「フリーダム Freedom」

- ジョナサン・フランゼン Jonathan Franzen -

<ロック世代の分厚い小説>
 中身も外身も、どちらも思い小説です。でも、このサイトのファン、「ロック世代」の方々には是非読んでほしい小説です。アメリカのロック世代、「自由」を愛する人々によってアメリカはどう変ったのか?1970年代から2000年代にかけてのアメリカ現代史を見事に描いた本格派の大河小説でした。
 この小説の中で著者は、アメリカはなぜ駄目になってしまったのか、そして、世界はなぜ今危機に陥りつつあるのかを社会学的、政治学的にわかりやすく分析しています。そして、その分析を、アメリカの典型的な民主党支持の一家庭の年代記の中に見事に収めてみせたのです。真面目で頭がよいリベラルな「ロック世代」の両親とその子供たちからなる人々が支えてきたはずのアメリカが、なぜ彼らの理想とはほど遠い国になってしまったのか?
 それは、アメリカという国が「自由」を重んじる国だったからなのかもしれない。そして、同じようなことが「自由」を重んじるアメリカの家庭でも起きているというのです。そのことは、日本人である我々には理解できても、当事者であるアメリカ人には理解しがたいことなのかもしれません。アメリカにおける銃の扱いは、その典型的な例でしょう。教師までもが銃を持つ異常さが、「自由」を重んじるがゆえのことだなんて、普通の感覚ならまるでマンガの世界のように笑えるはずですが、それが彼らにはわからないのですから・・・。逆にいうとこうしたことを小説としてわかりやすく提示してみせたアメリカ人作家もまた今までほとんどいなかったということかもしれません。例えば、ジョン・アーヴィングのような作家もいましたが、彼の小説「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」は、アメリカの現実をファンタジーとして描いたのであって、リアルにはこだわっていませんでした。それに対してこの小説の著者は実在の人物や実際の事件を登場させ、より現実に近いところで物語を展開させています。その分、アメリカの歴史を知らないとわかりづらい部分もありますが、読み出せばどんどん先へと読み進ませるだけの面白さがあります。ここまで現実を、小説として面白く読ませるというのは、大変な手腕だと思います。

<「自由」について>
 この小説が政治的な内容を持ちながら読者を飽きさせないのは、そのエンターテイメント性とドキュメンタリー性、そして思想性のバランスの良さにあるのでしょう。特に重要なのは、この小説のタイトルでもある「自由(フリーダム)」についての様々な記述です。
 例えば、この小説の主人公ウォルターは、アメリカの「自由」についてこう語っています。

「この国にやってきた人々のお目当ては、金か自由かどっちかなんだ。金がなければ、その分余計にうっ憤をためて自由にしがみつく。たとえ煙草が寿命を縮めるとしても。たとえ我が子が家で腹を空かせ、外ではいかれた連中に軍用ライフルで撃ち殺されかねないとしても、どんなに貧しかろうと、ただ一つ誰にも奪えないもの、それが好き勝手な方法で人生を滅茶苦茶にする自由ってわけだ。・・・・・」

 そうなんですよね。さらにアメリカに移住して来た人々はみな、それぞれの国、それぞれの民族の中に納まりきらなかった人間たちだから、その子孫もまたそうした「はみ出し者」のDNAを受け継いでいるのだと彼はいいます。(優れていたがゆえに「はみ出した者」、犯罪者として「はみ出した者」様々ですが・・・)
 アメリカがかつて掲げていた「モンロー主義」は、そうした孤立主義の象徴でした。ソローの「森の生活」がアメリカ人の聖書的存在なのも、マーク・トウェインの冒険小説が愛されるのも、「イージー・ライダー」などの「ロード・ムービー」が愛されるのも、スポーツ界でのドーピングがなくならないのも、小学校で乱射事件が起きてもなお銃規制が進まないのも、サッカーの人気がないのも、・・・どれもアメリカ人のDNAの成せる業なのかもしれません。
 問題なのは、今やアメリカは「モンロー主義」を捨て、積極的に他国に進出し影響を与える国に変身してしまったことです。アメリカは、「自由」という名の「資本主義経済」の輸出国であり、自らの宗教となった自由主義経済の布教者となり、そのことに強い自信をもっています。

「自由というのは実にウザったい。だからこそ、この秋にやってきたチャンスをなんとしても掴まねばならんのだよ。自由な人々からなるこの国に屁理屈を捨てさせ、よりよい理屈を信じさせるんだ、なんであれ必要な手段を使ってね」

