「星を数えて Counting Stars」
「火を喰う者たち The Fire Eaters

- デヴィッド・アーモンド-David Almond -

 ひさしぶりに出会ったまったく未知の作家、デヴィッド・アーモンド。彼の書く小説は、永遠の少年的世界観と1960年代末の時代性の融合から生まれた独自のファンタジー文学です。映画化されていることもなさそうなので、まだまだ知らない方が多そうです。しかし、その魅力はかつてアーシュラ・K・ル・グィンの作品に出会った時に匹敵する新鮮さがありました。
 こうして、彼のような作家の小説を紹介できるのは、このサイトをやっていて良かったと思えることの一つです。ここでは、彼の作品の中から代表作のひとつ「星を数えて」を紹介。そして、僕のもうひとつのお勧め作品「火を喰う者たち」とその他の作品の簡単な紹介をさせてもらおうと思います。
 いつもと違う新しい作家と出会いたいと思っているあなたにお勧めの作品です。


「星を数えて Counting Stars」 2002年
(著)デヴィッド・アーモンド
(訳)金原瑞人
河出書房新社
 この短編集は、バラバラに発表された短編小説とその短編集のために書き下ろされた作品をまとめたものです。時系列的には時代が前後していますが、著者の幼い頃の出来事や体験をもとに家族の歴史をつづった内容になっています。あくまでもリアリズム小説で、彼の父と母だけでなく妹までもがい失われてしまう、喪失の物語でもあります。それは著者が神様の存在を信じられなくなるのも当然と思われる悲劇の連続です。彼の小説の底に横たわる通奏低音のような色がそこにあり、様々な出来事がその後の彼の小説に異なる形で使われていることに気づかされます。例えば、
(1) 少年には見えるが、他の大人たちには見えない動物や悪魔、そして粘土細工のモンスター
(2) 謎のサーカス団とサーカス団の少女
(3) 肩胛骨にある翼のなごりをもつ人間と天使たち
(4) 粘土細工の人形に生命をやどらせる、もしくは泥の中から生まれた生命
(5) 大人になろうとする直前の少年少女たち
(6) 神の存在を疑う少年と彼を救おうとする神父
(7) 少年の成長を優しく見守る父と母
(8) 特殊な能力をもつ謎のよそ者の登場
(9) 不幸に見舞われ続ける一族の物語
 これら様々なモチーフが彼の他の小説の中で用いられています。彼の小説は、どれも悲劇的な物語で主人公は不幸を背負いながらも大人への道を歩み出します。彼の人生を見守る者はいても、助けることができる人物はいません。かろうじて彼を救うことができるのは、すでに地上から消えてしまったかもしれない「神」だけです。その点では、彼の小説は「神の不在」や「運命の存在」を問い直す試みでもあるだけに、日本人にはちょっとわかりづらい部分もあるかもしれません。
 物語の時代設定は、どれも1960年代という若者にとっての少年時代と重なっているのですが、舞台となっている土地がイギリスの田舎町ということもあり、時代性がはっきりせず、20世紀初頭でも21世紀の今でも、どちらでも通じる不思議な世界が作り上げられています。その点では、彼の小説はどれも「デヴィッド・アーモンド・ワールド」として、ワン&オンリーの世界を作り上げているといえます。

「はじめに
 ここに収められた短編はどれも、わたしの子供時代にまつわるものです。いっしょに育った人たち、わたしたちの抱えていた希望や不安、わたしたちの味わった悲劇や喜びについての物語です。語ることによって、過ぎ去った時間や、変わってしまった場所をたどることができます。語れば、かなたに消えた人々が戻ってきて、ページの中で、再び歩いたり、話したりし始めます。ほかの小説と同じように、この小説にも夢と記憶、現実と想像、真実と虚偽が入り混じっています。そしてほかの小説と同じように、この小説もまた、ばらばらになったものを集めて新たに作り直そうとしているのかもしれません。失われたものを見出すために。」

