「不滅 L'IMMORTALITE」

- ミラン・クンデラ Milan Kundera -

<「不滅なるもの」を描く試み>
 ちょっと難解ではありますが、ちょっと複雑なつくりではありますが、ちょっとヨーロッパ文化についての知識が必要かもしれませんが・・・でも面白くためになり感動も与えてくれる素晴らしい作品です。
 映画化もされ一大ブームを巻き起こした「存在の耐えられない軽さ」の著者ミラン・クンデラの代表作だけのことはあります。ただし、チェコ動乱の中で歴史的変動に翻弄される恋人たちを描いた「存在の耐えられない軽さ」は歴史小説であり青春小説でもありましたが、この小説はまったく異なるタイプの作品です。
 基本的なストーリーは、主人公アニェスと夫のポール、彼女の妹ローラを中心とする家族が崩壊してゆく様を描いた「ファミリー・ドラマ」です。しかし、それはあくまでもお話のごくごく一部にすぎません。この小説のテーマはずばり!「不滅なるもの」を描く試みです。これはある意味すべての「芸術」が目指す最大の目標かもしれません。それをこの小説はできうる限りわかりやすく、軽やかに描き出しています。ノーベル文学賞は伊達ではありませんでした。

<物語の始まるところ>
 この小説は作者でありクンデラらしき人物が、ある日プールで素敵な中年女性を目にし、彼女の手を振る仕草に一目ぼれしてしまった時の体験、そしてなぜか彼女にアニェスという名前をつけるところから、物語は始まります。

「・・・・・われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を越えている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識してはいないし、たいていの時間は無年齢でいるのだ。いずれにしろ、水泳の先生のほうをふりかえり、微笑し、手で仕草をした瞬間、自分の年齢のことなど彼女はなにも知らなかった。その仕草のおかげで、ほんの一瞬あいだ、時間に左右されたりするものではない彼女の魅力の本質がはっきり現れて、私を眩惑した。わたしは異様なほど感動した。そしてアニェスという単語が私の心にうかんだ。アニェス。かつて私はその名前の女性と知り合ったことはない。」

<不滅なる仕草の美>
 人はほとんどの人生において年齢とは関りなく生きているということ。そして、人は年齢とは関りのない独自の仕草によって、自分を表現していること。作者はまるで哲学書のように語っていますが、その文章からはプールのそばに立つアニェスという素敵な女性の水着姿が見えてくるようです。さらに作者は「仕草」について考察を続けます。

「・・・・・その仕草は婦人の本質をいささかもあらわにしたわけではなく、むしろ婦人はある仕草の魅力を私に啓示してくれたのだと言うべきだろう。なぜならば、ある仕草はある個人の所有物だとみなすこともできなければ、その創造物とみなすこともできないし(なにしろそのひと特有の、完全に独創的な、そして自分だけのものである仕草を創造することなど誰にもできはしないのだから)、その道具とみなすこともできないのである。が、反対は真実である。つまり、仕草のほうこそわれわれを利用しているのだ。われわれは仕草の道具であり、操り人形であり、化身である」

<不滅なる創造主とは?>
 この小説はただ単に物語を順序に従って書き進めるのではなく、次から次へとわき道にそれては、「人間」「神」「人生」「運命」「芸術」「戦争」「イデオロギー」についての考察を行なってゆくウン蓄いっぱいの哲学小説でもあります。そういえば、この小説は章が非常に細かく区切られていて、そのおかげで章の終わりの脚注が見やすくなっています。そのおかげで、様々なウン蓄が、ごく自然に筋書きと絡み合って一つの世界を作り上げているのも、この小説の特徴といえます。
 例えば、主人公のアニェスは「創造主」についてこう考えます。

「で、アニェスは夢想するのだ。<創造主>は細かいプログラムを仕込んだフロッピーディスクをコンピューターに入れ、それから立ちさっていったのだ、と。・・・
 しかし、われわれの祖先の神から見捨てられているというのは、宇宙的なコンピューターの崇高なる発明者に見捨てられるというのとは、別のことだ。神のいるべき場所に、そのかわりにプログラムがとどまっているのだ、神の存在のままにあくまでも逆行され、しかもどんなものであれ変更を加えることのできないプログラムが。・・・・・」


 もちろん、どんなに素晴らしい思索を展開していたとしても、小説は文章が魅力的でなければ意味がありません。「美い文章」でなければいけないのです。現代社会の醜さを表現するのも、リアリズムによって醜さを表現するのではない方法だってあるはずです。

