- フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini -

<ワン&オンリーの名監督>
 フェリーニの名作「8 1/2」のリメイク「NINE」(2009年)はかなり話題になったので、見た方はけっこういるかもしれません。しかし、彼のオリジナル作品は、最近なかなかテレビでも放映されないし、見たことがないという方も多いのかもしれません。
 第二次世界大戦の終わりに誕生したネオリアリズモの映画によって世界の映画界をリードしたイタリア映画。その原点となった作品「無防備都市」の脚本にフェリーニは参加していました。しかし、多くの天才たちがそうであるように、彼は同じスタイルの作品にこだわることなく次々と新しい映画作りに挑戦することで独自のスタイルを築いてゆきます。
 それは、自伝的であり、ドキュメンタリー的でありながら、ファンタジーの要素を多く含み、なおかつエンターテイメントとしても成立したそれまでにないタイプの映画でした。最近の映画は、ほとんどが原作の大ヒット小説やアニメがあるか二度目三度目のリメイクで、オリジナル脚本の作品は珍しくなりました。自らの体験をもとにしたオリジナル脚本を監督する最も作家主義的な映画を撮る監督は、21世紀に入り貴重な存在になりつつあります。
 「グイド」ことフェデリコ・フェリーニに迫ります!

<愛を求める旅へ>
 フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini は、1920年1月20日にイタリア北部のリミニで生まれました。父親は食料品を扱う商人でフランスやベルギーなど国外にも出かけて手広い商いを行っていたようです。そんな商売上手な父親のもとで育った彼ですが、勉強は嫌いだったようで、絵が大好きな子供でした。母親が早くにこの世を去っていたため、彼は両親からの愛を知らずに育ち、しつけの厳しい学校に入れられます。
 7歳の時に父親に連れて行ってもらったサーカスにはまった彼は、一人で毎日そのサーカスに通うようになり、ついには教師にバレて怒られたといいます。その時、教師は「このクラスには、どうやら道化師がいるようだ」と言ったのですが、それが逆に彼を大いに喜ばせることになりました。彼は道化師が大好きだったからです。彼のサーカスと道化師への愛は、その後も長く続くことになります。9歳の時、ついに彼は家を出てサーカス団に逃げ込みます。この時、彼はサーカス団の人々に学校でいじめにあい、食べ物も食べさせてもらえないと嘘を言っていました。(この頃の体験が、後に「道」のサーカス団やドキュメンタリー映画「道化師」を生み出すことになります)
 家に連れ帰られた彼は、家から別の学校に通うことになりますが、15歳の時、再び家出を実行します。今度は、サーカス団とではなく同じ年の少女ビアンキとの駆け落ちでした。このビアンキは、後に「道」のヒロイン、ジェルソミーナのモデルになったと言われます。
 彼の映画は、こうした少年時代の体験が生涯、大きなテーマとなり続けます。

「私はいつも私が生きた歴史や経験について語るのであるが、しかし私は自分が例外的な人間であるとは思っていないので、私に似ている人たちは、同じ感情をもって反応するだろうと考える」
「私は映画で物を語ることに熱情を抱いている。私の映画は私個人の内部にある諸イメージから生まれる。私の知っている顔、私の心の状態、私の生活の雰囲気、私の経験、そうしたものが最小限のテクニックと最大限の熱情とをもって、画面に造られていくのだ」

<ネオリアリズモからのスタート>
 1938年に高校を卒業した彼は、フィレンツェに出た後、敗戦により荒廃した首都ローマに移り住み、そこで得意の絵の才能を生かして暮らし始めます。彼は進駐軍としてローマに来ていた米軍の兵士たちの似顔絵や諷刺画を売る商売で、かなりの稼ぎを得ていたようです。絵の才能だけでなく文章の才能もあった彼はラジオ番組のための台本書きの仕事もするようになり、その後、映画の脚本も書くようになりました。

「私が映画にデビューしたのは、ライターとしてだった。でも時々、本の直しで現場へ呼ばれたことがある。そのとき私は、撮影現場というのは、私には禁制の地帯であると思いこんでしまった。監督というものは、こんな美しい女たちの中からどうして一人だけを選んで主演させ、確信をもって演技指導なんかできるのだろうと驚嘆した。彼らはどうして女たちへの欲情に屈しないでいられるのだろうか?どういうタイプの人間の人間が、このような専制ぶりをもって、女優を選び、演技をつけ、命令するだけの根性と自信をもつ得るのだろうか?」

