「フロストXニクソン FROST/NIXON」

- ロン・ハワード Ronny Howard -

<掘り出し物の名作>
 いろいろな意味で異色の作品といえますが、題材的に日本人向けでないことは確かです。でも面白い!お奨めの逸品です。
 実在の人物である主人公のデヴィッド・フロストという人物については、僕はまったく知りませんでしたし、相手方の元大統領リチャード・ニクソンも有名ではあっても魅力的な題材とは思えません。(実績でも見た目でも・・・)
 そのうえ、出演している俳優で日本で知名度が高いのは、ケヴィン・ベーコンぐらい。それ以上に問題なのは、この映画で取り上げられているインタビュー番組の存在が日本ではほとんど知られていないことです。そして、ニクソンという人物も、ウォーターゲート事件で政治生命を断たれ過去の人になったというイメージが強く、その後日談があったとは思ってもいませんでした。
 なぜ、過去の人へのインタビューが映画にするほど面白いのか?その企画に全米の注目が集まったのか?そのことが逆に興味をそそられました。

<映画職人ロン・ハワード>
 1995年の作品「アポロ13」でもそうでしたが、この映画の監督のロン・ハワードは専門的な内容を誰もが理解できるように描くことにかけては世界最高の監督かもしれません。経済学だけでなく多くの学問に影響を与えた「ゲーム理論」の基礎を築いた数学者の人生を描いた映画「ビューティフル・マインド」(主演はラッセル・クロウ)などは、まさにその真骨頂ともいえる作品でした。数式でしか表せない「数学」を面白く描いた監督が、今度は「政治」を面白く描こうと挑んだわけです。
 本作では、まず冒頭にニュース映像などによって「ウォーターゲート事件」についてコンパクトに解説を行っています。そして、現役の大統領ニクソンは辞任に追い込まれたものの、後継の大統領フォードが恩赦を与えたことで検察からの追求を免れ、国民からの非難を浴びていた状況が説明されます。しかし、この時点でニクソンはまだ自分の政治生命が終わったとは感じておらず、再会復帰のチャンスを狙っていました。
 そして、そんな状況の中、ニクソン元大統領のインタビュー番組を制作したいという企画案が持ち込まれたわけです。

<対照的な配役>
 インタビュー番組の企画を持ち込んだ人物、それがイギリスのテレビ司会者デヴィッド・フロストでした。彼を演じているのは日本では無名に近いイギリスの俳優マイケル・シーン Michael Sheen。若い頃のジャック・ニコルソンから毒気をぬいて軽くした感じのキャラクターからは「大統領の犯罪を暴く英雄」のオーラはまったく感じられません。しかし、その軟弱キャラがこの映画では大きな意味をもつことになります。実は、彼はこの映画のもとになった舞台劇でもデヴィッド・フロストを演じていました。
 ニクソンを演じているフランク・ランジェラもまた舞台劇で同じ役を演じています。普通なら大物俳優を使ってヒットを狙うべきところですが、あえてそうしなかったのは、やはり二人の俳優が本人に似ているだけでなく素晴らしい演技をしていたからでしょう。フランク・ランジェラはこの映画でアカデミー主演主演男優賞にノミネートされています。彼の演技なしではこの映画は成り立たなかったでしょう。

<屈辱的敗北>
 この映画が目指していたのは、カメラの前で自らの犯罪を暴かれたニクソンが、カメラの向こうにいるアメリカ国民の前で思わずその心の内を覗かせてしまった瞬間を再現することにあったのだと思います。
 かつてニクソンは大統領のイスに手が届く直前にJ・F・ケネディとの選挙戦にやぶれています。当初は実績のある彼が有利と言われていましたが、ある時点で人気が逆転し一気にケネディに敗れるという屈辱的な敗北でした。そして、そのきっかけとなったのがテレビで全米に中継された一対一の公開討論でした。この時、テレビに映し出されたのは、若くてイケメンでお洒落なネクタイをしたエリート青年のケネディ。それに対して、ブ男でセンスも悪く、汗をダラダラとたらしながら喋る口下手のオヤジ。それがニクソンでした。その差は歴然でした。それまでの政界における実績など吹き飛ばすその見た目の違いにより、それまでの下馬評は一晩で覆されることになりました。
 テレビというメディアの怖さを知った彼は、この後テレビを嫌い続けます。にも関わらず、彼が政界復帰への足がかりとしてテレビ番組への出演を選んだのはなぜなのか?それはひとつには60万ドルという巨額の出演料が欲しかったからでしょう。もともと彼は貧しい家庭の出身で、厳しい活況の中、自らの力で這い上がったたたき上げの政治家でした。彼の妻パットも同じく貧しい家庭の出身だったこともあり、彼らは終戦後のアメリカを代表する共働きカップルとして、多くの国民の共感を得ることで有名になったと言われています。ある意味、彼らは時代を象徴する存在だったといえます。しかし、こうした家庭環境は、名門の出身者が多い政界では当然蔑みの対象となり、彼は政界において常に孤独な立場に立たされていました。そうなると、彼もまた周りの人間を信じることができなくなり、おのずと孤独な政治家として戦わざるをえないはめに陥ることになりました。そうなると、彼に対する評価は当然悪くなります。
「あいつは正真正銘、二枚舌の大嘘つきだ」
 そう言ったのは、彼と同じ共和党の議員バリー・ゴールドウォーターです。
「どちらにも転ぶ日和見主義者だ」
 この言葉は、FBI長官エドガー・フーバーの側近だったフライド・トールソンの言葉です。
「周囲の雰囲気を意のままに変える力が、あれほど弱い政治家には会ったためしがない。・・・・・」
 ニクソンのブレーンの一人だったロジャー・エイムズの言葉です。