「彼女は考えた。いつの日か、醜さの襲撃がまったく耐えがたいものになったら、勿忘草を一茎、勿忘草をただ一茎だけ、ちっぽけな花を頭にのせた細長い茎を一本だけ花屋で買うとしよう、その花を顔の前にかざして、彼女にはもう愛せなくなってしまった世界から保っておきたい究極のイメージである、その美しい青い点より他のものはなにも見ないようにするため、花にじっと視線を定めて街へ出てゆこう。・・・・・」

<芸術のもつ不滅性>
 この小説のタイトルでもある「不滅」とは何か?その代表格はなんといっても「芸術」でしょう。
 この小説には「不滅」の体現者として、ゲーテ、ベートーヴェン、ヘミングウェイなど、有名な芸術家たちが登場してきます。そして、その反対に位置する存在(「反芸術」、「醜さ」)を代表してナポレオンも登場します。そして、ある日ベートーヴェンが、ゲーテを前に貴族の一団に対し無礼な態度をとったことについて、こう書いています。

「・・・ベートーヴェンが帽子も脱がずに貴族の一団とすれちがうにしても、それはなにも貴族たちは軽蔑すべき反動勢力、そして彼は立派な革命家だということを意味するわけではない。それは創造する(彫像を、詩を、交響曲を)ひとびとよりも尊敬に値するということを意味するのだ。創造は権力より以上のものであり、芸術は政治より以上のものであるということを、作品は不滅であり、戦争や王侯貴族の舞踏会はそうではないということを意味するのだ。・・・・・」

 ただし、「不滅」とは多くの芸術家にとっては憧れではあっても、「不滅」にされてしまった側にとって、いい迷惑な場合もあります。
 例えば、事故によって身体を壊し、才能を使い果たし、生きる目的を見失い、ついには猟銃自殺を遂げてしまったヘミングウェイは、多くの作品は確かに「不滅」ではあっても、それと同じように彼自身の自己破壊的な人生もまた「不滅」の存在になったといえます。

「・・・人間は自分の人生を終わらせることはできる。しかし、自分の不滅を終わらせることはできません。不滅の船にいったん乗せられたが最後、もう決して降りられないし、わたしのように、銃弾を頭にぶちこんでも、その自殺をかかえてやはり船にとどまっているんですな、これは恐怖ですよ、・・・・・」

<世界を動かすイマゴロジー>
 「存在の耐えられない軽さ」によって、チェコの民主化運動その崩壊を描いた作者は、当然、イデオロギーの問題についても深い考察を行なっています。特に面白いのはイデオロギーの崩壊とそこから生まれ、今や世界を支配するイマゴロジーについて書いている部分です。「イマゴロジー」とはなんぞや?

「広告と宣伝のあいだに関係はない、一方は市場に奉仕するもの、他方はイデオロギーに奉仕するものだから、とあなたは反論されるだろうか?ならば、あなたはなにも分かっていない。あれからもうほぼ百年になるが、ロシアで迫害されたマルクス主義者たちが、マルクスの『共産党宣言』を共同で研究する秘密組織のサークルをつくっていた。このイデオロギーを他のサークルにひろめられるように、彼はその内容を単純化したのだが、つぎに他のサークルのメンバーがそちらはそちらで、単純なものの単純化をさらに単純化し、それを伝達し普及させたあげくに、マルクス主義は全地球上で知られ強力になりはしたものの、イデオロギーとはみなしがたいほど、貧弱に一緒くたに括られた六つか七つのスローガンの寄せ集めと化するに至った。そしてマルクスから残っているものは、もはやいかなる論理的な観念体系を形成するものではなく、ただ一連の暗示的なイメージおよび表象を形成しているにすぎないのだから、イデオロギーからイマゴロジーへの、漸進的、全般的、かつ地球的規模の変化を当然のこととして話題にして差しつかえないのである。」

 イマゴロジーへと変質してしまったのは、もちろん「共産主義思想」だけではありません。あらゆる思想は今やTVCMやYou Cube、パソコン上のトップページにおさまるように変質させられてしまいました。もちろん、芸術のもつ思想性も例外ではないでしょう。

「・・・すべてのイデオロギーは敗北した。すべてのイデオロギーの教義はついに幻想として仮面をはぎとられ、ひとびとはそれをもう真面目に受けとらなくなった。・・・・・
 現実はイデオロギーより強かったのだ。そしてまさにその方向において、イマゴロジーはイデオロギーの権力の決定的な道具であり、世論調査があればこそ、その権力は民衆と完全に協調してゆくことができるのだ。
・・・イデオロギーは互いに戦争をしあい、それぞれのイデオロギーは、その思想によってある時代をすっかり包囲することもできた。イマゴロジーは季節の軽快なリズムにあわせて、そのさまざまな体系の平和的な交代を自ら組織する。ポールならばこんなふうに言うところだろう。イデオロギーは<歴史>に帰属し、イマゴロジーの支配は<歴史>が終わるところで始まると、と。」


