「原初の光 First Light」

- ピーター・アクロイド Peter Ackroyd-

<原初の光>
 タイトルに惹かれました。「原初の光」とは何ぞや?そこが先ずは気になりました。
 この小説の著者ピーター・アクロイドは、1949年ロンドン生まれのイギリス人です。デビュー作は、1982年の「ロンドンの大火」。「オスカー・ワイルドの遺言」でサマセット・モーム賞を受賞。その後も、「魔の聖堂」でガーディアン・フィクション賞を受賞。さらにイギリスを代表する偉大な詩人の評伝「T・S・エリオット」では、ノンフィクション作品に与えられるハイネマン賞を受賞。彼は他にもあのイギリスを代表する文学者チャールズ・ディケンズの評伝を記した作品「ディケンズ」それに「シェイクスピア伝」もあります。しかし、そうした作者に関する情報では、この本がどんな小説なのか、まったく予測はできませんでした。
 しかし、読んでみてわかりました。この作家さん、評伝作品を数多く書いているだけに作品の裏側にはものすごい情報量の知識が隠されているようです。そのことは、この小説がもつ多彩な表情がどれもしっかりとしたリアリティーを保っていることからも明らかです。
 では、この作品をどう分類したらよいのでしょうか?SF、神話、古代文明史、人生ドラマ、恋愛ドラマ、推理ドラマ、宝探し、天文学、物理学、それにサム・ペキンパーの「わらの犬」やジョン・ブアマンの「脱出」など異文化衝突の要素も併せ持つジャンル分け不能の作品ということになるのでしょうか。どちらにしても、この作品は評価されずらい存在のように思えます。特に日本のように、本をしっかりとジャンル分けしなければ売れない国では、ヒットは難しい本なのかもしれません。そう書いている僕自身、この本のタイトルが気にならなければ読んでいなかったかもしれません。

<不確定性原理>
 1920年代、不確定性原理の登場により、宇宙に存在する物質はすべて不確実な存在あり、宇宙はすべて未来も含めて不確実な存在、というよりは無秩序へと向かうはかない存在であることが証明されました。多くの人々はこの発見に衝撃を受け、それを認めようとはしませんでした。あのアインシュタインもまた生涯それを認めようとはしませんでした。神は世界をダイスに任せてしまったのか?科学が宇宙を表現することは不可能なのか?それは科学者だけでなく多くの人々にとって許せないことでした。
 科学は我々の人生から宇宙の神秘や神の存在を消し去ってしまったのでしょうか?この小説の中で登場人物の一人である天体物理学者は、科学の言葉によって東洋思想における輪廻転生い近い概念を語ります。それは多くの世界最高峰の科学者たちが、科学の領域を越えた神秘的ともいえる世界観をもつようになったことを思い起こさせます。(アインシュタインだけでなく、ニールス・ボーアイリヤ・プリゴジン、ウォルフガング・パウリ、・・・)
 ウィリアム・ブレイクの有名な詩の一節に「一握の砂の中に世界を見る」というのがあります。この一節は確かに比喩として素晴らしいのですが、実際に世界はその通りであることが近年では明らかになりつつあります。遺伝子の螺旋構造が、地球最大の螺旋構造である台風と共通であるだけでなく我々が住む銀河系の渦巻き構造とも似ているのは決して偶然ではないのです。そこにはすべてに共通する宇宙の法則が存在しているのです。そして、それらのすべてはかつて「ビッグバン」と呼ばれる「原初の光」から生み出された宇宙を構成する物質によって作られた存在であり、すべては血のつながった一族なのです。もちろん、人類もまたそうした「星屑ファミリー」の一員なわけです。
 こうした、科学(物理)の概念を「物語」、それもSFではない人間ドラマによって描き出そうという試みに先ず脱帽です。

<リアリティーへのこだわり>
 この本ではハリウッド映画のような派手な展開もアクション・シーンもありません。ヴィジュアル的には、映画化にお金はかからないでしょう。事件らしい事件がなかなか起きず、読者の方が勝手に展開を予測してしまいたくなります。しかし、作者はあえて面白い展開を選ばず、リアルな世界に留まり続けています。逆に、そうしたリアルな世界に留まりきれなくなった小説の中の登場人物である天文学者が狂気の世界へ旅立つ様子を描いています。少しずつ精神が蝕まれ狂気へと移行する様子は、実にリアルに描かれていて読んでいる方も、狂気へと誘い込まれそうです。科学の最先端を歩むことは一歩間違うと狂気へと踏み出しかねない危険な旅路だともいえるのです。

<血縁と原子によって結ばれたドラマ>
 ビッグバンに象徴される「原初の光」という神のごとき存在と地上のすべては結びついているという考え方。それをこの小説は古代から脈々と続く血のつながり(血縁)と結びつけることで、人間ドラマに移し変えています。事件をめぐって登場する様々な人々もまた、「原初の光」からつながる血縁でつながる家族の一員であり、それは地球外、宇宙全体へも拡張することが可能だというわけです。なんというスケールの大きさ!
 この小説を映画化するなら、今は亡きロバート・アルトマン監督にお願いしたかった。天文台で働く人々、発掘チームのメンバー、環境庁の役人と同性愛の彼女と父親、元人気俳優の夫とその妻、濃い血縁でつながるミント一族、狂言回し的存在の骨董屋の主人などにより、異なるドラマが進行し、それがラスト・シーンへと集約されてゆく展開は、
「ナッシュビル」「マッシュ」「ウェディング」など、集団ドラマの先駆者であり完成者でもあるアルトマン監督にぴったりだと思います。現役監督なら「ブギーナイツ」などで知られるポール・トーマス・アンダーソンあたりでしょうか?
 なかなか分厚い本ですが、じっくりと時間をかけて読書をしたいという方にはお奨めです。イギリスらしい風景が思い浮かぶ、イギリス好きにはたまらない小説でもあります。

<あらすじ>
 イギリス東部ドーセット州の海岸近くの森で山火事が起きます。ところが、その焼け跡から古代の遺跡が発見されます。さっそく地元の調査隊による発掘作業が始まりますが、何者かによる妨害工作が行なわれ、発掘品が盗まれる事件まで発生してしまいます。誰が何のために?
 同じ頃、かつて人気俳優だった人物が自らのルーツを探して、その土地を訪れ、ついに自分が生まれた家を発見します。それは、すぐ近くにある天文台の主任技師が住む家でした。老俳優がその家の持ち主であるミント家を尋ねると、自分がその一族の一員であることを知らされます。
 その間にも、少しずつ発掘作業は進み、ついにその遺跡には隠された部屋があることがわかります。さらに、その部屋は別の入り口へと続いており、その中心が地上にあるストーン・サークルの真下にあることを突き止めます。そして、その中心となる場所に木製の棺が安置されていることが明らかになりました。
 その間にも、発掘現場にはマスコミや可笑しな宗教者たちが集まり混乱の度を深めることになり、ついには天文学者の妻の自殺事件が起きてしまいます。
 そして、ついにその正体が明らかになる時が訪れます。その棺の中には、いったい何が収められているのでしょうか?

「原初の光 First Ligt」 1989年
ピーター・アクロイド(著)
井出弘之(訳)
新潮社

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