。膝上30cmのスカートを披露
<GSブーム>
 グループサウンズのブーム。モッズ、ミリタリー・ファッション、長髪も人気となる
 コシノ・ジュンコによる布施明の衣装を見たナベプロの渡辺美佐が、彼女にタイガースの衣装デザインを依頼。ここから彼女は、スパイダース、ワイルド・ワンズ、ゴールデン・カップスなどGSの人気グループの衣装デザインでファッション界のトップに立ちました。
「ずっとゲイバーで遊んでいたから、ユニセックスは私の一番得意とするところだった人です。男ものを作るなんて意識しなかった。タイガースのジュリーは睫毛が長くてほんとにきれいで、またそういう服がよく似合ったんですよ。・・・」
コシノ・ジュンコ
<リカちゃん発売>
 タカラが着せ替え人形「リカちゃん」を発売。年内に48万体を売る。アメリカのバービー人形日本版。(パパは海外赴任でママはファッション・デザイナー)
<流行語>「アングラ」、「フーテン族」、「ボイン」(大橋巨泉)
アメリカを中心とするフラワー・ムーブメントが世界中でピークを迎える
1968年 
<結婚式>
 結婚式のお色直しが当たり前になったのがこの頃。混乱の時代ではあっても、経済的には上向きだったことで可能になった。
イヴ・サンローランが「サファリ・ルック」発表
英国のファッション・チェーン<TOPSHOP>創業
DJの元祖フランシス・グラッソが初めて2台のターンテーブルでDJプレイを行う
1969年 
 池袋パルコオープン
 川久保玲が自身のブランド「コム・デ・ギャルソン」立ち上げ
<タウン誌ブーム始まる>
 「安酒場ガイド」や「風変わりな喫茶店ガイド」など、地域限定のPR誌、タウン誌が制作されるようになり、新メディアとして定着してゆきます。
 NYのゲイ・バー「ストーン・ウォール」でゲイによる暴動が勃発
(70年代に始まるゲイ革命のきっかけとなる)
カリフォルニアに「GAP」誕生
ジャマイカで、U.ロイが初めて「DJスタイル」のレコードをつくる。
1970年 
 ブランド<MILK>設立(大川ひとみ)
 高田賢三がパリ・コレに初参加。ブティック「Jungle Jap」(後のKenzo)をオープンさせる。
 <三宅デザイン事務所>設立(三宅一生)
 <ビギ BIGI>設立(菊地武夫と妻の稲葉賀恵)
 <ブティック・ジュンコ>(コシノ・ジュンコ)青山キラー通りにオープン
 ジーンズが大衆化(僕もはいていました)
<「an.an」創刊>
 平凡社からファッション、ライフスタイルを提案する雑誌「an.an」創刊(フランスのファッション誌「ELLE」と提携)
 それまでの婦人雑誌が「洋裁」のための情報誌だったのに対し、消費情報を伝える雑誌として新時代を築くことになりました。
 秋川リサ、結城アンナ、立川リサ&マリなどハーフモデルがモデルとして活躍開始。
 (けっして美人ではなくソバカスや丸顔、幼顔など個性的なキャラクターがアイドルとなる時代の始まりでもありました)
 「セブンティーン」(集英社)創刊
<歩行者天国誕生>
 銀座、新宿、池袋、浅草の繁華街で歩行者天国実施(8月2日から)ニューヨークの五番街が世界初でこの後、国内に広がることになります
<ディスカバー・ジャパン>
 国鉄による国内旅行のキャンペーンにより、鉄道による国内旅行がブームとなる。(実はこのキャンペーンは大阪万博終了後の売り上げダウンを喰いとどめるために企画されました)「アンノン族」が旅行ブームをけん引。
 前年秋登場の「パンティー・ストッキング」が大流行
アメリカを中心にウーマン・リブ運動活発化

