愛すべき元祖ロックンロール・ピアノマン


- ファッツ・ドミノ Fats Domino -
<太っちょドミノ>
 名は体を表し、曲も表わす。
 「ファッツ・ドミノ Fats Domino」という名前は、彼がデビュー前に働いていた店に出演していたミュージシャン、ビリー・アイドルがつけた愛称。
 ロック・ミュージシャンには珍しいその巨体と愛らしい笑顔がトレードマークとなった「ファッツ」は、チャック・ベリーリトル・リチャードのような攻撃的なロックンローラーたちとは全く異なるタイプの穏やかなシンガー&ピアニストとして活躍し、多くの人に愛されました。
 彼には前述の二人のような「歴史に残るギターリフ」や「歴史に残るシャウト」のようなトレードマークを持たず、その分、21世紀の今、ロック史における知名度は低いかもしれません。しかし、彼のアメリカでの人気は高く、特に地元ニューオーリンズの人気は絶大。有名なイベント「ニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバル」では、多くのミュージシャンたちが登場する中、トリを務める存在でした。そして、1986年に誕生した「ロックの殿堂」に最初に選ばれた10アーティストの中にも、彼はエルヴィス・プレスリーやチャック・ベりーらと共に選出されています。
 さらに彼はその愛すべきキャラクターのせいもあり、1995年にビルボード誌が行ったDJによる人気投票でR&Bアーティストのナンバー1にも選ばれています。
 そんな偉大なるロックの始祖について調べてみました。

<生い立ち>
 ファッツ・ドミノ Fats Domino ことアントワーヌ・ドミニク・ドミノは、1928年2月26日にアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれました。
 9人兄妹の一人でしたが、不思議なことに彼の家には音楽の才能に恵まれた家族、もしくは音楽業界に関りのある人物はいなかったようです。当然、家には楽器もなく、10代になってから、彼は義理の兄ハリソン・ヴェレットからピアノを習い、その後は自学自習で腕を磨くようになりました。
 練習の成果もあり腕前が上達したことから、彼は地元のクラブでピアノ演奏をするチャンスを得るようになります。しかし、ピアノ弾きだけではまだ食べて行くことは無理だったので、当時はベッドの製造工業で働き稼いでいました。一度のその工場で彼は手に大けがをすることがあり、もう少しでピアノを弾くことができなくなるところでした。それでもケガから回復すると、彼は自分がどんなにミュージシャンになりたかったのかを再認識。彼の名付け親でもあるビリー・アイドルのバンドと共に週給3ドルでニューオーリンズのハイダウェイ・クラブで働き始めます。

<デビュー、即ブレイク>
 1949年、音楽プロデューサーでもありミュージシャンでもあるデイヴ・バーソロミューにスカウトされた彼は、インペリアル・レコードと契約。
 1950年、自分の愛称をタイトルにしたシングル「ザ・ファットマン」でデビューした彼は、いきなりブレイクします。デビュー曲はR&Bチャート1位の大ヒットなり、その後3年がかりで100万枚を超える大ヒットになりました。ここから彼の曲のヒットが続きます。
 「Rockin' Chair」、「Goin' Home」、「Goin' To The River」、「Please Don't Leave Me」などが次々にヒット。
 そして「ロックンロール元年」とも言える1955年、彼の代表曲となる「Ain't That A Shame」が全米10位のヒットとなってからは、ポップ・チャートでのベスト10ヒットが連発することになります。
「I'm In Love Again」(1956年3位)、「ブルーベリー・ヒル Blueberry Hill」(1956年2位)、「ブルー・マンデー Blue Monday」(1957年5位)、「I'm Walkin'」(1957年4位)、「Valley of Tears」(1957年8位)、「It's You I Love」(1957年6位)、「Whole Lotta Loving」(1958年6位)、「I Want To Walk You Home」(1959年8位)、「Walking To New Orleans」(1960年8位)・・・その後、デビュー・アルバムの「Rock & Rollin'」は、アルバムランク18位のヒットなりました。
 DJアラン・フリードが企画したパラマウント劇場でのロックンロール・ショーでフランキー・ライモン&ティーンエイジャーズと共にヘッドライナーをつとめた彼は、当時人気ナンバー1のテレビ番組「エド・サリバン・ショー」に出演し、大ヒット曲「ブルーベリー・ヒル」を歌いました。
 その人気から彼には映画界からのオファーもあり、1956年の映画「シェイク・ラトル・アンド・ロール」、1957年の「女はそれを我慢できない」に出演しています。
 この間1957年には彼の曲「ブルーベリー・ヒル」、「ブルー・マンデー」、「アイム・ウォーキン」の3曲がR&Bトップの座を22週間(半年近く)独占していた時期もありました。
 1960年以降、ブリティッシュ・ビートバンドの活躍が始まり、ロックン・ロールのブームが終わると、残念ながら彼の曲はヒットしなくなります。

<その後の活躍>
 1968年、彼はビートルズのヒット曲「レディ・マドンナ」をカバー・ヒットさせましたが、その曲は作者のポール・マッカートニーがファッツ・ドミノのピアノスタイルを意識して作ったことが知られています。彼の音楽は、その後も多くのアーティストたちに影響を与え続けることになります。
 ビートルズのメンバーであるジョン・レノンは、ロックンロールの名曲をカバーしたアルバム「ロックン・ロール」で「Ain't That A Shame」をカバー。ポール・マッカートニーも同曲をアルバム「バック・イン・ザ・USSR」でカバーしています。
 彼はその後、8人の子供と奥さん共にニュー・オーリンズで暮しながら、オールディーズのイベントなどに出演するなどしながら幸福な人生を送りました。
 名は体を表し、曲を表しましたが、その名は「穏やかで幸せな人生」をも示していたのかもしれません。
 2005年のハリケーン「カトリーナ」の際、彼は一時建物に取り残され行方不明になりましたが、無事に救出され、翌年にはアルバム「Alive & Kickin'」を発表。この年のニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルでトリをとることになっていました。しかし、体調不良によりステージに上がることができず、その後も、体調は悪化し音楽活動から離れることになります。 そして、2017年10月24日、静かにこの世を去っています。
 偉大なる「ファッツ」のご冥福をお祈りします。

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