自由の国で芸術のために生きる孤高の人生

「自由生活 Free Life 」

- ハ・ジン Ha Jin:哈金 -

<「自由生活」の苦難と喜び>
 久々に新鮮な衝撃を受けた小説でした。アメリカ在住の中国系作家の作品なのに、なぜか同世代の友人の話しを聞いているように親近感を覚えました。
 きっとあなたも主人公(女性なら主人公の奥さん)と共にアメリカで生きる「自由生活」を疑似体験できるはずです。あなたは「自由」の厳しさに苦しみ、やがてその喜びを知ることになるでしょう。
 この小説は、たぶんアメリカ以外の国に住むすべての人々が共感できるアメリカという夢の国を舞台にした10数年に及ぶハラハラ・ドキドキの冒険物語です。

・・・
ここアメリカでは声を出すことも叫ぶこともできる
きみ自身の声としっかりとした耳さえ見つけられれば
本物のパンを買うための時間を売れる
裕福で強くなることを夢見ながら
残り物にありつくこともできる
自分の喪失を思いっきり嘆くこともできる
・・・
しかしきみの身に起きる哀しみはかつて
彼たちも経験してきたことなのだ
それはアイルランドから アフリカから イタリアから スカンジナヴィアから そしてカリブ海から来た人たち
きみの苦難など ありふれたものにすぎない
幸運 誰もがそれを掴みたくてたまらない


ウー・ナンの詩「忠告」より

 この小説は、僕にとってほぼ同世代の妻と子をもつ男性(ハ・ジンは1956年生まれ)の物語として様々なことを考えさせてくれました。
 子供との付き合い方
 両親との付き合い方
 社会との付き合い方
 仕事との付き合い方
 生きる目的とは何か?
 様々なことをウー・ナンとともに悩むことができました。

<「自由生活」の真実>
 この小説の一部分は、著者ハ・ジンの人生と重なっています。彼の場合は、この小説の主人公ウー・ナンと違いアメリカで博士号を取得できたことで、大学での仕事を得ることができました。そのため、ウー・ナンが最下層から自らのキャリアを築き上げなければならなかったのに比べると、かなり恵まれた環境下で英語による創作活動に歩み出すことができたといえます。
 とはいえ、彼は英語圏の「詩人」として歩み出そうとした時に、厳しい言語の壁にぶつかりました。そこは、主人公のウー・ナンと同じ苦しみを味わったといえます。

・・・いかにその詩が素晴らしくても、それが残っていくかどうかはすべて偶然にかかっている。
 だから詩を志す者は、成功なんて期待してはいけない。けっきょく最後は、敗北に終わるのだから。

ウー・ナンの日記より

 ちなみに、この小説がもし著者の自伝だったとしたら、この小説の主人公が抱く不安を読者は共有できなかったはずです。結末がハッピーエンドだとわかってしまうのですから。

[ハ・ジン略歴]
 ハ・ジンは1956年2月21日中国東北部遼寧省に生まれています。軍人だった父親に育てられたこともあり、14歳の時、年齢を偽って人民解放軍に入隊。時代は「文化大革命」の真っただ中でしたが、彼は独学で読むようになった英米文学にはまります。19歳で除隊した彼は黒竜江省のハルビン(ウー・ナンの実家)に住み、黒竜江大学で英語学の学士号を取得。
 1985年にアメリカ東海岸マサチューセッツ州にあるブランダイス大学の奨学金を得ることができた彼は、妻子を中国に残してアメリカに渡りました。(ウー・ナンと同じ)
 1989年、アメリカで英米文学の博士号をとるために勉強していた彼は、故郷の中国で起きた天安門事件をアメリカのテレビ放送で知ります。そこでどれだけ多くの市民や学生が虐殺されたのかを知った彼は、中国を捨てアメリカで作家になる道を選択しました。その後、ブランダイス大学で博士号を取得した後は、大学教授として仕事をしながら英語による創作活動を始めます。当初は、詩人を目指しますが、英語による詩の創作活動に限界を感じ、英語による小説の執筆を開始します。

「中国は自分の祖国なんかじゃない。その国はただ服従を要求するだけだ。僕にとって、忠誠心というのは相恵的なものなんだ。国が僕を裏切るというんなら、僕としてはもうそれ以上、臣民でいるわけにはいかない」
ウー・ナンの言葉

<「自由生活」における悩み>
 詩人になることを目指すウー・ナンは中華料理店の経営者となってもなお、青春時代のまま悩み続けます。その意味で、この小説は10年以上に渡る人生の記録ではあっても、「青春小説」として読むべき作品でもあります。未だに自分の中に「青春」が残っていると思う人にとって、この小説は必ずや共感をもたらすはずです。
「自由」とは何か?
「芸術」とは何か?
「生きる」目的とは何か?