「星を数えて」より

「『神父さま、星の数をいくつまで数えたら罪になるのですか?』
 オーメルン神父はしばし黙りこくった。
『百をこえてからです。百をこえると、魂はくもります。百をこえたら、命が危険にさらされます』」

「星を数えて Counting the Stars」

「妹の写真はいつか戻ってくるかもしれない。そのとき、こうした光景やイメージがもっとも鮮明になるのかもしれない。けれども、ぼくたちはだれももう、そんなことは期待していない。
 ぼくたちの心にはそれぞれのバーバラが住み着いている。
 ぼくたちは好きなようにその姿を思い出し、いつまでもバーバラのことを忘れない。」

「バーバラの写真 Barbara's Photographs」

「それもすべて、はるか昔のことだ。今は母さんもしんだで、父さんはそのずっと前に死んで、バーバラはふたりの妹が生まれる前に連れていかれてしまった。まだ残っているぼくたちは国内のあちこちに散らばっているけれど、昔の家の近くに集うことがある。そして、ぼくたちの子どもたちによく話してきかせる。メアリーがフュージア楽隊に入ろうと家を飛び出したことがあったんだよと。
 そしてときどき、行進してみせろよとメアリーをけしかける。するとメアリーはスカートのすそをからげ、腕をぴんと伸ばし、あごをつんと上げて、懐かしいメロディーを口ずさみながら、部屋の中をいったりきたりする。ぼくたちはその姿を見て腹を抱えて笑う。子どもたちはくすくす笑い、やがて、びっくりした顔をしてぼくたちのうるんだ目を指す。」

「フュージリア楽隊 The Fusilier」

「ぼくたちはそれぞれが母さんの写真だ。母さんの面影がぼくたちに張りついている。
 大人になると、ぼくは通りで何度も見知らぬ人に呼び止められた。そういう人たちは、ぼくと顔に母さんを見たのだ。・・・
 ぼくは、だれかの手が優しく肩に置かれるのを待つ。
 あの、いつもの言葉を待ち構える。
『キャサリンの息子だね・・・』
 時間が消え、物語がはじめに戻り、ぼくはまた、昔のままのきれいな母さんが出現するのを待ち構えている。」

「母さんの写真 My Mother's 」

「ぼくたちは真実や思い出や、ところどころ作った話に耳を傾けた。互いに見つめ合い、ほかほかのバタートーストを食べた。ぼくたちはわかっていた、そのうちに太陽が沈み、子どもたちや鳥の歌声はやむ。ぼくたちはわかっていた。だれもが離ればなれになって、それぞれの生と死に戻っていくのを。ぼくたちはわかっていた。だれもが離れ離れになって、それぞれ生と死に戻っていくのを。ぼくたちは話に耳を傾けた。夢のような昼下がりが、忍び寄る闇を押しとどめてくれるように。」
「キッチン The Kitchen」
 最後の「キッチン」では、なんと死んだはずの父、母にバーバラも加わってキッチンで家族の会話が行われます。これは少年が見た夢なのか?著者が描いたファンタジーなのか?それは真実でも、嘘でも、夢でも、創作でも、どちらでもよいことです。読者の心にそれが刻まれることで、すべてが真実となることにかわりはないのですから。

「ヘブン・アイズ Heaven Eyes」 2000年
(著)デヴィッド・アーモンド
(訳)金原瑞人
河出書房新社
 孤児院から脱走し、手作りの筏に乗って川を下る少女(エリン)と男の子(ジャニュアリー)と小さな男の子(マウス)の冒険記。不気味な沼地(ブラック・ミドゥン)で座礁してしまった筏を降りた3人は謎めいた巨大な工場跡地に迷い込んでしまいます。そして、そこに住む手に水かきのある少女(ヘブン・アイズ)と彼女を育てるガードマンらしき謎の大男と出会います。二人に助けられた3人は、しばらくそこに滞在することにします。しかし、沼地の外に時おり現れる人間たちを彼らは幽霊と呼び、まったくかかわりももたず夜しか外にも出ません。しだいに不気味に思えてきたジャニュアリーは、そこから逃げようと言い出します。しかし、彼らの到着により、その不思議な世界には終わりが近づいていました。