 どうやら最大の問題点は、「自由」と「資本主義経済」が絶対的に結びついているところにあるのかもしれません。そして「資本主義経済」の元では、「自由」と「発展」はイコールで結ばれてしまうのです。

「・・・人口過剰の議論が文化的に魅力を持てないほんとの理由は、赤ん坊を減らせってのが、つまるところ成長に歯止めをかけろって言ってるのと同じだからだ。だろ?しかも成長ってのは、自由市場イデオロギーにしてみりゃたんなる問題どころじゃない。本質そのものなんだ。・・・」
「資本主義にとっちゃあ資本の不断の成長がすべてだからだ。・・・」


 したがって、「自由」を絶対的な「善」と見なすアメリカ人にとって、現在の社会構造を変革するすることは原理的に不可能となるわけです。

「この国でシステムをひっくり返せない理由というのも」ウォルターが言う。
「結局、自由ってやつなんだよ。ヨーロッパじゃ自由市場も社会主義の影響でほどほどに抑えられるわけでね、これがなぜかと言えば、向こうの連中は個人の自由にそこまでこだわってないからだ。それに所得レベルは大差ないのに、あっちは出生率も低い。ヨーロッパの連中のほうが総じて理性的なんだな、要するに。・・・」


 もちろんウォルターは、アメリカの資本主義だけを糾弾しているわけではありません。21世紀の今、世界の未来を危うくしている原因のひとつである人口問題についても言及しています。

「マンハッタンでリチャードと会ってからの二週間半で、世界人口は700万人増加している。正味700万人の人口増 - ニューヨークシティの人口とほぼ同じ - それがこぞって森を丸裸にし、川を汚染し、草地を舗装し、プラスティックごみを太平洋に捨て、ガソリンや石炭を燃やし、他の種を絶滅させ、忌まわしい教皇の言いつけにしたがって十二人の子供を産む。ウォルターの考えでは、カトリック教会こそがこの世の諸悪の根源であり、人類に与えられたこの奇跡の星に絶望せざるをえない何よりの理由なのだ。もっとも最近では、ブッシュとビン・ラディンの双子の原理主義が僅差の二位につけていることは認めざるをえなかったが。・・・・・」

 化学的、科学的に地球を破壊している経済システムとして「資本主義」が諸悪の根源なら、より直接的に破壊を進めている諸悪の根源が人口問題です。しかし、すべての人間がこの人口問題においてjは加害者でもあり、被害者でもあることから、このことは無視され続けてきたのかもしれません。

「問題は、人口過剰の問題を国内で議論しようという人間がいないこと。それはなぜか?気の滅入る話題だから。いまさらなニュースに思えるから。地球温暖化と同じで、最終結果が否定できなくなる地点に達しているとまでは言えないから。それに貧しい人々、教育のない人々に赤ん坊を産むなんて言おうものなら、エリート主義だと思われかねないから。子供の多さは経済的ステータスに反比例する。・・・」

 そして、「資本主義」と「自由」が結びついているように「人口問題」は「宗教」とも強く結びついています。

「・・・宗教ってのは、経済的な機会に恵まれない人々にとってはもう一つの強力なドラッグだからな。この宗教こそぼくらのほんとの敵なんだが、こいつに噛み付けば、これすなわち経済的に苦しい人たちに噛み付くことになる」
「それに銃も」とジェシカ。「狩猟もずいぶん下の方の娯楽だし」


 世界が抱える二つの重要な問題と深く関わる「自由」と「宗教」。そして、この二つの「力」を象徴する二つの勢力「アメリカ」と「イスラム原理主義」が21世紀の今、世界中で衝突しています。
 9・11は、まさにその象徴となる事件でした。それまで侵略された経験がなかったアメリカは、独立戦争以来、初めて自国のために銃をとったともいえます。21世紀の今、戦争に「正義」が存在しないことは誰もが知っていますが、アメリカの国民のほとんどはそのことを忘れていました。というより、忘れた振りをしていたのかもしれません。その暴挙や国中の盛り上がりに違和感をもつ人も数多くいたはずです。

「9・11を境に、ジョーイには何もかもが突然アホらしく思えるようになった。実際何かの役に立つとも思えないのに「懸念集会」を開くなんてアホらしい。みんなあの惨劇の同じ映像を繰り返し見ているのもアホらしい。<カイ・ファイ>(フラタニティの名前)の連中が寮の建物に「がんばろう」のバナーを掲げているのもアホらしい。・・・テロで親戚や家族の友人を亡くした学生がいれば、アホみたいに大騒ぎする。この世界で日々起こっているそれ以外の悲惨な死はどうでもいいとでも?・・・」