黒人音楽&ダンス文化の発信源となるテレビ番組「ソウル・トレイン」放映開始
1971年 
 ブランド<PINK HOUSE>設立(金子功) レイヤード・ファッションの流行
 「non.no」(集英社)を創刊。(アメリカのファッション誌「GLAMOUR」と提携)ここから「アンノン族」が時代のトレンドを作る時代始まる
 彼女たちに人気のファッションは、たっぷりしたティアードの花柄ワンピースやエプロンドレスを中心とした重ね着だった。そこにヒッピー文化からの影響でナチュラル志向のカントリー・スタイルも加わることになります。
 サンリオの直営1号店オープン
  日本テレビのタレント・スカウト番組「スター誕生」開始(1983年まで)
 中原淳一の弟子だった内藤ルネがパンダ・グッズの先駆となった「ルネ・パンダ」を発表
 南沙織、天地真理など、アイドル・タレントのブームが始まる
 銀座の歩行者天国にマクドナルド1号店がオープンし、日清食品がカップヌードルを発売。(ファースト・フード、インスタント食品の時代へ)
ブランド<Let It Rock>設立(ヴィヴィアン・ウエストウッド
ボシュ&ロム社がソフト・コンタクト・レンズ開発
ラルフ・ローレンがブルーミングデール(大手百貨店)内にインテリアまでプロデュースした店をオープンさせる。これは百貨店におけるブランド専門店の先駆でした。
1972年 
 「an.an」が「旅」をテーマにした紙面構成を取り入れて売り上げを急激にのばす。
 <ワイズ>設立(山本耀司)
 <モガ>(稲葉賀恵)菊地武夫とは離婚
<ピアス流行>
 イヤリングに代わる耳のお洒落としてピアスが流行し始める。
少女漫画「ベルサイユのばら」池田理代子
「ピア」創刊(林和男編集)ただし、ブレイクするのは1975年ごろ
「シティ・ロード」創刊(小泉卓史編集)僕は個人的に批評性の高いこちらのファンでした。
ブルーリボン・スポーツ社がナイキと社名変更
1973年 
 山梨シルクセンターが社名をサンリオ(株)に変更(ギフト商品、グリーティング・カードなどの企画販売からスタート、この後、テーマパークや出版、映画製作、音楽出版などにも進出し、日本を代表する企業となります)
 渋谷PARCOオープン
 フォークロア・ファッションの時代
 <コム・デ・ギャルソン>設立(川久保玲)
 女性ファッション誌「JUNON」(主婦と生活社)創刊
 少女漫画「ミモザ館でつかまえて」大島弓子
 花の中三誕生(山口百恵、桜田淳子、森昌子)
<同棲時代>
 1972年に「漫画アクション」に連載が始まった上村一夫の「同棲時代」が話題となり、「同棲」は流行語となった。
 四畳半フォーク・ブーム(「神田川」は160万枚の大ヒット)
イッセイ・ミヤケがパリ・コレクションにデビュー
映画「コフィー」主演のパム・グリアの影響でアフロ・ヘアーなど独特のファッションが人気になる
1974年 
 ブランド<Shirley Temple>(子供服)柳川れいが設立(<MILK>から独立)
 コンビニエンスストア「セブンイレブン」1号店オープン(東京江東区5月15日)
 サンリオが和製キャラクターの元祖となった「ハロー・キティ」誕生
 「ベルサイユのばら」8月29日初公演(池田理代子原作、長谷川一夫主演)「ベルばら」ブームがここから始まり、1年半で64万人の観客を動因した。
<「中ピ連」登場>
 20年連れ添った妻を無一文で追い出そうとした自動車会社社員の職場に中ピ連の女性たちが訪れ財産を二分することを認めさせた。「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(代表は榎美佐子)は、この年「女性を泣き寝入りさせない会」を結成。ピンクのヘルメットとプラカードをもってシュプレヒコールをあげながら横暴な男性を急襲した。
クール・ハークがブレイク・ビーツの手法を用いたDJプレイを始める
1975年 
 ブランド<Jane Marple>(村野めぐみ)設立(<MILK>から独立)
 コム・デ・ギャルソンが東京コレクション・デビュー
 大人女性向けファッション誌「JJ」(光文社)創刊
 「ニュートラ」ブーム始まる
 ファンシー・グッズの店が流行
 「いちご新聞」(サンリオ)
 西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ、御三家の黄金時代
ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンがブティック「セックス」をオープンさせる
第一回ミラノ・コレクション
1976年 
 男子向けファッション誌「POPEYE」(平凡出版・現在のマガジンハウス社)創刊
 ファッション誌「JJ」の特集「可愛くいきますか?大人っぽくいきますか?」
 新宿ルミネ、オープン
 東急ハンズ、藤沢に一号店オープン
 「春一番」「哀愁のシンフォニー」のヒットでキャンディーズの人気ピークに達する
アニエスbがパリでショップをオープン
アニタ・ロディクが「ザ・ボディー・ショップ」設立
セックスピストルズがデビューし、パンクロック・ブーム始まる
1977年 
 少女雑誌「プチ・セブン」(小学館)創刊
 ファンションの専門誌「流行通信」がロリータ・ファッションを批判)
 「アクロス」1974年創刊の「月刊パルコ・レポート」から生まれた若者ファッションの分析メディア
<カラオケ時代元年>
 「カラオケが繁盛して、ミュージシャンはオケラ」(毎日新聞)カラオケの普及により、全国で生バンドが職を失いましたが、カラオケは国境を越えて海外へと広がります)
<ピンクレディー大ブーム>
 ミー(根本美鶴代)ケイ(増田敬子)のピンクレディーが大ブームになる。「SOS」から「透明人間」まで8曲連続ミリオンセラーとなる。
 マンハッタンに「スタジオ54」オープン
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のヒットで世界的なディスコ・ブーム始まる
シカゴのクラブ「ウェアハウス」でフランキー・ナックルズがDJプレイ開始(「ハウス」の名はこの店でかかる音楽から生まれた)
1978年 
 パンク・ファッションのブーム広がる
 ディスコ・ブームが広がる
 ラフォーレ原宿オープン
 この頃、女の子たちの間で丸文字が広まりました。
 キャンディーズ解散(後楽園球場で解散ライブ)
 矢沢永吉の自伝エッセイ「成り上がり」が100万部を超えるヒットとなる
 ピンクレディーが自身のキャラクターを用いた商品を多数販売、アーティスト・キャラクター・グッズ商法の先駆けとなる
ジャンニ・ヴェルサーチ・ブランド誕生
アフリカ・バンバータがズールー・ネイションを設立。ヒップ・ホップ文化を生み出す先駆けとなる
1979年
 「ハマトラ・ブーム」始まる
 渋谷109、オープン
 雑誌「Hot-Dog PRESS」隔週刊誌として創刊。(男子大学生をターゲットにしたファッション、恋愛マニュアル情報を提供し若者のデート文化に影響を与えた)
 SONYが「ウォークマン」を発売
 パンク・バンド、テクノ・バンドが急増
 原宿竹の子族出現
 少女漫画「れもん白書」吉田真由美
<省エネ・ルック登場>
 オイルショック以降の省エネブームの影響で通産省が「省エネ・ルック」を発表。首相の大平正芳らも半袖サファリジャケットに簡易ネクタイスタイルでPR。新宿伊勢丹デパートで発売したがひと夏で売れたのは5着だけだったとか・・・失笑。
シュガー・ヒル・レーベル設立
ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがシュガーヒル・ギャングに対し、「ラッパーズ・ディライト」での「グッド・タイムス」盗用の訴訟を起こす。(サンプリングが問題となる)
2トーン・レーベルを中心に「スカ」ブームが起きる
1980年
 <PINK HOUSE>の金子功スタイルが大人気となる
 ファッション誌「JJ」の人気高まる
 西友の「無印良品」ブランド展開開始
<山口百恵引退・結婚>
 「しあわせになります」の言葉を残し、三浦友和と結婚。 日本武道館でファイナル・コンサート。テレビ中継の視聴率は27.1%
自叙伝「蒼い時」は発売一か月で100万部突破。山口百恵と入れ替わるように松田聖子登場
ニューロマンティック、ジャングル・ビート、ファンカラティーナがブームに
1981年
 ファッション雑誌「Can Can」(小学館)創刊
 川久保玲率いるコム・デ・ギャルソンがパリ・コレで大きな話題となり「黒の衝撃」と呼ばれた
 山本耀司のワイズもこの年パリに進出
 <ヨシエ・イナバ>(稲葉賀恵)
<リクル―ト・ルック>