「秘密の心臓 Secret Heart」 2001年
(著)デヴィッド・アーモンド
(訳)山田順子
東京創元社
 ひきこもりで夜しか出歩かない少年ジョー。ある夜、彼は自分のもとに虎がやって来るのを見ます。そして、同じ頃、田舎の小さな町にサーカス団がやってきます。サーカス団の少女はジョーに声をかけ、彼を招き入れます。そして、彼はサーカス団の女性占い師にお前は虎に選ばれた勇者だと告げられます。最後の公演を迎えようとしていたサーカス団のために、彼は重要な役割を担うことになります。

「火を喰う者たち The Fire Eaters」 2003年
(著)デヴィッド・アーモンド David Almond
(訳)金原瑞人
河出書房新社
<あらすじ>
 時は、1962年10月「キューバ危機」の真っ只中でした。場所は、キューバからは海を隔てたイギリス北部の海辺の小さな田舎町。労働者階級の子供として育ったロバート(ボビー)は、入学試験に合格し、上流階級の子供たちが通う中学に入学します。同じ頃、変えは街で火を吐いたり飲み込んだりする路上芸人マクナルティーと出会い、彼がかつて自分の父親の戦友だったことを知ります。学校に通い出した彼は、そこで教師に目をつけられ陰湿ないじめと体罰にさらされることになりました。そして、同じようにいじめの対象になった南部から来た大学教授の息子ダニエルが始めた教師へのいたずらに協力するようになります。
 その間、「キューバ危機」は、いよいよ緊迫状態になり、世界中が第三次世界大戦の始まりと核の恐怖に怯える事態になってゆきました。そして、ロバートのいたずらは教師にばれてしまい、教師からの罰を受けることになります。しかし、彼は教師からのムチによる体罰を望んで受けます。それは、病に苦しむ父親の痛みを少しでも和らげるために、自分が身代わりになれるかもしれないと考えたからでした。そして、その日の夜、自分が罰として学校を退学させられたことを父に告げます。
 ちょうどその頃、ロバートの悪友ジョゼフは、海辺で巨大な焚き火をたこうとしていました。そこにロバートの家族、ダニエルの家族、ロバートの彼女エイルサの家族、それにジョゼフの家族が集まります。そして、ロバートは一人海辺の小屋に住むマクナルティーを迎えに行きます。
 世界の危機は・・・ロバートの未来は・・・人々の祈りとロバートの祈りを叶えるかのような出来事が・・・・。

<火を喰うことの意味>
 最初に出会ったデヴィッドの本がこれでした。まったく予備知識がないままに読んだ久しぶりの小説でした。ではなぜ、選んだのか?というとタイトルの「火を喰う者たち」とその表紙の装丁にひかれたからでした。しかし、表紙にもある火喰い男が主人公というわけではありません。そして、小説の終わりになってこの小説のタイトルが「火を喰う男」ではなく「火を喰う者たち」になっている意味がわかります。そして、「火を喰う」という行為の意味も明らかになります。久しぶりにやられたって感じの小説と出会いました。
 僕は正直言ってファンタジー小説がそれほど好きではありません。まったくの絵空事ではなく、できれば現実とギリギリどこかでつながるような世界を作り上げている小説の方が好きです。(
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」みたいな)さらに欲を言うと、物語の中で起きるファンタジックな出来事が本当に奇跡なのか・仕掛けがあるのか?素晴らしい偶然なのか?そのあたりを読者の判断にゆだねられる作品なら最高です。
 作家として物語を作り上げるなら、「奇跡」を読者に信じさせるのが最大の目標だと僕は思うのです。嘘を嘘と感じさせず、それを真実だと判断するのも読者しだい、そう思わせるのが小説なのだと思うのです。娯楽と芸術の境目があるとすれば、そこにこそあるのだとも思います。