<戦争をできない人々と芸術>
 作者は戦争についても言及しています。ヨーロッパの人々はもう自らが手を下す戦争をしないだろうと書いています。確かに今のヨーロッパの人々にとって「戦争」ははるか海外で行なわれる局地的な戦闘以外ありえないかもしれません。特にEUとしてヨーロッパがひとつになり、宗教、経済、人種の壁が限りなくなくなった世界に住む人々が戦争をし始めることはないでしょう。というか、そんな過激な精神はすでに失われていると思われます。(そして、それは日本にも、そのままあてはまります)

「祖国のために闘う覚悟をしているフランスの若者たちが想像できるかね?ヨーロッパでは、戦争はもう考えられないものになっている。政治的にでなく、人類学的に考えられないものに。」


 これは、けっして悪いことではありません。ただし、このことにより人々はピカソに匹敵する芸術家を失うことになったのかもしれない。そう作者は指摘してもいます。

「・・・戦争と文化はヨーロッパの二つの極であり、その天国と地獄であり、その栄光と恥辱であるけれど、しかし、それらを切りはなすことはできないんだ。一方が万事休すとなれば、もう一方も万事休すになって、両方とも一緒に消えてゆくだろうね。五十年このかたヨーロッパに戦争はなくなっているということは、五十年このかた、ぼくたちがいかなるピカソも知らないという事実と不思議に結びついているんだな」

<不滅なる共通意識>
 かつて心理学者ユングは人類の脳には潜在意識の奥底に人類共通の記憶が存在していると指摘しました。遠い過去から続くその部分によって人類はみなつながっているはずだということです。そして、その共通意識こそ、人類に「神」のイメージをもたらし原点かもしれませんが、もしかするとその共通意識こそが「神」そのものかもしれないと彼は指摘します。

「・・・だが、どうして彼らが二人揃って同じ言葉を考えることになったのか?それはつまり、その言葉に共通する源があったにちがいないからだ。ただひとつの同じ波があったにちがいないからだ。ただひとつの同じ波がすべての男、すべての女を貫き、尾アンジ地下水脈がさまざまなエロティックなイメージを運んでいるのだという考えが、そのときルーベンスの頭にうかんだ。
・・・それは、また別の言葉にすれば、その川が神に従属している、さらにはその川は神である、あるいは神の化身のひとつである、と言うことである。・・・・・」


<我が愛する「不滅」の女性たちに捧ぐ!>
 そして、人類の共有するイメージの中でも特に重要なものが小説の最後に登場します。これこそ、この小説のテーマでありヒロインのアニェスに捧げる言葉です。

「女性は男性の未来です。それはですね。かつて男性の姿にあわせて創造された世界が、これからは女性の姿をもとにして、かたちづくられるようになるという意味ですよ。・・・・・」

 さらに作者はもう一歩進んで女性の果たしてきた重要な役割についても明らかにしてくれます。

「・・・この仕草によって、女性は、いらっしゃい、さあわたしについてきて、とわたしたちに言っているんですね。そして彼女がどこかへ誘うつもりなのかあなたがたには分からないし、彼女のほうだって分かってないんですが、それでも女性は、ついてきてもらうだけの価値があると信じきって、あなたがたを誘っているんです。そうであるがゆえに、わたしはあなたがたに言うんです、女性が男性の未来となるか、それとも女性だけが、なにものをもってしても根拠づけられる希望を、彼女自身のなかに抱きつづけることができるからですし、女性たちなかりせば、たぶんとっくの昔に、われわれは誘うことができなくなっていたであろう疑わしい未来へと、われわれを誘うことができるからです。・・・・・」

 素晴らしい芸術は確かに「不滅」かもしれません。しかし本当に不滅なのは人類が長い歴史の中で築き上げてきた共通の認識であり、中でも「女性こそが世界の未来である」というあまりに美しくかつ力強いイメージなのかもしれません。
 異論をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、僕は全面的に賛成です。もし僕がこの小説の中に登場させてもらえたら、是非ポールと一緒にこの言葉を叫ばせてほしいものです。

「永遠にして女性的なるものがわれわれを高みへと導きゆく!」

 頭の中にイメージを描きながら、じっくりと味わう読書の至高の喜びを求めるあなたにお奨めの一冊です! 


「不滅 L'IMMORTALITE」 1990年
ミラン・クンデラ Milan Kundera (著)
菅野昭正(訳)
集英社

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