クール&カワイイ・ジャパン世界へ


- DCブランドからロリータ・ファッションへ -
おまけに
<ファッション用語辞典>

<DCブランド・ブーム>
 21世紀初め、世界を席巻した日本発の様々なファッション。その代表的存在として、川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」があります。実は、ブランドとしての「コム・デ・ギャルソン」誕生は意外に古く、1969年にまでさかのぼります。しかし、その存在が海外にまで知られるようになったのは、1980年代にDCブランド・ブームが起きて以後のことになります。
 1970年に高田賢三がパリ・コレでデビュー、この頃から日本発のファッションが海外へと向かい始めるようになります。しかし、1980年代にDCブランドのブームが起きると、一気にファッション・デザイナーの存在が時代の最先端に位置することになります。この時期は、その意味で日本のファッションにとって重要なターニング・ポイントだったといえるでしょう。
 1981年、川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」と山本耀司の「ワイズ」がパリに進出。世界に衝撃を与えた頃、日本ではDCブランドの一大ブームが始まっていました。このブームは大量消費社会から限定少量生産品を求める社会への移行を象徴するブームだったといえます。日本にとって、それは個性を重視するより自由な社会への移行を示すものだったともいえます。
 このブームによって日本においては、社会的・経済的階層性が消失し、横並びの差異化だけになったといえます。ファッションによる平等、自由が実現されたのです。

「衣服とは人間を表現せず、それを構成する。あるいはむしろ、よく知られているように、人間とは自分が欲するイメージにほかならず、衣服はこのイメージを信じるとこも可能にする」
ロラン・バルト

 DCブランド(少量多品種商品)を求めようとした人々は、けっして「柔らかい個人主義」(山崎正和)の中に美的に生きていたのではなく、差異を求めて同一化する奇妙な欲望の運動と不可分に進行する、市場システムからの逸脱を夢見ていたにすぎないのである。
「ファッションの20世紀」柏木博

 DCブランドが展開した「差別化」することを目的としたファッションは、他との差別化を繰り返すことで自由を獲得するという思想性をもっていた。この考え方をさらに推し進めることで、DCブランドブームから抜け出し、海外にまでその影響を広めることになったのが「コム・デ・ギャルソン」です。

<コム・デ・ギャルソン>
「すでに見たものではなく、すでに繰り返されたことでなく、新しく発見すること、前に向かっていること、自由で心躍ること。コム・デ・ギャルソンは、そんな服作りをいつもめざしています。」
1997年「コム・デ・ギャルソン」の春夏コレクションのDMより

 川久保玲が南青山で立ち上げた「コム・デ・ギャルソン」が大きなインパクトを世界に能えることになったのは、1980年代の初めに黒を基調とするミニマルなスタイルを発表した頃からです。「カラス族」、「乞食ルック」などとも揶揄されながらも、自立を求める都会の女性たちに受け入れられた独特なファッションは一気にブームとなります。
 打ちっぱなしのコンクリートの店内に、数点だけ商品を展示。インテリアまでもデザインされたシンプルな店作りも含め、このブランドは次々に世界を驚かせました。1982年の虫食いのように穴があけられたニットのようにパンク・ファッションをさらに進化させたデザインは特に有名です。
 1997年発表の「こぶドレス」(通称)も衝撃的でした。

「服が体になり、体が服になる」との発想です。服と体を分けて考えないで、両方が混然一体となって体の新しいフォルムを作り出せば、ということでしょうか。固定観念にとらわれては見えない、体のバランスの美しさがあるのです。
川久保玲(朝日新聞のインタビューより)

 かつて体のラインを隠すためのものだった衣服は、ミニスカート、Tシャツ、ジーンズによって、体のラインを見せるためのものになりました。しかし、ここでは新しい体のラインを作るためのモノとして作られています。こうして、川久保玲がファッションにおける新たなる発想の転換を行っていた頃、日本ではもうひとつまったく異なるタイプのファッションが生まれようとしていました。それはTシャツやミニスカートとはある意味対極にあるともいえるファッションでした。
 Tシャツやミニスカートがよりシンプルによりミニマルにより肉体性を追求したのに対し、過剰なまでの女性らしさをテーマとしたロリータ・ファッションの登場です。