 ある時、俳優アルド・ファブリーツィが出演する作品の脚本を書いていたことから、彼が出演することになっていたロベルト・ロッセリーニ監督の映画「無防備都市」(1945年)の脚本に参加することになりました。こうして彼はネオリアリズモの傑作の脚本に参加し、ロッセリーニの次なる傑作「戦火のかなた」では、共同脚本と助監督を担当しています。
 1950年、彼は映画「寄席の脚光」で、アルベルト・ラットゥアーダとの共同監督をつとめます。そして1953年には若者たちの怠惰な生活を描いた「青春群像」を単独で初監督。そして、翌1954年には早くも彼の代表作となる名作「道」を発表しています。

「道 La strada」(1954年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(脚)(原)トゥリオ・ピネリ、エンニオ・フライアーノ
(撮)オテロ・マルテリ
(音)ニーノ・ロータ
(出)ジュリエッタ・マッシーナ、アンソニー・クイン、リチャード・ベースハート
<あらすじ>
 大道芸人のザンパノは、その肉体を使った芸を見せながら旅回りを続けていました。そんな彼が買った知恵遅れの女性ジェルソミーナは、彼の助手として、情夫として、休みなく働く純粋で天使のような存在でした。そんな彼女を道具のようにこき使うザンパノにより、彼女はしだいに体力を失い、ついにはザンパノに捨てられてしまいます。
 しかし、ザンパノにとってジェルソミーナはすでになくてはならない存在になっていました。
 フェリーニを代表するロマンチックな悲劇は世界中で絶賛され、一気に彼の名は世界に広まりました。この映画の主演女優ジュリエッタ・マッシーナと彼は1943年に結婚しており、この後も彼女は1957年の「カビリアの夜」でも主演することになります。
<ヴィスコンティとのライバル関係>
 「道」はヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞します。その授賞式で、フェリーニの受賞に対し、ホイッスルが鳴り、ブーイングの嵐が起きました。当時フェリーニの助監督だった人物が、そのホイッスルを鳴らす人物に殴りかかったところ、それはその年「夏の嵐」が候補作になりながら受賞を逃したルキノ・ヴィスコンティの助監督フランコ・ゼフェレッリだったといいます。
 こうして、二人の巨匠の関係は周囲の人間たちの勝ってな思惑により、対立するライバルとして有名になってしまいました。同じローマのチネチッタ・スタジオで撮影を行うため、二人はお互いを避けるように撮影を行うようになりました。
 貴族階級出身で最後の貴族ともいえるプライドの塊、ヴィスコンティ。田舎の街に商売人の子として生まれた普通の人、フェリーニ。
 ネモリアリズモ出身で左翼的でバイセクシュアルで貴族趣味な作風のヴィスコンティに対し、ファンタジックな世界をエンターテイメントにこだわって映像化するフェリーニ。二人は、その趣味も映画のテイストもまったく正反対だったといえます。
 そんな二人が一緒に試写会で並んで映画を観るようになったのは、1970年代になってからのことでした。
「ヴィスコンティとフェリーニ、二人の共通点は二つだけ。二人とも寒くなるとマフラーを愛用したこと。そして、二人とも映画を死ぬまで愛したことです」
<参考>
フランスのドキュメンタリー番組「ヴィスコンテVSフェリーニ」(2014年)

「甘い生活 La dolce vita」(1960年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(原)(脚)トゥリオ・ピネリ
(脚)エンニオ・フライアーノ、ブルネロ・ロンディ
(撮)オテロ・マルテリ
(音)ニーノ・ロータ
(出)マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ、アヌーク・エーメ、アラン・キュニー
<あらすじ>
 作家になるためにローマにやって来たマルチェロは、いつの間にか新聞などのゴシップ記事専門のライターとして日銭を稼ぐ生活をしていました。そのために、彼はネタを求めて、毎日のように上流階級の女性たちとの夜遊びを繰り広げ、朝までパーティーなどで大騒ぎをしていました。
 ちなみに、その後、有名になった過激なゴシップ・カメラマンの通称「パパラッチ」は、この映画の登場人物のカメラマンの名前「パパラッツォ」からとられたということです!

 敗戦後の復興が進み、経済成長によって街中がバブル景気に浮かれていたローマの街と人々のエネルギーがそのまま映像化されたまさに「甘い生活」の肖像です。ヘリコプターから吊るされた巨大なキリスト像やラストシーンで海岸に打ち上げられていた怪魚、最初と最後の宗教的ともいえるイメージは、この映画の退廃的な世界観の象徴といえます。しかし、そんなイメージをも吹き飛ばす迫力なのが、究極のグラマー女優アニタ・エクバーグの存在です。反宗教的で退廃的な時代に力強く存在感を見せつける彼女の神話的な魅力が、この映画最大の魅力なのかもしれません。
 この後も、彼女のような迫力ある女優たちがフェリーニ作品になくてはならない存在として活躍することになります。1963年の作品「8 1/2」はそんな彼の代表作でした。