 「日本リクルート・センター」が就職情報分野にも進出。(アルバイト情報誌だった)「リクルート・ルック」という言葉はこの年から使用されるようになった。
 「なんとなく、クリスタル」田中康夫(クリスタル族のバイブル、この時代のブランド、高級品志向を象徴する作品)
<松田聖子>
 日本では山口百恵が結婚。イギリスではチャールズ皇太子とダイアナ嬢が結婚。日本では山口百恵と入れ替わるようにして松田聖子が登場。「ブリッ子」と非難されながらも、その人気は21世紀まで続くことになります。聖子ちゃんカットが大流行!
「二十世紀は、『人間の欲望肯定』を一つの大原則とする時代である。『奔放な欲望充足がなぜいけない』と開き直られたら、もう反論のしようはない。『女のわがまま』は肯定されるべきであり、松田聖子は、『それを攻撃するのは古い硬直した社会だ』という前提に立った。そして、既成の社会が拘束力を失っていることを暴露してしまった。・・・」
橋本治著「二十世紀」より
 松田聖子は「ブリッ子」と揶揄されながらも、女性からの人気は絶大で、1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続オリコンナンバー1を記録。「聖子ちゃんカット」だけでなく、結婚、離婚、子育て、歌手と生き方でも、時代の先を行ったアイドルとなります。
アウズディン・アライアがミラノ・コレクションでボディコン(ボディー・コンシャス)・ファッション発表
アメリカでMTVがスタート(ミュージック・ビデオ時代の始まり)
イギリスのバンドがニュー・ロマンティックス系アーティストを中心にアメリカに進出
1982年 
 「カラス族」黒一色のファンションが流行
 DCブランドの販売員「ハウスマヌカン」が人気の職種となる。
 DCブランド(デザイナーズ・ブランド&キャラクター・ブランド)のブーム本格化
女性ファッション誌「Olive」(平凡社)創刊
 「いい女からかわいい女へ」「anan」の特集
<エイズの衝撃>
前年に発見され謎の病とされていた奇病が「後天性免疫不全症候群 - AIDS」と命名される
1983年 
 ブランド<TSUMORI CHISATO>(津森千里)スタート
 「Olive少女」ブーム
 女性ファッション誌「Vi Vi」(講談社)創刊(松島菜々子、山口智子、藤井リナ、マリエなどがモデルとしてブレイク)
 <ナゴム・レコード>創立
 中森明夫「『おたく』の研究」発表(オタク文化のブームはこの頃から始まりだしていた。その原点は「新人類」だったと僕は思うのですが・・・)
 <東京ディズニーランド開業>
 4月15日千葉県浦安市にオープン。一日10万人の入場者でにぎわう
ヒップ・ホップの伝説を生んだ映画「ワイルド・スタイル」公開
映画「フラッシュ・ダンス」のヒットでダンス・ウェアやスウェット製品がブームになる
スウォッチ社がプラスチックウォッチ発売(スイス)
1984年 
 ブランド<ATSUKI ONISHI>(大西厚樹)スタート
 ブランド<HYSTERIC GRAMOUR>(北村信彦)スタート
 ブランド<タケオキクチ>(菊地武夫)スタート
 チェッカーズの影響でタータンチェックがブームになる
<男性用化粧品>
 コーセーが男性用メーキャップ用品を発売。ファンデーション、眉墨、リップクリームんど、20代を中心にヒット
<FOREVER21>(アメリカのファスト・ファッション・チェーン)創業
アップル社が「マッキントッシュ」発売
ナイキ社が「エア・ジョーダン」発売
映画「ストップ・メイキング・センス」公開(ミュージック・ビデオの歴史的傑作誕生)
映画「ビート・ストリート Beat Street」公開(ヒップ・ホップを広めた作品)
1985年 
 東京ファッションデザイナー協議会(CFD)発足
 おニャン子クラブの影響で<セーラーズ>が人気になる
<男女雇用機会均等法が成立>(5月17日)1986年4月より施行
 働く女性が1500万人突破し、既婚女性の半数が就業
<エイズ日本人初感染>
 アメリカ在住の日本人男性がエイズに感染。初の日本人感染者となった
 TBSの「金曜日の妻たちへ」がブレイク(「金妻」が不倫の代名詞となる)出演は、古谷一行、いしだあゆみ、篠ひろ子・・・
 おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が大ヒット、素人系アイドルの火付け役となる
 