<カワイイ文化、世界へ>
 21世紀に入って、様々な分野で日本のカルチャーが世界的な注目を集めています。「アニメ」「料理」「カラオケ」「ゲーム」「文学」「ファッション」などはその代表的なものです。中でも今世界中で多くの女子たちに影響を与え続けている「カワイイ文化」は、男子における「オタク文化」と双璧ともいえる日本発の文化です。
 日本だけでなく海外も同様ですが、女性たちが独自の文化を生み出し発信するようになった歴史は、そう長くはありません。いち早くスタートを切った欧米では、ココ・シャネルイサドラ・ダンカンのように時代をリードする存在が20世紀の初めに登場していますが、日本はそれよりかなり遅れたのスタートになりました。一部の女性を除き、日本で戦前に活躍したのは文学や芸能など限られた存在だけでした。それに対し、GHQ(占領軍)により持ち込まれた民主主義とともに「男女平等」と「女性の社会参加」が可能になった日本では、戦後一気に女性の文化が爆発することになります。その代表的なもののひとつにファッションがあります。21世紀に世界を席巻した「カワイイ文化」は、日本が生んだファッションの最新モデルです。ロリータ・ファッション、ハロー・キティ、アニメの美少女キャラ、コスプレ、ゆるキャラ、ケータイのアプリ・・・あらゆる分野に「カワイイ」デザインが進出し、その勢いは続いています。

<カワイイって何?>
 なんでもかんでも、「カワイイ!」ですます傾向にご不満の方も多いことでしょう。僕もそうなのですが、いつの間にか自分でも「カワイイ」を店で連発していることがあります。でも、「カワイイ」って何なのでしょうか?

「カワイイを聞いてイメージするのは、ぬいぐるみのように、まるくて柔らかいもの。・・・」
大森美香(脚本家)

「ほかにも、体の大きい人が小さくなっているときなんかにも使いますよね。好ましいギャップを感じたときに沸き起こる感情と見ることもできます」
倉田真由美(漫画家)

 「丸い」「明るい」「柔らかい」「あたたかい」「小さい」「弱い」「なめらか」・・・こうした「カワイイ」のイメージについて社会学者の宮台真司氏はこう分析しています。

(1)「人にやさしい」ことを追及した結果としての丸さや白さ、軽さ、皮膚感覚に沿ったソフト化やライト化などの「人間工学的」カテゴリー
(2)「自分と世界のロマン化」とも考えられる「ロマンチック」要素
(3)愛らしさや無邪気さ明るさ活発さ、無垢などが、個々のモノやコトについてのある種の「子ども的」属性である「キュート」さ

宮台真司(社会学者)

 では「カワイイ文化」はなぜ日本で生まれたのでしょう?日本にはそうした「カワイイ文化」を生み出すための土壌があったのでしょうか?
 確かに、「小さい」という切り口なら、日本には庭(箱庭)や盆栽など自然をそこにミニチュア化したアートがありました。
 「丸い」という切り口ならば、「コケシ」や「だるま」などのキャラクターがあります。「柔らかい」でいうと「コンニャク」「豆腐」「餅」などの食べ物がイメージできます。
 「なめらか」は、なんといっても「絹」そして日本人女性の肌でしょうか。
 こうした日本人の「カワイイ文化」の民族性について評論家の四方田犬彦氏はこう語っています。

「小さなもの、繊細なものが愛でられるのと同様に、いまだ完全に成熟を遂げているもの、未来に開化の予感を持ちながらもまだ十分に咲き誇っていないものにこそ、価値がおかれるという事態が、日常生活のいたるところで見受けられるからだ。日本人とは、人に花を贈るのに蕾を好んで贈る民族であるとは、しばしばいわれるところである」

「ミニアチュールの特徴とは、しばしば細部が誇張されていたり、意図的に不均衡や不正確さが施されていることである。これは『かわいい』とともに、グロテスクである」

四方田犬彦

 こうした日本人の民族性は男女に関係のないのですが、「カワイイ文化」は基本的には女子のファッションであり、もともとは男性の心をつかむためだったものが、いつしか男性の心など関係ないところにまで進化したといえます。(イケメン男子の登場により「カワイイ文化」は男子にも広がりつつあります)
 結婚を意識しない女性が増える中、「カワイイ文化」は男性へのアピールを目的とはしなくなったことで、より自由なファッションになったともいえるでしょう。「カワイイ文化」はリスペクトのないフラットな価値観として世界に広がりつつあります。