<ニクソンという政治家>
 デヴィッド・ハルバースタムは、彼の大著「ザ・フィフティーズ」の中でニクソンについてこう書いています。
「ニクソンが党内の亀裂を埋める役目を果たせたのは、彼の利害が政治信条にはなかったからだ。彼は自分自身の利害のみを考えた。保守勢力にも東部勢力にも受けが悪かったものの、双方に容認できる玉虫色の立場をとって切り抜けた。・・・・・」

 彼の政界での生き方はある意味明解でした。誰も信じず、誰にも頼らず、敵を批判すること、敵の失敗を攻撃することで、自分だけが生き残る。これが彼の政治手法でした。特に彼は50年代アメリカを象徴する潮流のひとつである赤狩りを上手く利用。マッカーシーが自滅して政界から消えた後は、その後継者ともいえる存在として「反共主義」という錦の御旗をかざすことで民主党を攻撃し、保守層の人気を獲得することに成功しました。
 そうかと思えば60年代に入り、今度は時代の流れとなった平和主義の先頭に立って中国と国交を樹立し、鉄のカーテンの向こうの国、ソ連との友好関係を築くなど、手のひらを返したかのような政治を展開しています。この映画のインタビューの中に、毛沢東やブレジネフとの逸話が何度も出てくるのは、この時期の実績をもっと高く評価してほしいという思いがあったからでしょう。

「ニクソンは敵を必要とする男だったのかもしれない。自分が最高に活躍できるのは、敵対する世界に立ち向かうときだと感じていたのかもしれない。だが、こうしたタイプの人間は、ほぼ確実に敵をつくることになる。・・・・・」
デヴィッド・ハルバースタム著「ザ・フィフティーズ」より

 大統領の座を追われたことで完全に政界で孤立してしまった彼には、政治資金を準備することこそ急務の仕事だったわけです。

<フロストという敵>
 敵を見つけ、敵をつぶすことでのし上がってきた彼にとって重要だったのは、確実に勝てる相手を選び、その敵を国民の前で叩き潰すことで再びアメリカ国民に自分の存在を知らしめることでした。過去の苦い思い出からテレビを自らの弱点であると自覚していた彼は、当然テレビ出演には消極的でしたが、持ち前の情報収集能力により、フロストについて調べ上げます。
 彼のそれまでの仕事は、イギリス、オーストラリアのテレビ番組の司会でしたが、その番組で取り上げているのは、芸能人やミュージシャン相手のインタビューや事件の直撃リポートのようなものばかりで、政治、経済問題はまったくの素人のはずでした。そのうえ、見た目も軟弱そのもので、視聴者から見ればニクソンの重みには勝てないはずでした。彼が相手なら、ウォーターゲートの質問についても、十分にいなせるだろう。彼もスタッフも、フロストを簡単な相手と見なしました。(そんな彼の軟弱ぶりを表す物の一つがイタリア製の紐なし靴でした。お洒落なグッチの靴はニクソンにとって女々しさの象徴だったのです)
 さらに彼はアメリカの3大テレビ・ネットワークを出し抜いたことで、周りからの圧力にさらされていました。そうでなくても政治番組における実績がなかった彼の企画ということで、スポンサーが集まらず、そのため彼は自分の全財産を使いきり、多額の借金まで抱えていました。当然、ニクソン側はそのことも調べ上げていたので、なおさら自信をもって望むことができたのです。(戦わずして、彼が倒産する可能性もあり、番組が流れる可能性もありました)