1986年 
 ボディコン・ファッション登場
 男性ファッション誌「MEN'S NON-NO」(集英社)創刊(デザイナーズ・ブランド中心にファッションを提案)出身モデルには田辺誠一、マーク・パンサー、風間トオル、阿部寛などがいます。
 新人類が流行語になる
 「マイ・アディダス」(Run DMC)のヒットとともにアディダス・ブーム
 原宿の歩行者天国「ホコ天」でのライブ・バンドたちがブームとなる
 
1987年 
 ロリータ・ファッション・ブーム
 アメカジ・ブーム
 「バブル」「ボディコン」「朝シャン」が流行語となる
 「ノルウェイの森」が大ヒットし、村上春樹ブーム到来
 DKNY(ダナ・キャラン・ニューヨーク)がマイクロファイバー製ジャージ製品を発売
1988年 
 <Baby,the Stars Shine Bright>(磯部明憲)スタート
 <レキップ・ヨシエイナバ>(稲葉賀恵)
 女性向けカルチャー雑誌「Hanako」(マガジンハウス社)創刊
 女性ファッション誌「Ray」(主婦の友社)創刊(菊川怜、香里奈、酒井彩名らがモデルとしてブレイク)
 代々木公園の歩行者天国に「バンド天国」が現れる 
 「ジュノン・スーパー・ボーイ・コンテスト」始まる(小池徹平、武田真治、伊藤英明、柏原崇、加藤晴彦、平岡祐太など)
 