「8 1/2」(1963年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(脚)トゥリオ・ピネリ、ブルネロ・ロンディ、エンニオ・フライアーノ
(撮)ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
(音)ニーノ・ロータ
(出)マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ
 この作品は、彼の映画作りに賭ける思いや妻に対する思い、そして彼が愛する女優たちに対する思いをリアルに描いた自伝的作品です。(タイトルは彼がそれまでに撮ってきた作品の本数です。1/2は、一作のみ共同監督作品だったからです)
 夢と現実が混ざり合う世界を映像化しようと苦悩する映画監督グイドの私生活における様々なトラブルを映画の撮影現場とともに描き、エンターテイメントとしても楽しめる素晴しい作品になっています。この作品で彼は、アカデミー外国語映画賞を受賞し、彼の存在は英語圏でも有名になります。
<参考>この映画の21世紀版リメイク「NINE」も必見です!

「私が『81/2』で映画監督としての自画像を描いてみせたのは、ひとつには私自身、監督として余りにも多くのコンプレックスをもっていたからにほかならない。ある時期に、私は決して、監督にはむいていないとさえ思いこんでいた。私は十分なる権威をもって、自分の見解をスタッフたちに課するには、余りに臆病であった。それともう一つ妙なることを言うが、私はもともと女に弱いタチで、現場で女優さんたちに囲まれていると、すっかりその色気に魅せられてしまい、精神がマヒし、とても監督としての理性をもって女優さんを動かしたりする自信がなくなってしまう気がしたのだ」
フェデリコ・フェリーニ

1965年の作品「魂のジュリエッタ」は、再び妻のジュリエッタと主演に迎えた作品で、ジュリエッタ版の「8 1/2」ともいえる作品です。
1968年の「世にも怪奇な物語 悪魔の首飾り」は、ルイ・マル、ロジェ・バディムとのオムニバス三部作でした。ただし、フランスの二人の監督作品に比べると少々影が薄い作品だった気がします。彼にオカルトものはむかないのかもしれません。
1969年の「サテリコン」は、彼としては珍しい古代ローマを舞台にした歴史劇。貴族の退廃的な社会を描くという点では、彼らしい内容でした。
 自伝的映画を撮り続けてきた彼にとって、初の歴史映画となった「サテリコン」を彼は「SF映画」の一種と考えていたといいます。幻想的でエロチックな並行世界に位置するもうひとつのローマを描いたセクシュアル・ファンタジーSFということなのでしょうか。
「SFの文学は私を熱中させるが、それは私によりも自由で、おそらくは破局的で不吉で、あるいは脅迫的で、しかしながら何らかのタブーによって凍結し、マヒしている倫理やモラルを超えるような内容の作品を手がけたいと思っているからだ。私は人間に、より広く、神秘的で、苦悶を与えるような、しかし決して鎮静したり慰撫したりしないような生きかたを作品でつくりあげてみたいと思っているのだ。・・・」

そして、1970年の「道化師」もまた彼にとって重要な傑作です。

「フェリーニの道化師 I clown」(1970年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(原)(脚)ベルナルディーノ・ザッポーニ
(撮)ダリオ・ディ・パルマ
(音)ニーノ・ロータ
(美)レンツォ・グロンキ
(出)リアーナ・リナルド、ナンド・オルフェイ、アニタ・エクバーグ
 この作品はイタリア国営放送RAIのために製作したテレビ用映画です。(日本では映画館で公開されました)フェリーニは、この他にも「ある映画監督の覚え書き」(1979年)(アメリカNBC)、「オーケストラ・リハーサル」(1979年)(RAI)、「インテルビスタ」(1987年)(RAI)と3本のドキュメンタリティー作品を撮っていて、「道化師」はその先駆的作品だったといえます。
 この作品は、様々な道化師を主人公としたドキュメンタリー映画のように作られたいますが、実際はきっちりと脚本が書かれていて完全なフィクション作品のようです。といっても、フェリーニ自身も出演していて、実在の道化師やスタッフが実名で登場する展開はドキュメンタリー映画にしか見えない作りになっています。ラストの感動もそんな実録的な雰囲気があればこそといえます。彼の道化師への憧れが、映像化された最もフェリーニ的な作品ということもできます。もちろんこの映画の初めに出てくる少年はフェリーニ自身でしょう。

「サーカスは、どこか精神病院に似たものがある。サーカスの中には狂気があり、恐ろしい体験がある」
「フェリーニ 私は映画だ」より

 彼の映画に頻繁に登場する道化師や小人たちの原点をこの映画で見ることができます。そして、彼が映画によって描き続けることになる世界とはまさに「道化師=人間」たちの世界なのだろうということを実感させてくれます。この映画のラストシーンの美しさと悲しさは、ニーノ・ロータの音楽とともに忘れられないでしょう。