<もう一人のロック世代>
 しかし、この小説は、「自由」とアメリカの文化史をわかりやすく描いている啓蒙書というわけではありません。環境保護派のニュー・ファミリーである主人公のウォルターとは異なるもう一人の「ロック世代」の主人公リチャード・カッツがこの小説をぐっと面白いものにしています。
 ロック・ミュージシャンとしてスターになりたいものの、「ロックは死んだ」といわれる時代、ロックが商品となった時代に彼が有名になることに意味はあるのか?そのジレンマに苦しむリチャードは、ミュージシャンという仕事についてインタビューでこう答えます。

「・・・我々ガム製造業者の目指すところは社会正義ではありません、正確な、客観的に正しい情報の伝達でもありません。有意義な労働でも、矛盾のない国家的理念でも、良識を広めることでもありません。我々の目指すところは、自分が聴きたいものを選んでそれ以外は無視する自由です。行儀の悪い連中、我々みたいにクールになりたがらない連中を馬鹿にする自由です。脳味噌無用でいい気分になれる曲に五分おきにありつく権利です。我々の知的財産権を徹底的に強化し、そこから利潤を搾り取ることです。十歳の子供を説得して、アップル社に認可された子会社が39セントのコストで生産するクールなシリコン製 i Pod ケースを25ドルで買わせることです。・・・」
(注)かつて1970年代の初めに「バブルガム・ロック」という子供向けロックがブームになったことがあります)

 今や、「ロックは死んだ」という言葉すら死後になっており、「ロック」が商品であることに疑問をもつ人すら消え去りました。そして、その残党でもあるリチャードは、ロック界ではなくウォルターの家庭を壊すことになってしまいます。これもまた「自由」が生み出した悲劇です。
 ロック世代が愛するアメリカ、ロック世代が嫌うアメリカ、両方の顔を家族の物語におさめ、そこから21世紀初めのアメリカを浮かび上がらせた分厚いエンターテイメント小説。その名もズバリと「自由 Freedom」というタイトルをつけた著者の気合にも賛辞を送りたいと思います。
 そうそう著者のジョナサン・フランゼンは、1959年生まれ。僕と同じ年です。どうりではまるはずです。

<自由とは?>
 「自由」とは、人類が神様から与えられた最高の贈り物なのでしょうか?
 たぶん「自由」の存在を否定する人はいないはず。すべての人が「自由」になることこそ、人類究極の理想だという人もいるでしょう。しかし、「自由」こそ、世界に広がる不平等の最大の原因なのも確かです。
 問題は、「欲望」を追求することは「自由」が認める権利のようなものだということ。そして、「欲望」を追求することは、他人を不幸にすることとも同義だということ。「自由」を認めることは、必然的に誰かを不幸にしてしまうということです。
 「自由」は「欲望」と結びつくことで「狂気」にまで達する危険な思想でもあります。そのことを認識しなければ、「自由」は確実に世界を終末へと導く。たとえ本人がそうは願っていなかったとしても・・・。
 当然、「自由主義貿易」の至る先は、勝ち組と負け組みによって、経済格差が広がった不平等な世界です。
 残念ながら、「核」も「地球」も「自由」も、人類が取り扱いを任されるには危険すぎると考えるべきなのかもしれません。

「フリーダム Freedom」 2009年
(著)ジョナサン・フランゼン Jonathan Franzen
(訳)森慎一郎
早川書房
<あらすじ>
 ウォルター・バーグランドはミネソタ州セントポールで育った後、環境保護活動に関わるようになり石炭業界が打ち出した環境保護活動を担当することになります。ところが、その仕事の裏側では保護地域としたはずの土地での資源開発が行われることになっていました。そのことを知ったウォルターですが、わずかながらも環境を保護できるならと開発事業の片棒を担ぐことを選択します。
 ウォルターの妻パティは模範的な主婦として地域でも評判の女性でしたが、高校時代からウォルターの親友リチャード・カッツに惚れていて、ついに二人を不倫関係に・・・。
 そして、そのリチャード・カッツはカリスマ的人気をもつロック・ミュージシャンとして活躍していますが、音楽業界のやり方に不満をもち、コマーシャリズムには乗れずにいました。
 真面目な父親を見て育ったウォルターの息子ジョーイは、父親に反抗して家を出ると母親が嫌う隣の家の娘コニーと付き合い始めます。
 バーグランド夫妻とリチャード・カッツの青春時代である1970年代から、彼らの子供たちが青春時代を迎える2000年代までのアメリカ社会を家族の歴史とともに描いた大河小説です。

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