1989年 
 女性ファッション誌「CUTiE」(宝島社)創刊
 女性ファッション誌「SPUR」(集英社)創刊
「ファッションに敏感で知的好奇心が強く、チャレンジ精神が旺盛で積極的な女性たちに心地よく刺激を与える、クオリティ・ファッション・マガジン」
 <Jane Marple>原宿直営店オープン
 ブランド<Kazuko Ogawa>ゴスロリ・ブランドがスタート
 渋カジ・ブーム本格化(1988年~1991年)
 イッセイ・ミヤケ「プリーツ・プリーズ」で世界的ブーム到来
リーボック社のスニーカー「パンプ」発売(イギリス)
1990年 
 ブランド<KEITA MARUYAMA>スタート
 ブランド<TSUMORI CHISATO>(津森千里)スタート
 フリッパーズ・ギターピチカート・ファイブなど「渋谷系ブーム」
 ヴァージン・メガ・ストア、新宿にオープン(外資系大型ショップ時代が始まる)
<アロマテラピー>
 香りによって「癒し」を得る文化が広がり始め、「香りビジネス」が拡大し始めます。
 
1991年 
 ストリート系インディーズ・ブランドが人気になる
 ジュリアナ東京オープン
 宮沢りえのヌード写真集「宮沢りえ写真集 サンタフェ」100万部突破(撮)篠山紀信
オリビエロ・トスカーニ、ベネトンの広告写真が話題となる
1992年 
 ブランド<SEXY DYNAMITE LONDON>スタート
 原宿にブティック「NOWHERE」(NIGO、高橋盾)オープン
 ブランド<Agnes b.>人気爆発
 コギャル・ブーム到来
 「美少女戦士セーラームーン」武内直子
 女子高生の間でポケベルが大ブームとなる
 尾崎豊死去(覚せい剤とアルコールによるもの)葬儀にはファンなど3万人が駆け付けた。
スティーブン・マイゼル撮影、マドンナの写真集「セックス」発表
1993年 
 ブランド<A BATHING APE>スタート
 ブランド<NOWHERE>原宿にオープン。長尾智明(NIGO)と高橋盾(JONIO)によるショップ
 古着ブーム始まる
 ストリート・ファッション誌「Zipper」創刊(モデルではないストリートを歩く若者たちの生のファッションを発信)
 篠原ともえブームによりロリータ・ファッション広がる
<AVEXブレイク>
 東京ドームで「AVEX RAVE」開催。5万人がドームで踊りまくる。芝浦のディスコ「ジュリアナ東京」も連日満員の盛況。ジュリアナ現象がここにきて頂点に達していた。
パタゴニア社、ペットボトルのリサイクル素材「PCRシンチラ」発表
1994年 
 ブランド<Takuya Angel>が人気に
 ブランド<20471120>、<national standard>スタート 
 ストリート系ブランドが人気に
 ラフォーレ原宿の人気高まる
 「かわいい症候群」増淵宗一
 「今夜もブギー・バック」小沢健二&スチャダラパー、「DA・YO・NE」 EAST & ENDxYURIのヒットで、ラップが一気に大衆化
 
1995年 
 ブランド<6% DOKIDOKI>原宿にオーップン
 チビT、へそ出しファッションが流行
 女性ファッション誌「egg」(大洋図書)創刊
 女性ファッション誌「smart」(宝島社)創刊(ファション情報だけでなく音楽や小物の付録つきで話題となる
 年間のヒットチャート・ベスト10に小室哲也プロデュースの曲が7曲入る。(安室奈美恵、篠原涼子、華原朋美、・・・)その他、佐久間正英(元プラスチックス)、笹路正徳、奥田民生、つんく、小林武史、YOSHIKIなどプロデューサー中心の時代となる
 
 1996年
<アムラー大量発生>
 安室奈美恵が「Don't Wanna Cry」で史上最年少19歳でレコード大賞受賞。ロングヘアーに超ミニスカート&ロングブーツをまねた「アムラー」大量発生。
 <Vivienne Westwood>旗艦店が日比谷にオープン
 <109>大幅リニューアル、<EGOIST>、<COCOLULU>がブレイク
 「マルキュー系」と呼ばれるファッションは、ヘアスタイルは長めの茶髪か金髪。リップグロス、マスカラをしっかり使った濃いめのメイク。ネイルケアにストラップをジャラジャラとぶら下げた携帯電話もポイント。
 裏原宿系ストリート・ファッションがブームになる
 女性ファッション誌「Cawaii !」(主婦の友社)、「Spring」(宝島社)創刊
 ストリート・ファッション写真誌「FRUiTS」(STREET社)創刊
 「ロングバケーション」大ヒット
 平均視聴率29.6%で「キムタク・ブーム」が始まり、SMAP人気も高まった。
  携帯電話が急激に広まる
 女子高生の間で「プリクラ」「ルーズ・ソックス」が大ブームになる
<ナイキ・ブーム>
スポーツ・ブランド「ナイキ」が世界的に大ブームとなる
1997年
<流行語>
 「失楽園」(同名小説より)、「チャイドル」(=チャイルド+アイドル)、「ビジュアル系」
 X-Japan解散、MALICE MIZERメジャー・デビュー、 JUDY AND MARYがブレイクし、 YUKIがファッション・リーダーになる
ダイアナ元皇太子妃、パリで交通事故死
 1998年
 ブランド<HEAD PORTER>原宿にオープン
 雑誌「KERA !」隔月刊としてと創刊(インデックス・コミュニケーションズ)
 厚底靴がブーム
 ビジュアル系バンド人気ブーム
 浜崎あゆみが雑誌「Cawaii !」に登場。この後、女子高校生のファッション・リーダーとなり大きなサングラス、豹柄、ネイルアートなどをブレイクさせる。
 ユニクロ原宿店オープン
<100円ショップ急増>
 100円ショップが不況の中急増。オリジナル商品も増え、ひとつの「ブランド」として定着。
 