「クレイ Clay」 2005年
(著)デヴィッド・アーモンド
(訳)金原瑞人
河出書房新社
 教会で神父の助手をしている真面目な少年ディビィ。彼の家の近所に神学校を辞めさせられたという謎の少年スティーブンが引っ越してきます。粘土細工の人形を作るスティーブンの部屋をのぞいた彼は、スティーブンの不気味さに恐れを感じますが、なぜかその魅力にひかれてゆきます。そして、友人のジョーディが街の暴れ者モウルディをやっつけるのにスティーブンを利用しようと言い出したことから、彼に再び接近することになります。すると、スティーブンは「お前たちのためにモウルディを殺してやってもいい」と言い出し二人を驚かせました。そして、そのために粘土細工の巨大な人形を作るので、協力してほしいと言い出しました。スティーブンの不気味さと彼の邪悪な計画に恐れをなした彼は二度と彼に会うまいと決意します。しかし、彼の心の中何かが彼を再びスティーブンのもとへと向かわせようとしていました。
 そして、悲劇が起きます。

<デヴィッド・アーモンド>
 デヴィッド・アーモンドは、1951年にイングランド北部を流れるタイン川を見下ろすニューキャッスルの小さな炭鉱町に生まれました。幼い頃の最初の記憶として、叔父さんが経営する印刷工場で新聞が印刷されるのをじっと見ていたことをあげている彼は、「印刷インクが自分の身体に血となって流れている」と感じているそうです。当然のように作家になることを目指すようになった彼は大学時代から小説、詩、戯曲などを書き始めます。しかし、どれも満足のゆく作品として完成しませんでした。
 1982年、31歳の時、彼は仕事を辞め、家を売却したお金をもってコミューンへ移り住み、そこで本格的に短編小説を書き始めました。(どんなコミューンだったのでしょう?)そうして生み出された作品は少しずつ文芸誌に掲載されるようになり、その後2冊の短編集としてまとめられました。
 1998年、47歳で発表した児童向けの小説「肩胛骨は翼のなごり」が大反響となり、いきなりカーネギー賞とウィットブレッド賞というイギリスの文学賞をダブルで受賞し、注目を集めるようになりました。
 50歳を前にデビューした少年の心を持つ作家。彼の小説の中の主人公は、明らかに彼の分身ですが、彼を温かく見守る父親もまた彼の分身のはずです。過去を見つめるノスタルジックな小説でありながら、未来への希望を歌う青春小説でもあるのは、そのせいでしょう。
 彼の作品に近いと思えるものとして「ゲド戦記」や「闇の左手」で有名なA・K・ル・グィンの作品があります。しかし、ル・グィンは想像力の翼がより大きく宇宙にまで羽ばたいているのに対して、アーモンドの世界は徹底して小さな範囲、限られた時間にこだわっています。もちろん大きい方が良いわけではないはずです。一粒の砂に宇宙を見ると、ウィリアム・ブレイクがかつて言ったように、想像力さえあれば、どんな小さな世界からも宇宙を覗くことはできるずです。
 読者にとっても、作家にとっても、最も大切なもの、それは想像力の翼です。そう!あの肩胛骨にかつてついていたはずの翼です!

「その日、母さんはいつもと同じように、ぼくの肩を引き寄せてキスをした。
『けさは、顔が輝いているわね』母さんがいった。
ぼくは声をあげて笑った。
母さんの指先がぼくの肩胛骨の下をなでた。
『ここに翼が生えていたんだ』ぼくがいった。
『ここにまた、いつか生えてくるんだ』
母さんが僕を抱きしめた。
『そうよ』母さんがいった。
『これから大きくなっても、それがほんとうだってことは覚えておかないといけないわ』
ぼくは手を伸ばし、初めて母さんの肩胛骨の下のあたりに指先をすべらせた。
『母さんもだよ』ぼくも母さんにいった。
『ええ、母さんもね。だれもみんな。バーバラもあなたも、母さんも、家族全員、みんな』
そうしてぼくたちは黙った。一瞬、ぼくたちの中で炎が燃え上がる気がした。」

「ここに翼が生えていた Where Your Wings Were」(「星を数えて」)より

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