<ニクソンという人物>
 この映画の面白さは、「悪者」であるニクソンに人間的な魅力をもたせることで人間ドラマとしてのふくらみをもたせていることにあります。
 彼は一般市民の中に入って握手をしたり、対話をするということがほとんどなかったそうです。それだけに最後のインタビュー収録が終わった後、会場の外で主婦の連れていた犬を抱き上げ語りかけるシーンは非常に印象的でした。少年時代彼の家が貧しかったことから、彼は飼いたくても犬を買ってもらえなかったという思い出があったそうですから、これは実に象徴的です。
 フロストが能面のように表情を変えないのに対し、ニクソンの表情の変化は痛々しいほどで、インタビューの最後の顔に彼の苦悩のすべてが表されています。もしかすると、その苦悩は1970年代アメリカの苦悩そのものだったとも思えてきます。それだけにアメリカ人にとって「ウォーターゲート事件」は重い意味をもっているのでしょう。

<フロストXニクソン>
 どうやってニクソンを攻め、彼にウォーターゲート事件における自らの関与を認めさせ、謝罪させるのか?映画はその最大の見所に向かいます。
 しかしフロストは、インタビューが始まってもニクソンの話術にはぐらかされ続け、まったく真相に迫れないまま、最後の収録を迎えていました。この時点では、まったくつけ入る隙が見当たらなかったといえます。それでも、彼は優秀なスタッフの手を借りて、それまで明らかになってされていなかった新情報を入手。それによってニクソンを窮地に追い込みます。
 しかし、ニクソン側スタッフの妨害により、番組の収録が中断されてしまいチャンスは失われてしまいます。生放送ではないので、追い込んでもいつでもカメラを止めれば、逃げることが可能なのです。ところが、もはや負けることはあり得ないであろうニクソンが、意外な行動に出ます。このあたりの心理描写がこの映画の見所といえるでしょう。
 大統領になるために誰一人、妻すらも信じることなく、国民すらも敵にまわして戦い続けてきたのは何のためだったのか?このあたりの心理は、回顧シーンなどを交えてもよかったのかもしれません。(オリジナルが舞台劇なのでそれはなかったのでしょうが、・・・)いかに苦労して彼が下積みから這い上がってきたのか、それでもなおエリート政治家たちから馬鹿にされ続けたのはなぜだったのか。彼らを見返すために不法行為にも手を出さざるを得なかったことに対する後悔の思いについてなど・・・・・。それらすべての思いが、ニクソンを演じたフランク・ランジェラの演技にゆだねられています。
 実は、フランク・ランジェラが演じているニクソンもまたその時、一世一代の演技をしていたのですが・・・。そして、その見事な演技にストップをかけたのがフロストというポーカー・フェイスの男だったのです。

<ニクソンの懺悔>
 政治家ニクソンがその演技を終えた時、彼がいかに精神的に救われたのか。そのことは、番組収録後の彼の言動からも明らかです。その意味では、この映画は「テレビ」という新しい宗教によって、「救い」を与えられた男の物語ということもできるのかもしれません。
 ニクソンは、この時のインタビューの収録前、自分は「魔女狩り裁判」にかけられるのだと発言していました。しかし、実際はフロスト=イエス・キリストを前にした罪の告白となり、その懺悔の思いはテレビを通じて神なる視聴者へと届けられることになりました。こうして、テレビは地上最強のマスメディアとして、全能の神のごとき力を再び見せることになりました。そして、ニクソンは再びその犠牲者となったのです。その意味では、ニクソンこそテレビの時代、20世紀を最も象徴している存在なのかもしれません。

「冷戦と冷戦がアメリカに与えられた影響を象徴する政治家がアメリカにいるとすれば、まさにこのリチャード・ニクソンをおいてなかった。この男とこの時代は、互いに互いのために存在した。ニクソンの感情の根幹をなす怒りと憎悪は、アメリカが抱えた新たな不安が増大するにつれ、この国全体に広がった緊張感と一脈通じるものがあった。・・・・・」
デヴィッド・ハルバースタム著「ザ・フィフティーズ」より

「フロストXニクソン FROST/NIXON」 2008年
(監)(製)ロン・ハワード Ronny Howard
(原戯)(脚)(製)ピーター・モーガン Peter Morgan
(撮)サルヴァトーレ・トチノ
(音)ハンス・ジマー
(出)マイケル・シーン、フランク・ランジェラ、ケヴィン・ベーコン、レベッカ・ホール、オリヴァー・プラット

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