苦戦しながらも試合後とのラッキーボーイの登場や試合会場の移動の少なさなど地元有利の試合日程などのアドバンテージを生かしてきたフランスには、すべての点で風が吹いていたといえます。そして、決勝ではこの勢いがついに司令塔ジダンを爆発させ、彼の2点を生み出すことになりました。さらにこの試合では、ブラジルのエース、ロナウドが怪我により全力でのプレーができないというハンデも背負っていました。こうした、様々な条件もあり、ブラジルは今大会で初めて零封されるという屈辱を味わうことになりました。(3−0)連戦の疲労もあり、ワールドカップの決勝は以外に名勝負が少なく、今大会もまた一方的な試合になってしまいました。
 この夜、パリの街には百万人を越える人々が繰り出し、フランスの優勝を祝い大騒ぎになりました。実は、大会が始まる前、フランス国民のワールドカップへの関心の薄さは世界的な話題になるほどでした。そうでなくても個人主義が重視されるフランスでは、自転車やラグビーの人気も高く、他のヨーロッパ諸国ほどサッカー人気は高くないといわれます。それだけにワールドカップの期間中、その喧騒を逃れていち早くバカンスに出かける人も多かったといいます。しかし、優勝という結果は、フランス国民の意識をも大きく変えることになりました。その日のパリ市内の人手は、かつてフランスがナチスドイツの占領から開放された日以来の数だったといわれます。
 もうひとつ忘れてはいけないのは、フランスはそれまでの6つの優勝国以外では久しぶりに誕生した新しい国だということです。1966年にイングランドが地元開催で優勝して以来、30年以上新しい優勝国は誕生せず、常連国以外の決勝進出もオランダしかなたっかっただけに、フランスの優勝は他の出場国にとっても、勇気を与えるものだったといえます。(ちなみに、過去の優勝国とは、ドイツ、ブラジル、イングランド、イタリア、ウルグアイ、アルゼンチンです)

<追記>(2014年8月)金子達仁(著)「漂泊」より
 フランス・ワールドカップで痛感したこと。
「歓喜に浸りすぎたチームは必ずや敗れる」
 日本はジョホールバルの奇跡に酔った。ノルウェーはブラジル戦の逆転劇に酔った。クロアチアは宿敵ドイツを倒したことに酔い、そして、マリオ・ザガロは24年前の復讐がなったことに酔った。(オランダ戦での勝利)
 彼らはすべて、次の試合に敗れた。
 どれほど劇的な勝利であっても、ワールドカップ決勝以外のすべて国際Aマッチは、黄金のカップを手中に収めるための過程であり手段にすぎない。にもかかわらず、あまりにも劇的な勝利は、道のり半ばにあるチームに祝杯をあげさせ、まだ先にあるゴールへの欲求をボヤけさせてしまう。

 フランスでの日本代表は、2002年につながる何かを手にしただろうか。
 日本サッカー協会は、ワールドカップに参加するだけで、なんらかの収穫を得ることができると考えていたフシがある。勝てなくても、3試合指揮を執れば岡田監督は名監督に成長し、選手たちは世界と戦えるようになるとタカをくくっていたフシがある。・・・
 彼らは、岡田監督の経験不足を知りながら、経験を積ませるためのテストマッチを組もうとはしなかった。結果、岡田監督は必要な臨機応変な対応能力を身につけることができず、日本は先制されると何もできないチームとしてフランス・ワールドカップを戦わなければならなかった。
 私は、協会の長たる人物の解任を要求する。「強化委員長」を名乗りながら、効果的な強化を図ろうとしなかったグループの抜本的な見直しを要求する。

<追記>(2015年4月)
 この大会で初優勝したフランス・チームは、多くの移民により多様化した代表チームの成功例として世界中から高い評価を受けることになりました。(ジダンはマルセイユ生まれのアルジェリア系、ジョルカエフはアルメニアとポーランドからの移民の子、カランブーは仏領ニューカレドニア出身、デサイーはガーナ生まれの移民)
 ところが、この時期フランスでは移民規制法が改正され、移民たちの流入は抑制され始めていました。多民族文化の融合はすでに危機を迎えつつあったわけです。そして、サルコジ内相の登場により事態はさらに悪化。フランス・サッカーの黄金時代は、経済的な不況と共に完全に終わりを迎えることになります。
(参考)陣野俊史(著)「サッカーと人種差別」

<参考>
「1998年ワールドカップサッカー フランス大会」
 1998年
激闘ワールドカップ’98- フランスから見とおす2002年 -
(著)後藤健生
「漂泊 V」 2001年
(著)金子達仁

サッカー関連のページ   トップページへ