「他人の評価や労力を査定の対象とせず、自分自身の感覚で、これは嫌い、これは好きと選別していく究極の個人主義」
嶽本野ばら(「下妻物語」の作者)

「かわいいを押し売りしちゃうとかわいくない」
津森千里(デザイナー)

「女の子の「かわいい」価値観は内向きで平和的である」
古賀令子「かわいいの帝国」より

<カワイイ文化誕生の意味>
 現実世界が厳しくなるほど、個人の内側世界はその逆に優しく平和的な方向に向かう。これは男性ではなく女性ならではの感覚かもしれません。
 もしかすると、「カワイイ文化」ほど世界平和に貢献できる思想・文化はないのかもしれません。ただし、この「カワイイ文化」とはモノを消費することで生まれた究極の消費文化から生まれたものです。ファッション、雑貨などいずれも、プロのデザイナーが販売する目的でデザインし生産した商品を選別する消費者の視線から生まれた文化なので、あふれるモノがあってこその文化なのです。椎名林檎が歌った「ありあまる富」なくして、この文化は生まれなかったのです。
 「ありあまる富」は一方では世界の不平等を示すものでもあります。世界に広がる不平等が各地で混乱を生み出しつつある今、「カワイイ文化」はそれを平和的に解決する存在になりうるでしょうか?
 究極の平和主義の象徴である憲法第九条とともに日本人は「カワイイ文化」を世界に広めることでさらなる平和への貢献が可能になるかもしれません。

「かわいい」の世界は
さかさまの世界だ。
弱い者が力をもち 強い者を従わせる。
「かわいい」世界では 醜いものが美しくなる。
小さいものが大きくなる
恥ずかしいものが大切なものになる。
恐ろしいものが愛おしいものになる。
死んだものが生を受ける。

「美術手帖」(1996年2月号より)