「すべての物事のいちばんの根本にはまず怖れがあることを、作家は自分の身で学ばなければならない。そしてひとたび学んだならば、永久に忘れてもらいたい。創作の過程には、心のなかにある変わらない真理と信念、あまねく普遍的な真実だけがあればいい。それが欠けると、どのような物語もはかなく消えてゆく運命にある。愛、敬意、同情、誇り、情熱、そして犠牲だ」
フォークナー

 そんな根源的な問題について悩み続ける人にとって、「アメリカ」という舞台は、どの国よりも明確な答えを与えることのできる土地なのかもしれません。もちろん、そこで得られた答えが正しいかどうかはわかりませんし、もともと答えは様々です。しかし、その答えを誰からの制約も受けず、社会からの圧力も受けずに追及することができるのが「アメリカ」なのだと思います。だから多くの人がアメリカを嫌いながらもアメリカを愛するのでしょう。もちろん僕もその一人です。

「強ければ生存していけるし、弱ければ死ぬ、ということだよ」
「それは、どこでだって同じじゃないか」
「でもアメリカ人の多くは、それについて文句を言わない。不幸が自分の身に降りかかっても、それはそれとして受け止めてしまう」

ウー・ナンと友人との会話より

<「自由生活」と「狂気」>
「よその国の国民になって初めて、中国人はまともに中国人として扱われる」
海外在住の中国人たちの間で有名な言葉

 もし、中国から留学するためにアメリカに渡ることに失敗していたら?(小説「狂気」の主人公)
 もし、中国に残って大学教授としての人生を歩んでいたら?(小説「狂気」の楊教授)
 この二つの選択肢について物語を創造したのが、著者の「狂気」だったとするなら、
 もし、アメリカに渡ったものの何の学位も、何の地位も、何の縁故もなかったとしたら?
 そんな最悪のシナリオをもとに作り上げたのが、この作品「自由生活」だったといえます。

・・・「アメリカン・ドリーム」という概念に振りまわされ、それがわかるまでに丸々10年もかかてしまった。でも、今ならこう言える。そんな夢は実現されるものじゃなく、ただ追い求めるものだと。それつなげるものじゃなく、ただ追い求めるものだと。それこそがエマーソンの言っていた「汝の馬車を星につなげるよ」の、本当の意味に違いない。
 個人が自由であるためには、自分自身の道を行くしかない。孤独と孤立に耐えるしかない。新参の移民で、アルファベットを一から学ぶような弱き存在であることを受け容れるために、成功という幻は諦めなければならない。・・・
 その上で最後に、金を稼ぐことではなく、詩を書き、過ちに立ち向かうことに、一身を捧げる勇気がなくてはならない。


 そんな想定のもとでの苦難の道を描いた作品といえます。そして、その道は著者のように恵まれた存在とはちがう、ほとんどの中国系移民に当てはまる物語でもあります。もちろん、それは他の国からアメリカへ渡った移民たちにも当てはまるはずです。
 その意味でこの小説は、中国からアメリカへ渡り、祖国を捨てざるをえなかった同胞たちへの讃歌であると同時に、孤独に生きるすべての人々への応援歌であり、すべての芸術家を目指す若者たちへの応援歌でもあります。

そう、褒め讃えよう
わたしの胸にはこのような人たちがいる
苦難のなかにありながら
それでも幸福を生得権と考え続ける人
・・・
自分の神にだけ目を向け続けながら
他の人の神に眉をひそめない人
争いに負けながら
自分を凌いだ者に賛美を惜しまない人
騒がしい通りにいながら
遠くの丘で鳴く鳥たちに気づく人
群衆のなかにすすんで入っていきながら
そのどよめきに惑わされない人
自分の国を愛しながら
その愛が女性と子どもたちへの愛に優ることのない人


ウー・ナンの詩「賛美」より

<「自由生活」から見た中国>
 この小説はハ・ジンの名が世界的に知られるようになった今も、他の作品と同様、中国国内では出版されていません。そこには中国の政権に対する批判も強烈に盛り込まれているため、中国全体を敵に回す覚悟がないと出版は難しいかもしれません。

私は憐れむ
権力と成功を崇拝する者たちを
盛時には広げるその境界線を
彼らは脆弱なるときには閉ざす
彼らが担ぎ上げる劣った指導者は
彼らを濁流へと導いてこう囁く
この流れの下には飛び石が隠れている
対岸へとまっすぐに続いていると
・・・
私は憐れむ
安全と調和を愛する者を
食糧と飲み物が用意された貯蔵庫に
彼らは生きて満足している
新鮮な空気を吸うために自らの肺を使わず
目はかすんで太陽の光も見えない
死ぬときには死ぬという人生ほど
最悪なものはないと信じている
彼らの天国とは宴席
救済はすべて権力者次第