 1999年
 ブランド<Elily Temple cute>スタート
 ガングロ・ヤマンバが話題になる
 「東京ガールズ・コレクション」を主催することになるゼイヴィル設立
<カリスマ~>
 「カリスマ美容師」に代表される「カリスマ~」が女性の間で人気となり、「カリスマ」は影響力を持つトレンド・リーダーを表す言葉として定着。
<宇多田ブレイク>

 前年デビューの16歳宇多田ヒカルのファースト・アルバム「First Love」が740万枚の驚異的セールスを記録。
椎名林檎もブームとなる
 
2000年
 ブランド<h.NAOTO>初コレクション
 ラフォーレ原宿が大幅リニューアル
 女性ファッション誌「S.Cawaii !」(主婦の友社)、「mini」(宝島社)創刊
 ユニクロが人気となり激安志向強まる
 浜崎あゆみが人気になり、アユラー現象始まる(大き目レンズのサングラス)
 「下妻物語」の作者、嶽本のばらが作家デビュー
 
2001年
 ブランド<FRAPBOIS>スタート
 女性ファッション誌「JILLE」(双葉社)創刊
 中年男性向けファッション誌「LEON」(主婦と生活社)創刊
 「ゴシック&ロリータ・バイブル」(インデックス・コミュニケーションズ)
 
2002年
 女性ファッション誌「PS(プリティー・スタイル)」(小学館)創刊 イヴ・サンローランが引退を発表
2003年
 <Vivienne Westwood>旗艦店が青山に移転オープン
 「メトロセクシャル」 女性同様に美容院に通い、スキンケア、ファッションにお金を使う男性。デヴィッド・ベッカムや中田英寿はその象徴的存在
 
2004年
 ブランド<ALBA ROSA>が大人気となる
 セレブ・ファッションがブームとなる
 映画「下妻物語」海外でもヒットし、ロリータ・ブームが世界へと拡散
 ファッション誌「ゴスロリ」(ブティック社)他にもゴスロリ雑誌が誕生
 倖田來未がブレイクし、浜崎あゆみと並ぶエイベックスのトップスターになる。露出度の高い衣装やバニーガール、女教師などのコスプレも人気
 「エロ・かっこいい」「エロかわいい」などと呼ばれる
 
2005年
 ブランド<merci beaucoup>スタート
 「東京ガールズ・コレクション」がスタート(年二回)
 「エビちゃん系」、「もえちゃん系」人気(蛯原友里、押切もえ)
 <流行語>「エロかわいい」「萌え~」と「ちょいワルオヤジ」「ちょいもてオヤジ」
 
2006年
 「『かわいい』論」(四方田犬彦)出版(ちくま新書)
 「小悪魔AGEHA](インフォレスト)創刊
 女性ファッション誌「anan」が「かわいい男」ランキングを発表。1位小池徹平2位手越裕也3位亀梨和也
 
2007年
 「セカイと私とロリータファッション」(松浦桃)出版(青弓社)
 沢尻エリカ(モデル・俳優)がブレイク
 
2008年
 NHK「東京カワイイ★TV」放送
 H&Mが原宿、銀座に出店
 TOPSHOP(英国のヤング向けファスト・ファッション店)原宿に拡大リニューアル・オープン
 
2009年
 ファッション誌「Cawaii !」休刊
 外務省が「カワイイ大使」を任命(「カワイイ」文化の終焉か?)
 <FOREVER21>原宿<H&M>の隣に日本1号店オープン(ファスト・ファッション原宿戦争激化)
 


<参考>
「かわいいの帝国 モードとメディアの女の子たち」
 2009年
古賀令子(著)
青土社

「ファションの20世紀 都市・消費・性」 2007年(初版1998年)
柏木博(著)
NHK出版

「ファッションの歴史(下)」 1985年
J・アンダーソン・ブラック、マッジ・ガーランド(共著)
山内沙織(訳)
(株)パルコ出版

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