「クール・ジャパン」の原点となった日本の美学については長い歴史があります。それについて書かれたページも是非ご覧ください!「クール・ジャパンの原点となった美学」
 ファッション用語
アイビー・ルック
Ivy Look
 アメリカ東部の名門校8大学のアメリカン・フットボール・リーグを「アイビー・リーグ」と呼ぶところから取られた名前。
それらの学校に通うお坊ちゃん学生のファッション、ボタンダウンのシャツ、Vネックのセーターなどが基本となったファッション。
 1960年代から1970年代にかけて、日本でも一大ブームとなった。代表的なブランドは、「ミスター・アイビー」ともいえるデザイナー石津謙介の<VAN>。
当時は、<VAN>の紙袋を持ち歩くことがお洒落だった。
安室奈美恵  1977年生まれ、スーパーモンキーズのメンバーとして1922年にデビュー。(僕的には「ポンキッキーズ」のウサギちゃんとしてのイメージが強かった)
 1994年からソロ活動にはいり小室哲哉のプロデュースによりブレイク。ミニスカート、厚底ブーツ、ロングの茶髪、日焼け肌、細眉の「アムラー」が大量発生。
 1995年から1996年がピークだったが、彼女のアーティストとしての人気は母になっても続きます。
H&M  1947年創業のスウェーデンのアパレル・メーカー。Hennes & Mauritzが展開。低価格でありながらファッション性が高いブランドとしてブームとなった。
 2008年日本上陸
「Olive」(雑誌)  「POPEYE」の姉妹雑誌として1982年平凡出版が創刊したファッション雑誌。サブタイトルは「Magazine for City Girls」で、月二回発行
 1983年に一度休刊し、一か月後にリニューアルして復刊。サブタイトルを「Magazine for Romantic Girls」として新しいスタイルを打ち出すことでヒット。
 三代目となった編集長、淀川美代子(元anan編集長)の主導で、ファッションだけでなく、音楽、映画、インテリア、絵本などライフスタイルやサブカルチャーに力を入れたことが受けた。当時のライター陣の中には、泉麻人、酒井順子、吉本ばなな、山田詠美、カメラマンには蜷川実花もいました。
 ファッション・スタイルとしては、ヨーロピアン・チープ・シックがメインで、人気のブランドは<ATSUKI ONISHI>、<VIVA YOU>、<JUST BIGI>、<NICOLE CLUB>など
特徴的なスタイルとしては、(1)リボン、フリル、レース、花柄など少女っぽい装飾<PINK HOUSE><MILK><Kenzo><ATSUKI ONISHI>(2)アイドル・イメージのボーイッシュなスタイル「小泉今日子」「チェッカーズ」(3)ヨーロピアン・ストリート・スタイル<VIVA YOU><ATERIER SAB>(4)小物、アクセサリー、雑貨(バッジ、ワッペンなど)へのこだわり。これらお気に入りのモノをジャラジャラと付けることで「かわいい」を演出。
 1980年代、「アンノン族」から「オリーブ少女」への時代の変化は、大量生産大量消費の時代から個々の価値観重視の時代への転換だったともいえます。
カーディガン
Cardigan
 もともとはクリミア戦争でイギリス軍が着た短い軍隊用ジャケットのこと。イギリス軍の旅団長だったカーディガン卿が考案したもので、彼の名前からとられたと言われます。
見栄っ張りでお洒落な人物ジェームズ・T・ブランデル(カーディガン卿)は映画「遥かなる戦場」に登場しています。
「Can Can」(雑誌)  1981年小学館が創刊した月刊の女性ファッション誌。
 都会のOL、大学生をターゲットに作られ(現在は10代後半から40代)セレブ系カジュアル・スタイルを提案。
 ストリート系ファッションを提案する「CUTiE」が同性目線を意識しているのに対し、こちらは異性に好かれることを目的にしている。「JJ」、「ViVi」、「Ray」なども同じ路線。
 専属モデルだったのは、藤原紀香、国分佐智子、伊藤美咲、長谷川京子、米倉涼子、蛯原友里、押切もえ、山田優など
「CUTiE」(雑誌)  1989年宝島社により創刊された女性向けファッション誌。当初は「宝島」の女子版としてスタートしたが、その後独立し、月刊化されブームとなった。
 原宿のカワイイ文化が本格的にブレイクするきっかけをつくった。
 1990年代のストリート・ファッションの流れをつくる個性的なモデルたちが活躍。男性目線ではなく、独自のこだわりに基づく女性ファッションの先駆となった。当時のファッション・リーダーとしては、
 YUKI(JUDY AND MARYのヴォーカル)、モデルからタレントへ転身した千秋、タレント、ミュージシャンとして「シノラー」ブームを起こした篠原ともえ、俳優としても活躍することになる市川実和子、吉川ひなのなど