「道化師は人間の子供じみた動物的な側面の風刺画であり、嘲笑し、かつ嘲笑される存在だ。道化師は、人間のグロテスクで、ゆがんで、馬鹿げたイメージを映す鏡だ。道化師は人の影だ。だから道化師は永久に存在するだろう」
「フェリーニ 私は映画だ」より

1972年の「フェリーニのローマ」もまたドキュメンタリー・タッチの作品です。この作品の主人公は、イタリアの首都「ローマの街」ですが、もちろん単なるローマの名所案内映像ではなく、「ローマ」を虚飾に満ちたデカダンな都市として描いたり、時代を反映した若者たちのパワーを描いたりと様々な顔を映し出しています。

1974年の「フェリーニのアマルコルド」は、彼の少年時代をモチーフに描いた半自伝的作品です。もちろんそこはフェリーニ作品ですから、笑いあり、ノスタルジーありのファンタジックなエンターテイメント作品に仕上がっています。

1976年の「カサノバ」は、彼としては異色ともいえる実在の人物を描いた歴史ドラマです。ただし、彼は伝説的なプレイボーイをかっこ悪くて、空っぽな人物として描き、その虚しさを巨大なセットで表現するなど、彼の風刺漫画家時代の作風を思い出させる作品ともいえそうです。

1980年の「女の都」は、マルチェロ・マストロヤンニが「女の迷宮」に迷い込んでしまうというフェリーニらしいファンタジックな作品です。

「そして船は行く E la nave va」(1983年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(原)(脚)トニーノ・グエッラ
(撮)ジュゼッペ・ロトゥンノ
(音)ジャンフランコ・プレニツィオ
(出)フレディー・ジョーンズ、バーバラ・ジェフォード、ヴィクトール・ポレッティ
 第一次世界大戦中にナポリを船出し大西洋を横断する巨大な客船を舞台としたグランド・ホテル形式のノスタルジックなエンターテイメント作品。彼が作りたかった1920年代を舞台にした作品で、セピア色の画面とサイレント映画のスタイルで始まります。大スター抜きのエピソードを重ねるスタイルの映画は彼としては珍しいかもしれません。1979年にこの世を去ったニーノ・ロータの音楽がないために、この映画ではクラシックの名曲が数多く使われています。いかにニーノ・ロータの作品が偉大だったのかが、この映画に登場する曲の作曲者たちの名前からもわかります。(チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、ドビュッシー、ヴェリディなど)

1985年の「ジンジャーとフレッド」は、マルチェロ・マストロヤンニとジュリエッタ・マッシーナが、30年ぶりに再会した芸人コンビを演じた懐かしさにあふれた作品です。

「インテルビスタ Intervista」(1987年)
(監)(原)(脚)フェデリコ・フェリーニ
(脚)ジャン・フランコ・アレジェルッチ
(撮)トニーノ・デッリ・コッリ
(音)ニコラ・ピオヴァーニ
(美)(衣)ダニーノ・ドナーティ
(出)セルジュ・ルビーニ、アントネッラ・ポンツィアーニ、マウリツィオ・メイン、フェデリコ・フェリーニ、マルチェロ・マストロヤンニ、アニタ・エクバーグ
 この作品は自身の代表作「8 1/2」の続編であり、トリュフォーの「アメリカの夜」のイタリア版ともいえる「映画に愛をこめた」名作です。ちなみに「インテルビスタ」とは、「インタビュー」のこと。作品づくりに迷い行き詰まっている監督を中心にローマにある撮影所「チネチッタ」で起きる様々な出来事を描いたドキュメンタリー・タッチの作品です。1970年の「フェリーニの道化師」の延長戦上にあり、その映画における「サーカス」という舞台を「映画撮影」に移し変えた作品ともいえます。自らも出演しているだけでなく、スタッフ全員もそのまま自らの役割を演じているだけに、観客はフェリーニ映画のメイキングをドラマのように楽しむことができます。
 映画の中で年老いたマルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが二人の共演作「甘い生活」の出演シーンを見る場面は、映画への愛とノスタルジーがいっぱいで胸が熱くなるはずです。(すみません。この映画僕は未見です!)

 イタリアの巨匠として40年間に渡り、イタリア映画界を支え続けたフェリーニは、1993年10月31日に73歳でこの世を去りました。ネオリアリズモ映画の脚本家として登場した彼は、誰もマネできない自伝的でファンタジック&ノスタルジックな独自のスタイルを作り上げました。
 ひとりで1ジャンルを背負い続けたともいえる彼のようなタイプの監督は21世紀に再び登場するでしょうか?

<追記>
 この人の描くことは、嘘ばかりなのだ。ところが、その嘘を集めていくと真実になる、という作品をつくる。だから、フェリーニの監督した作品を見て、あれがホントだ、と思ったらまちがう。あそこからにじみ出すことがホントだ、と思わなくてはならない。
塩野七生「人びとのかたち」より

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