- フェイ・ウォン Faye Wong -

<ようこそ恋する惑星へ>
 日本の多くのフェイ・ウォン・ファンが、そうであるように、僕が最初にフェイ・ウォンに出会ったのは、ウォン・カーウェイ監督の大ヒット映画「恋する惑星」でした。
 そして、これまた多くのファンがそうであるように、僕もまたあの映画一本で彼女に一目惚れしてしまいました。一昔前「ローマの休日」を見て多くの日本人がオードリー・ヘップバーンに恋をしてしまったのも、こんな感じだったのだろうと思ったりもしたものです。
 ところがです。僕としたことが、自分が恋してしまった猫のようにしなやかでキュートな女の子が、当時すでに香港のポップス界を代表するスターであったということを、全然知らなかったのです。
 当時も、僕は世界各地のポップスを聴きあさっていたのですが、リズム指向の強い趣味のせいで、僕の耳はアフリカと中米に向きがちでした。そのため、ご近所の韓国、中国の音楽については、ほとんどノーマークだったのです。まさか、中国にこんな魅力的なアーティストがいたなんて・・・失礼いたしました。(もうひとりツイ・ジェンという素晴らしいロック・アーティストの存在にも驚かされました!)
 フェイ・ウォンというアーティストは、こうして多くのリスナーの耳をアジアへ、中国へと向けさせたに違いありません。それだけでも、彼女の功績は大変なものだと言えるでしょう。

<私の願い>
 フェイ・ウォンは、1969年に北京で生まれました。18歳まで北京で暮らした後、父親が仕事をしていた香港へと移りましたが、それはアメリカへ留学する許可を得るためだったといいます。本土復帰前の香港は、まさに西欧諸国への貴重な玄関口だったのです。ところが、彼女はその香港で歌手としてスカウトされたのです。元々歌が上手かった彼女は、シャーリー・ウォンという芸名でさっそく、レコード・デビューします。(アルバム・タイトルは"Wong Chin Man"1989年)そして、アルバム3枚を出した後、念願かなってアメリカ、ニューヨークへと出発することができました。

<カミング・ホーム>
 もしかしたら、彼女はこの留学で何かの技術や知識を身につけ一人前の働く女性として、アメリカに移り住んだかもしれません、それともそこでアメリカ人の男性と恋に落ち、中国系ニューヨーカーになってしまったかもしれませんでした。
 しかし、レコード会社との契約がまだ残っていたため、彼女は留学中に香港に戻り、新しいアルバムを制作しなければなりませんでした。こうして発表された彼女の4作目のアルバム・タイトルは、ずばり「カミング・ホーム Coming Home」(1992年)。それは、ニューヨークで彼女が吸収してきたアメリカン・テイストを盛り込んだR&B系のアルバムでしたが、これが香港で一躍注目を浴び大ヒットを記録します。(国内のみで30万枚)

<私的1992>
 ちょうどこの同じ年、中国人女性歌手、アイ・ジンは、「わたしの1997(私的1997)」というアルバムを発表。中国発のフォーク・ロック系アルバムとして世界的な話題となりました。シングル・ヒットしたタイトル曲「わたしの1997」は、香港の返還を題材としていました。それが、ジャストタイミングな話題だったこともあり、中国、香港はアジアン・ポップスの新しい発信源として、一躍注目を集め始めることになりました。

<天空へ>
 彼女の第6作「十万回のなぜ」は大ヒットした作品というだけでなく、彼女の名前をいよいよ海外へも知れわたらせることになった彼女の代表的傑作アルバムです。彼女独特のすみきった歌声は、R&B、ロック系のバックよりもアコースティックな楽器たち生ギターやピアノ、それにストリングスと絡み合うことで、よりその美しさが際だってきました。
 「癒し系」のサウンドという言い方に彼女ほどぴったりなアーティストは、ほかにいないかもしれません。彼女の曲で「夢中人」(映画「恋する惑星」のテーマ曲)という曲がありますが、まさにそんな心境にさせてくれる「声の力」を自分がもっていることを、彼女自身意識し始めたようです。いよいよ彼女の才能は、「天空」に向かって花開き始めました。

<マイ・フェバリット>
 1994年に、彼女はなんと4枚もアルバムを発表しています。「恋のパズル」、「夢遊」、「背影」、「天空」。当初香港向けだった広東語の曲を、北京語ヴァージョンとして録音し直したり、打ち込みのリズムだった曲をアコースティックなバンド、ストリングスのヴァージョンに録音し直したりしながら、彼女はどんどん輝きを増して行きました。さらに以前から尊敬していたという故テレサ・テンのカバー・アルバム「マイ・フェヴァリット」(1995年)を発表し、彼女の政治姿勢、生き方への尊敬の気持ちを表して見せました。(中国の非民主的な政治姿勢に反抗していた彼女は、中国政府によって暗殺されたという説もあるほどの重要人物です)もう彼女は単なるアイドル歌手ではありませんでした。

<フェイ・ウォン・スタイル>
 それにしても、彼女のピョン・ピョン飛びはねる独特の歌い方やどこまでも澄んだ歌声、そしてどんな服を着ても似合いそうなスレンダーなスタイルからは、彼女が結婚していて子供もいるとは到底思えません。しかし、彼女の曲には今やしっかりとした女の生き方が込められています。(考えてみると、彼女は出世作「カミング・ホーム」で、中島みゆきの「ルージュ」をカバーしています。中島みゆきのしなやかでしたたかな生き方、そしてあの細い体つきは、フェイ・ウォンと共通するものが多いかもしれません)

<激動の中国に生きる>
 1997年、香港は中国に無事返還されました。そして、今や中国はアメリカに次いで世界に対して影響力を持つ国になりました。北京でオリンピックが開催される頃には、中国は今以上の変化を遂げていることでしょう。そんな日々変化を続ける状況の中、フェイ・ウォンは自ら北京に住みかを移し、中国を活動の拠点として、いよいよ世界進出を目指そうとしています。
 日本ではドラマに出演し、アメリカではコカコーラ社とコマーシャル契約を結んだと言うし、・・・彼女はどこまで行こうとしているのでしょうか?(ある日、突然引退してしまうなんてこともありそうですけど)
 20世紀は、中国がどんな国になるかで大きくその歴史は変わるだろうと、僕は思います。願わくば、フェイ・ウォンの歌声がいつまでも中国の大地で聴くことができますように・・・ けっして、テレサ・テンのような悲しい結末を迎えることがありませんように・・・そう願いたいものです。

<締めのお言葉>
「君は会うたびに美しくなる」
「会ったのはついさっきよ」
「その間に美しくなった」

映画「ジョルスン物語」より

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