 アクセサリー、バッグ、帽子など過剰な小物を用いたアナーキーでパンクでロマンティックで乙女チックでグラマラスなジャラジャラ・ファッション。
「KERA !」(雑誌)  隔月刊としてと創刊(インデックス・コミュニケーションズ)
 パンク、ロリータ・ファッションなどサブカル系ファッションかrたアニメファン向けの記事など音楽色の強いビジュアル系ロックバンドのファン層をターゲットにしたファッション誌
「ゴスロリ」
(ゴシック&ロリータ)
 ルーツと言われるのは、「ナゴム・ギャル」と「トランス・ギャル」。
 「ナゴム・ギャル」は、「ナゴム・レコード」アーティストの追っかけ。ナゴム所属アーティストとしては、たま、人生(後の電気グルーブ)、筋肉少女体など。
 特徴的なのは、派手なTシャツ、リボン、ボーダーの二―ソックス。
 Xージャパン、LUNA SEA、MALICE MIZELなど、ビジュアル系ロック・バンドのファンもまたゴスロリが多かった。
 西洋のアンティーク・ドレス、パンク、ロリータ、ゴシック、ダーク(猟奇的、ロマン主義、神秘主義、耽美主義・・・)黒、レース、血の赤が代表的なイメージ。ヘアスタイルはロリータ風で、白い肌と濃いアイシャドー。アクセサリーはシルバー、アンティーク・ゴールドで、十字架、鍵、悪魔、天使の翼、バラ、スカル、クモなどが、代表的モチーフ。
 ちなみに「ロリータ」は、1955年パリで出版されたウラジミール・ナボコフの小説「ロリータ」がもとになっている。
サイケデリック・ファッション
Psychederic Fashon
 1960年代末、ヒッピー文化とともにブレイクしたファッション。薬物使用による幻覚などをもとにした抽象的なデザインが代表的なデザイン。色的には原色、蛍光色など強烈な色を使う場合が多い。
 エスニックなアクセサリーをジャラジャラと首にかけるのも、特徴のひとつ。
 そのイメージを広めたのは、ミュージカル「ヘアー」やジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリン、ビートルズなどのミュージシャンたち。ちなみにデビューしたばかりのスーパーフライもサイケでした。
 映画「ウッドストック」は、そんなサイケデリック・ファッションも楽しめる作品です。
渋カジ・ブーム  1980年代後半、渋谷を中心に広がったファッション。アメリカン・カジュアル・ファッションにLOIS VITTONのバックを組み合わせるのが定番のスタイル。
 「渋谷系」と呼ばれた音楽ブームから、ユニセックスでフレンチ・カジュアルなファッションが生まれ「コギャル」が登場します。そして、日焼け肌と茶髪、ルーズソックスという有名な女子高生ファッションが生まれます。彼女たちのアイドルとなったのが安室奈美恵でした。
新人類  1980年代のトレンドリーダーとなった人々。
 「朝日ジャーナル」の誌上で「新人類の旗手たち」が連載され、若手のクリエーターらを紹介(命名者は筑紫哲也)
 そこに目を付けたマーケティング情報誌「アクロス」(パルコ出版)が「新人類」という名前を1984年ごろから使用し、1986年には新語・流行語大賞に選ばれた。そこで取り上げられた人物としては
 秋元康、尾崎豊、石橋貴明、清原和博、戸川純、いとうせいこう、みうらじゅんなどがいた。たぶん作者もこの世代に属しているはず・・・。
ジーンズ
Jeans
 「ジーン Jean」とは、丈夫な綾織(あやおり)の生地のこと。北イタリアで最初に作られたといわれます。その多くは紺色に染めた「ブル-ジーンズ」。
 1840年代末にアメリカのカリフォルニアで起きた「ゴールドラッシュ」の際、そこで働く労働着として、この素材のズボンを作ったのがあのリーヴァイ・ストラウスでした。
 「ゴールドラッシュ」で最も儲けたのは、金を掘り当てた人ではなく、そこでスコップを売っていた商人だったと言われます。(テレビドラマ「ブラック・プレジデント」の受け売りです!)
 しかし、長い目で見ると、文句なしにリーヴァイ・ストラウスこそ最高に儲けた人物だったのではないでしょうか。
スニーカー
Sneakers
 イギリスの体育用の靴(Gym-Shoes)のアメリカ語版のこと。甲がキャンバス地で底がゴムの靴で、体操やテニスなどサッカーやゴルフのようにスパイクを用いることができないスポーツのための靴。
 その後、普段履きに転用されて広く普及することになった。
セーラー服
Sailor Suits
 19世紀半ばから第二次世界大戦までの子供服で、フランス、イギリス海軍の制服をヒントに作られた。そのため、通常はネイビーブルーに白いブレードの仕上げ飾りがつく。
 ヴィクトリア女王の子供たちのために作られた衣装がオリジナルといわれます。