ウー・タンの詩「憐れみ」より

・・・何百万人もの中国人が肺に問題を抱えていることは兄さんも知っているかもしれないけれど、中国自身にはもう肺すらないんだ。森林がすべて消えてしまったからね。・・・
正直に生きて行くなんていうことは、この場所ではもう不可能さ。誰も彼もが嘘をついているから、自分も嘘をついていなきゃならない。もしそうしなかったら、相手から足を掬われてしまう。市場へ行ってごらん、半分以上が偽物だ。・・・


ウー・ナンの弟ニンの言葉

 さらに彼の批判のホコ先は、権力と大衆の間に位置するインテリ階級にも向けられます。特に中国本土で地位と名誉をもちながら、アメリカに渡らざるを得なかった人々とその逆に海外で活躍した後に本国に戻った両方についてその厳しい眼差しを向けています。

・・・だからこそこれほど多くの亡命者たちが、けっきょくのところ過去の栄光に囚われ、臆面もなく愛国心を口にするんだとナンは思った。肉体はこっちにいても、偉大なる過去に束縛されて、彼らは新しい国に順応できないでいた。それとは対照的に自分は名もなき移民でしかなく、すがるほどの厄介な過去もない。権力側にしてみれば自分など何者でもなく、存在しないにも等しかった。
(中国からアメリカに逃れたリウ先生の帰国について)

・・・自分が詩を書き続けるなら、ダンニンのように異質性を強調するより、その逆に共通性を際立たせたかった。文化や民族的な背景にかかわらず、読者の心にじかに語りかけるような詩を思い描いた。
(中国に帰国し成功をおさめた作家ダン・ニンについて)

<英語による作家活動>
 ハ・ジンという作家が他の作家たちと大きく違うのは、彼が中国出身で中国育ちの移民でありながら、英語を用いるアメリカ人作家としてデビューしたことです。10数年かけて、彼は「アメリカ」という国の文化を理解し、その根本である「英語」による思考のもとでアメリカ人が体験した中国を描くための確固たる視点を持つことに成功しました。
 この小説は、その過程をまるごと収めた作家ハ・ジン誕生の物語としても読むことができます。

・・・
この言葉で書くということは孤独(alone)であるということ
その孤独からやがて寂しさ
(loneliness)さえ消えてゆき
ひとりであること
(solitude)の縁に生きるということ
・・・

<村上春樹との共通点>
 ハ・ジンという作家は、国から見捨てられ、自ら国を捨てる立場を選んだといえます。では、ハ・ジンと同じくボストン大学で英米文学を教えていた村上春樹との共通点は?
 中国が国民を見捨てるように、日本が国民を見捨てることはないでしょう。しかし、彼の心はけっして日本という国に結びついているわけではないと思われます。彼はこれまで多くの時間を海外で過ごしてきました。その分、彼の心は日本を離れているように思えます。もちろん、彼が日本の国籍を捨てるとは思えませんが、積極的平和主義の国を愛することはないでしょう。

子どもを育てた場所が 自分の国だということを
自分の家を建てた場所が 祖国だということを

「祖国と呼べる場所」より

 愛国者ではないとはいえ、アメリカ人になるわけでもなく、ギリシャに住みつくわけでもなく、世界各地をさまよう存在が村上春樹という作家なのかもしれません。彼の作品がどの国の若者(もしくは青春を生きる中年)にも受け入れられる普遍性をもっているのは、そうした脱日本感覚のせいなのだと思います。

「自由生活」 2007年
(著)ハ・ジン Ha Jin:哈金
(訳)駒沢敏器
NHK出版

<あらすじ>
 主人公ウー・ナンは社会学を学ぶため、妻子をハルビンに住む両親にあずけてアメリカへと旅立ちます。しかし、彼がアメリカ留学中の1989年天安門事件が起き、テレビや新聞などの報道により、中国政府による市民や学生の虐殺を知った彼は友人たちと抗議活動を計画します。ところが、それが原因で彼の名前は中国政府のブラックリストに載せられることになり、パスポートを失ってしまい学業を続けることも困難になります。
 中国にも帰れなくなった彼は、アメリカに渡ってきた妻子と離れて、ニューヨークの中華料理店で働き始めます。しかし、都会での厳しい生活に嫌気がさした彼は夫婦で貯めたお金を元手にしてアメリカ南部のアトランタ郊外に住む中国系移民夫婦からレストランを買い取ります。見知らぬ土地で夫婦は、中華レストランを引き継ぎ新生活を始めます。
 真面目に働く夫婦は小さいながらも店を成功させ念願だった一軒家も購入。ささやかながらアメリカン・ドリームを実現しますが、詩人になるという夢を抱えていた主人公にとっては不満が残るものでした。
 中国人社会との軋轢。宗教との関わり。詩人たちとの交流。忘れられない初恋の女性との再会。長男との対立。妻との和解。孤独なアメリカ社会での生活と将来への不安を常に感じながら、それでも彼らはアメリカという社会で少しずつ成長して行きます。

<参考>
狂気 The Crazed 2002年
(著)ハ・ジン Ha Jin:哈金
(訳)立石光子
早川書房

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