竹の子族  1980年代前半、代々木公園横の歩行者天国(ホコ天)を舞台にラジカセの音楽をバックに独特のダンスを集団で踊っていた若者たちのこと。男女ともにメイクをしていたこともありビジュアル系の先駆でもあった。全盛期には2000名以上が踊っていた。
 1978年にオープンした「ブティック竹の子」がその発信地
DCブランド
デザイナーズ&キャラクター
ブランド
コム・デ・ギャルソン、ワイズ、三宅一生、ビギ、ニコル、MILK・・・はデザイナーズ・ブランド(個人の有名なデザイナーによるブランド)
COMME CA DU MODE,ATERIER SAB,PERSONS,JUN・・・はキャラクター・ブランド(有名デザイナー個人ではない企業としてのキャラクターで勝負するブランド)
ダッフル・コート
Duffle Coat
もともとは英国の漁師が着ていた防寒着。第二次世界大戦初期、英国のモントゴメリー将軍が漁師からもらったダッフルコートを着て、「ダンケルク撤退作戦」で活躍したことから有名になったと言われます。
トレンチ・コート
Trench-coat
 もともとは第一次世界大戦でイギリス軍将校が着た塹壕用外套のこと。「トレンチ」とは「塹壕」のこと。その後、防水性繊維で作られたダブルのベルト付コートの総称となった。
 「バーバリー社」と「アクアスキュータム社」がオリジナルといわれます。ファッションとしてトレンチコートを世界に広めたのは、なんといっても映画「カサブランカ」などで有名なハンフリー・ボガートでしょう。
中原淳一  お洒落で品の良い西洋のお嬢様をイメージさせる独特の少女画を描くイラストレーター・編集者
 1940年、戦時中に軍部からの圧力により執筆できなくなり、兵役につく。
 スタイルブックや型紙、料理のレシピ、インテリア、マナーなど美しい暮らしを演出するノウハウを提案し続けた。
 特にこだわったのは、「ストライプ」「ギンガム・チェック」「水玉」「白い襟」「リボン」など。
 戦後の復興が始まったばかりの日本で少女たちに夢を与え続ける存在となり、彼が描いたぱっちりとした瞳と長い手足をもつスリムな女性像は、21世紀東京コレクションのステージに立つモデルの姿そのままです。
季刊誌「それいゆ」(1946年)、少女向け雑誌「ひまわり」(1947年)、「ジュニアそれいゆ」(1954年)
高田賢三、金子功なども影響を受けた存在
ニュートラ
(ニュートラディショナル)
New Traditional
 1970年代半ばから広まったファッション・スタイル。エルメス HERMES、グッチ GUCCI などの高級ブランドやエレッセ ellesse、フィラ Filaなどのスポーツ系お取り入れた山の手お嬢様風アレンジが特徴
原宿 Harajyuku  1964年の東京オリンピックのために選手村が建設され、表参道沿いにアメリカ人向けの店が生まれ、そこから外国文化が広がることになり、そこに集まる若者たちが「原宿族」と呼ばれるようになる。(1964年~1966年)
 1958年完成の原宿セントラルアパートにデザイナー、カメラマンらが事務所を構え、一階の喫茶「レオン」には業界人がたむろしファッションの中心地になっていった。
 1966年、キディランド本店がオープン。
 1973年にはファッション・ビル「パレフランス」、1978年には「ラフォーレ原宿」(「ラフォーレ」は「森ビル」の「森」のこと)がオープン。
 1990年代には家賃の安い神宮前三丁目周辺に若いデザイナーが集まり、彼らが「ウラハラ・ブーム」を起こすことになる。
ハマトラ
(横浜トラディショナル)
Yokohama Traditional
 横浜元町周辺のお嬢様系女子学生のスタイルがモデルとなったファッション・スタイル。「ニュートラ」の姉妹的スタイルとして人気を獲得した。色的には、「白」と「サックス・ブルー」
 <フクゾー>のポロシャツ、<ミハマ>の靴、<キタムラ>のバッグは彼女たちの必須アイテムだった。
「PINK HOUSE ピンクハウス」  1982年に金子功が立ち上げたブランド。当初はニコル・クラブ内のブランドだった。ひらひらしたレース、リボン、フリルなどを特徴とする重ね着スタイルのブランド。
 正直、僕は好きではありません・・・。
「Vogue」(雑誌)  1892年にアメリカで創刊された女性向けファッション誌。
 本部はニューヨークで、現在ではアメリカ、イギリス、オーストラリア、ブラジル、フランス、ドイツ、ギリシャ、インド、イタリア、中国、韓国、メキシコ、ポルトガル、ロシア、スペイン、スイス、台湾、日本で独自編集され出版されたいる。
「FRUiTS」(写真誌)  ファッション誌「CUTiE」をさらに進化させストリート・スナップのみで構成された写真ファッション誌。
 サブタイトルは「原宿フリースタイル」。
 フォトグラファー青木正一が原宿で撮る写真によって構成したストリート・カルチャー写真集。世界中で人気の雑誌となり、原宿を世界にアピールすることになった。
ブルックス・ブラザース
Brooks Brothers
 1818年にヘンリー・サンズ・ブルックスがニューヨークのローワー・マンハッタンにオープンさせたブティック。オートクチュール、プレタポルテ両方を展開し、リンカーン、スコット・フィッツジェラルド、ジョン・F・ケネディらも愛用した。セレブ御用達のブランド。当時、彼らが打ち出した「トラディショナル・スタイル」は、ヨーロピアン・スタイル(コンチネンタル・スタイル)に対抗するためのスタイルでした。
 男性ファッションにおける超定番スタイル。
「POPEYE ポパイ」(雑誌)  アメリカのアニメ・キャラクター「ポパイ」をイメージ・キャラクターとして平凡出版が、1976年に創刊した男性向けファッション雑誌。サブタイトルは「Magazine for City Boys」
 ファッションだけでなくサブ・カルチャー、セックス、アウトドア・スポーツなど、様々なライフスタイルを紹介。
 ファッション的には、パーカー、トレーナー、黒縁メガネなどが代表的。
モッズ・ルック
Mods Look 
 1960年代初めのロンドンのカーナビー・ストリートを中心にブームとなったファッション&ライフ・スタイル。
 ウエスト位置が高めのロングのジャケットやミリタリー・ジャケットに股上の浅いスリムパンツ。インナーには花柄のシャツや花柄のネクタイを合わせ、金のチェーンネックレスが定番的組み合わせ。
 さらに派手に飾ったスクーターに乗れば完璧。
 革ジャンを着てバンド活動をしていたビートルズは、デビューの際、このモッズ・スタイルでデビューしています。マッシュルーム・ヘアーもモッズ系ファッションのひとつでした。
 映画「さらば青春の光」はそんなモッズのライフスタイルを描いた名作です。
ザ・フー、ローリング・ストーンズなど、ブリティッシュ・ロック・バンドの多くがこのスタイルだった)
ラグラン袖
Raglan Sleeve
 クリミア戦争のとき、イギリス軍のラグラン卿が考案した袖の縫い方。腕を動かしやすい構造で、今ではカジュアルな衣料品に広く使われています。
ラルフ・ローレン
Ralph Lauren
 ラルフ・ローレンのファッションはアメリカの虚構のアイデンティティをつくり続けている。ファッションが固定のアイデンティティをデザインするということは、中心の存在しない市場システムとしてのアメリカ特有の現象とも言えよう。しかし、まさしく中心が存在しないゆえに、市場システムとしての「アメリカ」は、世界中に広がってゆくことが可能になったのである。
(オリジナル性と思想性のない市場原理(市場調査)に基づくファッションこそ、アメリカが生みだした唯一オリジナルのファッション・スタイルということかもしれません)
ロリータ・ファッション  1980年代後半のドール・ファッションが原型と言われる。<PINK HOUSE>、<MILK>」から始まり、<MILK>出身の柳川れいの<Shirly Temple>、<Emily Temple cute>。英国から来た<Vivienne Westwood>が提案した19世紀風ファッションの影響も加わった。
 <BABY,THE STARS SHINE BRIGHT>、<metamorphose temps de file>(加藤訓仁子による大阪中心のブランド)が登場し、その<BABY,THE STARS SHINE BRIGHT>を登場させた映画「下妻物語」(2004年)が日本だけでなく海外でもヒットしたことで、日本のロリータ・ファッションは海外へと広まることになりました。
 特徴的なスタイルとしては、・・・
 ストレートの姫カットか巻き髪、緩いウェービーヘアに大きなリボンのカチューシャ、ボンネットなどのヘッドドレス。膨らんだスカート。フリルやレース付のソックス、タイツにバレリーナ風の靴。バラの花柄リボン、ティアラ、フルーツ柄、(サクランボやイチゴ)、天使、妖精、ウサギ、猫、不思議の国のアリスなどの柄。
 「ロリータ」といっても、「甘ロリ」「姫ロリ」「白ロリ」「黒ロリ」「パンク・ロリ」など様々あり


<参考>
「かわいいの帝国 モードとメディアの女の子たち」
 2009年
古賀令子(著)
青土社

「ファションの20世紀 都市・消費・性」 2007年(初版1998年)
柏木博(著)
NHK出版

「ファッションの歴史(下)」 1985年
J・アンダーソン・ブラック、マッジ・ガーランド(共著)
山内沙織(訳)
(株)パルコ出版

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